第六十四夜:どうしても煙草が吸いたくなった
貴方はもうすぐ死にます。最後にお望みは?と言われたら、煙草は第3候補くらいかな。
割烹でも書いたが、7月三連休の中日に、バイクに乗り始めてから初めて事故を起こした。
それも結構な事故である。
通い慣れた釣り場へ向かう道中のこと。丸一日降り続いた前日の雨が作った水たまりが、所々まだ地面に残っていた早朝だ。きっとこの水たまりに乗って、すってんといったのだろうが、あいにく記憶がない。
この瞬間、私の脳を占めていたのは、1時間後には楽しめるであろうツバスの入れ喰い状態。たぶんそんな理由で、注意力も散漫になっていたのだろう。
意識不明状態、鎖骨骨折、擦過傷多数。
搬送された先の病院で、そのまま緊急入院という醜態を晒した訳なのだが、そのタイミングで、私はある記録を更新した。
病院に担ぎ込まれてからMRIも含めた精密検査、全身麻酔による手術、そして翌々日の退院まで、まるまる5日間の禁煙である。
晴れて煙草が吸えるようになった二十歳の頃まで遡っても、これまでの最長禁煙時間は、海外出張の飛行機の中で経験した約10時間の禁煙。
空港に降り立つや、バゲッジクレームすらもスルーして、真っ先にスモーキングルームに直行したものだ。
異国の空気を鼻腔と肌で感じながら、体の内部に取り込むその紫色の煙の味は、本当に至福と呼んでいい時間だった。吸わない人には到底理解できないのだろうが。
さて、退院当日の朝、私の目覚めは早かった。
まあ21時に消灯となる病院に何日も閉じ込まれていては、普通の人間ならそうなってしまうのが自然だろう。
その日、目を覚ました時刻は、奇しくも事故を起こした時間と同じ午前5時頃。
海外製だという専用プレートで固定されるまで、僅かでも体を動かそうものなら、(ゴリッ)という二つに別れた鎖骨が擦れ合う不快な感覚が生じた。
痛み止めはずっと服用していたため、我慢できない程ではないが、それでも鈍い痛みを伴い、これが本当にストレスだった。
手術後は合計20針縫った傷口が、時にずきずきと疼くものの、骨が不自然に動く不快感は、全く消えてなくなった。
こうなると人間とは現金なもので、私は急に煙草が吸いたくなってしまった。
一度そんな願望が立ち上がってしまうと、それまで我慢できていたのが嘘のように、一分一秒も待てないような欲求へと変貌した。
何か必要があった時のためにと、女房が置いて行った千円札を握りしめ、早朝にも関わらず、数人の看護士さんがデスクワークをしているナースステーションの脇を、まるで泥棒がすり抜けるように静々と通過し、非常階段方向へと急ぐ。
その頃には、こめかみ辺りがとくとくと脈を打ち始め、その強い欲求が音を立てているようだった。ニコチン切れを起こしたヘビースモーカーにしか分からないだろう感覚。
非常口のドアを開く際、左手首に巻かれていた入院患者用リストバンドに意識が向いた。
もしRFIDタグなんかが埋め込まれていて、無断外出がばれてしまわないかと少し不安になったが、そんなものが埋め込まれている様子はない。
JIS規格では、マンセル5Yと呼ばれる肌色に塗装された重い扉を、負傷していない方の左手で押し開き、思い切って外に出る。すぐに、たっぷりと湿り気を含んだ盛夏の朝の空気が、肌に纏わってきた。
ここから一番近いコンビニまでは徒歩でほんの3分。それでも早足になるのを制御できない。
「セブンスターのソフト、それとライターと」
きっと夜間勤務であったろう眠そうな顔をした、まだ学生と思しき若い男性店員にそう言った。
「ライターはあちらの棚になります」
数メートル先の棚に陳列していたライターを取りに戻る。たったそれだけの手間が、どうにももどかしくて仕方ない。サイフすら持っていなかった私は、税込価格で表示されている数種類のライターから一番安いもの一つ手に取り、もう一度レジに並んだ。
その間に、2人の客に順番を抜かされた。
こんな朝早くから、ちゃんとお客はいるものなのだなと、少し驚いた。
その2人の客の身なりはきちんとしていて、まさに出勤前のサラリーマンが、お昼用の弁当を買い出している様子だった。しばらく会社を休むこととなる私は、少し彼らに申し訳ない気がした。
コンビニの店外に出るや、包装を解くのももどかしく、体はニコチンを切に欲していた。しかし、これも時代なのか、以前は間違いなくコンビニの入口付近には設置されていたはずの灰皿は、もうそこにはない。
JRの駅北出口に、一つだけ設置灰皿があることを私は知っていたが、歩けば5分以上の時間がかかる。
すでに病院を無断外出するという悪事を犯している身だし、悪事が一つ増えるだけ。しかも怪我人ということで、ここは大目に見てくれと、自分でも屁理屈としか思えない妙な思考論理で、路上喫煙を決め込む。
多少周囲の目も気にして、喫煙場所に選んだのは、病院の裏側に位置する小さな公園内のベンチ。足元を見ると、10本あるかないかの吸い殻が、すでに捨てられている。
普段なら、思わず眉をしかめる光景だが、この日に関してはそのことにも勇気づけられた。
ついに私はくわえた煙草に点火する。
2段階に分けて、ゆっくり大きく息を吸い込むと、がっちり固定されている鎖骨の部分が僅かに動いたのか、ずきんとした痛みが、右肩の下辺りに発生した。
息を吸うという行為も、意外に鎖骨に負担がかかるものであるらしい。
痛みにやや遅れて、最初が咥内、そして器官、最後に肺へと、強烈なにおいを伴った苦い煙が、少しは小綺麗になっていたかも知れない私の体を、ヤニ色に内側から染色していく。続いて、普段の寝起きの一服を、更に濃縮して吹き付けたような脳への一撃。ぐらりと地球が歪んでいく感覚。
味、匂い、めまい。5日振りの煙草は、いつも女房が(臭い、臭い)と小言を零すのも頷けるほど、それは痛烈な刺激だった。もちろん私にとって全く不快なものではなかったが。
さて、多少の罪悪感を抱きつつも目的を果たした私は、いつまでも無断外出してはいられないと、病院の裏口へと向かおうとする。しかし、やや足元が覚束ない。
想像していた以上に、5日振りの喫煙は、少し浄化されていた私の脳には、相当な異物として処理されたようだ。
ふらつきながら立っている私は考える。このまま煙草の匂いをぷんぷんさせたまま、病院に戻るのは芳しくない。今着ている物にも、たっぷりと異臭が染み込んだことだろう。
私はもう少しだけ、早朝の風が煙草の匂いを消してくれるのを、ここで休んで待とうと、古びた木製のベンチに腰を下ろしたのである。
そして腰を下ろした途端に私が思い出したのは、生前の父と最後に話した日のことだった。
2017年暮れの夕方。海にほど近い病院の裏口付近の狭い路地は、微かに潮の香りが漂っていた。私の差し出したセブンスターを咥えた父が一息吸い込み、かなりせき込みながら(やっぱりハイライトの方が旨い)と悪態をつく。
(年を越せるかどうかは微妙)
2カ月前に、医師からそんな宣告を受けていた父であったが、驚くほど短期間で肉が落ちてしまった顔の輪郭を除けば、それなりに元気そうに見えた。
(十分に年は越しそうだね)
(馬鹿野郎、越したくもないわ)
何一つ隠すことも、隠す必要もない本音の親子の会話。
たまたま通りかかった男性の看護士に、2人で喫煙しているところを見つけられたが、彼は特に何も口にすることなく病院へと入っていった。
見る人が見れば、この患者の余命が決して長くないことが分かるのかも知れない。杓子定規な注意を与えることを憚ったのだろうと、私は思った。
(今からどうする?)と問う父。
(すぐに会社に戻る)と答える私。
(そうか)と口にして、まだそれほど短くなっていない煙草を、アスファルトの地面に落とし、足で踏みつけ火を消そうとしたが、片足立ちになった瞬間に、大きく体が傾いた。
どうにか立て直し、(ちっ)と小さく舌打ちした父が、さらに言葉をつなげる。
(情けねぇ)
思い通りに動かない体への苛立ちなのか、私には掛ける言葉が見つからなかった。
(お前、もう仕事に戻れ)
70才を迎える直前まで会社役員として働いた、仕事一筋だった人生の終焉を迎えようとしている父らしい一言だった。
点滴液の袋がぶら下がったスタンドを左手に持ち、病院へと戻ろうとする父の後ろ姿を、私は無言で見つめていた。
ふと、立ち止まった父が、顔を向けることなく、私に言った。
(最後に一緒に釣りをしたのはいつだった?)
(さあ、いつだったかな)
深く思い出そうとすることなく発した私の返信を確認すると、それでもやはり振り返ることなく、煌々と明るい病院のエントランスへ、無言で父は消えていった。
この時の後ろ姿が、私が見た最後の父の姿となり、会話とは呼べぬような他愛ないこのやり取りが、最後に交わした言葉となった。
今なら答えることができる。
(年末のえらく寒い時期に、明石漁港へカサゴ釣りに行ったのが最後だよ)
父との最後の会話を思い出し、少し感傷に浸っている間に、気が付くと頭上高くからクマゼミの合唱が聞こえていた。
(この体じゃあ、今年は墓参りには行けないな)
そんなことを考えながら、私は自然と病院の方向へと歩み出していた。
幸いなことに今回の私の怪我は、2カ月後にはバイクに乗れるまで回復するらしい。そうなれば、また私は週末の度に、朝早くから釣りに出掛けようとするのだろう。
これまでと比べれば、少し女房の締付けは強くなるだろうが。
(最後にもう一度、父と一緒に釣りをすればよかった)
そんなことを、私は考えた。
吸ったばかりだというのに、どうしてももう一本煙草が吸いたくなってしまった。