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時計を確認すれば既に下校時間だ。登校時同様、カイと帰る約束をしている。シリルと別れて、待ち合わせをしている私の教室に向かう。流石に迷子になることはないのになあ、と思いながらも、カイがいると忘れ物を思い出すなどして何かと助かるから素直に従っている。
途中の廊下は人気がない。だんだんと真夏の蒸し暑い空気が涼んできているのを肌で感じる。ぶるりと震えたら、廊下の角で何やら工具を持ったイアンとばたりと出会った。私の顔を認識した瞬間に身構えられたのは悲しい。流石の私も誰にでも襲いかかる通り魔ではないんだけどなあ。
「イアンも雑用? ずいぶん長かったんだね、お疲れ。僕もシリルに押し付けられてたんだ」
「そうそう。じゃ、またね」
あからさまにほっとした顔を見せたイアンにひらりと手を振り返して別れる。やはり体を動かした後は冷える。体型を隠すために訓練中も常にシャツの上に制服の上着を着ているため、通常よりも暑いのだ。そしてその汗で湿ったシャツが体を余計に冷やす。腕を擦って、暖をとる。確か鞄の中に別の上着を放り込んでいたはずだ。
5分前行動が素晴らしいカイは既に教室の中にいた。私の席の椅子に座って壁にもたれかかるようにして窓の外を見ている。逆光が素晴らしくカイの魅力を引き立て、むしろ夕日がカイの美しさに負けてしまわないか心配してしまう。
「お待たせ」
私の方を振り返ったカイは目を細めて、嬉しそうにして立ち上がった。
「ねえ、上着着てから出るからちょっと待って」
「これ?」
私の鞄の中から即座に上着を取り出してくれたカイは有能すぎると思う。従者として雇いたいくらいだ。一応公爵家嫡男だが、給料は言い値で出すぞ。私の小遣いの範囲内ならば。すでにカイの手の中にある、あったかニット素材の上着を見て頷く。
「じゃあこっち来て」
「ん?」
こっちこっちと私を手招くから、困惑しながら窓際に向かう。子供の頃と比べて身長差が随分と目立って、何やら企んでいるカイの顔を見上げれば首が痛い。
「間抜けな顔だねえ」
何がしたいのだろうか。腕を出してと言われたから従順に差し出すと、ご丁寧に上着の袖を通してくれた。
「くすぐったい」
身じろぐ私にカイも笑いをこぼしながら、器用に着せてくれる。
「お嬢様、お召し物の着心地はいかがでしょうか?」
芝居がかった台詞を悪戯な微笑みを浮かべて言うカイに、ふさわしい台詞を言い渡す。
「ええ、気に入ったわ。この商会の商品全て買い上げて」
「かしこまりました」
寸劇の幕を下ろした私たちは互いに見合わせると、プッと同時に吹き出して笑った。上着のおかげだろうか、先ほどまで冷たかった指先に熱が灯り、落ちゆく夕日の赤に染まっていった。
私の部屋までいつもついてくるカイにお茶を入れる。寮は数棟あり、女子ということで配慮されて私は一番セキュリティーが高い棟の2階に配置されているのだ。カイも同じ棟で、1階に部屋を持っている。
いそいそと取り出すのは最近お気に入りの茶葉。大して高価ではなく、緑茶という東の国発祥のもので、栽培方法の研究が進んで今は庶民に浸透している。町で屋台の主人に試飲を勧められたときに、いたく気に入って購入したのが飲み始めたきっかけだった。
「ルイ、お米炊いとくよ」
お茶を入れている間に、簡易的なコンロを備えている自室のキッチンで、カイにはある準備をしてもらっている。米もお茶を売っていた屋台の主人からもらった。
緑茶を入れ終われば、2人でフカフカの絨毯に座り込んでベッドを背もたれにする。心を安らがせる香りを堪能してゆっくりと緑茶を味わう。開けっ放しの窓からは夜が近くなって冷え込んできた森の風が吹き込み、一口飲むたびに体に温かさが染み渡る。
「味、どう?」
「美味しいよ、毎日飲んでいたいくらい」
「だよねえ。もっと仕入れようかな。」
市場でたまたま見かけた最高な触り心地の絨毯を値切って購入してからは、客人には玄関先で靴を脱いでもらっている。そして文字通り全身全霊でふわふわに包まれるのだ。癒されるものも好きだ。ベッドの上に並べられているぬいぐるみ達も毎日ギュッと抱きしめて心を落ち着かせている。
「でね、シリルが訓練で素振りをしていたら剣が手からすっぽ抜けてアベルに刺さりかかったんだよ」
けらけらと一日を思い出して笑っていればあっという間に時間が経つ。窓の奥はすっかりと闇に覆われて暗くなっている。食いっぱぐれないために、カイの手を引いて食堂に向かう。
「おばちゃん、これください!」
「俺はこれで」
夕食は朝食に比べてかなり豪勢だ。たらふく食べるが、流石は成長期真っ只中の男子向けの食事だ。毎度食べきれない。入学初日に興奮し、無理をして食べて吐きそうになった私のことはよく覚えているから、予めにカイに食べてもらう分を分けてある。残飯処理係のようで、申し訳ない。
食べ終えた頃にはすっかりと日も暮れて食堂内の喧騒から一転して、帰り道は静かだ。虫の音に耳を澄ませながらカイとともに自室に帰る。雲に隠れては現れる月は満月と比べてちょっと欠けていて、寂しさを覚える。
部屋に戻って開くのは座学の教科書。戦略、騎士団の歴史など、実技だけでなく知略にも重きを置くこの学校で成績を保ち続けるには予習復習が欠かせない。特別頭がいいというわけでもない私は入学早々危機感を覚え、なかなか了承しなかった座学も得意なカイになんとか頼み込んで就寝前まで勉強を見てもらっている。
「ここ、違う」
問題を解いていく私の回答を横から覗き込みながら指摘し、即座に解説も加えてくれるカイがいるおかげで、なんとか成績上位者に食い込めている。やっぱり持つべきものは友だ。
ひと段落勉強を終えたら、キッチンの方に向かってお米の入った鍋を覗き込む。炊いておいたご飯を三角に固め、たっぷりと食堂のおばちゃん秘伝のタレを塗って焼く。綺麗に色づいて香ばしい匂いがし始めれば、焼きおにぎりの完成だ。
一回に食べ切れる量が少ない私が編み出した策が、食事の回数を増やすということ。間食でしっかりと体を作れるものを食べることで筋肉量を増やそうという算段だ。簡単に作れるこれを食堂で教えてもらって焼きおにぎりを作っていたら、興味を持ったカイも食べると言い出して、毎日就寝前のおやつタイムが出来上がったわけだ。
「んー、美味しい!」
ベッドに腰をかけてかぶりつけば、思わずへにゃりと顔が崩れる。さっさと食べ終えてしまったカイは仰向けに寝転んで、下から私の顔を見上げている。米粒でも顔についているのだろうか、と口元を拭えば声を上げて笑われてしまった。