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第14話: 肖像画の悪意 ——芸術家の歪んだ思いと心理戦

 私が宮殿内の改革に奔走し、レオルガンや子供たちとの関係も徐々に安定してきた頃、再び厄介な問題が持ち上がった。


 次姉・ヴィオランテが私の肖像画を描きたい、と申し出てきたのだ。前回、姉たちの悪意ある訪問を受けた際に、体調不良を装って追い返して以来のことだった。


「まあ、ロマンシア。

 すっかり元気になって。

 顔色も良いし、まるで別人のようだわ」


 ヴィオランテはわざとらしく感嘆の声を上げながら、私の部屋を訪れた。その儚げな美貌の下には、相変わらず私への嫉妬と、そして何かを企むような油断ならない光が宿っている。


 その「心の声」は——


『忌々しい……!

 前よりも綺麗になったんじゃないの……!?

 姉様も、面白くないはずよ……』


 ——という黒い感情のノイズを発していた。


「それでね、ロマンシア。

 今のあなたの輝きを

 ぜひ私の絵で残しておきたいと思ったの。

 未来の皇太子妃としての記念にもなるでしょう?


 前回は体調が悪そうだったけれど

 もう大丈夫なんでしょう?」


 断れない状況を作りながら、親切心を装って微笑む。


 だがその言葉の裏には——


『今度こそ、あなたの化けの皮を剥いでやるわ』


『あなたの醜さを私の芸術で永遠に刻み付けてやる』


 ——という、歪んだ悪意が渦巻いていた。


(また、これなのね……

 グロリアお姉様の差し金か

 それとも彼女自身の歪んだ執着か……

 どちらにしても断れば角が立つ……)


 この社会では、高名な芸術家である姉からの肖像画を描くという申し出を、明確な理由なく断ることは難しい。


 それは彼女の芸術を侮辱することになり、新たな醜聞の種になりかねない。おそらく、それも計算のうちなのだろう。


「まあ、ヴィオランテ姉様直々に? 光栄ですわ。

 もうすっかり元気になりましたから。

 喜んでお受けいたします」


 私は内心の警戒心を隠し、笑顔で応じた。受けて立つしかない。彼女がどのような手で来るのか、見極めてやろう。そして今度こそその悪意を逆手に取ってやる。



 数日後、肖像画の制作が始まった。ヴィオランテは、宮殿の一室をアトリエ代わりに使い、大きなキャンバスに向かって筆を走らせ始めた。私はモデルとして、長時間同じ姿勢を保つことを要求された。


 制作中、ヴィオランテは饒舌だった。彼女はケルベロス家での思い出話や、帝都での社交界の噂話などをとりとめもなく語り続けた。


 だがその会話の端々には、巧妙に罠が仕込まれていた。それは私を精神的に揺さぶり、動揺させ、あるいは本性を引き出そうとする心理的な攻撃だった。


「それにしても、ロマンシア。

 あなたは本当に変わったわね。


 昔は、もっと……

 影が薄くて私の引き立て役がお似合いだったのに。

 今は随分と自己主張が強くなったこと」


「まあ、姉様。

 人は、いつまでも同じではいられませんわ。

 わたくしも、自分の足で立つことを学んだのです」


「自分の足で立つ、ね……」


 ヴィオランテは筆を動かしながら、嘲るように呟いた。


「それとも、誰かに入れ知恵でもされたのかしら?


 例えば……そうあの氷のような皇太子殿下に

 媚びを売る方法、とか?」


 彼女の言葉は、明らかに私を挑発し怒らせようとしていた。


『さあ、怒りなさい!

 あなたの醜い本性を見せなさい!』


 ——というサディスティックな喜びも聞こえてくるほどに。


(挑発に乗っては駄目……冷静に受け流すのよ。

 そして、反撃の隙を窺う……)


 私は平静を装い、軽く微笑んで答えた。


「あら、姉様。

 皇太子殿下の心を射止める方法をご存知なら

 ぜひ教えていただきたいものですわ。

 わたくしなど、まだまだ未熟者ですから」


 私の反応が面白くないのかヴィオランテは話題を変え、今度は継子たちのことに触れてきた。


「あの子たち、あなたに懐いているの?

 特にイヴァール様は

 心を閉ざしていると聞くけれど……


 あなたが、何か

 無理強いしているのではないでしょうね?


 あなたは昔から

 欲しいものは力ずくで手に入れようとする

 ところがあったから」


「まさか。子供たちの心は

 力でどうこうできるものではありませんわ。

 ただ誠意をもって接しているだけです。


 ——もっとも、姉様には

 その『誠意』というものが

 お分かりにならないかもしれませんけれど」


「なんですって!?」


 私の皮肉にヴィオランテは顔を赤くした。私の能力を通じて、怒りと屈辱のノイズも聞こえてくる。


(効いているわね……)


 私はただ黙って攻撃を受けるだけではなかった。


 会話の中にヴィオランテの弱点——彼女のグロリア姉様に対するコンプレックスや、芸術家としての満たされない承認欲求、そして彼女自身の心の歪み——を刺激するような言葉を、巧妙に織り交ぜて反撃した。


「それにしても姉様、今回の絵は

 いつにも増して力が入っているご様子。


 何か特別な思い入れでも?

 まさか、この絵でグロリア姉様を超えようなどと

 考えていらっしゃるのではなくて?」


「——! な、何を言うのよ!

 わ、私はただ、芸術家として最高の作品を……!」


 ヴィオランテの声が僅かに上ずる。


『図星だわ……!

 この子に私の芸術の真価を見せつけてやる!

 姉様よりも、私の方が優れているのだと!』


 ―—【心の声を聞く者アンテナ・オブ・ソウル】は看破していた。


「ええ、姉様の芸術への情熱は

 素晴らしいと思いますわ。


 ただその情熱が時として、

 他者を傷つける刃に

 なってしまうこともある……


 ということを、お忘れなきよう」


 私は静かに、しかし鋭く釘を刺した。そんな心理戦を繰り返しながら数日が過ぎ、肖像画は完成に近づいていった。



 しかし、私はまだ全く絵を見ていない。ヴィオランテは「完成までのお楽しみよ」と言って、決してキャンバスを見せようとしなかったのだ。


 そして——いよいよ最終調整を終えて完成したという連絡が届いた。彼女がどのような「悪意の結晶」を描き上げたのか、ある意味、楽しみでもあった。


 完成披露の日がやってきた。ヴィオランテはレオルガン皇太子や、姉のグロリア、そして何人かの有力貴族をアトリエに招き、得意満面な様子で覆い布のかけられたキャンバスの前に立った。


「皆様、お待たせいたしました!

 我が妹、ロマンシア=ケルベロッサの

 肖像画がついに完成いたしました!」


 ヴィオランテは、芝居がかった仕草で覆い布を取り払った。


 現れた肖像画を見て、私は息を呑んだ。そして招かれた他の人々もまた、言葉を失い、あるいは小さくどよめいた。

 

 そこに描かれていたのは紛れもなく私だった。銀灰色のドレスをまとい、椅子に腰かける姿。


 背景には「獅子の檻」の重厚な窓が描かれている。技術的には、確かに素晴らしい出来栄えだ。写実的で細部まで丁寧に描き込まれている。


 だが問題は、その表情だった。


 描かれた私の顔は、美しくはあったがどこか冷たく、傲慢で、そして底知れない計算高さを秘めたような、まさに「悪役令嬢」そのものの表情をしていたのだ。


 瞳には冷たい光が宿り、口元には嘲るような笑みが僅かに浮かんでいる。


 ヴィオランテが、彼女自身の歪んだフィルターを通して見た、あるいは、そうあって欲しいと願った「ロマンシア」の姿が、そこに描き出されていた。


 それは見る者に強烈な不快感と私への悪印象を与えるように、巧妙に計算された表現だった。


(やられたわ……

 これは、見事な悪意の結晶だわ。

 言葉よりも雄弁に、私を貶めようとしている)


 彼女は言葉では万策が尽きたのか、芸術という手段で私を攻撃してきたのだ。この絵を見た者は、私の内面がこの絵のように冷酷で邪悪なものであると、無意識のうちに刷り込まれてしまうだろう。


「素晴らしいわ、ヴィオランテ!」


 グロリアが、わざとらしく大きな声で賞賛した。その「心の声」はもちろん——


『よくやったわ、ヴィオランテ!

 これでロマンシアの評判はさらに地に落ちる!

 見なさい、皆の顔を!』


 ——という満足感に満ちている。


 他の貴族たちも口々にお世辞を言っているが——


『恐ろしい顔だ……』


『やはり、噂通りの悪女なのかもしれない……』


『皇太子殿下も、これをご覧になれば……』


 ——という、絵に影響された疑念や恐怖がお世辞の裏に隠されていた。


 皆の視線が、私と絵の中の私とを交互に見比べる。居心地の悪い沈黙。ヴィオランテは、得意げな表情で私を見ている。


 さあ、どんな反応をする?

 怒る?

 否定する?

 どちらにしても、あなたの負けよ


 ——とでも言いたげな顔だ。


 だが私は、ゆっくりと、静かに微笑んだ。そして、ヴィオランテに向かって言った。


「まあ……素晴らしい絵ですこと、お姉様」


 私の予想外の反応に、ヴィオランテは目を丸くした。グロリアも、怪訝な表情を浮かべる。


「まるで、鏡を見ているかのようですわ」


 私は続けた。


「わたくしの内面——

 その複雑さ、強さ、

 そして、もしかしたら影の部分までも——

 見事に捉えていらっしゃる。


 これぞ、真の芸術家の洞察力というものですわね」


 私は敢えて、この絵を「真実」として受け入れるふりをした。そして、それを描いたヴィオランテの「洞察力」を賞賛してみせたのだ。


 悪意を悪意として受け取らず、逆にそれを「真実を見抜く力」として称賛することで、絵の持つ毒を中和しようと試みた。


「こ、こころなしか

 わたくしの隠された魅力まで

 引き出してくださっているようで……

 ふふ、少し照れてしまいますわ」


 私の言葉に、ヴィオランテは完全に虚を突かれたようだった。


『な…何を言っているの? この子……!

 私の意図が分かっていないの……?

 

 それとも……私の絵を本当に評価している……?

 いや、そんなはずは……!』


 という、混乱と焦りそして僅かなプライドをくすぐられた戸惑いの「心の声」が聞こえてきている。


 私は、絵に向き直り、改めてそれを眺めた。


「ええ、本当に素晴らしい。

 この絵は、まさしく、わたくしという人間の

 『真実』の一面を描き出していると言えましょう。

 姉様らしい“真実”の絵ですこと」


 最後の「真実」という言葉に、私は皮肉とある種の余裕を込めた。それは、彼女が描きたかったであろう「悪意」ではなく、もっと複雑で多面的な、私という人間の持つ一面としての「真実」なのだ、と。


 そしてその「真実」を描き出すことができたのは、他ならぬ姉様の「芸術」なのだ、と暗に示唆したのだ。


 私のこの反応は、その場にいた多くの人々を混乱させた。私が怒りも否定もしなかったことで、逆にこの絵の持つ「悪意」が中和され、ただの「一つの解釈」、あるいは「ロマンシアという人物の複雑さを示す、見事な芸術作品」として受け止められ始めたのだ。


 作戦は奏功したようだった。というのも―—


『確かに、ただの悪女というよりは

 もっと複雑な人物に見える……』


『彼女は、この絵を受け入れている……?

 なんて度量の広い……いや、底知れない女だ……』


『ヴィオランテ様の芸術は

 やはり素晴らしいのかもしれない…』


 ——というように「心の声」が変化し始めていたのだ。


 してやったり、という表情の私を見て、グロリアは悔しげに唇を噛み、ヴィオランテはただ呆然と立ち尽くすだけだった。


 唯一、レオルガン皇太子だけはアイスブルーの瞳に興味深そうな光を浮かべて、私と絵を、そしてヴィオランテたちを見比べていた。


『……なるほど。心理戦、か。

 彼女は、敵の攻撃すら逆手に取り

 自分の評価へと繋げたか……面白い。


 そして、美しい……絵の中の彼女も

 そして、今の彼女も……』


 ——というように、感嘆と警戒、そして私への明確な惹かれる感情が入り混じった感情を抱いているようだった。


 ヴィオランテの甘い罠は、こうして不発に終わった。


 だがこの一件は、姉たちの執拗さと、敵が必ずしも直接的な攻撃だけではなく、このような陰湿な手段も使ってくることを、改めて私に思い知らせた。


(心理戦はまだまだ続くわね……

 でも、負けるつもりはないわ)


 私は、絵の中の「悪役令嬢」の私に向かって、心の中でだけそっとウィンクを送った。あなたも——なかなか役に立つのだから、と。 

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