第20話: 逆転の夜会と焼け焦げた羊皮紙 ——新たなる戦いの序章
アルビオン王国歓迎夜会の夜。ヴァリスガル皇宮の大広間は、表面的な華やかさとは裏腹に、息詰まるような緊張感に支配されていた。
誰もが今夜、何かが起こることを予感していた。
皇太子レオルガンに対する反逆疑惑、そしてその妃候補である私、ロマンシア=ケルベロッサのスパイ疑惑。
その真偽がこの場で白日の下に晒されるのではないか、と。
煌びやかな装飾、流麗な音楽、そして笑顔の裏に隠された様々な思惑。
その全てが、これから始まるであろう嵐の前の静けさを、不気味に演出しているかのようだった。
私はレオルガンの隣に立ち、毅然とした態度で賓客たちを迎えていた。選んだドレスは、深い藍色。夜空のように静かで、しかし強い意志を感じさせる色だ。
内心では激しい緊張と、そして反撃への闘志が燃え盛っていたが、表情には一切出さない。
私の能力は、会場に渦巻く疑念、好奇心、そして敵意のノイズをずっと捉えている。
特にグロリア姉様や、彼女と通じる宰相派の貴族たちから発せられる——
『今夜こそ、あの女の終わりだ』
『計画は完璧……逃れられはしない』
——という勝利を確信したような、醜い喜びの響きは、いい具合に私の闘志を掻き立てた。
(ふふ、笑っていられるのも今のうちよ、お姉様)
レオルガンもまた、完璧な皇太子の仮面を被り、冷静沈着に振る舞っていた。
だがそのアイスブルーの瞳の奥には、私への揺るぎない信頼と、これから始まる戦いへの覚悟が宿っていることを、私ははっきりと分かっていた。
『来るなら来い……受けて立つ……ロマンシアと共に』
私たちは、もはや孤独ではなかった。
◇
やがて宴もたけなわとなった頃、ついにその時が来た。
音楽が止み、会場の視線が一斉に集まる中、宰相派の重鎮である老公爵が、待ってましたとばかりに、広間の中央へと進み出た。
彼は悲劇の主人公のような表情を作り、声を張り上げた。
「皆様! この喜ばしき夜に
誠に申し上げにくいことではございますが……
我が帝国を揺るがす
重大な事実が明らかになりました!」
芝居がかった口調。計算され尽くした演出。仮面舞踏会の時と同じ三文芝居だが、今回はその告発の内容が、遥かに深刻で致命的だ。
「先日、国家機密が盗まれるという
事件がございましたが……
その犯人が、あろうことか——
この場におられる、
ロマンシア=ケルベロッサ様である可能性が
極めて濃厚となったのでございます!」
会場は水を打ったように静まり返り、そして次の瞬間、大きなどよめきと非難の声に包まれた。
アルビオン王国の使節団も、驚きと不快感を露わにしている。
「証拠がございます!」
老公爵は、懐から数枚の羊皮紙を取り出した。
「これはロマンシア様の私室から
発見された機密書類の一部!
そしてこれは
彼女が海の向こうのリシュタル公国と
密かに交わしていたとされる書簡の
写しでございます!」
捏造された証拠が、次々と提示される。それはあまりにも巧妙に作られており、一見しただけでは偽物とは見抜けないだろう。
「さらに!」
老公爵は畳み掛けた。
「ロマンシア様は
亡きエレオノーラ妃殿下の死をも利用し
皇太子殿下に取り入り、
そしてその死の責任を政敵になすりつけようと
画策していた、という証言もございます!
このような、国家への反逆を企て
人の死をも弄ぶような人物を
我々は決して許しておくわけにはまいりません!」
完璧な弾劾だ。証拠、証言、そして事前に流布された悪評。これだけの材料が揃えば、私の有罪は確定したも同然。
グロリア姉様の勝ち誇ったような「心の声」が聞こえる。
(やはりすべての黒幕は
グロリア姉様……
あなたのシナリオ通りなのね。
でも、ここからは
私たちが書いたシナリオに変わるのよ)
絶体絶命の状況。だが私の心は不思議なほど冷静だった。隣に立つレオルガンと短く視線を交わす。彼の瞳が「行け」と合図を送った。
私は静かに一歩前に進み出た。そして老公爵に向かって、凛とした声で問いかけた。
「エシュデニア公爵閣下。
その告発、大変衝撃的ですわね。
ですが、その証拠とされるものと
そして証言には、いくつか不可解な点がございます」
「不可解だと? 何を言うか!」
「まずその書簡の写しですが」
私は続けた。
「わたくしの筆跡を真似て書かれた
偽物であることは
専門家が見ればすぐに分かるはずです。
そしてわたくしの私室から
書類が発見された件ですが——
先の襲撃事件の後
わたくしの部屋の警備は厳重を極めておりました。
外部からの侵入は不可能です。
つまり、
もし本当に書類がそこにあったのだとしたら
それは内部の者……
それも極めて信頼された立場の者が
関与していた可能性が高い
ということになりませんか?」
私の指摘に会場は再びざわめいた。内部犯行の可能性。それは、この告発劇そのものへの疑念を生じさせる。老公爵は「そ、それは……!」と狼狽の色を見せる。
「そして、エレオノーラ妃殿下の件」
私は続けた。
「わたくしが妃殿下の死を利用したと仰いますが
それは全くの逆ですわ。
わたくしは、妃殿下が遺された記録から
妃殿下が帝国の危機を警告し
そしてそれを阻止しようとして
命を落とされたことを知ったのです。
その真実を今、ここで
明らかにさせていただきましょう!」
私はレオルガン、イヴァール、そしてアランへと合図を送った。
まずイヴァールが前に進み出て、震えながらもはっきりとした声で、母親の日記に記されていた内容——帝国に潜むスパイの存在と偽の証拠を用いた罠への警告——を証言した。
彼の言葉は幼いながらも真実の重みを持っており、人々の心を打った。
次にアランが、歴史編纂室の記録や、彼自身の調査結果に基づいて、エレオノーラ妃が探っていた『蛇』の紋章の組織の存在と、その組織が帝国の機密情報を外部に流していた可能性、そして今回の事件がその組織による口封じと、皇太子失脚を狙った「陰謀」である可能性が高いことを、論理的に説明した。
そして最後に、レオルガンが決定的な一撃を加えた。
「エシュデニア公爵。
そなたが宰相派として
長年、不正な蓄財を行い
そしてケルベロス家のグロリア嬢と結託して
今回の陰謀を企てていた証拠は
全て挙がっている!」
レオルガンは、この数日の危機的状況の中、私の情報を元にミーアが以前から内偵を進めていた不正の証拠——ケルベロス家からの不審な金の流れを示す帳簿の写しや、保身のために土壇場で寝返った協力者からの密告——といった、動かぬ証拠を次々と提示した。
これらは、私の告白とイヴァールの日記が最後のピースとなり、ようやく繋がったものだったが、老いたエシュデニア公爵だけでなく、グロリア姉様の関与をも明確に示す証拠だった。
状況は、完全に、劇的に逆転した。
老公爵は、顔面蒼白でその場に崩れ落ちた。グロリアは、信じられないという表情で立ち尽くし、やがてヒステリックな叫び声を上げ始めた。
完全に、私たちが勝利を収めたのだ。
宰相派の貴族たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとし、会場は大混乱に陥った。
「静まれ!」
レオルガンの威厳に満ちた声が、再び場を支配した。
「反逆者たちの罪は
法に基づいて厳正に裁かれるであろう。
だが、忘れてはならない。
この混乱の背後には、さらに巨大な悪意……
帝国そのものを蝕もうとする存在がいることを。
我々はその見えざる敵との戦いを
続けなければならないのだ」
彼の言葉は、帝国全体への警告であり、そして新たな時代の始まりを告げる宣言でもあった。
罠は打ち破られ、辛うじて潔白を勝ち取ることができた。グロリア姉様は打撃を受け、宰相派も壊滅的なダメージを負っただろう。
だがレオルガンの言う通り、これで全てが終わったわけではない。
真の黒幕——『蛇』の紋章の組織——は、まだどこかに鳴りを潜めているのだ。彼らは、必ずや次なる恐ろしい手を打ってくるだろう。
◇
夜会がお開きになり、人々が会場を去っていく中、私は安堵のため息をついた。疲労感がどっと押し寄せてくる。
その時、ミーアがそっと私の傍らに近づき、小さな包みを差し出した。
「ロマンシア様。……エルザさんから
お預かりしたものです。
あの日、燃えたと思われていた
資料の一部が、奇跡的に、
これだけ残っていた、と……」
「なんですって……!? これは……!」
私は震える手でその包みを受け取った。中に入っていたのは、焼け焦げた羊皮紙の束——エレオノーラ妃が遺した研究記録の一部だった。
ページをめくるとそこには、難解な古代文字や図形と共に、衝撃的な言葉が記されていた。
『……古き民の力……魂の共鳴……
制御不能なるエネルギー……』
『……「影の組織」……
帝国の深部を蝕む……
彼らの目的は……
世界の再構築……?』
『……レオルガンの血……
そして我が子らが受け継ぐ力……
これが鍵……? 器……?』
(嘘でしょう……こんなことが……!?
世界の再構築……? 器……?)
私の表情が凍りつく。そこに記されていたのは、私の想像を遥かに超える巨大な陰謀の断片だった。
エレオノーラ妃は命懸けで、帝国を、そして世界をも揺るがしかねない秘密に迫っていたのだ。
そしてその秘密の鍵は、レオルガンと彼の子供たちが握っている……? そして、私もまたこの渦の中心にいる……?
私の二度目の人生は、単なる破滅回避と二人の姉への復讐の物語というだけではなかったようだ。
私は、知らず知らずのうちに、もっと巨大で、もっと危険な運命の渦の中心へと、足を踏み入れてしまっていた。
その先に待ち受けるものが、想像を絶する闇と絶望であったとしても、私はもう、引き返すことはできない。
私は焼け焦げた羊皮紙を強く握りしめた。新たな決意とそして迫りくる嵐への予感を胸に——。
ロマンシアの二度目の人生、第1部はここで完結です。
《氷の皇太子》との新しい関係が第2部に繋がっていきますように――。




