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「ちえっ……」
座学も訓練も終えて、やっと楽しい放課後だと喜んだのも束の間、シリルに上手く言いくるめられて雑用を押し付けられてしまった。2階の教官室に木箱を運ぶという簡単な仕事だが、地味にきつい。短剣に弓矢、武器がこれでもかというほど詰め込まれていてとてつもなく重いのだ。顔を引きつらせながら、ちょっと前の出来事を思い返す。
「ルイ、筋肉つけたいって言ってたよな」
ニヤニヤと口の端をあげて笑うシリルはどう見ても怪しさ満点だった。だが人間、欲しいものを目の前でぶら下げられるとそれを追わずにはいられないもの。女であるがためにつけられる筋肉量はどうしても制限されてくる。
「言ってたけど?」
「ほら、これ」
目の前の明らかに重そうな木箱を指差される。そういうことか。筋肉をつけたいという欲望とシリルに上手く利用される歯痒さで葛藤する。
「ぐっ……。わかったよ、昨日の詫びだ」
「それ教官室まで。じゃ、よろしく」
そうして教室の出口へ颯爽と駆けて行ったシリルの姿を目で追う。釈然としない気持ちのまま、腕まくりをしてゆっくり木目の床の上で引きずり始めて今に至る。きっと今頃、鍛錬しているんだろうな。私もしようと思ったのに。悔しさに歯をギシギシさせるが、大人しく運ぶことに徹する。
「お、ルイ頑張ってるねえ」
ずるずると木箱を引っ張っていれば、スキップしながら木刀を振るレオがやってきた。厳格だと評判のこの学校にわざわざ入学してくるだけあって、学校の連中はみんな鍛錬中毒と言っていいほどの鍛錬好きだ。
レオもこれから訓練場に向かって自主練をするのだろう。どう見ても雑用真っ最中で自主練ができない私に向けて、とてもいい笑顔を放った。羨ましくてレオを食い入るようにして見ていれば、自慢するようにまた素振りをして私に見せつけてくる。剣が素早く風を切る音がする。ぐぬぬ、と木箱の縁を握る手を固く握り締める。
そしてとうとう我慢できなくなって、木箱から手を離して走り出した。レオの腹筋目掛けて軽くパンチすれば、先に腕で防がれてしまった。防御をするために体を丸めたレオに、流れるように右足を高く上げて踵落としを繰り出す。
「おっと」
若干手加減してスピードの落ちたその動きに気付いて、レオは後ろに飛び下がる。
「この馬鹿ども。廊下でじゃれるな」
「げっ」
後ろからアベルの声がして、2人してその場でフリーズする。私は頭をペシっとはたかれ、レオは首根っこ掴まれた。
「ルイはさっさと仕事に戻れ。ほら、いくぞ」
連行されていくレオを指を咥えて見送る。とうとう背中が見えなくなり、ため息をついて隣にポツンと居座る木箱を眺める。
これ、絶対女性の大人1人分の重さはあるだろうな。まあ、だからこそ筋トレ代わりになるのだが。廊下での引きずりを終えたら、次は最難関の階段前に到着した。1階の教室から2階の教官室に向かうには、階段を上らないといけない。さすがに引きずることはできず、数段上っては木箱を置いて休憩することを繰り返す。
あと1段上れば辿り着くというところで、1階の廊下から聞き覚えのある声が聞こえてきた。休憩がてら、また木箱を段の上に置く。
「なあカイル、もっと手加減しろよな」
「うるせえ。セド、お前はもっとやれただろ」
「だって疲れるし? 日頃の鍛錬メニューしっかりやっとけば、ちょっとくらいサボっても問題ないって」
カイの話し相手は自称親友セドリックのようだ。楽しそうだねと言えば、カイは毎度顔を顰める。でも、セドリックと話すときの乱暴な口調はそれだけ心を許している証拠だと思うんだ。
セドリックは一見ふざけた男に見えるが意外と世話焼きな性格だ。訓練で怪我をした時、サボって保健室にいたセドリックに丁寧な手当てを受けたことがある。手当ての仕方には性格が出る。大雑把な人は入学したての私のように包帯巻いて終わりにするだろう。
お転婆だったとは言え、一応箱入り娘だった私は処置の方法を知らなかった。適当に棚の中から包帯を出して流血する腕に直接巻こうとしたら、昼寝から目覚めたセドリックに慌てて止められた。水で簡単に洗い流して消毒液を慎重にかけられ、ほどけにくいように包帯を巻いてもらった。よくサボる不真面目な人という印象だったので、てきぱきと的確に手当てをする様子に目を丸くして驚いた記憶がある。
たまにすっとぼけてよくわからないことを口走るカイにも的確なツッコミを入れてくれるので、相性は良いのではないだろうか。
さて、と木箱に目をやる。カイが私に気付いたら、きっと代わりに持つとか言うだろう。ただでさえ剣術でカイに遅れをとっているから、鍛錬するチャンスを奪わせてたまるか。
気合を入れ直して木箱を持ち上げて最後の段をクリアする。後はまた引きずっていくだけ。木箱の端を持ち、全体重を進行方向にかけて体は地面と斜め45度の角度。てこの原理を利用するようにして引きずる。教官室に辿り着いて荷物の到着を伝えれば、任務終了だ。
「どうかした?」
急に歩みを止めたカイルに、セドリックは声をかけた。頑張り屋で、ちょっぴりバカで、そこがまたかわいい女の子。幼い頃からずっと目で追ってきたのだから、カイルが見逃すはずがない。周りには石像のようだと評されているカイルの顔から冷たさは感じられず、頬は緩んで自然と口の端が持ち上がっている。
「いや、なんでもない」
鍛錬に全力を費やす彼女は微笑ましいが、頼ってもらえないことが残念だった。黒髪によく馴染む青の瞳の奥は優しく揺れて、ルイーズが絶賛する長い睫毛を伏せた。