妹の初めて
──ガチャ
診察室の扉が開き、母親の目の前には床に転がっている三人が視界に入ってきた。
「何、してるの? そんなところで?」
「いや、あはは。ちょっと三人で……」
「なんでもないですよ、おばさん。なんでもないです」
「はい。特に問題はありません。私たちは大丈夫です」
言っていることにまとまりがなく、母親は察する。
「文也の事、よろしくね」
三人が顔を見合わせ、視線を交差させる。
「「はいっ」」
※ ※ ※
やっと薬が出たか。思ったよりも少ないな。ん? あいつら床に転がって何しているんだ?
「お待たせ。そんなところで転がって、何してるんだ?」
妹の一条美衣、幼馴染の七宮綾乃、そして学級委員の篠原百合。
三人はそれぞれの視線を交差させ、無言で意思の疎通を図る。
「お兄ちゃん、きっと治るよ!」
「そうよ、絶対に治るから心配しないでっ」
「私も一条君が治るように、がんばりますね」
三人の視線が一斉に俺に向いてきた。な、何があったんだこの短時間に。
「もう時間も遅いし、みんなを家まで送るわね」
「あ、私は大丈夫です。電車で帰りますので」
「じゃぁ、駅まで送るわね。綾乃ちゃんは家まででいいかしら?」
「お願いします!」
「送るって言っても、綾乃の家はうちの隣だろ……」
少しだけにぎやかになった帰る車の中。俺は難病にかかってしまったけど、きっと大丈夫。
体も痛くないし、頭も痛くない。きっと、このまま何もなく、自然治癒するんじゃないかって、勝手に思っている。
──ピッピッピッ
「彼は、大丈夫でしょうか?」
若い看護師が医師に聞く。
「大丈夫。彼は周りの人に恵まれた。そこが救いだ……」
文也たちがいなくなった診察室。医師は文也のカルテを見ながら頭を抱えていた。
青春欠乏症……。何とも厄介な症状なんだ。
十代半ばから二十代半ばに発症する例が多い。だが、治癒しなかった患者はみんな……。
文也君、早く青春を感じ取るんだ。
部活、課外活動、趣味、そして恋。
自分で、道を切り開くしか手段はない……。
頑張ってくれ。
「そうそう、私の青春時代は医学部に在籍しいていた時でね。大学でも評判だった──」
医師の回想話を聞く看護師は、すでに診察室から消えいた。
※ ※ ※
「はぁー疲れた! 母さん、夕飯は?」
「あ、今日は何も作れなかったからねー。どうしようか」
俺のせいですね。すいません……。
「お兄ちゃん、先にお風呂入って! 私が何か作る!」
青天の霹靂。まさかの美衣が何かおかしいことを言っている。俺の聞き間違いか?
「えっと、今なんとおっしゃいましたか?」
美衣は俺の背中を押しながら口をひらく。
「お兄ちゃんは先にお風呂! 夕飯は私が作るの!」
「……熱でもあるのか?」
「ない! いいの、いいから早く服を脱いで!」
美衣は脱衣場に俺を押し込め、シャツのボタンを取ろうとしている。
「ちょ、何してるんだよ!」
「いいから、ほら早く!」
「一人でするから、出て行ってくれ!」
「……わかった。お風呂あがったらすぐに来てねっ」
普段はしないウィンクをして、そうそうに立ち去って行った。何かがおかしい。
美衣が料理? しかも、自分から率先して? 小遣いでも足りなくなったのか?
そんなことを考えながら、湯船につかる。はぁー、落ち着くね。とても難病にかかっているとは思えない。
「お母さん、これどうするの?」
「えっと、これはこう切るといいのよ」
「ありがとう! こっちは?」
「そろそろいいかな? 味付けは?」
「いつもと同じ!」
「じゃぁ、醤油と砂糖、それにみりんも少し」
美衣は着替えもせず、制服にエプロンを付け母親の隣で一緒に調理をしている。
早くしないと、兄がお風呂から上がってきてしまう。慣れない手つき、教わりながら作る初めての夕飯。
「いたっ!」
「ほらほら、そんなに慌てないで」
「でも、急がないと……」
「急がなくても大丈夫。文也の事気にしているの?」
無言でうなづく美衣。早く作らなければならないと、内心すごく焦っている。
「大丈夫。文也は待ってくれるから」
「でも……」
「美衣の初めて作る夕飯でしょ? だから、焦らないで、心を込めて作ればいいの」
「うん、わかった」
まな板と包丁の音色が脱衣所まで聞こえてくる。いつも聞こえてくる母さんの音色とはちょっと違った音色。
もで、その音色はなぜか心に響き、心地よく感じる。
「あがったー」
「あ、もう上がっちゃったの!」
「もうって、いつもくらいの早さだけど……」
美衣が少し焦った顔つきになっている。まだ、できていないんだな。
「大丈夫だよ、慌てて怪我とかするなよ?」
「ごめん、すぐにできるから待ってって」
「おう、待ってる」
自室にバッグと制服を放り投げベッドに転がる。なんだかんだ言って疲れた。
転がったスマホに目を向けるとメッセージが数件来ている。
『明日の朝迎えに行くから』
そんなメッセージだった。