第22話: 改革の提案と最初の抵抗勢力
帝都アヴァロンの秋空は、どこまでも高く澄み渡っていた。だが、ヴァリスガル皇宮の宮廷会議室に漂う空気は、その空模様とは裏腹に、重く、そして張り詰めていた。
今日の議題は、私が提出した「侍従の待遇改善及び宮廷内業務効率化に関する提案」。この旧弊な宮廷に新しい風を吹き込もうとする、私の最初の具体的な行動だ。
居並ぶ貴族たちの視線を一身に浴びる。用意した資料に基づいて、提案内容を冷静かつ論理的に説明していく。侍従たちの過酷な労働実態、それによる業務効率の低下、そして待遇改善がもたらすであろう士気の向上と宮殿運営全体の利益。私はその必要性を訴えた。
「——以上が、わたくしの提案の骨子でございます。
この改革は、ここで働く全ての人々の
生活を向上させるだけでなく
ひいてはヴァリスガル帝国の威信を高めることにも
繋がると、わたくしは固く信じております」
私の言葉が終わると、しばしの沈黙が会議室を支配した。多くの貴族たちは、私の大胆かつ具体的な提案に驚きを隠せない様子。互いに顔を見合わせたり、ヒソヒソと囁き合ったりしている。
私の能力から聞こえるのは、困惑、警戒、そして僅かながらも「確かに一理あるかもしれない」という賛同の響き。
静寂を破ったのは予想通りの人物だった。会計監査官、バルドゥス=グレイリング卿。わざとらしく咳払いを一つして、重々しい口調で話し始めた。
「ロマンシア様。
その若さで
かくも壮大な改革案をお考えになるとは
感服いたしました。
しかしながら、いささか急進的すぎるとは
思われませぬかな?」
彼の言葉は丁寧だが、その響きには明確な棘と、私への侮りが見え隠れしている。私には心の声もはっきりと聞こえている。
『小娘が、何を偉そうに……!
伝統というものをまるで理解しておらん!』
『こんな改革が通ってたまるものか。
我々の既得権益が脅かされるではないか!』
「バルドゥス卿、ご意見ありがとうございます。
ですが何が『急進的』なのでしょうか?
具体的にご指摘いただけますか?」
私は冷静に問い返した。彼の反論は、感情的で具体性に欠けるものになるだろうと予測していたからだ。
「それは……その……まず、前例がございません!
ヴァリスガル皇宮の伝統と慣習は
長きにわたり培われてきた叡智の結晶。
それを軽々に覆すべきものではございませんぞ!」
バルドゥス卿は声を荒らげて主張する。まさに老害の典型だ。
「伝統ですか。
確かに尊重すべき伝統もございましょう。
しかし、バルドゥス卿。
時代は常に移り変わるもの。
古き慣習が、必ずしも現在の最善である
とは限りませんわ。
むしろ時代に合わせて変化し
進化していくことこそが
真の伝統を守ることに
繋がるのではないでしょうか?」
私の反論に、バルドゥス卿の顔が僅かに赤らむ。
「それにわたくしの提案は
決して伝統を軽んじるものではございません。
むしろ、この宮廷で働く者たちが誇りを持ち
より質の高い奉仕を提供できるようになることで
皇室の品位はさらに高まると考えております。
事実に基づく効率化は
無駄を省き、財政の健全化にも貢献するはずです」
私は用意していた資料を、彼と会議に参加している他の貴族たちにも見えるように提示した。具体的な数値や実績をまとめた資料が、私の主張の正当性を雄弁に物語っている。
バルドゥス卿は、私の理路整然とした反論に言葉を詰まらせた。彼の額には脂汗が滲んでいる。私の能力は、彼の焦りと、内心で私を罵倒する醜い言葉を捉えていた。
『この小娘、口だけは達者なようだな……!
だが、これで引き下がるわけにはいかん!』
『私の取引先との関係もあるのだ……
この改革が通れば、私の取り分が……!』
(やはり……彼の反対の裏には
個人的な利権が絡んでいるのね。
分かりやすいことだわ)
私は内心ではクスっと笑った。だが表情に出ないように努めた。むしろ同情するかのような、そして余裕を見せるような穏やかな笑みに留めながら話した。
「バルドゥス卿、あなたの仰る『伝統』とは
もしかして……一部の者が
不当に利益を得続けるための
都合の良い『慣習』のことではございませんこと?」
私の言葉は、静かだが鋭く彼の核心を突いた。バルドゥス卿の顔が、みるみるうちに青ざめていく。他の貴族たちも、彼の不自然なまでの反対意見の裏に何かあるのではないかと、疑念の目を向け始めている。
「な、何を……! 不躾な……!」
「不躾ですって? 事実を指摘したまでですわ。
それとも、何か——
やましいことでもおありなのでしょうか
バルドゥス卿?」
私の追撃に彼は完全に言葉を失った。その時、それまで沈黙を守っていたレオルガン皇太子が、重々しく口を開いた。
「バルドゥス卿の懸念も理解できなくはない。
だが、ロマンシアの提案は
帝国の未来を考えた時、検討に値するものだと
私は判断する。
帝国は常に前進せねばならん。
旧弊に囚われていては、いずれ衰退するだけだ」
レオルガンの言葉は会議の空気を決定づけた。彼の力強い支持を受け、私の改革案は大きな反対もなく承認される方向に傾いた。
バルドゥス卿は、悔しげな表情で唇を噛み締めながら会議室を後にした。だが彼の心の声は、まだ諦めていないことを明確に示していた。
『小娘め、このままでは終わらせんぞ……!
必ず、お前を失脚させてやる……!』
(ええ、そう簡単には引き下がらないでしょうね。
むしろ、ここからが本番かしら)
彼の背中を見送りながら、私も静かに闘志を燃やした。
◇
会議後、予想通りバルドゥス卿は陰湿な反撃を開始した。自身の息のかかった侍従たちを通じて、宮廷内に私に関する悪質な噂を流し始めたのだ。
『ロマンシア様は
新しい食料調達業者と個人的な繋がりがあり
不正な利益を得ようとしている』
『彼女の改革案は
自身の私腹を肥やすための隠れ蓑に過ぎない』
そんな根も葉もない噂が、瞬く間に宮廷内に広まっていった。私の評判を貶め、改革への支持を失わせるための想定通りだが卑劣な策略だ。
「ロマンシア様、お聞きになりましたか?
バルドゥス卿が、またしても……!」
リリアが悔しそうな表情で私に報告してきた。彼女は、私のために積極的に情報を集めてくれる、今や頼れる協力者の一人だ。
「ええ、もちろん知っているわ。
あの古狐が
この程度で諦めるとは思っていなかったもの」
私は冷静に答えた。噂による精神的な揺さぶりを逆手に取り、彼を完全に失脚させるための好機と捉えなければ。
「ミーア、リリア。
あの古狐の尻尾を、今度こそ掴んでちょうだい。
彼が不正な利益を得ているという具体的な証拠を
何としても見つけ出すのよ」
「かしこまりました」
「お任せください!」
二人は力強く頷いた。
「そして、わたくしも、少しお芝居をしましょうか」
私は不敵な笑みを浮かべた。表面上は噂に心を痛めて動揺しているふりをしながら、内心では反撃の機会を冷静にうかがう。バルドゥス卿の油断を誘い、彼が自ら墓穴を掘るように仕向けるのだ。
ミーアとリリアは早速調査を開始し、バルドゥス卿と特定の商人との間に、不審な金の流れがあることを示す手がかりを掴み始めた。
どうやら彼は長年にわたり、宮廷の物資調達において特定の業者に不当に便宜を図り、その見返りとして多額の賄賂を受け取っていたらしい。
一方、私は公の場では噂に心を痛めているような演技をし、時にはバルドゥス卿の息のかかった侍従にあえて「真実ではないのに、どうしてこのような酷い噂が流れるのでしょう……」と涙ながらに訴えかけたりもした。
その様子は、すぐにバルドゥス卿の耳にも入ったらしい。噂によって私が精神的に追い詰められ、罠にかかったと思い込んでいるようだ。
というのも彼の油断と浅はかな喜びの声が、能力越しに私にはっきりと捉えていたからだ。
『ふふふ、あの小娘も、これで懲りただろう。
私の力を見誤ったことを後悔するがいい』
『噂はさらに広め
あの女の改革案を完全に潰してやる。
そして、私に逆らったことを後悔させてやるのだ!』
(今のうちね、バルドゥス卿。
その余裕が、あなたの命取りになるのよ)
私は、次の手を打つ準備を進めていた。彼が用意した「噂」という毒は、いずれ彼自身に跳ね返ることになるのだから。
戦いの火蓋は、再び切られようとしていた——。