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百夜釣友  作者: 柳キョウ
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第七十夜:とにかく不便な釣行は、ちょっとした感傷旅行となった(4)

おお、70夜。。。と、自分で祝福しておきます。


フックカバーを付けた3個のプラグとワーム2袋、そして鎮痛剤や下痢止めといった常備薬の入っているウエストポーチ一個。こいつをベルトに通し、右手にはリールの装着された6フィートのベイトロッドを握っている。

シャツ自体は、子洒落た濃い茶色のものを着ているが、首に長めのタオルをぐるぐると巻きつけている。日焼け対策である。シャツのスマートさも、これで一気に台無し。

周囲から見れば、きっと私は、かなり珍妙ないでたちで、神戸電鉄に乗っている。

不便だ。自家用車での釣行なら、全く周囲の視線なんて気にならないのに。


今日の目標はバスを一匹だけ釣る事。この一匹が、私にとっては令和初バスということになる。

たった一本でいいし、特にサイズも問わない。

朝だけモーニングバイトを期待し、ちょっとプラグを投げてみる。運よくバスを見かけることがあれば、ワームのノーシンカーリグでこやつ等を仕留める、という極めてシンプルな作戦概要なのである。


この作戦成功を阻む可能性のある不安材料の一つが風。強風によってバスが水面に浮いている姿を目視できないこと。

というのは、これから廻ってみようとしているため池群は、最後に訪れたのは少なくとも2年前。その間に水抜き工事なんかが行われ、そこに魚が生息していない可能性だって、十分あり得るのだ。

まずは自分の目で魚を確認すること。それが本日の作戦の要な訳である。


電車に乗っている間、不定期に外の風景を窓から眺めたが、日差しはやっぱり強いものの、風に関してはそれほどでも無さそうだ。

来週半ばには台風が接近するという予報であるが、今日に関しては特に大きな障害にはなりそうにない。作戦成功確率は、ずばり90%というところだろうか。

まあ目標が低いからなのだが。


ルアーの内訳は、トッププラグが1個、バイブレーションが2個。でもこいつ等にはあまり過度の期待はしていない。

本命パターンとなるはずのワームは、ここ10年間で、日本で一番売れたというシリーズの一番小さいやつ、3.8インチの曲がったワームが1袋。

さらに、今回の釣行のために入手した、世界的メーカの匂い付き4インチストレートワームが1袋。

何でも、水溶性の匂い分子が内部に練り込まれているということで、この分子の拡散率は、同メーカの従来製品と比べて18倍もすごいらしい。

以前からも、このメーカのワームの味と匂いは有名であったが、その従来品の18倍。魚さえいれば、釣れない訳がないと思えるほどの、この日のために仕入れた強力な武器なのである。


しかし、ワームもここまでになってしまうと、いよいよ餌釣りとワーミングの境界線が無くなってしまうような気がしてしまうが、まあ何としても令和初バスを釣らないといけない今日の私にとっては、それも(まあいいでしょう)なのだ。

そのうちトーナメントでの使用では規制がかかる・・・という話も聞かないので、そんなことになるまでは、この味と匂いの恩恵に、私も預かることとしようと決めた訳である。


電車は坂を上っている。体が感じる車両の傾きで、それが分かる。山へ、山へ。

窓から見る景色は、その大部分が緑色、所々が紅葉の作る朱色。

目線より遥かに高い位置に、蛇のようなうねった高速道路が白く見えるという構図。2駅3駅走っても、高速道路の曲がり具合と、その高さが少し変化するだけで、景色の雰囲気全体は、まるで印象を変えなかった。


(藍那)という駅で、1人年配の男性が乗り込んでこられた。背中は少し曲がっていたが、白い総髪はまだまだ豊かで、顔色もよい。

私と目が合うと、認識できるかどうかぎりぎりの、微かな笑みを口元に浮かべた。

そして、空いている席は他にたくさんあるのに、わざわざ少し歩いて、私の前の席に腰を下ろした。


「今から釣りですか?」


「ええ、まあ」


私がこのとき懸念したのは、(何を釣るのですか?)という類の質問をされることだった。

この質問が、バス釣り愛好家には、けっこう嫌なものなのだ。

すなわち、(ああ、あの生態系を壊している悪い魚ね)って微妙な顔をされることがほとんどなのである。


「ため池で・・・ですか?」


「まあ、そうです」


「バス釣りですか?」


「・・・ええ、まあ・・・」


年配の人から、バス釣りという言葉が出てくることが少し意外だったが、やっぱり心配していた会話の流れになってしまった。


「そうですか、うちの孫が好きなんですよ、バス釣り」


そんな先方の相槌にちょっとホッとする。

ホッとはしたが、逆にそんなバス釣りに関する会話を、つい避けてしまう自分が情けなくなる。

いつか(趣味はバス釣りです)と胸を張って言える日が来ることを期待しよう。いや、そんな考え方自体が、一人のバスアングラーとして、もう無責任なのだ。

まあ、今は自分ができることを少しずつやるしかない。

今日は釣り場で、ゴミの一つも拾って帰るとしよう。



(次の停車駅は・・・サカエ、サカエ)


お腹の奥から湧いて上がってくる懐かしさ。

この神戸電鉄栄駅周辺のため池群は、私が中学生の頃、よく通ったフィールドなのだ。

あの頃とは大きく街の佇まいは変貌していようが、それでも何だかとても嬉しくなる。


喜々として電車を飛び降りた私なのだが、どっちに歩けばよいかすら分からない。

そこでグーグルマップを使って付近のため池の検索をしようと、スマホを取り出す。

しかしバックライトが弱すぎて全く画面が見えない。

そしてバックライトの調整のやり方が、よく分からん。

少し恰好悪いが、しゃがみ込んで自分の体で陰を作り、スマホを覗き込む。

すると、デフォルトの縮尺のままで、液晶画面上に2つのため池が、水色に表示された。


この横に走っている線が、今まで乗っていた神戸電鉄線なので・・・ふむふむ、規模としてはまあまあの大きさのため池だ。

方角的には北方向。これは望ましい傾向と言える。

というのは、兵庫県南部では、北方向とはすなわち山側を意味する。

反対に南方向とは、それは海側、言い方を変えれば平地方向なのだ。

そして平地のため池は、頻繁に水抜きを伴う補修工事が行われ、山方向のため池は、それほど水抜きが行われない。

これは昔から、ここらのため池で釣りをする人間には常識である。

もう一つの常識として、墓地が付近にある池は、滅多に水が抜かれないというのがある。単純に墓地の管理には、大量の水が必要なのだろうと私は思っていたが、ある釣り友達から、(水が近くにないと、死者の魂が休まらないから)とオカルトな話をされたことがある。


後者の真偽は置いとくとして、こんな理由で、南に位置するため池の水は、かき混ぜられた砂によって、いつも茶色く濁っている。反対に北側のため池の水は、薄口しょうゆ色であることが多い。

このしょうゆ色は、長い年月をかけて周囲の植物から滲み出るタンニンの色と言われていて、水に溶け込んでいる栄養素も高いのか、池全体に生命感が感じられる。

そこに生息するバスの体色も“The BLACK-BASS”って感じの、色や模様の濃いやつらが多い・・・ような気も確かにする。


実は、私が一番好きなのが、こんなしょうゆ色の水色で、のっぺりした皿池ではなく、山間部に位置して水深にメリハリがある、周囲を木々に覆われたひっそりとした感じのため池なのである。

こんなタイプのため池で、たまに体色の濃い大型のバスがスクールで回遊してきたりするシチュエーションは、想像するだけでわくわくする。

実際に釣りをしてみると、こいつらは意外に手厳しい魚達であることが圧倒的に多いのだが。


長いバス歴の中で、デカバスの聖地と言われる奈良県池原ダムや、今でも世界記録ホルダーである琵琶湖でも、もちろん釣りをしたことはある。

初めて七色ダムで釣りをした時のこと、市役所跡地と呼ばれるワンドで、白い霧の中から廃墟となった旧市役所建屋が出現した時は、その幻想的な景色に感動した。

それでも、それでも私は、山間部のため池で釣りをする、ひっそり感というか秘密感というか、そんな感覚が、何だか大好きなのである。


マップに映し出されたため池を目指して、かなり急な坂を上っていく。

ものの5分ほど歩いた時点で、ふくらはぎ辺りに生じる違和感。

ずいぶんと体が鈍ってしまったものだ。ほんの半年前にはキックボクシングのリングに上がった体なのに。病気や怪我をするということは、年を喰った者にとっては、どうやらそういう事らしい。


日差しが強い。もう背中が汗ばんでいる。ふぅふぅと、おかしな息が、いつの間にか口から漏れていた。しまった。帽子とサングラス忘れた。


“がび~ん!”と小さく口にして、古(ふる!)と自分でも思う。

四方が護岸された周囲1キロメートルあるかないかのため池に、水が・・・ない。

正確には、池のど真ん中辺りに、直径10メートル程度の水たまりは・・・ある。

目を凝らすと、乾いた護岸でアカミミガメが甲羅を干している。

少し水面がざわついた気がしたので、私は錆の浮いたぼろぼろの白いガードレールを跨ぎ、池と言うよりは、ただの水たまりになっている水辺付近までの斜面を下っていく。


(あっ)


その水面のざわめきを発生させていたのは、長さにして40センチくらいの赤白の錦鯉。

それは自然繁殖したものではないだろう。

すなわち、ため池の持ち主が、鯉や鮒を数匹放しては、養魚池として市町村に登録し、釣り人を締め出すための口実としているというのが、こんなため池に彼らが生息している理由なのだ。


何だか悲しくなる。何より可哀想なのは、そんな理由で池に放された魚達だ。

人間の都合で、水を抜いたり入れたりする農業用ため池に放たれ、過酷な環境での生存を余儀なくされる。きっと多くの仲間達が、環境の変化に耐えられず、絶命したことだろう。

辺りを見渡すと、やはりという感じで、白骨化した鯉と思しき死骸が2体、土の地面に転がっていた。

元はと言えば、釣り人のマナーの悪さが原因と考えると、身につまされる思いがする。


少し沈んだ気分になりながらも、さっきスマホの画面で見た、もう一つのため池を目指す。

こちらの池にも、あまり過度な期待をしないほうが、精神衛生上は賢明だろう。


すでに額には汗の玉が浮いている。背中にべったりとシャツが張り付いて、歩を進める度に、少しつっぱる。

ペットボトルの水でも買っておけばよかったと後悔するが、来た道を後戻りする気にはなれない。まずは目的の池を一目だけ見てから、後のことは考えようと、私は歩き続けた。


マップで見る限り、もう見えてもおかしくないはずだが・・・ああ、この林の向こう側か。

帽子すらも忘れた私なものだから、虫よけスプレーなど当然準備していない。

不便だ。車にもバイクにも、帽子とサングラス、そして虫よけや雨合羽すらも、いつも収納されているというのに。

少し不安になりつつも、林に足を踏み入れる。

湿った腐葉土に浅く靴が沈む。黒いスニーカーに、土色の縁取りが見事にできた。

これは家の玄関をくぐる前に、しっかり汚れを落としておかないと、女房に怒鳴られそうだ。


踏み出す度に、(ぐちゅっ)という湿った音が足元で起こる。

(にゅるっ)と微かに滑ったりもする。靴底に張り付いた泥の重さが加わり、ますます足が重くなっていく。

(ぷぅ~~ん)という微かな羽音。やぶ蚊だったら嫌だな~と、蚊取り線香代わりに、ここで煙草に火を点ける。その効果のほどは全く心もとない。


再び進み始めると、カクンと右手が斜め上方向に引っ張られた。右上方を見ると、被さってきた木の枝に、竿の穂先が絡まっていた。

ため息交じりで揺すってこれを外すと、いつの間にか穂先50センチくらいが、蜘蛛の巣塗れになっていた。服に蜘蛛の巣が付いていないか確認しようとして、今からこんなに変な神経を使ってどうすると、構わず先を進むことに決めた。


頭上を覆う木々の陰が濃くなり、日差しは強いはずなのに、まるで夕方のような暗さだ。

またまた(ぷぅ~~ん)と羽虫の音。今度のは、少し音が大きい。

まさかスズメバチか?と振り返ると、少し小さめのカナブンだった。


入院していたある日のこと、病室の窓の外で、アシナガバチが飛んでいるのを見かけて、女房に窓を閉めさせた。


「知ってる?人間をこれまで一番多く殺してきた人間以外の生物は、実はハチなんだよ。そして次がダニでね。それでも交通事故で亡くなる人の何千万の一だけど・・・」


「そしてあんたも、今回その交通事故で死にかけた・・・」


薮蛇とは正にこの事。そんな僅か一カ月前のことが、体調が戻ってくるやすぐに、はるか過去のこととして処理できてしまう。現金なものだ、人間とは。

うん、今日は絶対怪我はできないな。

そんなことを考えながらしばらく歩いたが、まだ水面は見えない。


人間の背丈ほどの藪が、池の周囲を覆っている。

数メートル藪漕ぎすれば、池の外観が拝めるのだろうが、藪の密度がとても濃くて、なかなか藪に突っ込んでいく決心がつかないまま、私は池の周囲を徘徊している。


3分の1周ほど、池の周囲を歩いただろうか。

僅かに藪が人工的に刈られてできたのであろう小道を見つけた。

長らく人が通っていないのか、女郎蜘蛛の巣が、僅かに開いたスペースいっぱいに張られている。竿先で蜘蛛の巣を落とし、足元に注意を払いながら水辺方向に歩く。


(パキッ)と乾いた音が足元でした。枯れ枝を踏んづけたのだ。

音を出すことによる魚へのプレッシャーも然ることながら、踏んだ枝がコロの役割をして、ステンと転んでしまうことが一番危ない。実際に私も何度か経験があるし、(釣りキチ三平)で、ある釣り人が、転んだ拍子に手をついて、不幸にも足元に潜んでいたマムシに指を噛まれるシーンがあった。幼心にもなかなかショッキングな描写だったので、よく覚えている。40年くらい昔の事。足元に注意しながら、秋めいてはきたが、まだまだ茎の太い緑の藪をこぐ。


そして、遂に目の前に広がった水面は、たっぷりとした水量を湛え、岸際には水面まで枝を出した木々が、所々沈んでいた。

水色は、大好きなしょうゆ色。

締め付けられるように、胸が興奮で震える。


意識して水面から距離を取った位置で立ち止まり、心を落ち着かせて岸際の水面を凝視する。

15センチくらいの大きさのブルーギル数匹を、すぐに多数見止めることができた。

小さな波紋を作っているのは、アメンボだろうか。

水面と水面下に溢れている生命感。

ギルに混じるようにして泳いでいる尾びれの端が黒く見える魚が数匹。

長さは周りのギルと比べれば、はるかに長い。

あれは・・・バスだ。


(心がはやる)


こんな表現と、寸分のずれも無いこんな気持ち。

釣り人以上に、こんな気持ちが経験できる人達が、世にいるだろうか。


リールのレベルワインダーにラインを通すことが、もどかしい。

ウエストポーチのサイドポケットから、オフセット型フックを取り出すことが、もどかしい。

フックのアイに、ラインを通すことが、もどかしい。

新品のワームパッケージの封を切ることが、もどかしい。


遂にタックルの準備が整い、ボロン素材の6フィートロッドを構えると、ずっしりと重量感があった。不快な重量感ではない。何だかおへそに力が入るような感覚。

そうなのだ。そのアングラーにとっての良い竿とは、手にした時に、何か不思議な力を感じさせる竿なのだ。

それは、屋内で手にしても、決して分かるものではない。

フィールドで手にして初めて、それは唐突に出現する感覚なのだ。

アングラーの魂が、竿の穂先に宿るとでも言うか・・・

いや、いま私はおかしな事を考えている。

普通の人に言うと、変人扱いされかねないので、止めておこう。


ほとんど反則4インチ匂い18倍ワームのノーシンカーを、今も岸際に群れている魚達から数メートル離れた位置に、ピッチングキャストで静かにプレゼントした。



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