……嘘つき
そもそもの話、あの夜の光景が浮気ではなく――本気だったなら?
ヴィルとの話し合いを経てその可能性に思い至った私は約束を反故にはせず、ジョージの来訪を自宅の屋敷にて待っていた。
私専属の侍女であるナンシーが丁寧に整えてくれたから身だしなみも完璧だ。
着る服こそ選ぶものの、赤みの強い紅茶色の髪と濃い緑の瞳の私は自分の容姿をそれなりに気に入っている。今日は紺色の清楚なドレスを纏い、髪は編み込みのハーフアップにしてもらった。
ちなみにナンシーにはあの夜の出来事やヴィルとの関係について簡単に説明して協力を取り付けている。これからどうしてもヴィルと顔を合わせる機会が増えるため、隠し通すことは得策ではないと判断したからだ。
そんな彼女は幼少期から私に仕えてくれている姉のような存在であるため、
「キャロルお嬢様、名を口にするのも忌まわしい者がどの面下げてか知りませんが到着したようです」
すっかりジョージを敵認定してしまったようだ。あまり露骨な態度は出さないようにだけ言い含めてから、私は我が家で茶会をする際によく使用している温室へと向かった。扉を潜れば、先に席へと通されていたジョージが即座に立ち上がって近づいてくる。
ゆるく波打つ深みのある茶色の髪に琥珀色の瞳のジョージは派手さこそないものの非常に整った顔立ちをしている。社交場で友人に婚約者だと紹介すれば必ず羨ましがられるほどだ。
「やぁキャロル、会いたかったよ! ああ、僕のお姫様は今日も本当に可愛いなぁ」
「……いらっしゃいジョージ。少し待たせてしまったかしら?」
「君を待つ時間すらも僕にとっては至福の時間だよ。愛しいキャロル、さぁ座って? 今日はゆっくり話をしよう?」
そう言って私の手を取るジョージは蕩けるような笑みを浮かべている。
普段と変わらない振る舞いに内心、私は激しく苛立っていた。そう、私と接する時のジョージは常にこんな感じなのだ。あの夜まで私が彼の愛を疑わなかったのも無理ないと思う。
しかしもう騙されてなどやるものか。こっちは全部知っているのだ。
「ねぇジョージ、実は私に何か不満とかあったりする?」
「え? どうしたの突然」
お茶会の最中、さりげなく発した私の言葉にジョージは驚きと困惑が半分ずつくらいの顔をした。
「正直に答えて欲しいの。私たち、このままいけば来年の春には結婚でしょう? だからこそ今のうちにお互いの気持ちを確認しておきたいと思って」
これは賭けでもあった。もし女神契約で結んだ婚約が破棄されれば有責側のダメージは計り知れない。それこそ周囲からは白い目で見られ、本人だけでなく家門への悪影響も少なからず出るだろう。
だからもしここで彼が素直に不貞を打ち明けてくれたならば――私は婚約破棄ではなく婚約解消を持ちかけるつもりだった。解消ならば両者合意のもとに神殿に申請するので、問題なく受理される。多少の陰口はあるかもしれないが決定的な醜聞は避けられるはずだ。
向かい側に座るジョージの顔を見つめていると、あの夜のことが嫌でも思い起こされる。
私以外に愛を囁く姿。息を奪い合うような激しい口づけ。力強い抱擁。
全部全部、婚約者に対する完全な裏切り行為だ。
だからもう彼との未来は考えられない。それだけは自分の中ではっきりしていた。
そんな私の想いなど知る由もないジョージは、それでもこちらが真剣に訊ねていることを感じ取ったのか姿勢を正してからゆっくりと口を開いた。
「何を不安に思っているかは分からないけど……僕は君のすべてを愛しているよ。不満なんてあるわけがない。女神に誓ってもいい。キャロル、僕だけのお姫様。本当は来年の春なんて待つまでもなく今すぐにでも君と結婚したい。――これが僕の偽らざる本音だよ」
「本当に? 私だけ? 他の人に目移りしたりしない?」
「当たり前じゃないか! 僕は君以外に興味なんてこれっぽっちもないよ。生涯、キャロルだけだから」
「……――そう、分かったわ。ありがとう答えてくれて」
本当は今すぐにでも罵倒を浴びせたかったが、そんなことをしては私が不利になる。
だけど覚悟は決めた。絶対に婚約は破棄する。こんな大嘘吐きと結婚なんて死んでもごめんだ。
「そういうキャロルは僕に対して不満はない? 言ってくれればすぐに直すけど」
どの口が言っているのか。彼の真摯な態度を見ているとそろそろ人間不信になりそうだ。
私は心を無にして顔に作り笑いを貼り付ける。
「特に何もないわ。貴方はいつも優しいし紳士的だもの」
「そう言ってくれるとホッとするよ。君に嫌われたら僕は生きていけないからね」
もう嫌われてますけどね!!!と思わず心の中で叫んだ。マホガニー家の方々には申し訳ないけれど、ジョージの有責で婚約破棄してやる。絶対にだ。
「……キャロル、どうかした? なんだか顔色が良くないけど」
心配そうな眼差しですら今はとても煩わしく感じてしまう。そんな自分のことも嫌いになりそうだったので、私はこれ幸いと体調が良くないことを理由にお茶会を切り上げることにした。
終始私を気遣うジョージは当然のように自室前まで送ってくれる。本当にどこまでも完璧な婚約者だこと。
「それじゃあお大事にね、愛しい僕のキャロル」
そう言ってこちらの頬に唇を寄せる彼にとてつもない嫌悪感が一気に沸き上がり、私は咄嗟に避けてしまった。常にない私の挙動に驚いた彼が瞠目する。
「ご、ごめんなさい……もし風邪だったら移るかもしれないと思って」
「あ、ああ! そういうことか。僕の方こそ配慮が足りなくてごめんね。ゆっくり休んで」
「ええ。ジョージも気を付けて帰ってね」
なんとか誤魔化せたとホッとした私が自室の扉を閉める直前、ジョージの顔が視界の端に引っかかる。どこか傷ついたような、切なげな表情。
それが酷く――癇に障った。
「……嘘つき。最低……だいっきらい」
ベッドに倒れ込みながら零れた言葉は、自分でも分かるほど湿っぽかった。