第五十八夜:エピローグ2(少女)
終活加速!
柔らか目のバス用フリップロッドを改造してある。
言っても大げさなものではない。
ガイドを、全て糸絡みしにくいニューコンセプトタイプのものに交換しただけだ。
今風のガイドはどれも小型化、そして軽量化されていて、少し手元重心になってしまった感じもするが、たったこれだけのことで、PEラインの糸絡みが、各段に少なくなった。
私的には納得の出来である。
長さ7フィート11インチ。
シーバスロッドとしては短めで、そして一般的な感覚では硬過ぎるだろう。
この竿を使い始めてから、幾度となくシーバスのバイトを弾いている。
もう少し柔らかいティップの竿を使えば、これまでキャッチできたシーバスの数は、きっと2倍くらいにはなっているはずだ。
でも個人的な嗜好として、私にはこれくらいの竿の硬さが必要なのだ。
釣果だけを求めるなら、取り回しの良い8フィート半前後のシーバスロッドに、3000番クラスのスピニングリールをセットすればいい。ラインはPEの0.8号くらいが、最もこのフィールドでは、強度と飛距離のバランスが取れている。
だからこそ、こんなタックルの組み合わせが、今も湾岸シーバスゲームの主流なのだ。
耐塩仕様のベイトリールには、PEライン2.5号が150メートル巻かれている。
色はライトブルー。意外とこの色が、空中では視認性がよく、海中では水になじむ。
シーバスがヒットした後、ドラグの性能で魚のパワーをいなす様なことを、私はほとんどしない。よほどの大物でない限り、ランディングネットすら使うことがない。
以前、そう、10年以上前になるが、この場所で知り合ったあるアングラーから、(力対力、ノーガードの殴り合いみたいなファイトですね)と私のファイトを比喩されたことがある。その言い回しが、私の考えるシーバスフィッシングの楽しみを、上手く言葉で纏めてくれたように思えて、少し嬉しかったのを覚えている。
シーバスのパワーをタックルのパワーで全て受け止め、そして捻じ伏せる。
全力のファイトには全力で応える。
時にその強引さが仇となる。
それでも、誰に何と言われようと、これが私の楽しみ方なのだ。
これが自分のスタイルだと得心してから、釣れた、釣れないの釣果に拘ることがなくなった。
きっとアングラーとしては、下手になっているのだろう。
つい15分ほど前に、ようやく夜明けかと思える色合いになったばかりの東の空が、もう朝と呼んでよい光量となった。初夏の朝は、いつも駆け足でやってくる。
この湾内の様子が、徐々に視認できる明るさになるや、(そうそう、こんな感じの雰囲気だったし、こんな海の色だった)と懐かしさが胸にこみ上げてくる。
ここで竿を振るのは実に10年振りだ。
夏場水温が上がる季節には、夜間は広い範囲で夜光虫が釣り糸の存在を魚に示し、釣果に悪影響を及ぼす。日が昇ると、潮回りによっては、赤茶色の海面に興を削がれることも多い。いつの頃からか、アカエイがこの湾内に入ってくることが多くなった。万が一、こいつらが竿に掛かってしまうと、上を下への大騒ぎとなってしまう。
今日の水の色も、なかなかに赤い。
つい一か月前まで見ていた、黒いほどに青い四国の海と、目の前の海が繋がっていると事実が、分かっていてもピンとこない。しかもその四国の海は、この湾から距離にして10キロメートルほどしか離れていないのだ。
しかし、これも釣りの不思議な一面だと思うことなのだが、透き通った青い海が、濁った都会の海と比べて、決して魚が釣り易いとは限らないのだ。
事実、今釣りをしているこの場所と同じくらい、釣果が期待できるフィールドは、四国でも、数える程しか私は知らない。
赤黒い水の中を潜行していたメタリックブルーの14センチミノーが、ピックアップ直前になって、ようやく偏向グラス越しに目視できた。透明度はせいぜい50センチほどか。
いよいよ大振りなローリングアクションが、はっきりと確認できる位置まで近づいた時、唐突に防波堤の側壁から、銀色の輝きが飛び出し、そして反転した。
(どんっ!)と数舜遅れて手元に伝わる衝撃。
私は早朝の空に向けて、フリップロッドを跳ね上げた
YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY
「お久しぶり~~」
意識せずそんな言葉が口から洩れる。
このフィールドで釣り上げた10年振りのシーバス。
嬉しい一本だ。大きくはない。甘く見積もって長さ55センチ。メジャーをウエストバッグから取り出すつもりもない。それでも、この上なく私にとっては嬉しい一本だった。
釣り人の数は、ほどほどである。
私から見て右手30メートル程の位置に一人。
左手方向で竿を振っている二人組とは、50メートル近くは距離を置いている。
さっき私が一本釣り上げたことも、どうやら彼らは気付いていないようだ。
あれからシーバスからの反応はない。
彼らの餌となるイワシの群れも、目視できるほど多くは入ってきていないことが判った。
たまたまのモーニングバイトを、幸運にもキャッチできたというのが、さっきのヒットの真相だったようだ。
私は10年前の記憶をたどる。
このフィールドのイワシの動きは予想しにくく、陽が高くなり、釣果を諦めかけた頃に、突然イワシがシーバスに追われ始め、一気に付近のシーバスの活性が高まることが少なからずあった。
この湾の西側には、大型ヨットマリーナが存在し、潮流を複雑にしている。東側は芦屋川から山水が流入し、豊富な酸素を供給し続けている。
そんな複雑な変化に富んだ地形が、このフィールドの、そんな特徴を作り上げているのかも知れない。
そう言えば、この日も、夜明け前に挨拶を交わしたアングラーから、先週はツバスの群れが入ってきたという、なんとも季節感を疑う話を耳にしたばかりだ。
まだまだチャンスはあるはずなのだ。
私は、やや深い層を引くことができ、飛距離も出るメタルバイブレーションを、リーダーの先端に結び直し、気持ちも新たに力強くキャストを再開した。
YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY
「あの~~~」
女性と判るその声に振り返ったのは、時刻にして8時を少し過ぎた頃。
7時半を回った頃に、単発で発生したシーバスのボイルは、ぎりぎりルアーの射程範囲で起こった。このチャンスを捕らえ、60センチ近い、やや痩せ気味のシーバスを一本追加していた私は、いよいよ今日の釣りを終了しようかと考え始めた頃だった。
若い女性だった。私とは年齢が離れ過ぎていて、正確な年齢を読み取ることができない。
それでも二十代なら前半、十代であっても全く不思議ではない。
休日らしいラフな服装ではあるが、その丸顔には艶があり、美人と表現するのはどうだか分からないが、可愛らしいと表現すれば、大半の人がそのことを否定しないだろう。
「あっ、おはようございます。何か?」
「あっ、突然すいません。向こうに止めてあるバイクなんですが・・・」
「バイク?」
私の乗っているバイクは80ccの小型バイクで、それほど他の人の迷惑になる位置には停めていないはずだ。それでも厳密に言えば違法駐車であることには違いない。
「あっ、邪魔でしたか?すぐに移動させます」
「いえ、そうじゃなくて・・・その~~」
バイクが邪魔だというのではないとしたら、この若い女性は私にどんな用事があるのだろう。朝の散歩がてらの挨拶なのか。それなら何故バイクの話なのだろう。
彼女の次の声を待つが、とても次の言葉に迷っているようだった。
「え~と、その・・・バイクの横に付いている・・・あの筒のような・・・」
私のバイクには、釣り竿専用のロッドホルダーが取り付けられている。
いつだか忘れてしまうほど前に、そう、確か車を手放した時、バイクで釣りに出掛けられるようにと通販で購入したものだ。この若い彼女はそれに興味を持ったのだろうか。しかし一体どうして。
彼女の次の言葉がなかなか出てこない。そのことに私も少し戸惑い始めている。
「あっ、少し待ってもらっていいですか?」
そう言うや、彼女はいそいそと踵を返し、おそらく彼女が歩いてきたであろう漁港の出口の方向へ、やや早足で去っていってしまった。
しばらくその後ろ姿を眺めていたが、今のやり取りでは彼女が戻ってくるまでは帰れない。仕方なくという言い方は語弊があるが、切り上げるタイミングを見失ったのは事実で、私は他にすることもなくキャストを再開する。
沖目に向けてのキャストはあまり意味がなさそうだ。強い朝日が作る堤防の陰が、いつしか色濃くなっている。餌となるイワシが少ない以上、沖の潮目よりもこちらの方がプロダクティブなゾーンと考えて間違いないだろう。
ピッチングキャストで丁寧に影の境目を、ショートディスタンスで打っていく。
キャスト、カーブフォール、そしてピックアップ。釣りのリズムが一変する。
このリズムの方が、何かしっくり来る。ベイトタックルの得意とする領域だ。
「あの~~」
再び女性の声。
「はい?」
振り返ると先ほどの彼女が、一本の釣り竿を抱えていた。リールもセットされている。
なんだ、何のことはない。先ほどの声掛けは、先行したアングラーへの、ポイントシェアのお願いだったようだ。納得しかけて、(いや、だったらバイクのロッドホルダーへの問い掛けは?)と、瞬時に考え直す。
「あの~、この竿に、見覚えはないですか?」
(この竿?)
彼女の抱えている竿に視線をやる。一般的な2ピースのシーバスロッド。
継いでみないと正確な長さは分からないが、太さから判断すると、ごく普通の8フィート台の長さのようだ。
シルバーのリールも、大きくもなく、小さくもない。恐らく3000番台。国産メーカのものだ。
この場所に限らず、特徴的なフィールドを除けば、汎用性が高く、使いやすいセットだろう。
そんなことを瞬時に見取った私に、どういう訳か、彼女はそのセットを差し出す。
受け取った私は、スペックを示す竿に刻印されたアルファベットを見る。
(83ML)
8フィート3インチのミディアムライトパワー、リールは予想した通り3000番。
ごく普通の、バランスの取れたタックルだが・・・(あっ!)
私の驚きに、彼女の顔が一瞬にしてほころぶ。
「やっぱりそうでしたが。筒のようなものをバイクに付けた釣り人だったと、おじいちゃんが言ってたもので・・・さっきバイクを見かけて、もしかしたらと思ったんです」
「10年前?」
「11年前です。おじいちゃんがその竿とリールをここで頂いたのは」
私はその日のことを鮮明に思い出した。
そう、11年前の秋口。その年はカタクチイワシの群れを追いかける形で、数年に一度あるかないかという大量のハマチの群れが、この湾内に入ってきたのだ。
絶え間なく発生しているナブラに、ルアーが届きさえすれば、ほぼ間違いなくバイトを得ることができた。
この群れの大きさだと、最低でも3週間は続くであろうハマチの接近であったが、その翌週からは、いよいよ引っ越しの準備に取り掛からねばならない。
癌で入院中の父親の介護のためだった。
だから今年、この場所でのハマチ釣りは、今回の釣行が最後になる
そんな思いで竿を振り続けていたとき、その老人と呼んでよい白髪の釣り人と出会ったのだ。私のごく近くで、到底届くはずもない浮き釣り仕掛けを、ナブラ目掛けて投げている老人に・・・
「私の祖父です」
そう言った彼女の目は暖かく、そして少し潤んでいた。
YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY
「そうですか。二年前に・・・ご愁傷さまです」
「はい、私は中学に上がるまでは、よく一緒にここで釣りをしました。頂いた竿は、たいてい私が使いました。ハマチも釣りましたし、他にシーバスも・・・」
「僕のほうも去年父が亡くなりまして。そのまま四国に住み着いてもよかったんですが、仕事に関してはこちらの方が何かと都合がよくって。女房もそれほど嫌がりませんでしたし。でっ、先月帰ってきたんです。」
「そうでしたか。いつも祖父が、あの人にお礼を言わなければって言ってました。釣りの話になるといつも。ちょっと肩の荷が下りました。代わりにお礼をいうことができて」
「もう釣りはされてないんですか?」
「そうですね、祖父が亡くなってからは全くしてません。でもずっと竿は車に積みっぱになってるんです。何かおじいちゃんとの思い出みたいな感じで」
「そうですか。んっ?」
20メートル?いや30メートルくらい沖合か。僅かに水面が揺れたように思えた。
(あっ)
イワシが追われている。同心円の中央に追い詰められる動き。
シーバスではない。青物が獲物を追っているときに見られる現象だ。
大きな水面の沸騰ではない。追い立てられているイワシのサイズが小さい。おそらく10センチに満たない大きさだ。下から喰い上げるように海面に飛び出した魚の青い背中が見えた。
「ツバスだ」
私のその言葉が合図になったように、直径10メートルほどの円状のボイルが起こった。
いま竿に付いているメタルバイブレーションでは、ややオーバーサイズかと思ったが、ツバスのボイルは一瞬で終わることが多い。ルアーを結び直す時間がもったいない。
私のキャストは、綺麗な円を今も描いているボイルの、やや沖目に着水した。
リールを3巻きした時、最初のバイト。これは乗らなかった。構わず巻き続ける。
すぐに2回目。これも乗らない。やはりルアーが大きすぎるか。それとも、やはり竿が硬すぎるか。そのままルアーが、円状のボイルを抜けてくる。
残念、そう思った瞬間、唐突に竿が、ぐんと引き込まれ、そのままテンションが掛かったままになった。
相手がツバスであることを配慮して、シーバスを相手にしているときと比べ、やや控え目の、優しいフッキングを入れた。フィッシュ・オン。
YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY
私は小型のフィッシングナイフで、釣り上げたツバスの血抜き処理をしている。
「持って帰って食べられますか?ハマチに比べると、まだ身がパサパサしてるだろうけど」
そんな私の言葉に、(祖父も、私も大好きだったんです、この魚)と彼女は答えてくれた。
そのことが何だか嬉しかった。
彼女の家族構成が分からないが、25センチのツバス一匹では、お土産としては物足らないだろう。処理したツバスをクーラボックスに放り込んだあと、キャストを再開しようとして、ふと彼女が今も胸に抱えている釣り竿に目が行った。
「どうです?この時期には珍しいせっかくのチャンスなんで、ご自分でも釣って帰りませんか?」
「えっ?でもルアーとかないですし・・・」
「大丈夫、大丈夫」
私はウエストボックスの中から、25センチクラスのツバスを釣るに最適な、小型のスピンテールジグを一度は取り出し、(いや、こっちの方がいいか)と、15グラム程度の、イワシカラーのメタルジグを彼女に差し出した。
それでも躊躇している彼女に、私は言葉を付け加えた。
「おじいさんへの僕からの供養です」
YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY
私の横に立ち、Tシャツ、ジーンズ姿の若い女性が、懸命に竿を振っている。
彼女のタックルにルアーをセットしようと、私が竿に手を伸ばすと、
「あっ、自分で結べます。ユニノットしか知らないんですが」
彼女はそういってメタルジグを私から受け取った。
「まさかユニノットなんて言葉が、若い女性の口から出るなんで・・・」
素直な驚きを私は言葉にした。
「はい、おじいちゃんに鍛えられましたから」
そう言ってあっと言う間にルアーをセットすると、とても穏やかな笑顔で、彼女はキャストを開始した。
「毎回、おじいちゃんより私のほうがたくさん魚を釣ってたんですよ」
その言葉があながち嘘とは思えない程、彼女のノットはスムーズだったし、このあとに披露してくれたキャスティングも、初心者のそれではなかった。リトリーブ姿も、後ろ姿が妙に様になっている。
「こりゃ~釣りそうだな」
ぼそりとそう口にした私の方を振り向き、小さな笑みを浮かべる彼女。ふわりと潮風に黒髪が揺れた。その笑顔に、私も笑顔を返し、そしてキャストを再開した時だった。
(ジィ、ジジィ~~)
彼女が竿を煽る動作と同時に、スピニングリールのドラグが小さく滑った。
「えっ、きたの?」
「はい、きました」
ごりごりと自信たっぷりにリールを巻き込む彼女。
その落ち着きように、まだランディングできた訳でもないのに、私は声を掛けてしまった。
「おめでとうございます」
ちらりとこちらに視線を向け、にこりとした笑顔を見せる彼女。ファイトの最中に余裕がある。
「ありがとうございます。そして・・・」
「そして?」
「お帰りなさい」
その言葉と同時に、一気にツバスを空高く、彼女は抜き上げた。
青い背中が、朝日の光を受けて輝いた。それはそれは、綺麗だった。




