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俺が一緒に逃げてやるから


「後の手筈はロバートに任せてあるから、俺たちはしばらくここで待機」


 そう言って連れてこられたのは、なんと外だった。

 正確にはジョージたちを誘導する予定の休憩室の窓から出た先――つまり屋敷の庭先である。

 ちなみに窓に掛かる分厚いカーテンはきっちりと閉め、逆に庭へ繋がる窓自体はほんの僅かに隙間を開けている。これなら音や気配で中の動向もある程度は探れるだろう。


「俺が合図をしたらキャロルは部屋に入って出来るだけ大きな声で悲鳴を上げてから、奴らの不貞を目撃した可哀想な令嬢を演じてくれ。俺は少し遅れて扉側から突入する。そうすれば自然と他人の醜聞が大好物な連中が騒ぎに乗じて集まって来るから――」

「その人たちを証人にするってことね」

「正解。理想は奴らがベッドの上で半裸にでもなっててくれることだが……まぁ片方は既婚者だ。ベッドのある休憩室で二人きりという時点で詰みも同然だろう」


 希望は見えてきた。後はジョージたちが罠に嵌るか。その一点に掛かっている。


「でも、それならなんで私はこの格好なの? 服は着替えやすさ優先ってことで分かるんだけど、鬘とか眼鏡とかは必要ないんじゃ……?」

「それは保険。ほら、だって今この瞬間、俺とキャロルは暗い庭先で二人きりだろ?」

「うん」

「この状況だって傍から見れば立派な男女の逢引だよ。いつどこに誰の目があるか分からない以上、君の今後を考えれば出来る限りの対策はしておきたかったってわけ」


 まさかそこまで気を回してくれているとは思ってもみなかった。


「あ、ありがとう……」

「お礼を言われるほどのことじゃないよ。それより、思ったよりも冷えるなここ……」


 そう言いながらヴィルはジャケットを脱ぐと、私の肩にそっと掛けてくれた。すっぽりと包まれて温かい。身体もだけど、それ以上に心が……じんわりする。


「ヴィルは大丈夫? 寒くない?」

「鍛えてるから平気。それより嫌なものを見る羽目になるだろうから覚悟はしておいてくれよ?」

「それこそ平気よ。今は彼のことなんて何とも思っていないもの。それよりも……怖いのは何も起こらないことよ」


 私は月光を受けて淡く輝くヴィルを見上げながら、ほんの少しだけ弱音を吐いてしまう。


「ここまでしておいて彼が不貞を犯さなかったら……たぶん、この先も間違いは起こさないと思うの。少なくとも私との婚姻が成立するまでの間は」

「……そうかも、しれないな」

「だから今、本当は凄く怖いの……今日で私の運命が決まってしまうかもしれないから」


 不安から借りたジャケットの裾をぎゅっと強く握りしめ、私は唇を噛んで俯く。こんなこと、ヴィルに言っても仕方がないのに。彼の前では簡単に弱い自分が出てしまって情けない。


 遠くから微かに夜会場の喧騒が耳を揺らす中、私たちはしばらく無言のままでいた。

 けれどふいに、ヴィルが手の甲で私の頬に触れた。驚いて思わず顔を上げた私を真っ直ぐに見据えながら、彼が厳かに告げてくる。


「本当にどうしようもなくなったら……俺が一緒に逃げてやるから」


 驚きすぎて呼吸が一瞬、止まった。瞠目する私を凝視する彼の瞳は真剣そのもので、いつものような軽口や冗談でないことは明らかだった。

 刹那、私の中で嬉しいという感情が確かに芽生えた。

 現実的に考えれば無謀でしかない。なのに、ヴィルとならそんな運命も悪くはないと思ってしまう自分が居て――……


「……じゃあ、もしもの時は……私のことちゃんと幸せにして、ね?」


 敢えて茶化すように返さなければ、泣いてしまいそうだった。そんな私の気持ちが伝わったかのように、ヴィルが今度は鬘越しに頭を撫でてくる。いつもの優しい手つきで。


「約束、だな」

「……うん、約束ね」


 そんなやりとりをした数十分後――ついに運命の時は訪れた。


 先に異変に気づいたのはヴィルの方で、急に人差し指を口元に当てながら窓の方を見つめる。それからすぐに室内の扉が勢いよく開かれた音が私の耳にも確かに届いた。咄嗟に両手で口元を覆いながら、息を殺して室内へと聞き耳を立てる。


「それで、僕にいったいどうしろと言うんだ?」

「そんなに怒らないで。私だって貴方を困らせたいわけじゃないのよ?」


 間違いない、ジョージの声だ。女性の方もおそらくはタニアだろう。しかし想像とは違って二人の声のトーンはかなり低く、これから情事に耽る男女のような甘さは感じられない。私が一抹の不安を覚える中、室内の会話は続く。


「でもズルいじゃない。今まで散々協力させておいて必要がなくなったら即座に捨てるなんて。私にだってプライドってものがあるわ」

「タニア、僕は今とても大事な時期なんだ。せめて正式に婚姻が成立するまではこういうのは控えてくれないと」

「分かってるってば。だから表立っては大人しくしてるし、貴方にだって迷惑は掛けていないはず」

「……この状況が既にかなりのリスクだと自覚してくれ」

「あら、怖いの? 学生時代はもっと大胆だったでしょう? 危ない橋もたくさん渡ってきた癖に」


 クスクスとタニアの笑い声が漏れ聞こえてくる。不機嫌そうなジョージとは裏腹に彼女の方は酷く楽しそうだ。


「別に私だって貴方の生活を壊す気はないわ。でも長く放っておかれるのは辛いのよ。心も……身体もね」

「それが目的か。男爵が泣くぞ」

「余計なお世話よ。それに貴方だって溜まっているのではない? 結婚するまでは愛しの婚約者ちゃんにも手が出せないんでしょう?」

「…………はぁ、分かった。幸いにも今日は時間がある。少しぐらいなら相手するよ」

「うふふっ……ジョージ様ったら素直じゃないわねぇ。でもそんなところも愛してるわ」


 ぎしり、とおそらくベッドが軋む音がした。私は今だろうかとヴィルを見上げるが、彼は首を横に振る。まだ早いということだろう。そんな私たちのやり取りの直後、室内のタニアが「あら?」と少し驚いたような声を上げた。


「これ、愛の僕じゃない? 懐かしいわね……久しぶりに使ってみない?」

「別に構わないけど量はほどほどにしてくれよ? ……前に少し面倒なことになったからな」

「ふぅん? なら貴方も半分飲んで? どうせなら一緒に気持ち良くなりましょ? ね? ……んっ!」


 そこからはあっという間だった。明らかに息が乱れ始める二人の声が生々しく私の耳を汚す。正直、聞くに堪えない。恥ずかしさよりも気持ち悪さが勝った私が吐き気を覚えていると、ついにヴィルから突入の許可が下りた。私は急いで鬘と眼鏡を取るとヴィルにジャケットごと押し付ける。そして大きく息を吸うと、勢いに任せて室内へと続く窓を開け放った。バサバサとカーテンが揺れる中で思いっきり叫ぶ。


「きゃあああああああああああ!!!!! ジョージ様、いったい何をなさってるの!!!!」


 乱入した私の眼前には、狙い通り半裸状態となった男女二人。なるべく視界に入れないようにしながら、突然の事態に固まる二人をとにかく大声でひたすら罵った。

 不潔、変態、最低、浮気者、気持ち悪い、裏切り者、絶対に許さない――心からそう思っているため、想像以上にスラスラと言葉が出てくる。


「ち、違うんだキャロル! これは何かの間違いで!! 僕はこんな女とは何の関係も――」


 我に返ったらしいジョージが慌てた様子でこちらへと手を伸ばしてくる。それに素で「嫌!!!」と叫びながら、私は汚らわしい手を思いっきり振り払った。これ以上ない拒絶に愕然とするジョージの顔からはみるみる血の気が引いていく。


 そうこうするうちに扉の向こうが騒がしくなってきて、ほどなく扉は開かれた。

 部屋へと雪崩れ込んできた数名の中にはもちろん、ヴィルの姿もある。少し後方にはロバートの姿も。


「……ち、ちがう……違うんだ!! こんなの絶対におかしい!! 何かの間違いだ!!!!」


 ジョージの言い訳も虚しく、次々と集まってきた人々からの侮蔑と好奇の視線がベッドの上で震える二人へと無遠慮に注がれる。これだけの騒ぎだ。もはや証言者には困らないだろうから確実に契約破棄出来る。……ああ、本当に終わったんだ。


 そこで緊張の糸がふつりと切れてしまった私がその場でへたり込むと、すぐに駆け寄って背中を支えてくれる人がいる。その手が誰のものなのかは見ずとも確信があった。


「――よく頑張ったな。後は任せて」


 耳をくすぐる囁きに心の底から安堵する。

 少し迷ったが結局はお言葉に甘えて、私は気を失ったふりをしながら誰よりも信頼する相手の腕の中にそっと身体を預けたのだった。


とりあえず最初の山は越えました! しかし本番はむしろここからです……!

もし本作を少しでも面白いと思っていただけたなら、ぜひ★評価やいいね、感想やブックマークなどで応援していただけますと嬉しいです! よろしくお願いいたします!

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