第九夜:三途の川が海水だったらいいのに
またもや父の話・・・
最近やっと実感が。
49日とはよくいったものだ。
それがどこのフィールドかは判っていない。
釣り場を求めて、竿を出せるところを僕達は探しているようだ。
たくさんの釣り人が先行していて、なかなか場所が定まらない。
歩きながら探している。
父が僕の横に並んで歩いている。
言葉を交わしているのかいないのか、それが判然としない。
暑くもなく寒くもない。季節感という概念が全くない。
辺りは暗いが、暗闇という訳でもない。
竿から垂れている糸の先には、エサのオキアミがついている。
それが判る。
よく父が、万能エサと評していたものだ。
僕はエサ取りに弱く、匂いも強烈なこのオキアミが好きではなかった。
そもそもエサ釣りにはあまり興味がなかった。
専らルアー釣りを僕は愛した。
逆に父はエサ釣りしかやらなかった。
場所さえ見つかれば、すぐに釣れそうな気がするが、その根拠はない。
僕の竿はなぜかエギングロッドである。
エギングロッドでエサ釣りをすることはあり得ないが、なぜかそのことに矛盾を覚えていない。
あれ?父の竿はどこにある?
ごそごそ車のトランクを探ると、一本竿が出てきた。
随分歩いたはずなのに、振り返るとそこに車があった。
見慣れない車だが、何故かそれが自分の車だと僕は判っている。
この車は、将来僕が乗る車だなと、変な納得の仕方をしている。
「これはヨシヒロの竿だな」
父がその竿が弟のものだとそう言う。
これも実はおかしい。
弟は釣りをしないのだから。
それでもこの事を少しもおかしいと僕は思っていない。
どうやら弟も近くにいるようだ。
一緒に来ているのかも知れないが、その姿は見当たらない。
僕は淡水での釣りもするが、父と来ているので、ここは海のはずだ。
父は淡水での釣りをしないのだから。
でも何となく雰囲気はため池のような気がする。
そして根拠もなく、それが神戸市北区のような気がする。
色々とおかしなことがあるが、その事を僕は全然不思議に思っていない。
父が寝ている。
さっきまで一緒に釣りのできる場所を探していたはずだ。
でも今、僕の横で寝ている。
そのことが少しも不自然だとは感じない。
父が何か言おうとしている。
(どうした?)
と僕が問う。
微かな声で、(帰りたい)
そう父がいう。
(そうか、帰りたいか)
帰りたいというその場所が、一体どこなのか判らない。
それでも何故か判ったふうに優しい言葉を僕が掛ける。
(あそこには○○がいるから)
○○が聞き取れない。
○○が誰のことなのか、それとも何の事なのか、全く判らない。
判らないが、それでも妙に納得して(そうか、そうか)と僕は言う。
もう一度、(そうか、そうか)と僕が言うと、父はそのまま眠ったようだ。
暫く父の寝顔を眺めていた。
うっすらと父の目に涙が浮かんでいるようだった。
目が覚めた。
2月だというのにびっしょりと汗をかいていた。
夢を見ていたのだと悟った。
不思議な夢だったが、先月他界した父が、初めて夢に出てきた。
きっと父が枕元に立ったのではない。
断片的な僕の記憶が無秩序に繋がって、そのような夢になっただけなのだろう。
父がオキアミというエサを好んで使っていた記憶。
釣りではないが、弟と車で出かけた記憶。
一時期住んでいた北区の街並み。
入院中よく自宅に帰りたがった父の声。
穏やかだった父の死に顔。
スピリチュアルなものを、僕は全く信じない。
それでもこの夢は、三途の川での釣りに、父が僕を誘ったのかなと、そんなふうに思えてきた。
釣り場が見つからなかったのは、きっと僕がそこで釣りをするには、まだ早すぎるということだろう。
三途の川は、実は海水が上がって来ていて、父がそこで釣りができればいいのにと思った。
今は一緒に付き合うことはできないが。
少し目が開きづらいと思ったら、涙が乾いて少し塩が浮いていた。
枕元の時計をみると、アラームがなる7分前だった。
もう起きるとしよう。
今日は忙しい一日になる予定だ。