2.告白
「葉山さん、ごめん、M社の資料、至急でコピー頼めるかな?」
「はい。全てですか?」
「あ、概要が分かればいいや。」
バタバタと課に帰ってきた営業さんに依頼を受ける。
ふんわりとした癒し系であるすみれだが、その仕事はテキパキしていて、その仕事内容の評価は、非常に高い。
「分かりました。時間、いつまでにってあります?」
「外出が14時だから、それまでに、かな。」
「はい。データも送っておきますね。」
「ありがとう。」
M社の資料…は、あら、資料室だわ。
資料にはデータに入っているものや、資料室に資料があるもの、管理が様々だ。
その中から、適宜探して準備しなければならず、その探し方にもスキルが必要になる。
すみれは、資料室のカギと付箋を持って、資料室に向かった。
該当の部分だけを抜き出して、スキャンしつつ、コピーを取らなければならない。
現在の時間は11時だ。
お昼はこれが終わってからかな、と考えていた。
コピー取りの仕事でも、たまに入る資料室での仕事が、すみれは嫌いではない。
資料室は、営業場とは違い、電話も鳴らなくて、ひっそり静かだ。
紙の匂いは、まるで図書館にでもいるようで、落ち着く。
カギを開けて資料室の中に入ったすみれは、慣れた様子で、M社の資料を探し出した。
本当は高いところに登るためのステップに、腰をかけて、その場で資料をめくる。
だから、集中していて、気付かなかったのだ。
……人が来た気配に。
「葉山さん…」
「きゃ…!」
急に掛けられた声に驚いて、ステップから、ずり落ちそうになったすみれを力強い腕が支える。
「ご、ごめん!ごめん…、急に声かけたりしたからだよな。」
「い…いえ…、あの、こちらこそ、変な声出しちゃって、ごめんなさい。」
それより、抱き締められたままの、今の状態の方が気になる。
その相手は、営業2課の次世代のエース、とも呼ばれる、篠原洸希、だった。
「こっちこそ、ごめんね。」
柔らかそうな髪をかきあげて、篠原は腕の中のすみれに笑いかけた。
彼のことは、同期の間でも、時折、話題になるので、知ってはいた。
曰く、イケメン、で、学歴もあり、将来有望。
同じ部署で働けるなんて、羨ましい。
すみれだって、その姿はもちろん、目にしている。
確かに、篠原は整った、とても綺麗な容貌をしていた。
上司や先輩には、可愛がられて、後輩の面倒見もいい。
社内には、彼女、らしき人はいない、とのことだ。
いれば、とっくに噂になっているだろう。
すみれからしてみれば、そもそも手が届くような人だとも思っていないので、完璧な人って、いるんだなー、という目で見ることしか出来ないような人だった。
ぎゅっと抱かれて、思いの外、力強いその腕に驚いて、心臓がどくん、と音をたてて、跳ねる。
「篠原…さん…」
「あ、もう、大丈夫かな?」
「は…い。大丈夫です。」
今まで、チームが違うので、あまり接点もなかったから、直接こんな風に言葉を交わすのは、ほとんど初めてだと思う。
大丈夫、と返事をしたすみれは、そっと、篠原の腕から離れる。
「さっき、葉山さんが資料室に入って行ったのが見えたんだけど、全然出てこないから、心配になって、つい、入ってきちゃった。」
そう言って、笑う篠原は確かに、皆が言う通り、魅力的で素敵だ。
「つい、…夢中になってしまって。」
「うん。集中していたね。ごめんね、急に声を掛けて。」
今は社内にいるせいか、スーツではあるけれど、ジャケットは着ていなくて、シャツ姿だ。
首から下げた社員IDを胸ポケットに入れて、すっきりと立っている姿はスタイルがいいんだな、とつい、見とれそうになる。
柔らかい話し方は、すみれも怯えたり、萎縮しなくて済んで、きっと優しくていい人なんだろうな、と思った。
「葉山さん、実はお願いがあって…」
少し離れたところに立っていた篠原が、遠慮がちに口を開いた。
「はい?」
篠原は口籠っている。
そんな姿は見たことがなくて、すみれは首を傾げた。
「俺の…」
「はい。」
「俺の、恋人になってくれませんか?」
「は…い?」
──恋人…?え?
何を言われているのか、よく分からないけれど?
すみれは、耳を疑う。
告白?にしては、篠原からは甘い雰囲気を感じない。
「あー、えっと、ごめん!突然すみません!それには、理由があって…聞いてもらってもいいですか?」
照れた様子の篠原が、慌てて説明するのには、こういうことだった。
篠原の母方の実家では、おばあさんが田舎の実家で、一人で住んでいるそうだ。
小さい頃に、とてもよく可愛がってもらっていたが、どうもここ最近、体調が思わしくないらしい。
「大丈夫なんですか?」
心配になって聞くと、篠原は苦笑して返した。
「年相応ではあるんだよ。」
口を開けば、お嫁さんはどうなっているのか、と聞くので、彼女を連れていって、安心させてあげたい。
けれど、今、自分にはそういう人はいない。
困ったところに、ちょうど、すみれと休みが合いそうだと知って、声をかけてみた。
「それに、チームは、違うけど、葉山さんは信頼出来る人かなって、見ていて思ったし。」
そうやって、一生懸命話しながら、説明してくれた篠原だ。
本当に、恋人になる訳ではない、と知って、逆に納得したすみれだった。
そうだよね、こんなに素敵な人が、告白、なんてあるわけない。
そして、すみれは困っている人を放っておける性格でもない。
「…というか、篠原さん、むしろ、私で大丈夫なんですか?」
「葉山さんだから、お願いしたいんです!」
思ったよりも、真剣なその表情に、一瞬、すみれはどきん、としたけれど、篠原はとても優しいおばあさん思いの人なんだな、と感じて、
「私で良ければ。」
そう、答えたのだった。