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寒がりの短編集

学祭の終わりに

作者: 寒がり

この短編は実在の人物、団体、施設とは関係ありません。


 赤を踏み付けよ———。

 そんな矜持と敵愾心から赤煉瓦が敷き詰められたキャンパスに、打ち上げ花火の乾いた音が響き渡る。かつての栄光を伝える白い門は眠りにつき、ほのかな月影が白亜の学府を染めている。

 

 大学祭の最終日。

 サークルの人々や実行委員が忙しなく資材を撤収し、非日常を日常へと押し戻す中で、最初の砲声が響いたのだった。


 それは、五日間にわたる祭の終わりを告げる音。

 ドンドンという衝撃が太鼓のように腹の奥に響いた。まるで一生のように長い五日間だった。期間にすればたった五日間でも、僕は、生まれてからずっとこういう日々を過ごしてきて、これからもずっとこの日々が続いてゆくような錯覚に陥っていた。


 祭が終わることが、言いようもなく寂しかった。

 山陰に隠れて見えない花火の音は、映画のエンディングのように感じられた。それは明白かつ現在的な終わりの予感だった。


 見ると、学園祭事務局長が涙を溢していた。

 彼女の仕事はこれで終わったわけではない。来場者の追い出しやごみの業者への引き渡し、資機材の撤収、設備・教室の原状復帰の指揮。大学への報告や決算、発生した諸問題への対応や次年度への引き継ぎ等々。彼女はあと数ヶ月は忙しい生活を送る事になる。


 それでも、花火の音に感じ入るところがあったのだろう。

 あるいは、選任から一年間、張り詰め続けていたものがあの一撃で不意に決壊したのだろうか。ガタイのいい体育会系のサークルや不審者相手にも一歩も引かなかった局長の目から涙が溢れていた。


 依然、実行委員会本部には警備担当や撤収班、清掃班等々からの無線報告が飛び交い、したがって、局長以下の本部要員は、収束しつつある祭りで生起する様々な事象への対応を続けていた。


 感傷に浸る暇はない。

 数時間後には、一切のごみは業者のごみ収集車の腹の中に収まり、一切の教室は明日から講義に供せられるよう、完璧に復元されていなければならないのだから。


※※※


 重低音は机と椅子をガタガタと運ぶ音にかき消される。


「椅子が1個足りないぞ!どこだ!」

「団体さんが運び出しちゃったんでしょうか———」

「ここ、後にして先に他をやろう。絶対どこか多い部屋あるはずだから。次行くぞ!次!ここは保留!」

「了解です!」


 担当者は急ぎながらもテキパキと備品の数を確認し、指示を飛ばしている。

 企画実施教室の原状復帰作業は、今まさにピークを迎えていた。


 基本的に教室を利用したサークルが教室の原状復帰を行うが、その最終確認は実行委員の仕事だ。


「応援に来ました!」

「ありがとう。机の配置直すから運ぶのお願い。この教室は、大机が2、3、3、2だから島作り直して!」

「はい!」


 見ると、長机が2つずつセットで5列に、2、2、2、2、2と配置されており、その列を作り直しているところだった。


 原状復帰しなければならない教室はあと数十教室に登り、タイムリミットは3時間程度。各号館では団体と実行委員が急ピッチで作業を進めているが、時間の経過とともに必然的に焦りが募ってゆく。


※ ※ ※


 窓の外から、ドンドンという花火の音が聞こえて来る。


 ここ数日、大学祭で授業は休講だったので、私は図書館に通って資格試験の勉強を進めていた。特設の野外ステージからデスメタルが響いて来る中で勉強するというのも変な気分だけど、まとまった時間ができたのはありがたい。


 学祭らしい事といえば、気分転換に屋台でポテトやらジャガモチやらを買ってステージを見たのと、友達のサークルの展示を見に行ったことくらいだろうか。

 サークルに入っておらず、一緒に回る人も居ないのでは、学祭に行っても仕方ない。


 そう思って図書館に籠城していたけれど、花火が見られるのはちょっと得した気分だ。

 学祭で花火が上がるとは、さすが大学。


 来年は、もう少し回ってみてもいいかもしれない。

 夜空に咲く花火を見ながら、そう思った。


※※※


 大輪の花火を見ていた。

 それがゆっくりと花開く様子を眺めていると、先程の撤収の忙しさやこれまでの準備の慌ただしさが嘘のように安らいだ気分になる。


 学祭担当の任を会長から仰せつかり、企画の立案やシフト作成、情宣、実行委員との折衝などに追われてここ数ヶ月は飛ぶように過ぎた。


 弊サークルこと第二アニメ研究会は、教室での自主制作アニメ上映と声優をお招きしてのトークショーという2つの企画を実施し、いずれも大成功を収めた。


 さすがに両方を一人で取り纏めろというのは無理が有ったので、同期の力を借りながらではあったが、非常にやり切った感がある。帰ったらベッドに倒れ込んで死んだように眠る自信があるが、なんとかギリギリ乗り越えた。


「取りまとめご苦労さん」

「会長、来年は絶対、担当者増やしましょう。労基が来ますよ」

「給料払わなければ雇用契約じゃないんで———」

「余計にブラック!」

「ハハハハ」


 心地よい疲労感の中で仲間達と花火を見上げる。

 まあ、いい思い出なんじゃないだろうか。


 こうして、私の大学二年の学祭は終わりを迎えた。


※※※

 

 私はサークルの同期と共にサークル棟を巡回していた。

 学生自治とやらの名残で、学祭の日のサークル棟の警備には各サークルから人を出し合う事になっている。私と同期は、自分のサークルの仕事を終え、現在そのミッションに当たっている次第だ。

 

 祭の喧騒から遠く離れたサークル棟は、ジブリ映画、『コクリコ坂から』に登場する「カルチェラタン」をニューヨーク地下鉄風にした建物とでも言おうか。


 古い公衆トイレを思わせる無機質かつ直線的なコンクリート造り4階建ての壁面には、管理の行き届かないトンネルや地下道にあるような無数の落書きが点在し、あるいは何十年間貼られているとも知れない茶色く変色したビラが貼られてあった。


 ———大学解体

 ———ストに決起セヨ!

 ———学費値上粉砕


 いつの時代に書かれたともわからない、中国語の簡体字に似たゲバ文字が異様な空気を増幅している。


 廊下には机椅子やロッカー、立て看板、束ねられたビラや冊子、空き瓶、漫画、果ては麻雀牌までもが散乱し、どこかの部屋で楽器を演奏する音が、また、別の部屋で声高に何かを議論する声が反響して、一つの魔境を形作っていた。


 ここでは、時間が停滞しているのだ。

 時代に押し流されることを拒み続けたものが地層のように堆積している。旧時代的なものが頑迷にこびりついている。

 このひんやりとした埃っぽい空気までもが、長い間この建物に閉じ込められている昔の空気であるかのようだった。


 大学をキラキラでピカピカでクリーンにするため、あらゆるグロテスクなものを詰め込んで固形化させたような、たった一人立ち退きを拒んでビル街の中に残された二階建ての木造建築のようなそんな建物がサークル棟だった。


 あるいは、街の広場から、公園から、駅前からバリケードと警官隊によって排除された無秩序が最後の最後に立て籠もっている城砦がサークル棟という場所だった。

 適法に追い詰められた危険な自由が頑強に立て籠もっている。


 どこまでも懐かしく、なぜか心がざわつく。


 私は、この場所が好きだ。

 この建物が好きな奴か、少なくとも嫌いじゃない奴らが、サークル棟の一部と化すことで、このスラム街は今も荒々しく呼吸し、生きているのだった。


 見回りを続けていると、遠くから、低いピアノの音が繰り返し繰り返し響いて来るような気がした。空耳だろうか。

 ああ、そういえば花火が上がるのだったか。


「『もっと、もっと低く。その低い所を強く———。嗄れ声を予想して———。暑さ———攻撃を———』」


 同期が不意に戯曲の一節を引用する。我がサークルに何故か語り継がれている戯曲だ。きっと大昔の先輩たちは、どこかのセクトの人たちで、そういうものを好んだのだろう。


「シーモノフの『プラーグの栗並木の下で』か」

「ああ。第七旅団だよ。そんな感じじゃない?」


 ———第七旅団の歌。シーモノフの戯曲に登場する歌だ。

 それをどの党派が、どういう想いを込めて歌ったのかまでは伝わっていない。音程も本来のものからはかけ離れているだろう。それでも、その歌の響きには心を揺さぶる何かがあった。人を昂揚させ、狂わせる何かが。


 そこには、この歌が作られ、歌われた時代の熱狂と混沌とが透かし見られる。その混沌は、あらゆる豊かさの母胎であり、そこから暴力的なまでの熱量が迸ったのだろう。


 学生運動というものが燃え尽きて久しいこのキャンパスで学ぶ私には、それが本当は何だったのか分からない。

 それでも、その歌は、エモーショナルな何かを喚起する。少なくとも、そういう時代があったという事を強く想わせる。


おいらの生まれはここではないが

俺らの胸はともに高鳴る。

頭の上にはおんなじ旗だ———」


 唸るように、絞り出すようにその歌を歌い出す。

 おそらく、それが正しいのだ。


「———俺らの数は少ないけれど

死人(しびと)も俺らと一緒に進む。

第七旅団のゆくところ

ファシストは滅ぶ。

第七旅団のゆくところ

ファシストは滅ぶ。

進め!進め!」


 夜のサークル棟に、時代錯誤の革命歌が木霊する。

 その反響は、あらゆる旧時代的なものが、つまりサークル棟自体が鳴動しているようにも思われた。


 祭りという非日常の最後に、混沌が、無秩序が、熱狂が、狂気が、暗闇の底から蘇って一夜限りの大行進に次々と加わっていった。

参考文献

シーモノフ『プラーグの栗並木の下で』土方敬太訳、昭森社(昭和21年8月20日発行?)

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