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百夜釣友  作者: 柳キョウ
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第八夜:癇癪持ちの謝罪

初めての釣り友達は、4つ下の弟だった。

あの時はごめん。

父の通夜の場で、久しく会っていなかった弟と顔を合わせた。


向こうの第一声は、(ひさしぶり)。

私のそれは(お疲れさん)だった。

一昨日から彼は勤め先の会社に休みを申請していて、母と二人で父の最後を看取ったのが今日の朝10時28分。

2時間遅れてかけつけた私との会話である。


父が息を引き取ったその病院が、弟夫妻の住むマンションと比較的近かったこともあり、この二週間は父に関しての一切のことを、彼は引き受けてくれた。

その労務に対しての私のねぎらいの言葉だった。


私が三兄弟の一番上。

二つ下に妹、更に二つ離れて弟。

仲が良いと言える兄弟関係だった。

ここのところ疎遠になっていたのは、単純に仕事のことと、各々が家族を優先した結果なのだろう。


私達がまだ学生の時分、ご近所での私達三兄弟の評判は、(上二人はとても優秀。それよりは少し劣る末っ子)というようなものだった。

学歴や就職した企業の規模を単純に基準とすれば、それはまさにその通りだったかも知れない。

しかし私はずっとこの4つ年下の弟に憧憬の思いを抱いていた。


「理科系人間でなければ社会に貢献できない」


他界したばかりの父の口癖の一つだった。

事実父本人も、非常に優れた設計技師だった。

この父の口癖を疑うことなく、私も妹も理工系の学校に進んだ。

まだ女子が理科系の大学に進学することなど、珍しかった時代のことである。

一方で弟だけが、経済学を専攻した。


中学、高校と私も妹も、卓球部に所属した。

父と母が知り合ったきっかけが、実は卓球だったのである。

その影響であることは間違いない。

ここでも弟の方はというと、中学時代は陸上部で活躍し、高校に上がってからは空手道場に通い始めた。


何かにつけ、私と妹の歩んだ道を選ばなかった弟を、(ちゃんと自分を持っている人間)と私には映っていた。

専門分野以外のことには非常に疎い、典型的な理科系人間の私達と比べて、ちゃんと自分の目と心で、多くのものを見て、多くの事を考え、そして世に学んできたのだろう。

仕事以外のあらゆる局面で、非常に頼りになる弟だった。


葬儀屋の準備する車が、棺を受け取りにくるのは2時間後。

斎場に到着するのは更にその1時間後である。

比較的穏やかな最期であったと聞いたが、それでも酷く痩せこけた父の顔を、いつまでも見続けることは正直辛かった。

そしてどちらともなく、喫茶店に入ろうということになったのである。



「最近釣りには行ってるの?」


注文したホットコーヒーが少し冷めはじめた頃、唐突に弟は私に問いかけた。


「まあ、ほどほどに」


ほどほどというのは月に1~2回という現状の釣行の頻度を表現したつもりだったのだが、受け取る側としては、大変に曖昧な回答である。

多い時には年70日以上も、私が釣りに出かけていた過去を知っている彼は、私の答えをどのように捉えたのだろう。


かなりの部分で正反対と言われ続けた私達兄弟であるが、少なくとも一つ共通点があった。

それが2人とも釣りが趣味ということだったのである。


以前と言うには遥か昔のことだが、よく2人で週末出かけたものだ。

私が小学5~6年くらいの時代だろうか。

移動手段は多くの場合自転車。

その年代の頃には4つの年の差というのは大きく、大抵は弟を後ろに乗せて、体力のある私がペダルを漕ぐ2人乗りだった。


当時頻繁に通った(鵯の池)と呼んでいた農業用ため池まで行くときは、西神戸有料道路を片道10円支払って利用した。

もちろん2人乗りで、である。

当時の道路交通法がどんなだったかは知らないが、本当に大らかな時代だった。


意外にも弟は、私達の釣行の思い出を細かく覚えていた。

西区のため池で私が57センチのブラックバスを釣り上げ、その大きさに2人で驚いたこと。

これも西区のため池で、二人してぬかるみに足を取られ、身動きもかなわず往生したこと。

母の故郷である滋賀県の川で、初めてイモリを見つけ、釣りもそっちのけで捕まえたこと。

免許を取ったばかりの弟の運転で、極寒の東条湖まで遠征したこと。


そのどれもが、言われて見れば思い出すことのできる思い出である。

そんな過去を振り返っているうちに、ある日の出来事を私は思い出した。


それは確か私が小学校6年、弟が2年の時。

初めて私の釣りの誘いを弟が断ったのだ。

これまで一度も無かったそのことに私は動揺した。

当時弟の使っていた竿は、私のお下がりだった。


「釣りにいかない人間にあげたものじゃない。そんな竿ならこうしてやる」


怒りに任せて私が踏みつけた釣り竿は、あっさりと折れてしまった。

弟は無残に折れた竿を見て泣きじゃくった。

初めてみる弟の泣き顔は、私を我に返らせるに十分であったが、遂にそのことについて、謝ることを私はしなかった。


振り返ってみれば、その時は私達二人の釣行ではなかった。

私のクラスメート数人と一緒に行く予定だったはずだ。

4つも年の離れた上級生に囲まれれば、それは気も休まらないだろう。

そんな弟の心境に、当時の私は全く思いを巡らすことができなかった。


「覚えてる?」


そう前置きした後、その日のことを私が話すと、弟は(覚えていない)という。

そんな訳はないはずだが。

その時になってふと、なぜ私がこの弟に憧憬の念を抱いていたかが判った気がした。


当時よく母に、「あんたはヒステリー」と叱られたものだ。

その(ヒステリー)という言葉が、当時は酷い軽蔑の言葉に私には思われ、更に暴れ狂ったものだった。

怒りに任せて実家の壁に手や足で開けた穴は一つや二つではなかった。

要するに私は(癇癪持ち)だったのである。


私をヒステリーと呼んでいた母も、決して精神的に強い人間ではなかった。

特に人間関係を必要以上に気にしていた母は、(○○さんの奥さんが許せない)という様なセリフと共に、よく涙していた事を思い出した。

そんな性格を、妹も多少なり受け継いでいた。

父に関しても、(叱る)というよりは(怒る)という感じの言葉が多かったように思う。


唯一、この弟だけが、私達の家族の中で、滅多なことで感情を爆発させることのない性格だったのだ。

そのことを私は無意識に尊敬していたのである。


「まあ、兄貴は短気だったから、そんなこともあったかも知れないな」


「あれが俺にとっても初めての竿破壊」


「初めて?何、その後もやってたの?」


実家の壁の穴ではないが、私はこれまで7~8本の竿を折っている。

アクシデントではない。

釣れないことに腹を立て、そしてやり場のない怒りを竿にぶつけた結果なのである。

その頻度が高かったのは、2003年から2005年にかけて。

私がバストーナメントに積極的に参戦していた頃の話だ。


トーナメントに出ようという人間である。

当然腕にはそれなりの自信がある。

ところがこれがうまくいかない。

普段遊びの釣りをしているときには、とても考えられないような初歩的なミスを犯す。

かくも試合と遊びは違うのかと思う。

ストレスがたまる。

たまにチャンスが来る。

既に平常心ではない。絶好のチャンスをミスで逃す。

悪循環にはまる。感情を抑えきれなくなる。


「試合に出てた頃かな。船の上でよく竿を叩き折ったよ、短気を起こして。やっぱり人間の性格って変わらないのかな」


私の言葉に対して、しばらく弟が沈黙する。

成長のない兄に呆れているのだろうかと、そう思った時、ぼそりと彼が呟く。


「でもそれは自分に対する怒りでしょ」


そう、その通りである。

自分でも判っている。

他の釣り人のせいでも、船のせいでも、まして釣り竿のせいでもない。

自分の、精神的なものも含めての未熟さに対する怒りなのである。

行き場のない怒りを、結局手にしている竿にぶつける。

竿が(ボキっ)と折れる音を聞きながら、自分の心もポキリと折れる音を感じる。

そしてやってくる、どうしようもない自己嫌悪。


「でも、それだけ自分に怒れるということは、本気でやってる証拠でしょ。その事に本気でやってない人間が、本気でやってる人の行動を、とやかくいう権利はないと思うよ」


何とも大人なことを宣う弟である。

それとも私が子供なだけか。

大人な弟が続ける。


「怒りというのも一種のエネルギーだからね。だからこそ兵庫県ランキング3位までいったんじゃないの」


2003年からのめり込んだバストーナメントでの、私の最高位は兵庫県ランキング3位。2005年の事である。

その年の暮れ、遂に結婚した私は、これをきっかけにバストーナメントを引退した。

充実した年だったという記憶がある。

因みに、結婚した今の女房は、バストーナメントに出場するため、船舶免許を取りにいった神戸のボート学校の受付嬢だった。

その出会いを弟も知っている。



「さすがにもう竿を折るようなこともないでしょ」


「うん、だって女房が怖いから。新しい竿買うおこずかいもくれないし」


「道楽にハマると色々あるさ。でもその道楽がきっかけで奥さんと知り合い、結果、道楽に溺れることなく、きっちりとした人生を送ってる。結果オーライってことでいいじゃない」


穏やかにいう弟。

全くもってどっちが兄だか判らない。


どちらともなく(じゃあ出ようか)という雰囲気になった頃、少しは兄らしいところを見せておこうとレシートを引っ手繰りレジへ向かう。


(ホット二つ、700円になります)


(あっ)


「すまん、財布・・・病室に忘れた」


どこまでもいつまでも締まらない兄である。


レジで代金を支払う弟の背中に、申し訳ない気持ちで私は言う。


「ご馳走さん。それと、竿折ってごめんな」


35年遅れての謝罪だった。

病室の父が、こんな兄弟をどう思って見ていたのか、そのことが少し気になった。



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