第九十四夜:『幸せ工房』社
今、『幸せ工房』社のルアーをチューニングしています。
『幸せ工房』という名の釣り具メーカがある。
まだ同社がまるで無名だった時代のこと、発売されて僅か3日目のルアーが、JBTA(当時)トーナメントのウィニングルアーとなり、たった1日にして一流メーカの仲間入りを果たしたという、ちょっと珍しい発展の仕方をしたメーカである。
※JBTA:Japan BASS Tournament Association (まあ、日本では当時最高峰のバス釣り大会)
実は私ヤナギの勤める会社も、創立したその年に未曽有の天災、関東大震災が起き、1日にして火事場泥棒的成長を遂げた会社で、そんな奇妙な一致もあり、この『幸せ工房』社には何だか変な親しみを抱けたのである。いや、火事場泥棒的は、少し言葉が悪かった。
この『幸せ工房』社を発展させたJBTAウィニングルアーの当時のコンセプトは(ダウンサイジング)。画期的なコンパクトさでありながら製品誤差は皆無、見事なジャストサスペンドルアー。当時、一部のマニアックなアングラーのみが、既存ルアーを自らチューニングし、シークレットベイトとしていたサスペンドルアー。立ちはだかったであろう数々の困難を克服し、業界で初めてサスペンドルアーの量産化に見事成功した。これぞメイド・イン・ジャパンと、このルアーを使った誰もが、日本人であることを誇らしく思える程、完成度と実釣能力の高さは、それはもう凄かった。
私は、この『幸せ工房』社の製品をずっと溺愛していた。分かり易いごく最近の例を挙げよう。
シーバスフィッシングを始めたいと言う年下の友人に、まず私は、3種類のルアーを勧めた。そのうちの2種類が同社のルアー。バチパターン真っただ中の2019年5月のこと。同社の某バチパターン用ルアーを投げながら、私は熱く語ったものだ。
「いま投げてるルアーは、『ふらつく』という名称だけど、プロトタイプのコードネームは『ゴンベエ』でね、それは名無しのゴンベエが由来。まだその当時はシンキングペンシルなんてカテゴリーすら存在しなかったんだよ」
日が昇り、ルアーを付け替えた後、また私は語る。
「こいつは“湾岸部最強”なんて謳い文句だけど、本当に最強かも知れない。どこのフィールドに行くときも、最低3個は必ず持って行くね。でも元々はバス用のサスペンドルアーで、『止まれ!!』ってのが、名前の由来。でも、その動きがあらゆるフィッシュイーターに有効ってことで、ソルト用にヘビーウェイトチューンされたのが、まさにこのルアーなんだ。シンキングになっちゃったから、『止まれ!!』ではなくなったけど」
その友人に、(以前ヤナギさんはそのメーカに勤めてたんですか?)と真面目な顔で質問されてしまった。
さて、この2019年にシーバスフィッシングを始めたこの友人と、久方ぶりに釣りに出掛けた。すでに桜も散りきった2020年4月前半。ターゲットはもちろんシーバス。
途中、釣り道具屋でルアーを買い足しておきたいという友人。
去年の好釣果がよほど印象深かったのだろう。彼は、“湾岸部最強”ルアーの色違いを2個、迷わずレジに持って行った。
まだ夜が明け切らない時間帯からキャストを開始。
本音は私も“湾岸部最強”に先発を任せたかったのだが、友人の方が真っ先にこのルアーを糸の先に結んだため、今期はあまりはっきりと威力を発揮するには至っていないスリム型バチパターンルアーを、半ば仕方なく私は投げることになった。
やはり複数での釣行の場合は、それぞれ違うルアーを投げてみて、その日のヒットパターンを協力し合って見つけ出すべきなのだ。
お互いルアーを20投くらいした頃だろうか、友人の引いてくるルアーが、かなり大きく蛇行して泳いでいることに、まず私が気付いた。きっと今日買ったルアーをパッケージから出したまんま、糸の先に結んだのだろう。周囲が白み始めて、ようやくそのことが分かった。
「ちょっとバランスが崩れてるね。トゥルーチューンしとこうか」
トゥルーチューンとは、製品誤差などによって偏って泳いてしまうルアーを矯正する手段の一つなのだが、一般的にはアイという糸を結ぶ部分をペンチで弄って行う。
軽くペンチで処理を施し、(これで使ってみて)と投げさせる。しかし、ルアーの動きの偏りは収束しない。というか、偏って泳いでいるという次元のバランスの崩れ方でない。
超のつく専門的な内容になって申し訳ないのだが、重心移動システムを搭載しているルアーが、キャスト時の位置のままウェイトが張り付いてしまうと、たまにルアーはこんな動きになる。著しい後方重心となり、ボディ前部のリップが全く水を噛まないのだ。
「なんか去年買ったのと動きが違うような気がしますね」
経験の浅いこの友人も、さすがに異常に気付いたようだ。
「なんかウェイトのバランスがおかしいみたいだね」
製品誤差の範疇を大きく逸脱した不良。今時のアメリカンルアーでもここまではっきりとした不良は珍しい。しかも、あの『幸せ工房』社のルアーなのだ。私的にはそのことがちょっと考えられない。
「これはちょっと使い物にならないな。もう一個買ってたよね、そっちを使う方がいいかも。申し訳ないけど」
申し訳ないって、私が謝る道理もないのだが。
友人はそこには反応せず、特に不満を表すでもなく、すぐにルアーを結び替えた。
こちらの方のルアーは、ちゃんと泳いだ。逆に言えば、最初に友人の使ったルアーの蛇行が、決してそれを狙った訳ではなく、製品不良に因るものであることが証明されてしまった。
結局この日、二人ともシーバスのバイトを捕えることはできなかった。
私にとっては、今年初めてのノーフィッシュ釣行となってしまった。
その翌週は、私だけの単独釣行となった。前週のリベンジを期したシーバス狙い。
前日に、私は会社帰りに大手釣り道具屋に立ち寄り、“湾岸部最強”ルアーを一個買い足していた。どうしても必要という訳ではなかったが、前週のショッキングなあの出来事が気になっていたのだ。
夜が明け始めた4時過ぎ。新品の“湾岸部最強”ルアーを結んで第一投。軽やかにルアーが飛んでいく。それもそのはず。今、私が使っているタックルは、このフィールドで、このルアーを投げんがためにセットしたタックルなのだ。試行錯誤の末たどり着いた自信のセッティング。
着水後、リトリーブ開始。んっ?ルアーの発するウォブリングが竿に伝わってこない。ルアーがスライス状態で帰ってくる。エビっているのか?いや、そうじゃない。一週間前に見たあの現象と一緒。全くリップが水を噛んでいない。ほとんど絶句。
どの章だったか書いた本人も忘れてしまったが、(大丈夫か?物づくり大国ニッポン)てなコメントを、いつぞや私はしたはずだ。同時に、(それでも日本の釣り道具は素晴らしい)とも書いた。ああ、それなのに・・・しかも、しかも・・・あの『幸せ工房』社・・・
蛇行してしまう“湾岸部最強”を回収する。アイに付いているのは、従来の丸形スプリットリングの欠点を解消したオーバル型リング。確かこの形状のリングを最初に導入したのも同社であったはずだ。
不良の原因をしげしげとルアーを見詰め考える。
ルアーの重心位置は・・・問題ない。
フック用アイが歪んでいないか・・・これも問題ない。
リップが歪んで埋め込まれていないか・・・特に異常は見当たらない。
(あっ!)
原因が分かった。アイだ。リップに埋め込まれているライン用のアイだ。
これが深く埋め込まれてしまっているため、スプリットリングが自由に動けない状態だったのだ。
原因は分かったものの、いまウエストポーチに入っているペンチとヤスリではどうにも応急処理できない。今日に関してはこの新品のルアーに戦力外通告を出さざるを得ない。
結局その日は空が明るくなってから、これも定番のソルトバイブレーションでセイゴクラスのシーバスを一本だけキャッチし納竿としたのだが、二週に渡って立て続けに発見した『幸せ工房』社ルアーの不良が、日本製品の行く末を暗示しているようで気になって仕方がなかった。
今回、是非とも『幸せ工房』社には、思い返して欲しいと思う。
30年近く前、あの僅か3.5グラムのサスペンドルアーを量産化させた先人の苦労と拘り、そして情熱を・・・
この時、私の頭に2人の古きアングラーの顔が浮かんだ。
琵琶湖バスフィッシングのご意見番であり、同社の頑固なアドバイザーであった下〇プロ。
そして『幸せ工房』社の実質的な開設者であり、昨年は精力的に海外のトーナメントにも出場された、現役バリバリのKプロ。
私の記憶が確かなら、それぞれ今、67才と60才になられたはずだ。
時代遅れと言われようと、周りから煙たがられようと、こんな職人気質の頑固者が、今の日本には必要なのかも知れない。
そして自分も、若い社員からは、ともすれば煙たられかねない年齢となったのだなと思った。それでも、もうしばらくの間だけ頑固を貫き通そうとも考えた。多少、周囲に煙たがられようとも。
※下〇プロ、Kプロよりは大分若いです。ヤナギは。
それにしても、いい会社名だ・・・『幸せ工房』
『企業の存在価値は世の中への貢献』
かのピーター・ドラッカーの言葉。
自社が世に提供するべき価値を明言している会社名だと思う。
だからこそ、益々の精進と改善を望む。




