第16話: 襲撃者の刃と私なりの戦闘術 ——絶体絶命の危機
ドガーーーン!
これまで聞いたことのないような轟音と共に、エルザの部屋のドアが蹴破られた。蝶番が悲鳴を上げ、木片が飛び散る。薄暗い部屋に、松明の赤い光と、複数の屈強な男たちの影がなだれ込んできた。
先頭に立つ男は、顔に深い傷跡のある、見るからに手慣れた風体の傭兵だ。その目は冷たく、獲物を狩る獣の光を宿している。
「見つけたぞ、エルザ! それに——
これはこれは、ケルベロスのお嬢様もご一緒とはな!
大方、この老婆から
何か聞き出そうとでもしていたのだろう?
無駄なことだ!」
男は、鞘から剣を抜きながら下卑た笑みを浮かべた。
明確な殺意と、任務を遂行する冷徹さ、そして——
『早く片付けろ。長居は無用だ。
情報は力ずくで奪えばいい』
―—思わず、怯みそうになる。
「ロマンシア様、こちらへ!」
ミーアが私を庇うように前に立ち、短剣を改めて構える。彼女の体からは、普段の控えめな侍女の姿からは想像もつかないような、鋭い闘気が発せられている。
その動きは、明らかに戦闘の訓練を受けた者のそれだ。
『ロマンシア様は必ずお守りする!
たとえ、この身に代えても…!
相手が何者であろうとも!』
——逞しい女性だ。
エルザは部屋の隅で恐怖に震え、声も出せずにいる。狭い室内で、数人の屈強な男たちに囲まれる。絶体絶命だ。
「小娘が邪魔をするな!
まずはお前始末してやろう!」
傷跡のある男が、ミーアに向かって斬りかかってきた。速く、重い一撃。普通の人間ならば、反応すらできずに斬り捨てられていただろう。
しかしミーアは違った。彼女は驚くべき俊敏さでその攻撃を紙一重で躱し、逆に男の懐へと滑るように飛び込む。短剣が何かの光を反射し、男の脇腹を浅く切り裂いた。
「ぐあっ! このアマ…! やるな…!」
男は驚きと怒りに顔を歪ませ、後退する。他の男たちも予想外の抵抗に一瞬ためらったように見えた。ミーアの実力は、彼らの想定を超えていたのだろう。
(ミーア……!
あなた、本当に一体……!?
ただの侍女という説明は
もはや意味をなさない動きよ……!)
彼女の過去の謎は深まるばかりだが、今は彼女の力に頼るしかない。
「逃げるわよ、ミーア! エルザさんも!」
私は叫び、エルザの手を引いて立ち上がらせようとした。だが、老婆は恐怖で足がすくみ、動けない。
「くそっ!! 手間をかけさせやがって!」
別の男が、痺れを切らして突進してくる。ミーアが短剣で応戦するが、多勢に無勢だ。部屋の狭さが幸いし、一度に複数の相手をする必要はないが、それでも追い込まれるのは時間の問題だろう。
「エルザさん、しっかり!」
私は老婆を叱咤し、無理やり立たせて窓の方へと引きずる。だが窓は小さく、格子がはまっている。ここからの脱出は不可能だ。
(どうすれば……!?
このままではミーアも私も……!)
ああ…追い込まれると断頭台の光景が脳裏をよぎる。ここで捕まれば、今度こそ確実に殺される。
前皇太子妃の死の真相に近づきすぎたのだ。敵は、もはや姉たちのような小物のレベルではない。帝国の中枢に関わる、巨大な「何か」だ。
斬り結ぶ剣戟の音と、男たちの怒号が部屋に響き渡る。ミーアは奮戦しているが、徐々に押され始めているのが分かる。
彼女の額には汗が滲み、呼吸も荒くなっている。数人の手練れを相手にするのは、さすがに厳しいようだ。
(このままでは、ミーアまで…!
私にできることは…!?)
その時、不意に私の【心の声を聞く者】が、あるノイズを捉えた。
それは、襲撃者たちの内心の声——彼らの連携や、次の攻撃に関する断片的な思考だった。
『右から回り込め!』
『あの短剣女の動きを止めろ!』
『ケルベロスの小娘は生け捕りにしろ、命令だ!』
(生け捕り……?
私を殺すつもりではないの……!?)
一瞬の疑問がよぎる。だが、今はその意味を考えている暇はない。
敵の動きが読める、それならば……!
「ミーア! 右から来るわ! 気をつけて!」
私は、読み取った情報を叫んだ。私の警告にミーアは即座に反応し、右からの攻撃を寸前で防いだ。
「ありがとうございます!
ロマンシア様!」
(これだわ!
この能力は戦闘でも使える…!
敵の動きを読めば、ミーアを援護できるわ!
でも、なんてノイズ混じりなの…!
複数の殺意と思考が
頭の中で嵐のように渦巻いている……!)
私は、激しい頭痛に耐えながら意識を集中させ、敵の思考と感情のノイズの中から、最も危険な動きを読み取り続け、ミーアに指示を飛ばした。
「次は左! 突きよ!」
「背後にもう一人! 油断しないで!」
私の指示は的確だった。ミーアは、私の「目」を得たかのように、敵の攻撃を次々と捌き、時にはカウンターを繰り出す。状況は依然として不利だが、膠着状態になったようにも見えた。
だが、それも長くは続かないだろう。敵のリーダー格、傷跡のある男が、苛立ったように舌打ちし、新たな指示を飛ばそうとしたその時だった。
部屋の外から、複数の鋭い笛の音と、地響きのような足音が聞こえてきた。
「何だ!?」
襲撃者たちが、驚いて動きを止める。
「囲まれているぞ! 退路は!?」
「くそっ、予定外だ! 撤退だ! 撤退しろ!」
傷跡のある男が叫び、男たちは慌てて部屋から飛び出していった。一瞬にして、嵐のような脅威は去り、部屋には私と負傷したミーア、そして震えるエルザだけが残された。
外からは、武装した兵士たちの声が聞こえてくる。
「逃がすな!」
「確保しろ!」
——聞き覚えのある声。レオルガンの側近の騎士、ライルの声のようだ。
(助かった……? ライルが……?
でもなぜ? 誰の指示でこんなところに……?)
呆然としていると、やがて騒ぎが収まった外から静かな足音が近づいてきた。部屋の入り口に現れたのは——やはりレオルガン皇太子、その人だった。
彼はいつものように冷静な表情を崩してはいないが、そのアイスブルーの瞳には、明らかに厳しい光と、私に対する複雑な感情が浮かんでいた。そして彼の傍らには、剣を収めたライルが控えている。
「……無事か、ロマンシア」
低い声が静寂を破った。彼は部屋の中を見渡し、負傷したミーアと怯えるエルザ、そして私に視線を止めた。
『間に合ったか……!
ライルを向かわせて正解だった……
いや、そもそもロマンシアが
ここに来ると予測できていれば……!』
——安堵と後悔、そして私を心配するような心の声。
「……ええ、おかげさまで」
私はまだ震える声で答えた。
「殿下が、助けてくださったのですか?」
「君が密かにここを訪れることを
私の情報網は掴んでいた。
ライルに命じて君の護衛と
万が一の事態に備えさせていたのだ」
レオルガンは簡潔に答えた。
「危険だとあれほど言ったはずだが?」
彼の声には、僅かながら咎める響きがあった。
(私の行動は、やはり監視されていたのね……
でも、そのおかげで助かった……)
少し複雑な気持ちになったが、今は感謝すべきだろう。彼の判断がなければ、私たちは間違いなく殺されていたか、捕らえられていただろう。
レオルガンはエルザに視線を移した。エルザは、皇太子の姿を認めるとさらに小さく身を縮こませた。
「エルザ……久しぶりだな」
レオルガンの声には僅かな苦渋の色が滲んでいた。
「君が、なぜ危険を冒してまで
ロマンシア殿に会おうとしたのか。
そして先ほど、何を話していたのか。
——聞かせてもらおうか」
エルザは恐怖と葛藤で顔を歪めながら、レオルガンと私を交互に見つめた。
『皇太子殿下……この方に話しても……?
信じていただけるのか……?
妃殿下との約束を破ることになるが……
でも、このままでは……!』
——激しく混乱している。
「エルザさん」
私は静かに呼びかけた。
「話してください。
あなたと、亡き妃殿下の名誉のために。
そして、真実を明らかにするために。
妃殿下も、きっと
それを望んでいらっしゃるはずです」
エルザは、私の言葉に何かを決意したように、深く息を吸い込んだ。そして、震える声で語り始めた。
◇
「あの方は……妃殿下は……
殺されたのです……! 何者かに……!」
「何者か……だと?」
レオルガンが鋭く問い返す。
「確かなのか?」
「はい……!
亡くなる数日前、妃殿下はわしに……
ある研究資料を託されました……
帝国のある『組織』に関する……
そしてそれを狙う者たちがいると……
もし自分の身に何かあれば
これを信頼できる誰かに渡してほしい、と……
その相手としてケルベロス家の……
ロマンシア様の名を……」
「なんですって!?」
驚いたのは私のほうだ。エレオノーラ妃が、私のことを知っていた? そして私に資料を託そうとしていた? 一体、なぜ?
エルザは続けた。
「妃殿下は……その……
ケルベロス家に古くから伝わるという
『稀な感受性』の噂に
一縷の望みを託しておられたのかもしれません。
直接あなた様にお会いしたことはなくとも
その血筋ならば
あるいは人の心の奥深くを見通し……
いつか息子たちを守る盾と
なってくれるかもしれない、と……
か細い声で、そう仰っていました。
もちろん、確たる証拠ではなく
妃殿下の切なる願いのようなもの
だったのかもしれません」
(そんな……! エレオノーラ妃が
私の力のことを……?
一体どうやって……?
——やはりこの力は、回帰前の私にも……?)
私の混乱は深まるばかりだった。
「その資料はどこにあるのですか!?」
私が問い詰めると、エルザは悲しげに首を振った。
「それが……襲撃を受ける直前に
隠し場所に火を放たれて……
燃えてしまいました……
ロマンシア様にお渡しする前に……!」
(燃えてしまった……!? 手がかりが……!
でも、なぜ犯人たちは
資料を奪わずに燃やしたの……?
証拠隠滅……?)
「だけど、内容の一部は覚えておいででしょう?」
レオルガンが畳み掛けた。
「その『組織』とは何か?
妃殿下は何を探っていた?」
「組織の名は……分かりません…
ただ、帝国の上層部にも深く関わっており
古き民の……特殊な力を……
悪用しようとしている、と……
妃殿下はその証拠を掴もうとして……
それで……命を……!」
エルザはそこまで話すと、嗚咽を漏らし始めた。古き民の力。帝国上層部。組織。
そして、エレオノーラ妃が、回帰前の私さえも気づいていなかった「私の力」を知っていたという事実。
断片的な情報だが恐ろしい輪郭が見えてきた。イヴァールの病もこれに関係しているのかもしれない。そして私の存在自体が、この陰謀の鍵を握っている……?
レオルガンは、苦虫を噛み潰したような表情で黙り込んだ。怒り、悲しみ、そして強い決意を示す、そんな「心の声」が聞こえてくる。
『やはり……そうだったのか……
エレオノーラの死は……
そして、イヴァールが受け継いだ力も……
狙われている……!』
『そして、ロマンシア……
君もまた、この運命に
巻き込まれていたというのか……!』
『許さん……
必ず真相を突き止め、関わった者どもを……!』
彼は私に向き直った。その瞳には、もはや以前のような単なる疑念や警戒心はなかった。
共有された秘密と共通の敵に対する、新たな緊張感が宿っていた。そして私への……運命共同体としての、強い認識が。
「ロマンシア。
君は、我々が考えていた以上に、
危険な領域に足を踏み入れていたようだ。
いや、あるいは、最初から
その渦中にいたのかもしれん」
「……そうかもしれませんわね」
私は静かに答えた。
「ですが、逃げるつもりはありません。
わたくしは、真実を知りたい。
そして、イヴァール様たちを、
殿下を、そしてこの国を守りたい。
そのためならば、どんな危険も厭いません」
私は、真っ直ぐに彼の目を見つめ返して言った。これは虚勢ではない。私の本心だ。
【心の声を聞く者】を持つ私が、嘘や隠蔽に満ちた世界で真実を求めるのは、そして大切なものを守ろうとするのは、ある意味必然なのかもしれない。
レオルガンは私の瞳の奥にある覚悟を読み取ったのだろう。彼はふっと息を吐き、そして言った。
「……君を、信じよう。
いや、信じるしかない、か」
彼の声にはまだ僅かな戸惑いの響きが残っていたが、それはもはや疑念ではなく、これから共に歩むであろう過酷な運命への、覚悟の表れのように聞こえた。
「ならば、共に探そう。真実を。
そして、共に戦おう。見えざる敵と」
レオルガンは続けた。
「だが、忘れるな。これは君一人の問題ではない。
帝国と私の家族、
そして君自身の運命がかかっている。
軽率な行動は慎め。
これからは必ず私と相談し、連携して動くのだ」
「はい、殿下」
私は力強く頷いた。
これで私たちの間に、単なる共犯関係を超えた、真の協力関係が生まれた。前皇太子妃の死の謎、帝国に潜む巨大な組織、そして古き民の力。これらの闇に、私たちはこれから共に立ち向かっていくことになるのだ。
エルザはレオルガンの計らいで、安全な場所へと移されることになった。負傷したミーアも、手厚い治療を受けることになるだろう。
私はレオルガンと共に、薄暗い下町の民家を後にした。襲撃の痕跡が生々しく残る部屋を振り返り、胸に誓う。
(必ず、真実を暴いてみせる……!
エレオノーラ妃の遺志を継いで……!)
それは、私自身の生存のためだけでなく、亡き妃殿下の無念を晴らし、イヴァールたちを守り、そしてこの国を蝕む巨大な嘘に立ち向かうための、新たな誓いだった。
この戦いは、私が想像していた以上に、私自身の運命と深く結びついているのかもしれない——そう思った。




