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百夜釣友  作者: 柳キョウ
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第五夜:諦めざる者の杖、帰竿(きかん)

2018年1月11日

父に捧ぐ

(もう諦めろ)


延命治療の継続を薦める担当医師の言葉を遮って、振り絞るように父の口から出た言葉である。

か細い声であったが、それは誰の反論も許さぬような、奇妙な迫力に満ちていた。

その一言を発すると、父は目を閉じ、その後何の言葉も発しなかった。

それが父の最後の願望となり、私の聞いた最後の肉声となった。


似合わない言葉だと感じた。

思えば(諦めざる人)であった。


高校を卒業後、3年間社会に出て働いたと聞く。

自ら学費を稼ぎ、念願であった大学進学を果たした。

大学卒業後は自ら起業する夢を追い、35才の時に規模は小さいながらも建築コンサルタント会社を立ち上げた。

1994年頃のバブル崩壊と、2009年から始まった世界的不況という二度の大きな存続の危機を、持ち前の(諦めの悪さ)で乗り切った。


特に厳しく育てられた印象はない。

中学3年生の時、私は進路で悩んだ。

人生で初めての選択と言えた。

第一志望であった父の母校は県下有数の進学校で、私が同校に入学できる可能性は半分半分というのが、進路担当教諭の言葉だった。

50%の確率というのは、15才の少年にとっては非常に大きなリスクだった。

何も出身高校で人生が決まるわけでもないと、第2志望校を受験する腹でいた私の心中を、父は察していたのだろう。


「諦めるな」


それが父の私への言葉だった。

滑り止めの私学受験すら願書を取り下げた。

背水で臨んだ受験勉強の結果、私は入学試験をパスし、父の遠い後輩となった。


それ以来、何度聞いたことだろう。

父の(諦めるな)という言葉。

諦めない父であったし、私も含めた家族の誰もが、諦めるということを許されなかった。

許されなかったというよりは、諦めが悪いという性質が、自ずと家族に伝染したのだろう。


一度だけ、たった一度だけ、父は私に、(諦めろ)と言ったことがある。


私が小学6年生の時、当時宝物にしていた釣り竿を、誤ってテトラポットの隙間から海に落としてしまった時のことだ。

海面から覗くと、竿は見えなかった。

しかし複雑に入り組んでいるテトラポットのどこかに、引っ掛かっている可能性がなくはなかった。

他の竿についていた仕掛けを落とし込んで引っ掛けようとしてみたり、付近の木の枝を折り、隙間から突っ込んでみたりした。

どの作戦も回収には至らない。

最後にズボンを脱いで自らその隙間に入ろうとした時の父の言葉であった。

諦めないはずの父の(諦めろ)との言葉に、私は宝物を失ったことを悟った。


その前年、年末からの冬休み。

二週間の休みの間、毎朝6時に起床し、1時間だけ勉強すること。

それが釣りに興味を持った私に、父が釣り竿を与えてくれる条件だった。

そして冬休み明け、手に入れた竿とリールのセットは、クラスメートの誰が使っているものより遥かに高価で高性能なものだった。

朝方人間という特性も、目的達成のために多少の努力をする性格も、その後生涯の趣味となる魚釣りも、思えばこの時授かった。


そして次の夏、父と出かけた釣行で、私はその宝物を失うのである。

幼少の思い出の中にあって、最も苦い記憶の一つである。


そしてその36年後、二度目の父の(諦めろ)の言葉。

最後に聞いた父の言葉は、か細く、しかし強かった。



「これはイサオ(私の名前)が貰ってくれる?」


驚くほど少なかった父の遺品の中から、一本の釣り竿を取り上げ、母が私にそう言った。

その竿に見覚えがある。

それは父の還暦祝いに、私がリールとセットでプレゼントしたものだった。


この一年間、入退院を繰り返した父であったが、少し体調がましな時には、徒歩で行ける近所の防波堤で竿を出したということだった。

その釣行頻度は、体が元気であった頃よりも遥かに高かったらしい。



(父がよく釣りに行って困っている)


という母の愚痴を何度も聞いたのは、いつ頃だったろうか。

私が結婚して実家を離れて数年後の頃だったろうか。

私の結婚が2005年であるので、今思えばそれは2008年から2009年頃ではなかったか。

アメリカの大手銀行の資金破綻に端を発した、世界的な経済産業界暗黒の時期である。


憂き世に苦しむ一経営者として、たった一人で竿を出し、父は海に何を語り、何を求めたのだろか。


生きていくことは時に辛さを伴う。

そんな時、私も含めた釣り人は、何故か釣りに行く。

逃げているのではない。

考えているのでもない。

心が自然に考えていることを、少し離れて俯瞰する。

時に思いがけなかった答えが出ることもある。

そんなきっかけを釣りは与えてくれることが稀にある。


竿を出している。

先行きの不安は心のどこかに石ころの様に転がっている。

そのことを嘆きはしない。

ただその石ころが転がっている様を、ただ眺めている。

魚が掛かる。

その時だけは全てを忘れる。

ふと我に返る。

天から降ってきたような妙案が浮かぶ。

ごくごく稀に。


人は時に自らの弱さを認めねばならないことがある。

弱った時、人には杖が必要だ。

杖を頼りに闇を歩いている時、ふと何者かが力を与え、気が付けば杖に頼らずとも、地に立ち歩いている自分に気付く。

そんなことがある。


辛い時、弱くなった時、14年前父に渡したこの竿が、晩年の父を支えた杖であり得たなら、私にとっても嬉しいことである。


時を経て私に戻ってきた。

これから先、幾年にも渡り、今度は私を支えてくれる杖になることを願う。

諦めざる者であった父の記憶とともに。


諦めざる者の杖、その帰竿きかん


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