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……しらべて、みるか【ジョージ視点】


 悪夢だ。こんなこと、悪夢に違いない。

 ひとり自室で頭を抱えながら、僕は現実を受け入れられずにいた。


 思えばあの晩、僅かな気のゆるみでタニアの誘いに乗ってしまったのがすべての間違いだった。

 キャロルとの婚姻を控えた重要な時期だと分かっていたからこそ、細心の注意を払っていたというのに。まさかこんなことになるなんて。自分で自分の迂闊さを呪わずにはいられない。


 タニアとの不貞が衆目に晒された翌日、急転直下、バーミリオン伯爵家から不貞行為を理由に婚約破棄の申し出が行なわれた。本来ならば女神契約のため、そう簡単には破棄できないはずのそれは――申請から僅か数日後にあっさりと神殿経由で承認されてしまった。

 時間をかけた公開審議をするまでもなく、あの夜を証言する数多の目撃者の存在により僕の有責は火を見るよりも明らかだったからだ。


「本当に残念だよ。君なら娘を大切にしてくれると信じていたのだが……」


 契約破棄の手続きのために父と共に訪れた神殿で待っていたのはバーミリオン伯爵のみ。そこに愛しいキャロルの姿はなかった。ろくな言い訳すらさせて貰えない状況に耐え切れず、僕は伯爵に縋るような目を向ける。


「バーミリオン伯爵! せめて一度だけでもキャロルと話をする機会をいただけませんか!? 確かに僕は不貞を犯しましたが――彼女を想う気持ちに嘘はありません!! 今でも僕はキャロルだけを愛しています!!」

「やめないかジョージ! なんと見苦しい……バーミリオン伯爵、本当に申し訳ない」


 父は僕の頭を押さえつけると爵位上では格下である伯爵に平身低頭、謝罪した。伯爵が小さくため息をつく。そこには僕への呆れの色がありありと滲んでいた。


「……マホガニー侯爵の顔を立てて今の発言は聞かなかったことにしよう。しかし私の許可なく今後、娘に近づくようなことがあれば容赦はしない」


 その言葉で頭が真っ白になる。つまり、もう二度と、キャロルには――会えない?


「そんなっ!? ちゃんと説明すればきっとキャロルも分かってくれるはずです!! だって彼女は僕を愛して――」

「ジョージッッ!!!!!」


 この時、僕は生まれて初めて父に殴られた。あまりの衝撃に床へ倒れ込んだ僕を見る、伯爵の嫌悪と侮蔑の視線。まるで羽虫以下だと言わんばかりのそれに、僕は返す言葉が見つからなかった。

 抵抗虚しく恙なく手続きが終わった帰路の馬車の中、どうしても諦めきれない僕は対面に座る父に意を決して話しかけた。


「父上……もうどうにもならないのでしょうか!? せめてキャロルともう一度だけでも話をする機会を――」

「っ……いい加減、恥を知れ! お前に彼女の名を口にする資格はない! これ以上の醜態を晒せば問答無用で破門にするぞ!!」


 怒りで顔を真っ赤に染めた父が目を血走らせながら怒鳴り散らす。尊敬すべき父がここまで激昂するようなことを、僕はしでかしたのだと改めて痛感した。そしてそれ以上に、まもなく手に入る筈だった愛しい人を永遠に失ったという事実が全身に重くのしかかる。


 最後に見た彼女は、何故か使用人のような格好をしながら僕とタニアを罵倒していた。

 泣いてはいなかったように思う。あれほど怒りに震える彼女を見たことはなかった。当然ながら拒絶されたのも初めてで、振り払われた手の感触を反芻する度に自己嫌悪に陥る。


 キャロル。僕の婚約者。僕の最愛。


 三年前に婚約を交わしてから彼女のことを考えない日はなかった。裕福な伯爵家で大切に育てられた純真無垢な少女に、僕は一目で恋に落ちたのだ。何をしていても可愛くて、存在そのものが愛おしくて。彼女のわがままならば何でも叶えてあげたかった。真綿に包むように大切に大切にしたかった。


 だからこそ――婚姻前の清廉な彼女を醜い欲求のはけ口にするわけにはいかなかった。


 健全な若い肉体だからこそ溜まっていく肉欲がある。幸い、女に不自由したことはただの一度もなかった。学生の頃も卒業してからも、少し意味深な視線を交わせば相手の女の方から誘ってくる。後はそこから適任を選ぶだけでよかった。

 ちなみに学生時代の失敗を教訓にして相手を最初から口の堅い既婚者のみに絞った。それもあって社交界でも僕の火遊びが噂されることはただの一度もなかった。


 そんな中であの女だけは……タニア・マローだけは、少々事情が異なった。


 学生時代の借りさえなければ即刻関係を切っていたであろう女。

 裕福で温厚な男爵をたぶらかして妻の座を手にした後も、彼女は僕への執着を手離さなかった。厄介なことこの上なかったが、幸いタニア自身も男爵夫人の座を捨てる気はないのだと分かっていたので適当に相手をし、ついでに自分の欲も解消した。


 この三年、すべては順調なはずだった。それにキャロルと結婚してしまえば他の女にはもう用はない。僕が心から愛して、抱きたいのはキャロルだけ。あともう少しで、来年の春には輝かしい未来が手に入るはずだった! それなのに、どうしてこうなったんだ!!


「キャロル……キャロル、キャロル……ッ!! 愛してる、愛してるんだ……!!!」


 君も確かに僕を愛していたはずだ。ただ、数ヶ月前から少しだけ違和感を覚える瞬間があった。どこかよそよそしいというか、普段なら満面の笑みを浮かべる場面でも何故か表情に陰りがあるように思えた。

 このままでは良くない気がする。僕はその直感を信じて、よりいっそう彼女に尽くした。女遊びもすっぱりやめた。とにかく完璧な婚約者であろうと努めた。

 それが綻んだのは、例の悪夢の一夜だけ。


「……やはりおかしい。こうなったのは、本当に偶然なのか――?」


 確かに僕の油断が招いたことだが、それにしたって状況が嚙み合いすぎている。

 そう、まるで、僕とキャロルの婚約を破棄するためのお膳立てがされていたかのような――


「……しらべて、みるか」


 それは天啓のようなものだった。


「キャロル……やっぱり君を諦めることなんて僕にはできない」


 愛しているんだ。本当に、心から。一部の人間は僕が伯爵家に婿入りするためにキャロルを大事にしていたと思っているが、とんでもない。キャロルと共に居られるのであれば僕は平民に落ちたって構わない。爵位になど興味はない。欲しいのは君だけ。

 この世でキャロルを一番愛しているのは――間違いなく僕だ。


「だから必ず、君に会いに行くよ。どんな手を使ってでも」


 次に会えたら謝罪をして、誤解を解いて。君に永遠の愛を誓おう。そうしてもう一度、やり直すんだ。今度は絶対に間違えない。約束する。もう二度と、君以外の女になんて触れたりしない。


 絶望しかけていた魂に火が点される。

 その衝動のままに、僕は思考を整理するべく机に向かいペンを取った。


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