4.景色の中で
篠原のことを洸くん、と呼ぶおばあちゃんは、とても可愛らしい人で、すみれも一目見て、大好きになってしまった。
お茶だ、お菓子だ、お茶うけだ、といろんなものが出てくる。
そのどれにも、ありがとう、と笑顔で返す篠原は、本当に家族想いなんだな、と見ていて、すみれも温かい気持ちになった。
「で、洸くん、この人は…」
「紹介するね、俺のお付き合いしている人、葉山すみれさんだよ。」
「初めまして。葉山すみれです。」
すみれは、そう言って笑顔を向けたけれど、このとても良さそうな人に、本当のことではないことを言うのは、正直、胸の奥が痛んだ。
まあ、可愛らしい方ねぇ、よかったわね、洸くん、と喜んでいる様子を見たら、尚更だ。
「おばあちゃん、何か手伝うこと、ある?」
「今日の夜、ちらし寿司をやるのよ。」
「ああ、おばあちゃんのちらし寿司、大好き。」
「うん、洸くんはいつも、そう言ってくれるから。錦糸卵、好きでしょう?卵買ってきてくれる?」
「はい。すみれちゃんも一緒に行こう?」
篠原がすみれを呼ぶと、おばあさんはにこにこして、それを見ていた。
「うん。行きます。では、行ってきますね。」
「はい、行ってらっしゃい。」
送り出されて、外に出る。
外では、篠原が待っていて、2人で田舎の道をてくてくと歩いた。
景色がとても綺麗だ。
夕刻のこの時間は、遠くに見える山の稜線が、空にくっきりと映えている。
緑が多くて、近くには綺麗な川が流れていた。
すみれは少し大きく息を吸った。
心なしか、空気もきれいな気がする。
「とても…綺麗なところですね。」
「田舎でしょう?」
「すごく、素敵です。山があって、川があって…」
「ああ、もう少し行ったところに橋があるんだ。そこからは夕陽が川の方に沈むのが見えて、朝は山から日が昇るのが見えます。今なら日が沈むところが見えるかも。」
立ち止まった篠原は、その方向を指さす。
一緒に立ち止まったすみれは、その様子を想像して、とても、素敵な光景なのだろうな、と思った。
「見てみたいな。」
けれど、橋の上に着いたころには、日は沈んでいて、沈みかけの淡い紫色のグラデーションが、空いっぱいに広がっていた。
橋の上から、すみれは、川の奥に広がる風景を見つめる。
緩やかにカーブする川と、青くてきれいな流れ。
空の光が水面にきらきらと、反射していた。
「沈んじゃったね。」
「でも…綺麗…。」
「うん。」
「この先にね、卵の無人販売があるんだ。おばあちゃんの錦糸卵は美味しいよ。すみれちゃん、ちらし寿司、好き?」
まるで、言葉が途切れることを恐れるように、篠原は話し掛けてくる。
「篠原さん、…」
「なに?すみれちゃん?」
篠原さん、といったすみれに、すみれちゃん、と返す篠原。
「いいんですか?」
ふ、とすみれの足が止まる。
「なにが?」
篠原が、足を止めたすみれを振り返る。
すみれは、篠原の顔を見たけれど、逆光で影になっていて、表情がよく分からなかった。
「おばあ様のことです。」
すみれはそう、言葉を繋ぐ。
あんなにいい人を、騙すようなことをして、本当にいいのか?
「葉山さんは、嫌ですか?俺と、付き合っているってことにするのも、嫌?」
篠原の、低い声。
その、声だけでは感情が判断出来ない。
そうではない。
そうではなくて…。
篠原が、ふっ、と顔を伏せたのが、その動きで分かる。
「ごめん。だとしても、葉山さんは、嫌だ、なんて、俺の目の前で言える人じゃないよね。」
篠原は、足を進める。
すみれは、その後を追った。
違う、それは違うのだ。
嫌ではない…。
否定したいのに、その言葉を上手く発することが、すみれにはできない。
どうすれば、上手く伝わるのか、分からなくて…。
そうすると、言葉はどんどん奪われて、結局何も言えなくなってしまうのだ。
気付いたら、篠原は歩く速度を緩めてくれていて、すみれは、その横に並ぶ。
その気遣いが、嬉しいのに。
「違うの…嫌…とかじゃないです…。」
「ん?」
その声はあまりにも小さくて、聞こえなかったようだ。
すみれは、小さく首を横に振った。
篠原が、ポン、と頭に手を乗せる。
「気にしなくて、いいよ。ごめんな。」
どきん、として、胸がきゅん、とする。
確かに、顔立ちも整っていて綺麗な人だけれど、篠原の良いところは、それだけじゃない。
おばあさんを大事にしていて、家族想い。
別のチームのすみれのことも、気にしてくれていて、いいところを探して褒めてくれて、すみれのコーヒーを美味しい、と言ってくれる。
優しくて、気を使ってくれて。
確かに、イケメンだし、高学歴であったり、将来有望だったりもするんだろう。
けれど、彼のいいところは、それだけではなくて。
綺麗なものを綺麗と言ってくれる、美味しいものを美味しい、と言う素直なところや、他人への気遣いや、そんなところも含めて、とても、素敵な人だと思う。
だから、そんな人はきっと他にお似合いの人がいる。
自分はただ、単に期間限定の恋人…。
そう思うと、ますます胸が苦しくなる、すみれなのだ。
すみれちゃん、と呼ぶ声が…、実はとても嬉しい、と気づいても、すみれには、どうすることも出来ない。