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百夜釣友  作者: 柳キョウ
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第六夜:エア・フィッシングの少年

案の定、新快速電車は遅れていた。

またもや「今シーズン最強寒波」とやらの影響である。

僕の立っている下りのホームはそれ程でもないが、向いの上りホームは、人でごった返していて、ホームに降りる階段にまで人が達している。


「最強寒波」という変てこな日本語には少し慣れてきたが、その度にやってくる寒さに関しては、この年齢になるとなかなかに慣れない。

びゅるりと風がホームに流れると、皆一様に首をすくめ背中を丸める。

遅れている電車のことも含め、やれやれといった諦めの表情だ。

僕も同じ心境だ。


そんな時、ふと向いのホーム最前列に立っている恐らく高校生、いや中学生か、その少年に目が留まった。


紺色のブレザー姿の彼は、若いだけあって少しも背を丸めず姿勢正しく立っている。

姿勢は正しいのだが、しかし何やら挙動がおかしい。


まるで見えない透明の友人と向き合い、握手をしているかのように右手を前に突き出している。

その右手が細かく一定のリズムを刻み、肘の角度を保った状態で少しずつ上がっていく。

そのリズムはさしずめ《つんつんつん》といったところか。

右手が彼の目の高さにまで上がった頃、今度は《す~》と握手の位置に手が戻る。

その際、だらりと下げていた左手を右手に添えるような恰好をとる。

左の手首が何かを回すように《くりくり》と動く。


《つんつんつんつん、す~~》、また《つんつんつんつん、す~~~》

《す~~》のところで左手が同時に《くりくり》。


はじめは手でリズムを取りながら何か鼻歌でも唄っているのだろうかと思ったが、それにしては奇妙なリズムである。

それが何かのリズムだとすると、《す~》の部分がまるで判らない。

《くりくり》に関しても皆目見当がつかない。


この奇妙な少年の動きから目が離せないでいると、やおら彼は右手を強く上に跳ね上げた。

彼の後ろに立っていたおじさんが、少しびっくりしたようだ。

左手がまた右手に添えられ、《くりくり》)するのだが、今度の《くりくり》は少し力強い。


この時になって僕は、思わず(あっ)と口にしてしまった。

僕には彼の動きの意味が判ったのだ。


彼のその動き、それは釣りの動きだ。それもバス釣りの動きだ。

《つんつんつん》の部分は、釣り用語ではボトムバンピングと言われる、ルアー(疑似餌)をエビやザリガニが湖底を飛び跳ねるように動かすためのロッドワーク(竿の動かし方)だ。

《す~~》の部分は、ルアーが手前に寄ってきたためにできる糸ふけ(余分な糸の弛み)を、リールを巻いて回収するための動きである。

腕を跳ね上げたのは、魚が喰いついた瞬間に針を魚の顎に突き刺すための、フッキングと呼ばれる動作である。



エア・テニスやエア・野球はたまに見かける。

エア・ゴルフに至っては、夜の10時を回った電車のホームで、その日雨でも降っていようものなら、傘をクラブに見立てて必ずと言ってよいほど誰かがやっている。


しかしエア・フィッシングとは何とも物珍しい。

いや、それが珍しくない時代も確かにあったのだ。




1990年代半ば、バスフィッシングは空前のバブルを迎えた。

ゴカイやミミズといった気持ちの悪い餌を針につけ、全く動かぬ浮き(場合によっては竿先)を一日眺め続けると言った釣りの辛気臭いイメージとは対照的に、ルアーと呼ばれる美しい塗装の施されたプラスチック製の偽餌を、びゅ~~んと遠くに投げて、ぐりぐりとリールを巻いて泳がせる。

運がよければ、フナやタナゴと言った日本古来の淡水魚とは比較にならない大きさの、バスというカッコいい魚が派手に喰いつく。

アクティブでダイナミック、そしてちょっとお洒落。

時のアウトドアーブームの後押しもあり、この釣りは一大ムーブメントとなった。


国内の二大釣り道具メーカであるダイワとシマノは、CMに当時人気絶頂であった反町隆史と江口洋介をそれぞれ起用した。

あのキムタクがバラエティー番組で、キャスティングの妙技を披露したりした。


その頃には既に10年以上、この釣りを嗜んできた僕としては、当時各地のフィールドで発生したにわかバスアングラーの出現は迷惑以外の何物でもなかった。

しかしそのブームは一過性のものだろうと予想していたし、そしてその通りにもなった。ものの3~4年でそのブームは鎮火した。

予想できなかったのは、その過熱しすぎたブームのオーバーシュートとでも言うべき、バスフィッシング氷河期の到来である。



そもそも日本という国でのバスという魚の繁殖は、1925年に東京大学が神奈川県芦ノ湖に実験用に放流した80匹のバスの稚魚がそのルーツである。


それから80年も経った2000年台初頭、このバスという魚が外来種であることが問題視され、これ以上の繁殖を防止するという名目で、「特定外来生物」に指定され、止水域から止水域への移動が禁止された。「特定外来生物被害防止法」の施行である。


この法令のコンセプトは僕にも理解できるし、それを決して悪法とは思わない。

問題は、時を同じくして施行された日本最大のバスレイク琵琶湖を擁する滋賀県が制定した「リリース禁止条例」だ。

これは釣ったバスやブルーギルといった特定の外来種を、再び湖に戻してはいけないという条例だ。

因みに僕も一度食べてみたが、バスという魚は食べて美味しい魚ではない。

スズキ科の魚なので肉自体は淡白な白身なのだが、淡水魚特有の皮と身の間の脂が、とにかく強烈に臭いのである。

無理に食用にしようとすれば下処理に時間をかければできなくはないのだろうが、近所の防波堤にでも釣りに行けば、もっと美味しい魚が遥かに簡単に数釣れる。


さてこの3要素が組み合わさるとどうなるか。

ある日ある少年が琵琶湖でバスを釣ったとする。

不運にも釣りあげられたバスの運命は・・・


「釣った魚を再び湖に戻してはいけない」のでリリースはできない。

「釣った魚を生きたまま移動してはいけない」ので他の場所に持ち出せない。

「食用にはならない」ので家にも持ち帰れない。


正解は「その場で殺されて捨てられる」しかないということになるのである。


条例の施行と同時に、琵琶湖沿岸では至る所に、釣ったバスを捨てるためのごみ袋が設置された。この事に当時のバスアングラーは強く反応した。


この滋賀県のリリ禁条例反対署名は、バスアングラーを中心に全国で11万人の署名を集めるまでに及んだ。

僕もその頃、アングラー側に立ってこの議論の真っただ中にいたのだが、どこか冷めた感覚で成り行きを見守っていた。


アングラー側曰く、

「生物を釣って殺すという行為が、命の尊さをないがしろにするもので、青少年の教育という観点で悪法である」


「バスという魚は日本に持ち込まれて80年にもなる生物であり準固有種とすべきである」


「外来生物への差別は外国国籍の人々の差別につながる懸念がある」


対して行政側曰く、

「琵琶湖水系での固有種が減っていく生態系の現状は見るに堪えない」

「熟れ寿司の材料であるフナの減少は、それを生活の糧とする漁師にとっては死活問題である」


アングラー側が反論する。

「日本固有種減少の最大の要因は、行政が1980年代に実施した湖の護岸工事による葦林の伐採が最大の原因である」


「バスアングラーが滋賀県に訪れる際の高速道路利用料は行政の大きな収入源となっている」


結局、これらの議論は平行線をたどり、11万人の署名は全く無視されることとなった。

当時、確かこの11万人の署名というのは記録だった。

それまでの記録が、どこかの原発建設反対活動の約8万人だったはずだ。

アングラー側に立っていた僕としては、残念な結果ではあった。

しかし同時にそれは至極当然の結果のようにも思えた。

アングラー側の主張は、どれもこれも稚拙な論理の羅列に終始していて、それには全く魂が込められていない。僕にはそう感じた。


バスアングラーの思いとは、少なくとも僕の思いは、世間に対し胸を張って、

「僕の趣味はバス釣りです

「僕たちはバス釣りが大好きです」

「今週末はバス釣りをします」


至極単純なそれだけの事を堂々と口にしたい。

たったそれだけのことだったのだ。

護岸工事による生態系の変化や経済効果。

一般の人にも受けのいいであろう論点から切り口を見出そうとし、アングラーとして最も伝えたいこと、バスフィッシングの楽しさを理解してもらうための努力を、結果的に僕たちはないがしろにした。



今でも自分がバス釣りをするというと、3人に2人は、「ああ、あの他の魚を全部食べてしまう悪い魚でしょ」というような反応になる。

面倒臭いので相手にはしないが、決して気分のいいものではない。


何かを「好き」になるということは、それは魂に起因するものである。

決して言葉や論理では説明、説得ができない類のものが世の中にはある。


「なぜこの人が自分にとって大切なのか」

「なぜ人は山に登るのか」

「なぜ人は生きるのか」


これらの質問の回答が難しいのと同じで、「バス釣りが好き」というたったそれだけのことを言葉にする困難さから、僕達は当時逃げていた。



一方で行政側の態度には、バスが大きな口を開いて日本の固有種を食い荒らすイメージがその前提にあることが明白で、客観的にこの問題を検証しようとする感覚が完全に欠落していた。

戦時中のB29の空爆に逃げ惑う日本人の姿でも連想していたのだろうか。


1980年台後半に行われた琵琶湖南湖の大規模な護岸工事を境にして、その前後の固有種の増減についてのデータでもあれば、少し成り行きは変化したかも知れなかった。

しかし1980年台の固有種のデータがない故、アングラー側の主張も定量性に欠けていた。


アングラー側は魂に根幹があるものを論理で守ろうとした。

行政側はイメージに由来するものを論理に展開しようとしなかった。

決して交わることが無かったこの争いは、単純に力のある方の勝利に終わった。


僕にこのバスアングラー敗北の歴史を思い出させたのは、エア・フィッシングの彼の、その年齢にある。そのことに僕は少なからぬ興味を持ったのである。



仮に彼が15才であると想定する。

そうすると彼の生まれは2001年頃。

この頃は、まだ辛うじてバスバブルの余熱があった時代である。

しかし生まれてすぐに釣りができるわけではない。

釣りができるようになるのは、早くても9才、かなり乱暴に見ても8才くらいか。

そうすれば彼が、バスフィッシングと出会ったのは早くとも2009年頃。

「特定外来法」、「リリ禁法」の施行が2005年であるので、彼が出会ったその頃には、完全にバスフィッシングは氷河に覆われた時代のはずなのだ。


この頃には、バブル時のにわかアングラーは言うに及ばす、それなりに経験のあるバスアングラーも、果てはバブルの追い風に恩恵を受けたはずの釣り業界でさえ、手のひらを返したようにバスから遠ざかっていった。


そんな強烈なアゲンストの風の中、あろうことか彼はバスフィッシングと出会い、そして魅せられたのだろう。人目もはばからずエア・フィッシングに興じる程に。

他に楽しいことがいくらでもある時代であり年代なのだ。

そんな年も離れた彼に、僕は言い表せない不思議な親近感を抱いたのである。


また彼の右手が力強く跳ね上がった。

左手のグリグリがこれまでになく長い。腰のためも少し深い。

彼の持つ見えない竿の先には、かなりの大物がヒットしているのだろう。



その日は朝から大阪の本店で会議の予定だった。

そしていつもとは反対の上りホームに僕は立っていたのである。

またもや電車は遅れている。

しかし原因は寒波ではなく、「急病人の介護にあたったため」らしい。

ホームに立ってから暫くは気付かなかったが、僕の前に例のエア・フィッシングの少年が立っていた。

今日は例の動作をすることなく大人しく立っている。

僕は彼に話しかけてみたい気持ちに駆られたが、流石に突然駅のホームで、見知らぬおじさんに声を掛けられると彼も戸惑うだろう。


電車はこない。先ほどまで表示板には(25分遅れ)と表示されていたはずだが、気が付くと(35分遅れ)と変わっていた。

これならダイヤ通りに運行されている各駅停車の方が早いかもと、そう考え始めた時、彼が、少し前回よりは控えめであったが、例の動きを始めたのである。


間近で改めて彼を見ると若い。中学生であることは間違いない。

手の甲は日焼けで真っ黒だ。釣りによる日焼けであろうか。

なかなかアクションは堂に入っている。

この時には既に僕は彼に話しかける決心をしていたが、さてどう話しかけたものか。

しばし悩んだ末、僕は変化球を投げた。


とんとんと彼の肩を叩いたのち、僕は振り返った彼に話しかけた。


「どこのタックル使ってるの?」


きょとんとする彼。


「やるんでしょ、バス」

そう言って僕もエア・フィッシングをして見せた。


「あっ、はい」


もう一度最初の質問を僕は繰り返した。


「どこのタックル使ってるの?」


「あっ、エバーグリーンです」


ほう、人気メーカだ。競技仕様でエントリーモデルのラインナップがなく、販売価格も僕ですら中々手を出すのは勇気がいる。


「テムジン?タクティクス?」


テムジン、タクティクスというのは、エバーグリーンというメーカの製造している竿のシリーズ名だ。それぞれに違った特性があり、コアなファンも多い。

どちらを選ぶかはほとんど釣り人の好みの問題となる。


「あっ、タクティクスです」


「菊さん派?モリゾー派?」


ここまで言えば、僕もバスフィッシングが好きなことは十分彼に伝わったことだろう。


「菊さんが好きです」


すっかり彼の顔から戸惑いが消えていた。

本当に共通の趣味とは、人と人を一瞬に繋ぐ魔法の接着剤だ。


「普段どの辺りで釣りしてるの?」


「すぐ近くです。猪名川とか庄下川とか」


共に伊丹市と尼崎市を流れる淀川水系の小規模河川である。

以前釣り雑誌にも取り上げられたことのある川であるが、それは「都心の真ん中を流れる小規模河川でバスが釣れる」という意外性が記事になったのであって、フィールドとしては決して恵まれているとは言いがたい。

僕も何度か訪れたことがあるが、たった一本の魚にたどり着くにも相当苦労した。


「なかなか難しいでしょ」


「はい、全く釣れません」


その後ここ最近の釣果についての会話となったが、確かに釣っていない様だ。

まあ季節的なもあるだろう。

それでもこの時期釣りに行こうとすることだけで、本当に釣りが好きなんだということが判る。


「どこに行ったら釣れますかね?」


これは難しい質問だ。

この質問の難しさは、「どこか美味しい店はないですか?」という質問に対しての回答と同じ本質を持つ。


まず何が釣りたいのか?

船に乗るのか、岸から釣るのか?

その釣り人のレベルはどの程度か?

アクセスの手段は?

1人で行くのか複数なのか?


期待する答えを返そうと思えば、逆に質問しなければいけないことがたくさんあるのだ。

何が釣りたいのか?については彼はきっとバスが釣りたいのだろうが、判ることと言えばそれくらいである。

少し困ったが僕は厳選して一つだけ質問した。


「どんな釣りがしたいの?」


「大きいのが釣りたいです。一匹も釣れなくてもいいから大きいのが釣れるところに行きたいです」


「大きいのねぇ・・・」


大きい魚と聞いて真っ先に僕は、琵琶湖でレンタルボートを借りてという釣りを思い描いたが、彼はまだ中学生である。

レンタルボートを借りるには少なくとも一万円はかかる。そもそも中学生の彼は、船舶免許を持っていないだろう。

名神高速の値段が往復で6千円くらいだが、電車ならどうだろうか。

いずれにせよ、これは余りにも中学生の彼には、現実離れしているというものだろう。


回答に困っている僕に、彼はこのように続けた。

いつの間にか主導権が彼に移っている。


「バスの世界記録って日本で釣られたって本当なんですか?」


「本当だよ。琵琶湖で釣れた22ポンド4オンスが世界記録」


「22ポンド?」


「22ポンド4オンス。10kgちょっとかな」


一体日本人の何割が知っているだろうか。

日本ではたった90年の歴史であるが、バスという魚が地球上に生まれて千年なのか万年の単位なのか僕も知らない。

その長い種の歴史の中で、釣り人によって捉えられた最大の魚は、皮肉なことにリリ禁条例が施行中の琵琶湖で釣られているのである。

これは狭い業界では世界的なニュースで、本場アメリカのバスアングラーを対象にした、「一度は訪れてみたいバスレイク」というアンケートで、レイク“ビワ”は堂々の一位にもなった。

しかし彼らは知らない。

ここで釣られた魚が二度とレイクに放されることが叶わぬことを。



10kgと言っても余りにも桁外れなその数値にあまり彼はピンと来ていないらしい。


「大体50cmの魚で2kgくらいかな」

少し補足説明してあげた。


「10kgってどんな引きなんでしょうねぇ」


「それがわかるのは人類で2人だけだね」


「2人?」


2007年、琵琶湖で釣られたワールドレコードフィッシュは、正確には世界タイ記録である。その魚が釣られるまで単独のワールドレコードであったバスは1932年にアメリカで釣られた魚である。


「琵琶湖で釣られたのは世界タイ記録で、もう一つは確か戦前かな、アメリカで釣られているはずだよ」


それが1932年ということを僕は知っていたが、あまりにもオタクっぽく聞こえそうで、僕は敢えてそういう言い方をした。


こんな話がある。

1932年にそのレコードフィッシュを釣り上げたそのアングラーは、マリーナに着くと同時に号泣した。

周りにいた全ての人は、遅くとも2週間後には正式にワールドレコードとして認定されるであろう快挙による歓喜の涙だと思った。

しかし彼の涙の理由は、そうではなかった。

バスという魚種の平均寿命を遥かに超えた、人間で言えば140才に相当する寿命だったと言われるその魚は、激しいファイトと水圧の変化に耐えられなかったのだろう。

マリーナへの帰着半ばでライブウェル(船に備え付けの生け簀)の中で腹を見せ、帰着と同時に絶命した。

そのことを、アングラーは達成した快挙以上に悲しんだというのである。


メスであることが確認されたその魚は、10kgオーバーの巨体に似合わぬ可愛らしい女性名をつけられ、今もそのマリーナに剥製となって飾られている。

マリーナにビッグフィッシュが持ち込まれる度、そのオーナーは魚に語り掛ける。


「見ろ。彼女がお前たちの、グラン・グラン・グラン・・・グランマ(ひい・ひい・ひい・・・おばあさん)だ。お前たちも彼女の様に大きくなってまた帰ってこい」


そう言って湖に魚を戻すオーナーに対して、今度はアングラーが語り掛ける。


「いつもそうやって魚と会話するのかい?」


「これは、グラン・グランパ(ひいおじいさん)からの我が家の伝統だ。だからここのレイクの魚は大きく育つ」


何とも心温まる話ではないか。


一方、琵琶湖で捕られたレコードフィッシュも剥製となってボートハウスに飾られている。


「あんな大きな口をした魚に喰われたら、国産の魚はたまったものじゃないな」


それを見る皆の視線は、さながらシャークハンターによって捕獲され、港に吊り下げられたサメを見るが如くである。


奇しくも同じ22ポンド4オンス。死してなお、その運命は余りに対照的である。



「釣りたいなぁ、大きなバス」

独り言のように彼が呟く。


基本的に釣り人というのは、他人にポイントを安易に紹介したりはしない。

自分だけのシークレットポイントを持つというのが、ある意味釣り人の理想なのである。

しかし今回は、僕から話かけたという手前もある。

このまま何も教えずという訳にもいくまい。

また彼が言った「釣れなくてもいいから・・・」との条件が、かなり僕のハードルを下げてくれた。

そして僕は京都市内を流れる、ある河川の名を彼に告げた。


阪急電車の最寄り駅からのアクセスの方法を簡単に伝えた。詳しいポイントの説明はしなかった。その程度は自分の目で見てフィールドの状況を判断するくらいのことができないと、この時期釣りをするにはお話しにならないのである。


一つだけ僕は彼に問うた。


「好きなルアーは何?」


「あっ、え~と・・・ ラバージグです」


予想通りの回答である。彼が「菊さんが好きです」と言ったことから多分そうだろうと僕は考えていた。そしてこれも一つだけ彼にアドバイスした。


「竿一本、ラバージグ一本勝負で、足を使ってどんどんランガンしたほうがいいよ」


そのアドバイスの背景にあるのは、ラバージグなるルアーが低水温期に比較的強いルアーであること。

川には絶えず流れがあり、冬でも止水域の釣場と比べて魚の移動があること。

好きなルアーを使い続けた方が、寒い中でもアングラーの集中力が持続しやすいこと。

などなどの理由があるのだが、どこまで彼がそれを理解できたかは判らない。



「是非行ってみます」

目を輝かせて彼はそう言った。



週に一二度、エア・フィッシングの彼とはホームで向かいあった。

目が合うと彼は小さく会釈する。僕の方は目で小さく挨拶する。

実際のところ彼と会話を交わしたのは、あの日遅延している電車を待っていたほんの10分程度の時間であったし、知り合いというほどの間柄でもない。

丁度なあんばいの必要十分な挨拶の仕方だと僕は思っていた。


比較的穏やかな陽気が続いた2月の最終週のその日、彼の様子がいつもと少し違った。

明らかに僕をみる視線が強い。何かを伝えたい意思がなんとなく伝わってくる。


僕は少し首をかしげて、(何?)という表情を作ってみた。

その僕の仕草を見て、彼は両手を広げた。肩幅、いやもう少し広いか。

次に彼は、右手を広げてこちらに突き出した。そして今度は左手でピースサインを作った。

じゃんけんのパーとチョキをそれぞれ出したようだ。


(パー?チョキ?)

僕はさっきより少し大げさに首を傾げた。


もう一度彼は、パーとチョキを繰り返す。そしてまた両手を広げた。

広げた両手は何かの長さを表しているのか?

パー?チョキ? 何かの長さ?“5”と“2”?あっ、52???

彼は52cmの魚を釣ったといいたいのか?


確認する意味で僕もパーとチョキを出す。

(うんうん)と頷く彼。


52cm。文句のないビッグフィッシュである。


(おめでとう)という意味で、僕は彼に拍手を送る動作をする。

深々と3回大きく頭を下げ、上げたその笑顔の爽やかなこと。


グッと今後は右の拳を見せる彼。いつまでも見ていたい彼のその破顔を、入ってきた上りの快速電車が遮った。

当たり前のことだが、その快速電車がホームを出ると彼の姿はそこにはなかった。


それにしても朝からいい笑顔を見た。

彼はこれから益々バスにのめり込むのだろう。

あの時僕達は、11万人の声を無駄死にさせた。

過去は取り戻せないが、またこうやって一歩ずつ進めていくのも悪くない。


今週末もこの陽気は続くという。

久し振りに僕も釣りに出かけるとするか。

定刻通りに下りの新快速電車がホームに入ってきた。



稚拙ながら、これ程バスへの愛情を表現できる書き手がいるでしょうか?※自画自賛

どこか釣り業界の人、これ読んで雇ってくれないかなぁ。


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