7.無期限の恋人
翌朝、早くに目が覚めたすみれは、篠原がすう…と寝息を立てているのを確認して、そっと布団から出た。
眠っている篠原は無防備で、さらりと顔にかかっている髪が、普段の会社で見る姿とは違い、微笑ましかった。
すみれは、靴を履いて、朝の街を歩いてみる。
旅行の時に、朝早く、その街を歩くのが、すみれは好きだった。
朝焼けの中、すん…とした雰囲気の街は、いつも清浄で、なにも始まっていない。
その感じが好きなのだ。
今日は少しだけ朝靄のある中、昨日、篠原に案内してもらった川の方に行ってみよう、と思う。
──本当に、綺麗な街…。
朝日に照らされた山の稜線がくっきりと見えた。
昨日、篠原が言った通りだ。
橋の上で足を止めて、その欄干から景色を楽しむ。
綺麗だなあ…としばらく見ていて、また、歩き出した。
「すみれちゃん…!!」
篠原の声だ。
「こう…」
洸希さん、そう呼ぼうとしたすみれの声は、すみれをぎゅっと抱きしめる篠原の肩に吸い込まれた。
「……、びっくりした…、朝起きたらいなくて…。どこかに行ってしまったのかと…」
縋るような、その声に、すみれは驚く。
「どこにも行かないですよ。お散歩していただけ。」
「お願いです。俺の側に、いて…。」
「しの…はらさん…?」
「ずっと、好きだったんです。ずっと、目で追ってた。見てたんです、すみれさんの事。こんなことして、俺は、卑怯だけど…、お願いです、嫌いにならないで欲しい…。」
好…き…?
好きって、私を?
篠原さんが?
「どう…いう、こと…?」
「俺、すみれさんのこと、会社でずっと見てました。あなたが、みんなの依頼を断ることなく、嫌な顔一つしないで引き受けるのも、外訪から帰ってきた営業にコーヒーを入れているのも、見てた。俺はそれが羨ましくて。」
「…ちょ…篠原さん…」
すみれは身動ぎして、篠原の腕の中から、彼の顔を見る。
彼が本気かどうか、なんてその表情で分かることだ。
篠原はとても、真剣で、真っ直ぐで、そして、少し困ったような男の子の顔をしていた。
「困らせて…ますか?俺、…ごめんなさい…でも、…」
すみれは、彼の背中にそっと手を回した。
昨日、あんなにどきどきしながら見た背中。
触れても、いいの?
「私も、好きです…。あなたのことをいろいろ、ハイスペックだとか言う人もいるけど、そういうことではなくて、とても、優しくて、気を使ってくれて、おばあさん思いの篠原さんを見て、好きになりました。だから…嫌いになんてなりません。側に置いて、くれますか…?」
「すみれさん、好きです。本当に。側にいて下さい。」
ぎゅうっと、抱きしめられる。
今度はすみれも抱き返した。
とても幸せな、暖かい気持ちで。
「はい…洸希さん…。」
そろっと、洸希の手がすみれの頬に触れて、その手がすみれの顔をあおのかせた。
洸希の整った顔が、幸せそうに笑っている。
その顔が近づいて、軽く、洸希の息がすみれの唇にかかる。
そっと、重なった唇から、暖かさと、幸せが滲んできて、すみれは嬉しくなった。
来て…良かった…。
「忘れないでくださいね、もう、期間限定なんかじゃないですから。」
子供のように一生懸命に言う洸希の姿を可愛い、と思う。
「はい。」
「いいですか?無期限ですよ?」
くすくす笑ってしまう。
「はい。」
「もう、俺のこと、あしらってます?」
「違いますよ。来て良かったなあって思って…。」
ふっと、解けた表情になった洸希は笑顔になった。
「ああ、そうですね。…すみれさん、大好きです。」
篠原は大切そうに、すみれを抱きしめる。
すみれも、広いその背中に手を回した。
「私も…ですよ。」
もう、期間限定ではない、この人はすみれの恋人なのだ。
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