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今日も午後の訓練で炎天下の中、素振りをしていた。ぐいっと水に、塩と砂糖と少しのレモンを加えた飲み物を飲む。冷たさが喉を潤していくその贅沢な感覚に目を細める。適当に良さげな影を見繕って、地面の上に座り込んで休息を取ることにする。
今は個人練習の時間だ。集団での鍛錬ももちろんあるが、きっちりと自分と向き合う時間があることで自分の特性をさらに磨くことができるのだと教官は毎回強調する。誰にでも、伸ばしやすいところと、どうしても伸びにくいところはある。明らかに不向きな種目にいくら必死に取り組んだところで時間の無駄だというわけだ。
それに加えて自己管理能力の成長を促すという観点から、個人の時間がとってある。私としてはかなり助かる。女の身でありながら、体力の底が尽きない男子のランニング、筋トレに付き合わされるのは流石にしんどいところがある。俊敏性と柔軟性を売りにしているからには、それにあった鍛錬をできるだけやりたい。
座学はクラスごとに受けるが、訓練は一学年でまとめて行う。そのほうが対戦相手も多く、また豊富な訓練経験を身につけられるからだ。
いろんな人の1人訓練を見るのは面白い。入学まで限られた人たちとしか鍛錬したことがなかったから、学校に入って多様な戦闘スタイルを見ては驚きであふれていた。例えばアベルは見た目通り重そうな剣を持つために、振るうのに時間がかかる。それゆえに無駄な動きを削がなければならず、結果的に洗練された全体の動きが生まれている。
そんな風に呑気に休んでいたのが悪かったのかもしれない。奥の方が騒がしくなっていたのに気づいた。教官からの招集の声に応じて、皆一箇所に集まる。10人くらい見知らぬ大人が立ち並ぶ中で綺麗な白髪のとある人物を見つけて、げっと顔を顰める。
「おうい、お前らよく聞け。今日から一週間、城の関係者が学校を視察することになっている。こちらがその代表のキース=オーズウィルさんだ」
「嘘でしょ」
ベッドの上でぐったりとへたり込む。力が入らない。カイは背中をさすってくれるけど、残念ながらそれではこの衝撃を癒せない。
「なんで兄様が」
思わず頭を抱えてしまう。別に不仲なわけではない。むしろ仲は良い方だろう。6つ歳が離れた兄様だが、幼い頃はよくじゃれついて遊んでもらい、懐いていた。ボードゲームでは大人げなく打ち負かされていたが、ブランコとか背中を押してくれていた。だから久しぶりに会えるのは素直に嬉しい。だが、問題は。
「め、目があったよ。へんなこと、できないい」
学校に入学して令嬢として育て上げるために厳しかった親の目がなくなり、その反動で私は、まあご存知のようにマナーなどかなぐり捨てて、毎日楽しく暴れて青春を謳歌している。兄様は実家暮らしだから、そのことが両親の耳に入れば、次の実家帰省が天国ではなくマナー地獄になってしまうかもしれない。
「うーん、流石にキースさんも騎士学校でのやんちゃくらい許してくれるんじゃない? 年頃の男子なんて大体そんなもんだし」
「だといいけどな」
できるだけ馬鹿騒ぎは控えよう。でも万が一やってしまった時は、同級生に馴染むために仕方なく演技したということで。だがそれも私の本性を知っている兄様に言ったところでどこまで騙されてくれるかは疑わしいところでもある。
「というか俺の方がやばいと思う」
「え?」
「なんでもない」
慰めてもらってなんとかメンタルを持ち直す。性別を隠しているのと同時に、名字も隠して庶民として偽装しているから、流石に他人がいる前で話しかけてくるようなことはないかな。どっちにしろ、兄様は私が既に学校で暴れていることも既に謎ルートから情報を仕入れて知ってそうだし、ある程度は大丈夫か、と割り切る。
そうして、あれ、と気がついて首をかしげる。
「一週間滞在するとか言ってたよね」
兄様は若いながらにして既に出世を重ねて、今や王太子の側近となっていたはずだ。
「仕事はいいのかな?」
「視察が側近の仕事の一つなんじゃない?」
「そっか」
そういうことか。あれ、でも。
「一週間!」
急に大声を出した私にカイはびくりと小動物のように肩を震わせる。ごめん。
「途中からちゃんと聞いてなかったけど。もしかして、兄様も寮に泊まり込み……?」
まさかの可能性に気がついて、ベッドに横たわっていた猫のぬいぐるみをそっと抱きしめる。そして気まずそうに頷くカイ。な、ながすぎる。
よりにもよって兄様は私たちの寮に泊まることになったらしい。部屋の階が違うだけ良いのだろうが、それでもこの妙な冷や汗は止まらない。幼い頃から面識があって、しかも同じ1階で一週間暮らすことになったカイはもっと可哀想だ。
「キースさんは一週間こちらに滞在するので皆さん挨拶してくださいね」
「みんな一週間よろしくね」
寮母さんに生徒が集められ、紹介された兄様はペコリと頭を下げる。
「「よろしくお願いします!」」
私とキースを除いた寮生は、目をキラキラと輝かせて元気溢れる声を発した。ああ、そうか。兄様は結構名の知れた剣の使い手だから尊敬の視線がすごい。かくいう私も手合わせを何度もしてきて、その度にボロボロにされた経験がある。兄様をわいわいと寮生たちが囲む隙に、ひっそりとカイと自室に戻ろうとした。
「ねえ」
不意に誰かに肩を掴まれて2人で体を強張らせる。
「あんたたち何ひそひそ隠れてんのよ」
その声を聞いて、その人も兄様から見えない死角に引き摺り込む。兄様もこちらを見ていないから、大丈夫かな、と安堵して掴んでいた腕を離した。突然のことに驚いて不満そうにするのは同じ寮に住むヴァージル先輩だ。ちなみに綺麗な顔をしているが、れっきとした男だ。淡い青色の髪を肩から振り払って、私の両肩をがしりと掴む。
「なにか変なことを企んでないでしょうね」
「いやあ、僕みたいな優等生に何言ってるんですか」
照れ照れと頭を掻けば、怪訝な顔をされる。ヴァージル先輩にはよくお世話になっている。入学当時も道案内してもらったし、その縁で今や筆記試験の過去問も譲ってもらっているくらいだ。
「よく言うわ。まあ、カイルがいるなら大丈夫そうだけど」
なんとか部屋に戻ることを見逃して欲しいと説得して、忍び足で自室に向かった。