第八十二夜:禁断のゲーム(8)
ルアー(LURE)とは何なのか?それを探求する元魚学者と僕の実験の歴史です。
6月最終週の日曜日、滋賀県西の湖の上空は曇天模様。
5インチシャッドテールワームテキサスのマキマキ釣法が、この日爆発した。
バイトの数は10回以上。重い方から数えた5匹の総重量は4700キログラム。うち1本は50アップのビッグフィッシュだった。僕自身、西の湖で釣る2本目の50アップ。
仮に僕たちが、同日に開かれたJBⅡトーナメントに出場していれば、そのウェイトは第4位の成績に相当した。参加者は42人。いわゆるバスプロと呼ばれる連中を相手取り、この順位。アマチュアアングラーの僕たちにとって、それは完全勝利と呼んでいい結果だった。
こう言っては身も蓋もないが、釣りの成績なんて、何が良くて何が悪かったのか、釣り人の側が、結果から勝手に帰納法で理屈付けるしかない。だって魚の気持ちを人が理解できる日なんて、永遠に来ないのだから。
さて、僕がこの好釣果を分析したとするなら、すなわちこうだ。
・産卵の疲れから回復したバスは積極的に餌を追う状態にあった。
・バスの餌となる小魚は、沖まで伸び始めたウィードのアウトサイドに付いていた。
・曇天という天候により魚は浅いレンジに浮いていた。
・小魚の動きと大きさに、5インチシャッドテールの横方向の動きがマッチした。
これにBの意見を付け加えると、さらにこうなる。
・餌となる小魚(今日の場合はハスの子)が泳ぎ出すときに発生する周波数は、およそ12~15ヘルツ。
・シャッドテールワームのテールが上記の周波数を発生する速度が、中速マキマキ。
・元々濁りの強い西の湖では、ルアーの色(これも厳密には反射された光の周波数)よりも、ルアーが動くことに因って発生する水流の周波数の方が、遥かに重要なファクターだった。
・本当はもっと早巻きで、同じ周波数を発生できる釣法があれば、もっと効率の良い釣りができたはずだが、タックル(この場合、リールの速度)と、人間側の都合(僕の体力が持たない)の問題から、それができなかった。
なかでも、(色も厳密には周波数)というBのコメントは興味深かった。
赤が最も周波数が低く、紫が一番高い。高校時代に習得したはずの知識であるはずなのに。
(ウォータメロンカラーは水に馴染んで、グリーンパンプキンはそれよりは若干目立つ。水面を攻める場合、黒いルアーが一番シルエットを明確にする。白っぽい色は水中で膨張して見える。)
ルアーの色の概念を、この程度に捉えていた自分に少し反省する。
「それは色というより光の透過率だな」
素直に反省の念を口にした僕に、Bはそう説明した。
すなわち、光を全て吸収してしまう黒色は、そのシルエットを水面で浮かび上がらせ、かなりの光りを透過させてしまうウォーターメロンは、水中ではあまり目立たない。言い方を替えれば、水によく馴染む。そしてその中間がグリパン。そんなところだというのだ。
「赤、紫、青だな」
そんな風にBは付け加えた。
「最も周波数が低いのが赤、反対に周波数が高いのが紫、そして中間の青。そんで、それぞれの色に透けるような感じのものと、透けないやつとを持てば、まあ色というファクターでの傾向と対策は掴めるだろう」
このBの言い分だと、透け具合を無視すれば、色はたった3色でいいという訳だが、それはいくら何でも荒っぽ過ぎはしないか。またベースが同じ色でも、例えばラメが入っていてキラキラ光るようなやつとかはどうなのだろう。ワームにラメを練り込む意味はないのだろうか。
「そこまで深く考える必要はないだろう。パンフィッシュの可視領域は人間よりずっと狭いし、識別能力も劣る。もうお前は忘れてるだろうけど、俺の作った数式な、色の要素とはすなわち、光の透過量だったろう」
そう、今回のこの壮大な実験を開始するにあたって、Bはルアーの魅力度を数式化する試みから始めた。そしてその数式には、はじめは色という要素が含まれていなかったのだ。それよりも“匂い”と“魚との距離”をBは重要視した。バスは人間ほど色を識別できないのだ。生物学的に。
一度Bを釣り道具屋に連れていった時のこと、色とりどりのルアー群の前で、Bは堂々と口にした。
(釣り道具屋のただの商魂だな)
同じワームの色違いを複数パック購入している客がいる前での遠慮ないBの一言。これには、僕も少し肝を冷やした訳であるが、元学者の言う(生物学的に)の意味するところは大きい。
僕的には、ほとんど祝勝会という感じの居酒屋での夕食時、ずっと釣りをしながら疑問に思っていたことをBに問うてみた。
「お前の言っていた“匂い”って要素は一体どうなったのさ?」
第1戦でAが、ドバミミズを餌にしたのは、このBが最も重要視していた“匂い”というファクターを前面に押し出した戦術だったはずだ。ところがその日、Aの釣果が平凡なものに終わって以来、Bがこの“匂い”について深く言及することが少なくなった。そのことが僕には疑問だったのである。
鼻を鳴らすような偉そうな顔で、Bが言う。
このBという男、滅多なことで自らの非を認めたりしない。
「魚類の餌として一番重要な要素は、誰がなんと言おうと匂いだ。それは事実だ。今も昔も、これからも変わらない。・・・普通はな・・・」
(普通)という箇所で、微妙なイントネーションの変化をB付けた。
そこに僕は強く反応する。
「普通っていうのは?」
「そのままさ。トーナメントって呼ぶの?こんな感じの釣りの大会で魚を釣るということそのものが、普通じゃないということさ」
Bの言うことが、僕には分かる気がした。すなわち・・・
「お前、以前も言ってたよな。ボートの爆音が云々って」
つまりBが“普通じゃない状態“というのは、ボートの音なんかも含めた、釣り人がフィールドに与えているフィッシングプレッシャーを意味するのだろう。
「まあ、それもある」
おや、なに?それ以外にも何かあるのだろうか。かなり僕的には確信があったのだが。
Bの反応は微妙だ。そしてこちらが問うまでもなく、Bが口を開く。
「一番は・・・時間だな」
Bの言葉は総じて短い。そのたびに僕は、(もう少し詳しく説明しろよ)と思うのだが、奴は奴で、(お前こそ察しろよ)と思っているのだろう。
そんなBの話し方を、僕は決して嫌いじゃない。時に、その短い言葉の中に、物事の本質が(ぎゅっ)と詰め込まれたような物言いを、こいつは確かにする。
簡単なことをやけに難しく喋る輩は、僕の周りにも少なからず存在するが、難しいことを簡単に表現するという稀な能力を、このBは間違いなく有している人種なのだ。
このあたりが、さすが元学者だ。
僕は表情だけで、その先の説明を催促する。
(そうかい)という顔をしてBが続ける。
「極めて単純な話だよ。野生の動物が餌を捕る時間ってのは、本当に限られてる。てか、お前たちが考えている以上に短い。特に魚類はな。だから奴らは餌を丸のみする。噛み潰す時間さえ惜しんで素早く食事を済ます。それが野生ってものだよ」
一つひとつの言葉の意味は分かるが、Bは何を言いたいのか。いつの間にか僕はテーブルに乗り出すような姿勢になって、Bの次の言葉を待っていた。
そんな僕の催促に、得意げな顔でBが続けた。
「今日の釣り大会、開始時間が7時だったよな。でっ、終了が2時だ。こんな時間帯は、本来は野生の動物が餌を捕る時間じゃない。人間だってそうだろ?一日の食事時間なんて、トータルしても、せいぜい2時間かそこらだ。昔の人はよく言ったものだ。早飯・早グソ芸のうち、タラタラと飯を喰い、いつまでも糞を垂れてるヤツなんざぁ、核戦争が起きて文明が滅びてサバイバルな状況になったら、真っ先に死ぬ」
世間と斜めに向き合ったような、何ともBらしい表現だと思うが、それで?
「野生の魚が餌を捕るの・・・いや、餌というより食事と言った方がいいな。野生の魚が食事をするのは、日の出前後の1時間と、日没前後の1時間だけだ」
出た!これぞBの物言いという断言口調。しかし、これには多少異議がある。
いくらなんでも、それは元学者の融通の利かなさと思い込みではないだろうか。
「でも、昼間だって、ちゃんと魚は釣れるぞ」
「ああ、釣れる。昼間でも餌は捕る。でも、それは人間で言えば、ちょっと小腹が空いた時に煎餅をかじるようなもんさ。餌じゃなく食事と言い直したのはそういう意味だ」
そういう意味と言われても・・・そろそろ結論めいたことを僕の好奇心が欲してきた。
「つまり?」
「俺が、単純にバスという魚を捕獲するなら、まだ空が暗いうちに、ドバミミズを餌にした仕掛けを仕込んどく。はえ縄漁みたくな。でっ、日が昇って2時間に回収すれば、今日の優勝スコア、だいたい6キロくらいだったっけ?それくらいは普通に捕れる。まあ100%ってことはないが。運って要素もあるしな。先にコマい魚が餌を喰っちまったりしてな」
「ふ~~ん、でもそんなに上手くいくかね?」
「回数を重ねれば重ねる程、ちゃんと統計的な結果は出るよ」
Bは自信たっぷりだ。確かに説得力は感じる。でも・・・
「でも、それじゃあ釣りというより只の漁になってしまうなぁ」
「そう、そこだよ!」
これまで柄になく静かに話していたBが、突然身を乗り出し大声を上げたので、僕は危うくウーロン茶がなみなみと注がれているグラスを落っことしそうになった。
「それがこの釣り大会の本質だ。つまり本物の餌でも釣り難い状況下で、ルアーなるものを使って、決して食事がしたいとは思っちゃいない魚をどうにか釣り上げる。そんな腕を競い合ってるんだ。奴らは・・・」
何だかBの興奮は、こっちが驚くような急な立ち上がり方で頂点付近に達したようだ。
やはり常人とはスイッチの付き所が違うのだ。
興奮している自分にやや興が冷めたのか、それとも照れ臭かったのか、浮かしていた腰を一旦下ろし、Bは腕を組んだ。その後、Bの口から発せられた言葉は、飽くまで静かだった。
「俺としたことが、今まで誤解していたかも知れん。いかに本物の餌にルアーを近づけるか、それがルアー釣りの本質だと思っていた。でもルアー釣りとは、実はそういうものではないのかも知れない」
釣りに関しては素人の、Bのそんな言葉に、僕は少しドキっとした。
ルアーフィッシングの本質に触れることになるかも知れない考察の入り口。
これまでも少なからず興味を抱かせるBのコメントはあった。
腹の立つこともあったが、それでも元学者の宣うことには、いちいち説得力があった。
「初めて一緒に釣りに出た日な、ちょっと驚いたのが、あれだよ、あれ」
出た、元学者の代名詞口撃。
「あれじゃ分からん、あれじゃ」
全くいつもと同じ僕の返事。
「だからあの針金とプロペラで出来た、あの変な黄色いやつだよ」
針金とプロペラ?黄色いやつ?ああ、もしかしてBは以前僕が、西の湖の葦林に投げていたスピナーベイトのことを言っているのか?
「もしかして、スピナーベイトのことか?」
「すぴなー・・・知らん」
確かに僕も、(これはスピナーベイトと言ってね・・・)なんて優しい説明をBにした記憶はない。
「俺は、その“すぴなーうんちゃら“を見た時、いや、見た時というより泳がした時かな。一体どこのどいつがこんなものを考えたんだと、ちょっと感動したんだよ。普通の感覚の人間なら、もっと餌に似かよったものを作ろうとするはずだ。それが、お前、餌とは似ても似つかないあれだろ。そんなのが水の中で泳がした途端にあの生命感だ。その時、俺は思ったんだよ。これこそが、”THE LURE”じゃないかって」
ルアー(LURE)の歴史は古い。
僕の記憶が確かなら、1800年代初め。
船の上で昼食を取っていたマス釣りアングラーが、誤って湖面に落としたスプーンにマスがバイトしてきたと言う、ルアーの起源に関する逸話は、あまりにも有名だ。
アメリカの、とある湖で起こったこの偶然から始まったルアーの歴史は、何故かその後、ヨーロッパで大きな進化を見せる。ラパラに代表される“ウッド製プラグ“の登場だ。
以前、と言ってもそれほど昔のことではない。せいぜい15年か20年くらい前のこと。
(ラパラのカウントダウンミノーは、他のルアーで代替えは利かない)
そう云われたものだ。
可能な限り水平姿勢を保つ浮力と潜行力の均衡。思いの他おとなしいタイトなウォブリング。先人が、如何に本物の魚の動きに、このルアーの動きを近づけようと苦心したかが想像できる。
決して他では代替えが利かないと言われたこの動きを、よりナチュラルなソフトベイトのジグヘッドリグにアングラーが見出した時、バスフィッシングも、シーバスフィッシングも、そしてメバリングも、一気にアングラーの捕獲率が高みに達した。
「何だか、そのルアーなるものに俺は興味を持ってしまった。まさか一端の釣り人を気取るお前も、“LURE”という単語の意味を知らない訳はないだろう。パンフィッシュの研究者として、”LURE”、すなわち本当に魚を“誘惑する”ルアーを、俺も作ってみたいと思ってるんだ」
このBの一言により、僕たちの禁断のゲームは、一気にその方向性を変えることとなる。




