1
昼寝に最適とは言い難い日差しがじりりと肌を刺す。ゴホゴホと咳をせずにはいられない土埃が舞い、水分を欲している喉には更なる渇きが与えられる。絶え間なく鳴り続ける金属の打ち合う音からは、優雅さとは程遠い汗臭い匂いがする。
眩しさに目を瞑りたくとも、空中の砂が角膜に張り付こうとも、目の前の相手を睨み続ける。疲弊し切った足に鞭を打ち、地面を軽く蹴ると砂埃が一層舞い上げて姿を隠す。姿勢を低くしたのだと誰もが認識する前に、溜めた力を地面に解き放って一気に距離を縮める。
「そこまで!」
私は相手の首元に木刀を添えてピタリと動きを止めた。その直後に体から力が抜け、倒れ込む前になんとか地面に手をつけることを成功した。頭を打ち付けることだけは回避したが、体へのダメージは免れなかった。
「っ…!」
「…いっ!!」
だが、私はまだマシな方だろう。好敵手でもある試合相手は私の攻撃を避けようとして背中をそらしたためにバランスを崩し、そのまま頭から硬い地面に突っ込んでいた。
見事な手無しブリッジだ。この日に備えて腹筋でも鍛えていたのだろうか、後でぜひご教授願おう。
だが、大変悔しいことに今は互いに口を聞く余裕もない。限界を超えたと思われる肉体はただ地面に這いつくばって、呼吸に集中することで精一杯だ。不思議なことに思考だけは逞しく、回復したら好敵手に何を言おうかと目まぐるしく回転を続けている。
そしてそれはきっと相手もそうなのだろう。さっきから「ふんっ」だの「くっ」だの、私に対して何か抗議しようとしている耳障りな音が聞こえてくる。しかし、口を開く体力さえも残っていないようなので滑稽なだけだ。
それにしてもどうして訓練場の地面はこんなにも硬い土でなければならなかったのか。毎度打撲の数が洒落にならないし、砂埃は最悪だ。乾いた細かい粒子は、汗で濡れた訓練着の背中に張り付いていることだろう。湿った髪にもついているはずだ。シャワーを浴びるのはまあ、すっきりするからよいとして、服の洗濯が面倒だ。
背中の砂の存在はできるだけ忘れるようにして上を見れば、憎たらしいほど深い色合いの青空が目に映る。これだけきれいに晴れているということは、それだけ直射日射が強いということ。体は動かないが、早く影に入りたい。
できるだけ早く回復するために、視界に割く体力を減らそうとして瞼を閉じた瞬間、ひょっこりと顔にだけ影ができたのを感じた。
「ルイお疲れ。濡れタオル、首に巻くよ」
もはや目を開けることさえ億劫な私はされるがままだ。首にひんやりとした感触が伝わり、その冷たさにうっとりとする。その隙に、平均なみに重いと自負する私の体はひょいとお姫様抱っこされた。
なんてことはなく、重い体にはそれ相応の運び方がある。仰向けの私の背中側から、脇の下に手を入れてずるずると後ろに引っ張られる。引きずられる足は大して痛くない。
流石、騎士学校直伝の介抱方法だ。残念なのは、この技が活躍するときは大抵飲み会での酔っ払いを運ぶときがほとんどだということだろうか。
全身が涼しい木陰に入って移動が終わったのを感じた。再び横たえられた体は熱に解放されたのを安堵しているようだ。耳元で水が注がれる音が聞こえた。
「はい」
差し出されたコップは、目を開けず、上体も起こすことなく受け取り、仰向けのまま勢いよく飲もうとする。が、もちろんそんな器用な芸当はできないから実際には顔に水をぶつけているように見える。
「何やってんの」
阿呆のように見えるだろうが、これは飲んでいるのだ。決して水打ちをしているのではない。こぼれてしまった水は顔を洗うのに最適だ、それを見越した上でこうやって飲んでいるのだ。
袖で濡れた顔を拭って、助けを借りてなんとか上体を起こす。再び注いでもらった水は次こそは飲むことだけに使われた。数回注いでもらっては飲むことを繰り返し、熱が落ち着いてから新しい濡れタオルを受け取った。首と顔を拭く頃には体力は回復していた。
「つっかれたー」
「今回は長引いたみたいだね。どうだった?」
「個人的にはコテンパンにやってやりたかったのに自分もバテたから悔しい」
「へえ」
男相手に30分の持久戦に持ち込まれたのが不味かった。もっと頭を使って戦うべきだったと反省する。
「カイは勝ったんでしょ」
「まあ」
「試合時間は?」
「10秒」
短すぎて人間の所業とは思えない。いや、でも10秒とは長い方だろう。私が知っている中でカイと戦った人間は平均3秒で毎回地面とキスすることになっているのだから。
「相変わらず汗ひとつかいてないね。汗腺どうなってるの」
「ダムみたいにせき止められてるとか?」
「それじゃあ、いつか一回は一気に放出しないといけないじゃん。それは憧れないなあ」
はっきりとしてきた視界に映っているのは、くすくす笑う黒髪の美青年、カイルだ。腐れ縁というものだろうか、長い付き合いである。周りに騒がれ続けてきたその美貌は幼い頃から更に磨きをかけているのだから、恐ろしいったらありゃしない。
「十分休んだなら授業終わるから寮帰ろう」
「ああそうだね。私の荷物は?」
「こっちに持ってきた。肩かすよ」
いくら休んでも疲れは簡単には取れない。足がまだプルプルと小鹿のように震える私を見て快く提案してくれた友の肩に腕を回し、寮に向かう。ところでカイル君よ、私より背が高いから腕を回しにくいのだが。屈んでもらえないだろうか。
「うーん、いやだ」
まだ何も言ってないのに、非常にマイペースな返事をいただいてしまった。カイの肩にほとんどの体重を預け、高低差のために密着してぶら下がるような形で、とぼとぼと足を進めた。
ようやく二階の自室に着いて、フカフカの絨毯の上に座り込む。これほど階段を恨むことなんてあっただろうか。カイの助けがあったとは言え、亀の歩みでなんとか登り切った私は称賛に値すると思う。
「お風呂お先するよ」
取り敢えず体に纏わり付く不快感を拭うために浴室に向かった。今までこの疲弊を何度も経験してきた私は、持ち前の学習力を生かして、毎度お風呂掃除は先に終わらせるようにしている。お湯がたまるのを待っている間、シャワーでベタつく汗を洗い流し、適当に髪も洗ってしまう。お風呂が沸いたのを確認して、心安らかに湯に浸かる。
訓練後のお風呂ほど極楽なものはない。命の洗濯とはまさにこのこと。背中をバスタブに預け、目を閉じた。ほのかに金木犀の入浴剤の匂いがして、心地いい甘さに包まれる。
「ルイ寝ないようにね」
ドア越しから聞こえた声にハッと目を覚ます。危ない、寝落ちするところだった。重い体を起こして、触り心地の良いタオルを手に、脱衣所に足を踏み入れる。石鹸の匂いがふわりとする部屋着を着て部屋に戻り、そのままフカフカのベッドに突っ伏した。
「カイも入っていけば。あ、お風呂もあるから」
なんとも形容し難い微妙な顔をしたカイと目が合う。
「仮にも令嬢でしょ」
「今は騎士見習いですう」
「じゃあ、シャワーだけ借りる」
せっかくお湯もあるのに。庶民にとってお風呂は贅沢だが、貴族にとっては当たり前の習慣だ。国からの寄付を多額に受けているこの騎士学校だからこそ、自室にそれぞれバスタブが付いているという素晴らしい環境がある。
カラスの行水で上がってきたカイは勝手知ったる我が冷蔵庫を開けてジュースをコップに並々と注ぐ。ベッドのサイドテーブルに置いてくれたので、ありがたく手に取る。カイの黒髪は濡れているからか、照明の光を受けて艶々と光っている。ベッドに腰をかけるカイを眺め、ジュースを堪能しながら、ふうと息をつく。
「シリルしつこった」
「それはルイもだけどね」
「だってアイツの剣踏みつけて上から全体重かけて攻撃したのに、体を捻って避けやがったんだよ」
「確かに。ルイは身軽だけど、相手も柔軟だったら対応できないな」
さっき重そうに私を引き摺って運んでいたくせに、身軽とは。確かに学校内では軽い方だが、それはガタイのいい男どもと比べたら、という話だからなんとも言えない気がする。
「次からはどうにかして相手が動けないように固定すべきかな。飛び上がった瞬間にカウボーイみたいに首に大きな縄をかけてから締めて輪を小さくする、っていうのは実戦で悪くないけど」
上に飛んでから剣を振り下ろすまでの時間が長すぎるなら、広範囲で捉えてそれを瞬時に締めたらどうだろうか。ただ締めるのに時間がかかってしまうからバネを使ってボタンを押したらシュルッと締まるような小道具がいいかもしれない。
「残酷なことを考えるね」
「実戦で勝ってこその騎士でしょ。剣舞とか美しさとかどうでもいいんだよ」
「細工屋のおっさんのところに行く?」
「そうしようかな。次こそは圧勝して鼻で笑ってやりたいから」
「じゃあ俺も行く」
訓練後恒例の反省会、主に私の試合だけだが、それを終えると軽くなったはずの疲れがドッと襲ってきた。まぶたが重い。
「まだ髪乾かしてないでしょ。風邪ひくし、癖っ毛なんだから乾かさないと明日大変だよ」
「む、り……。寝るから髪は、いい……」
呆れたようにため息をついてベッドから立ち上がった気配がした。乾いたタオルを持ってきてくれたのか、騎士学校入学を決めてからバッサリと切った私の髪の水分を吸い取ってくれているようだった。睡魔に誘われ、私はそのままストンと眠りに落ちた。