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さっきはごめん


「……ジョージ様、お知り合いの方でしょうか?」


 私は今、自分で自分の演技力を盛大に褒めちぎりたい気分だった。

 立ち位置的な関係で真っ赤な薔薇のアーチを背に嫣然に微笑む派手顔の美女。忘れもしない、あの夜会で見たジョージの浮気相手――タニア・マロ―男爵夫人である。

 彼女は扇子で口元を隠しながら無遠慮な視線を私へと寄越してくる。値踏みされているのだと肌で感じた。品がなさすぎる。普通に気分が悪い。


 けれどそんな不快感は一切面に出さず、私は私で清廉な令嬢然とした態度で隣に立つジョージを仰いだ。彼は一瞬だけ気まずそうな表情を覗かせたが、すぐさまいつもの優しい笑みを私に返してくる。


「ああ、なんだか今日はよく知り合いに会う日だな。……キャロル、こちらはマロ―男爵の妻であるタニア夫人。学生の頃に同じクラスで学んだ間柄だよ」

「まぁ、そうだったのですね。……初めまして、キャロル・バーミリオンと申します」

「うふふ、私のことは気軽にタニアと呼んでくださいな。どうぞ仲良くしてくださいませ?」


 浮気相手とその婚約者を前に実に堂々とした態度。この人、なかなかに面の皮が厚い。


「……ところで夫人はお一人なのですか? その、お連れの方などは」

「ああ、主人と来ておりますのよ。今はレストルームの方に少し」

「そうなのか。残念だな、男爵にもご挨拶をさせていただこうと思ったのだが」


 ジョージが悪びれなくそう口にするのに私は内心ではドン引きしていた。あれだけの不貞を働いておいて私や男爵に罪悪感とか湧かないのだろうか? あの夜会以降、本当に何度も幻滅させられている。早く別れたい。


「もうすぐ戻ってくると思いますわ。それより、ずっと気になっていましたのよ。ジョージ様……っと、失礼。マホガニー侯爵令息の可愛らしい婚約者様のことを」

「な、何を言い出すんだタニア……夫人!」

「あら、だって夜会でも紹介してくれたことありませんでしょう? こんなに可愛らしいお嬢様だと知っていたら、もっと早くにお知り合いになりたかったわぁ」


 会話を止めたいであろうジョージをよそに、猫のように目を細めて微笑む彼女の言葉は止まらない。


「実は私とジョ……マホガニー侯爵令息は学生時代それはもう仲良くさせていただいていたの」

「それは知りませんでしたわ。ジョージ様はあまり学生時代のお話はしてくれませんから……ぜひお話をお聞きしたいです!」


 これは本当だ。ジョージはあまり学生時代の頃のことを語りたがらない。特に面白みのある話はないからと。逆に社交場での話や家族の話は頻繁にしてくる。ゆえに、私としても学生時代のジョージについての話には多少の興味があった。

 私の無邪気な言葉に一瞬、タニアが面を食らったのが分かった。しかしすぐに気を取り直したようで、意気揚々と話し始める。


「うふふ。学生時代、特に婚約者がいなかった頃なんかは常に複数の女性に秋波を送られていましたわ。成績優秀で誰にでも優しい優等生、しかも侯爵家の出身ですもの。当然と言えば当然ですわね。けれど女性の友人は私くらいで……しつこく言い寄って来る令嬢を協力して追い払ったこともあったかしら?」

「まぁ! 本当ですか、ジョージ様?」


 私が笑顔と共に水を向けると、彼はこちらの目を真っ直ぐに見つめながら真剣な面持ちで答えた。


「……確かに学生時代に女性から言い寄られることはあった。でも、婚約してから僕はキャロル一筋だから。以前にも伝えたけど、他の女性に目移りしたことは一度もないよ」


 その言葉に反応したのは、私よりもむしろ彼女の方。

 微かに扇を持つ手が震えているのを視界に捉えた私は直感した。彼女は本気でジョージのことが好きなのだ。既婚者と聞いていたから、てっきり彼女の方も大人の火遊びのようなものかと思っていた。しかしこの雰囲気から察するに、学生時代からジョージのことを想っていたに違いない。


 ショックを受けたように押し黙るタニアと、彼女には目もくれず私だけに話しかけてくるジョージ。

 色んな意味でその場の空気は最悪だった。

 そこでとりあえず適当に相槌でも打とうかと口を開きかけたが、


「すまんすまん、待たせたねタニア……おや、そちらはマホガニー侯爵家の?」


 別の人間が入ってきたことで取りやめた。

 代わりに声の方へと視線を向ければ、私の父と同じくらいの年の男性がゆったりとした足取りで近づいてくる。


「マロ―男爵、お久しぶりです」


 ジョージの爽やかな挨拶を受け、男性もにこりと笑みを浮かべた。ややふくよかな体格だが清潔感があり優し気な面立ちをしている。男性二人が和やかに会話をする中、タニアは一瞬だけ私を強く睨みつけた。明確な悪意。しかしすぐに表情を切り替えると、嫋やかな笑みを浮かべながらマロ―男爵の腕に自分のそれを絡める。その姿は夫を愛する妻そのもので私は内心、彼女の役者ぶりに舌を巻いた。

 こうしてマロ―男爵が加わったことで流れが変わり、軽い挨拶の後で自然とその場は解散となった。


 予期せぬ遭遇(サプライズ)に疲れてしまった私は、最後のエリアは適当に流し見をして早々に帰ることを提案した。ジョージはもちろん快諾し、待機していた馬車に乗って帰路を急ぐ。

 あまり会話をする気にもならず、なんとはなしに窓の外を見ていた私へ、不意に向かい側に座るジョージが声を掛けてきた。


「――さっきはごめん」


 意味が分からなくて思わず小首を傾げれば、彼の方も僅かに困惑の表情を浮かべる。はて?


「えっと、ジョージに謝られるようなことはなかったかと思うけど?」

「いや、そうかな……でも、夫人の物言いとか、なんというかあまり愉快なものではなかっただろう?」

「別に気にしてないわ。むしろ学生時代のお話が聞けて楽しかったくらいよ」


 まぁ不貞を知る前ならば、私は確かに気分を害していただろう。きっと馴れ馴れしいタニアに対して子供っぽく嫉妬して、不機嫌を隠しもせずジョージを困らせたかもしれない。


 しかし今は心底どうでもよかった。

 これがきっと、百年の恋も冷めるということなのだと思う。


「……何度でも言うけれど、僕が愛しているのはキャロルだけだから。それだけは誤解しないで。これからも周囲の声なんか気にせず、僕の言うことだけを信じて欲しい」

「…………ええ、分かった。信じるわ」


 私がそう答えると、ジョージがおもむろにこちらへと手を伸ばしてくる。

 ここで避けるのは流石に拙いと思い、咄嗟に動くことを我慢した。すると、どこか安堵した気配とともに彼の手は私の髪をゆっくりと撫でていく。


「――早く結婚したいね」


 小さく零れ落ちたその声を、私は聞こえなかったふりでやり過ごした。


明日からは1日1話更新となります。引き続きよろしくお願いいたします!

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