第九十一夜:釣り人の後ろ姿
コロナの影響が出てきました。
釣れてるアングラーは、その背中で分かる。
また、何言ってんねん!ヤナギは・・・って感じだろうけれど・・・でも事実分かるのだ。
バスフィッシング界の大御所“IK”が、(沢〇プロほど、こいつはヤバい、そう思わせるアングラーは古今東西いなかった。背中から漂うオーラが昔から特別だった)なんて雑誌か何かで数年前に語っていた。オーラという表現が正しいかどうかは別にして、釣れているアングラーの後ろ姿は、確かにポジティブな何かを醸し出しているものなのだ。
そして逆もまた真なり。釣れていないアングラーの背中は、やはり釣れていないことを、とても正直に語ってしまう。
だから先行していたアングラーに、(釣れてますか?)なんて声をかけるのは、釣り人同士のただの挨拶。尋ねるまでもなく、そのアングラーが釣っているかいないかは、大凡の見当が初めから付いているものなのだ。見るからにキャストが下手くそだとか、いい道具を使っているだとか、一目見て分かること以外に、この不思議な感覚と感性は、確かに存在する。
それは先々週の日曜日早朝のこと。夜通しある釣り仲間とメバル釣りを楽しんだその帰路、ちょっとだけホームフィールドである芦屋漁港の様子を見て帰ろうと立ち寄った時、シーバスロッドを振る一人の地元アングラーの背中が、(釣れていないよ)と、はっきり語っていたのである。
日頃から、この界隈ではよく見かけるアングラーで、私の目から見ても腕は確か。
時間は朝の7時過ぎ。この時期、このポイントで、その時間帯なら、このアングラーの釣技を持ってすれば、まだ暗いうちにバチパターンを攻略し、何本かのシーバスをすでにキャッチしているはずと考える方が、まあ確率的には高いのだ。
それでも私は自分の予想に確信が持てた。きっとこのアングラーは魚をキャッチしていないだろうと。その根拠は、そのアングラーの後ろ姿が醸し出すネガティブな何かとしか表現のしようがない。
車を停め、そして近づき、こちらに気付いたその人にペコリと会釈をした後、ソーシャルディスタンス、いやフィッシングディスタンスを保って横に立つ。
小さく(おはようございます)という声が届いた。(釣れてますか?)というような声を、私は掛けない。
この時期には定番であるスリムシェイプのミノーを投じる動作に、どこか覇気が感じられない。もちろん下手な訳ではない。それでも、それでも何となく釣果を上げているアングラーのキャストではないのだ。何かがそう感じさせるのだ。
しばし沈黙の時間。その間に10回程度ルアーが海面を飛んでいき、そして何事もなく戻ってきた。二人の黙する時間が何かの許容を超え、ついにこの覇気のないアングラーの口からぼそりと言葉が漏れた。
「今日から務めてる飲食店が臨時休業なんですわ。これまで行政の要請を無視し続けてたんですけどねぇ」
普通の人は意外に思われるかも知れないが、釣り人同士というのは、あまりプライベートな情報についてお互い多くを語らない。この釣り場で、10年近くに渡り、ほとんど毎週のように顔を合わせている83おじさんやラブラブおじさんの名前すら、私は知らない。釣り人同士の関係とは総じてそんなものなのだ。よって、おそらくは60才間近と思しきこのアングラーの職業なんぞは、私としても初めて聞いたことになる。
軽々しく、(じゃあ、毎日釣りできますね)なんて冗談を返す気分でも雰囲気でもない。
「あいつら、どんくらい給料貰ってるんでしょうね?」
「あいつらとは?」
「休業要請を出してる奴らですよ。お恥ずかしい話ですがね、わし達なんかの仕事は、2週間休業が続いたら、もう完全にアウトですよ。要請が出ても変わらず店を開けているパチンコ屋なんかが、今えらく叩かれてますがね。叩いてるやつらに聞きたいですね。お前ら、いくら給料貰ってるんだって・・・」
何だか関わってはいけないタイミングで、このアングラーの横に立ってしまったようだ。
「店を開いてコロナが拡散するってのは、飽くまで可能性でしょ。対策の仕方だって無くはない。もし運悪く感染したって、重症化する確率も100%って訳じゃない。でも2週間店を閉めれば、わし達の死は100%やってくるんですよ」
(ご愁傷様)という言葉は絶対に違う。(それでも頑張っていきましょう)も何だかKYこの上ない。一生懸命に言葉を探すが・・・なかなか見つからない。こいつは弱った。
「ベイト兄さんは、大きな企業に勤めてはるんでしょ?」
私がここらのアングラーの間で、(ベイト兄さん)と呼ばれていることを、この人が知っていることが少し意外だった。まして務めている会社の情報なんて、一体誰から聞いたのだろう。それを問うてみたい気もしたが、そんなことはせず、(ええ、まあ)と相槌程度に答えた。
「大きな企業に勤めはるってことは、ええ学校出てはるんでしょうねぇ。若い時分はけっこう勉強もされたんでしょ?」
何と反応していいか分からない。どんな言葉を並べるのが正解なのか、皆目見当も付かない。それでも、ここは四半世紀にも及ぶ営業マンキャリアから、決して無関心な印象を先方に与えず、相手の次の言葉を待つというテクニックが、多少私にはある。あざとい様だが、時間と会話の流れに、この閉塞を解決してもらおうという魂胆なのだ。表情だけで小さい反応を返す。
(心中お察しします)
そんなところの印象を、私の表情から相手が読み取ってくれれば、ほぼ満点だ。
「ベイト兄さんが、中学高校と一生懸命勉強されて、でっ、きっと大学も出られた。そして大きな企業に入っても、そこがゴールって訳じゃない。きっと出世競争とかノルマとかあるんでっしゃろ。それってきっと人生の半分というか、大部分というか・・・要は、ベイト兄さんは、これまで命懸けで、世の中がこんな事になった今でも、何とかやっていける環境を、努力でこしらえた訳じゃあないですか。それこそ命と時間をかけて・・・」
何とも答えようがない。大学は確かに出ているし、大企業に勤めているというのも、世間一般の判断基準に照らせば、まあ事実なのだ。二週間会社が休業ってことになったとしても、まあ、私自身、失業したりはしないだろうと思う。多少給料は減るだろうが。
「金は命より重い・・・なんてことは言いませんがね、金がないと命が繋げないのも事実なんですわ。わしらのような仕事は。そう考えると、金と命は同じ価値ってことになりません?」
それは少し違うと思う。金と命が等価なのではなく、きっとこの人が言いたいのは、金は命の必要条件ということなのだろう。でも、そんな数学的定義の話をするのは、いま交わしているやり取りの本質じゃない。
このアングラーの横に立ってしまったことを、心底に私は後悔する。こんなことなら、まっすぐ家に帰ればよかった。
「やつら、いくら給料貰ろてはるんでしょうねぇ、ホンマ」
やつらと言うのが、総理大臣のことを意味しているのか、はたまた大阪府知事のことを指しているのか、それとも兵庫県知事のことなのか、私には分からない。
「わしらの給料が3分の一になった。だから自分たちも給料は3分の一でええです・・・って、そんな知事や政治家なら、わしらも従いますわ。でもそうやあらへんでしょ」
総理大臣や東京都知事の給料は知らないが、大阪府知事の給料は、以前どこかで聞いた記憶がある。確かボーナスも含めて年間2000万円強だったはずだ。意外とそんなものなのかとその時には思ったが、仮に3分の一として約700万円。飲食店に務めているというこの年配アングラーの年収は、たぶんもっと低いのだろう。世が普通の状態で。だから何も言い出せない。
「どこの国やったか、80才以上でコロナに感染した人には、人工呼吸器を付けへんてのん、あったですやろ?まだ先の長い人が優先って。あれって変なんやろか?意外とわし、そうは思わんのですわ」
そろそろ何か、慰めなり、同調なりできる言葉を発してあげたいとは思うが、もう私の知見や処世術ではどうにもならない。黙ってこのアングラーの言葉を聞く。(心中お察しします)って表情を決して崩さずに。
「わしにはもう両親もおれへんさかい、こんなことが言えるんやろけど・・・もし、このコロナが原因で、高齢者・・・って、学の無いわしは、その定義すら知らんけど、高齢者が20%くらい死によったら、一片に解決すること、いっぱいある思いません?年金の問題とか福祉の問題とか・・・いや、不謹慎なこと言うとるとは思うんですわ、自分でも。でも、自分で言うからには、仮に自分がそうなっても、文句は言いませんわ」
分かっていながら、私は問うた。ただ会話を接続するための時間稼ぎである。
「自分がそうなっても・・・というのは?」
「そのままですわ。自分が死ぬ側にまわることになってもってことですわ。こんなん、言う人間の方が異常なんですかね、それとも皆そう思ってて、口にせえへんだけですかね」
何とも言えない。何とも言えないが、この問題を単純な算数の問題と考えれば答えは明らかだ。
今の労働者層が、高齢者医療費や年金の負担全てを賄うには、もう限界が来ている。そう言う意味では、日本という大家族の収支はすでに破綻している。そんな家族構成なのだ。そう思っても、私はそのことをなんと表現すればいいのだろう。今回のコロナショックが人類も含めた生態系全体のバランス調整のため、天が人に与えた試練だとでもいえば、この人は納得するのだろうか。
脳みその一部で、このアングラーに掛ける可もなく不可もなしという丁度なあんばいの言葉を探しながら、もう一部の脳で、このコテコテの関西弁のオジサンとの以前の会話を思い返していた。そして思い出した。それは確か去年の秋口。大量にこの湾内に、エイが入ってきた頃のことだ。その時のことを思い出しながら・・・
「去年の秋口、僕らがハマチ釣ってる横で、確かベトナムの人とかが、エイを引っ掛けて釣り上げてたじゃないですか、覚えてます?」
なぜこの話題を口にしたのか、自分でもその発言論理が判然としない。
しないが、もう口にしてしまったのだから仕方がない。
「ああ、覚えてます、覚えてます。デカいナイフで捌いて、分厚いステーキにしてクーラに入れて持って帰ってはりましたねぇ、美味いんかいな、エイの肉って話、ここでしましたなぁ」
このアングラーの関西弁が耳に馴染んでくると、それに連れて以前交わしたはずの会話も湧き出すように鮮明に思い出せてきた。記憶を手繰る活動が一気に活性化する。確かその前の年も・・・
「一昨年かな、サバが凄かったじゃないですか。ここら一体サバのボイルだらけになって・・・水面も見えないくらい」
「ああ、それも覚えてますわ。凄かったですな、あの年のサバは。釣れたサバを全部缶詰にしたら、一年くらいは喰うもんには困らんって話しましたな」
私もはっきりと思い出した。そんな四方山話を、このアングラーと正にこの場でしたことがあるのだ。
「年がら年中食事がサバでも、そうと割り切れば僕ら釣り人は喰っていける。要は生活レベルの問題って話でしたね。今日でも、一本シーバス釣って塩漬けにしとけば、60センチ級なら2週間分くらいの食糧になりますよね。自分の釣ったシーバスを冷凍庫から一切れ出して、炭火で焼く。白米と焼き魚、これにみそ汁の一碗でも付けば、考えようによっちゃあ、それってすごい贅沢ですよね。僕はそんな老後、少し憧れちゃいます」
「あ~~なるほど・・・やっぱ、学のある人はええこと言いはるわ。釣り人だけの贅沢なや、それ。ほな、何としても今日はシーバス釣らなあきまへんな」
「はい、こんな時だからこそ」
「そう、こんな時やからこそ」
本当に雰囲気、ただの雰囲気なのだけど、少しだけ、このアングラーのキャストに力強さが宿ったような気がした。
チャンスはある。この年配のアングラーにとってのシーバスをキャッチするチャンスである。チャンスである。私にとっての、この場を退散するチャンスである。
「じゃ、僕はこれでお暇しますわ。夜通し釣りしてたもんで・・・」
「ああ、そないですか。お疲れさんです。ああ、それと・・・」
「はい?」
「ベイト兄さん、大学出てはるんでっしゃろ?」
「ええ、まあ」
「将来この辺りで缶詰工場でも立ち上げてくれんかな。兄さんの会社のために一生懸命、サバやとかサゴシとか釣らせてもらいますわ、わし。そや、それがええ。兄さんなら絶対できる」
(私ならできる?何を根拠に?)とも考えたが、益々そのキャストは力強さを増していったことが、私には少し嬉しかったし、ほっともした。もう少し見ていたい気もしたが、引き際は肝心である。
「じゃあ、僕は帰りますわ。ご健闘を」
「当たり前やん、二週間分の食糧やで」
車に乗り込む直前に、一回だけ振り返ると、そのアングラーの背中が語っていた。きっとシーバスは釣れるだろうと。
(将来、この辺りで缶詰工場をねぇ・・・)
少しだけ、そんな自分の未来も考えてみた。できるかできないかは別にして、悪くない将来だと少し思った。




