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百夜釣友  作者: 柳キョウ
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第四十三夜:三津合橋の老釣り師

私のフィッシングライフを大きく変えたある老釣り師との出会いの話です。

暮れも押し迫り、いよいよ釣り物も限られてくる季節に、徳島市の街中を貫く新町川界隈でロケを行った釣り番組の放送を、毎年とまではいかないが、たまに見ることがある。

最も釣り場として有名な三津合橋は、偶然にも私達夫婦が、結婚して最初に構えた新居から目と鼻の先。直線距離にして80メートル程度の場所に、そこは存在する。


夏の間、涼を求めて川を遡上していたシーバスが、この新町川を経由して海へと戻る限定的なタイミングで、およそ釣り場の印象とは程遠い、この街中を流れる狭い川が、超一級のシーバスポイントへと変貌するのである。川幅が狭いがゆえ、時に魚の密度は非常に濃く、驚くような好釣果に恵まれることも珍しくない。


今からだと10年近く前のこと。私達が徳島に住んでいた頃には、この新町川はそれこそ穴場も穴場。私が釣りをしている姿を通行人が見止めると、皆一様に怪訝な顔をしたものである。

これが関西の人間なら、(こんなところで何が釣れるの?)などの会話になるところだろうが、阿波の人々は皆揃ってシャイなのか、そのような声を掛けられた記憶が、私にはない。


その新町川が、今や全国放送の釣り番組で紹介されるのだから、釣り人の開拓精神たるや、馬鹿にできないのである。


さて私がこの新町川シーバスと出会ったのは、実に遠い昔。

昭和64年の正月明け、つまり数日後に平成元年となる年の、それは寒い夜のことである。

たっぷりとコーンのトッピングされた味噌ラーメンを学生仲間と食し、店外へ出るやその外気の冷たさを嘆きつつ、学生寮への帰路を急いでいた時、新町川にかかる三津合橋の上で、その人と出会ったのである。


手に持つのは、それは古びた太い釣り竿。リールも当時としてでさえ馬鹿が付くほど大きかった。巻かれている糸は、暗がりの中でも十分に視認できるこれまた太い糸。

東に200メートルも歩けば、県内唯一の国立大学である徳島大学本館が門を構える。

周辺では最も高い建造物となる徳島市民病院の窓々から漏れる灯りは、懐中電灯なしでも釣り仕掛けが作れそうな程、三津合橋の袂を明るく照らしている。


およそ釣り人が糸を垂れるような場所とは想像できないロケーション。

好奇の塊となった私は、その老いた釣り人に話かける。


「こんな場所で何が釣れるんですか?」


「スズキ」


思わず私は周囲を見渡し、テレビカメラが隠れていないかを探した。

この時、私の脳裏に過ったのは、幼き日に見たドッキリ番組。マンホールの穴に釣り糸を垂らした仕掛け人が、通行人の目の前で魚を釣り上げ、しかもそれは何故かアジだったのだが、そして周囲を驚かせるという企画。下らないと言えば、まさしくそうだが、そのレベルの冗談と誤解するほど、当時の私には、新町川三津合橋で釣りをするということが、私の常識から逸脱していたのである。


運命的な出会いとは、いつも奇跡のタイミングによって演出される。

(そんな馬鹿な)と私が口にしようとした時、老人の持つ釣り竿が、一気に橋の下方向に引き込まれたのである。

巨大なリールから力強く糸が引き出されていく。その強烈な締め込みに対して、無理に抵抗するでもなく釣り人は落ち着いて竿を両腕で支えている。その所作にムリ・ムラは微塵もない。その竿捌き一つで、この老人と呼んでよい齢の釣り師が、相当の手練れであることが判った。


程なくして、糸の先に存在する抵抗が少し弱まったタイミングで、今度は老人側が主導権を握る。頭の向きを換えられた魚は、一気に釣り人との距離を縮められたが、それでも激しく首を振り、最後の抗いを見せる。

都心のど真ん中を流れる小さな河で繰り広げられる、信じられないビッグファイト。


時間にして3分か4分。数回の主導権の与奪を繰り返したスリリングな攻防は、結果、釣り人の勝利に終わった。一気に橋の上に抜きあげられた銀色の魚体は、60センチを悠に超える立派なスズキだった。


今ほどソルトウォータールアーゲームが市民権を得ていない時代。ルアーでシーバスを狙うアングラーは稀で、私自身ももちろん未経験だった。

川の幅はわずか15メートル程。この場所なら、当時嗜んでいたバス釣り用タックルでも十分釣りになるのではと考えた私は興奮を覚えた。

エラと尾鰭にナイフを入れ、血抜き処理を施した後、大きなクーラーボックスにスズキを放り込む動作はどれも淀みなく、私にとっての一大事も、この老釣り師にとってはいつものことだと言わんばかりだった。


「こんなところでシーバスが釣れるんですね。ルアーでも釣れますかね」


「ルアーはやったことないけど、まあ魚がいるんだから釣れるんじゃない」


ぼそりと老人が答える。愛想はない。騒がしい見物人の登場を、多少煩わしく感じていたのかも知れない。釣り人とは総じてそういうものだ。それでもとんでもないものを見たと興奮している私は、迷惑も顧みずその場を離れない。


「今度竿持ってこようかな。ここはいつ頃まで釣れるんですか?」


「どうかな、あと1、2週間かな。もうほとんどの魚が海に下ってしまってるけん」


「海に下る?」


「産卵にね。今度また川を上がってくるのは、そうよのぉ、桜が咲く季節かな」


変らず愛想はないが、その老人は最小限の言葉で語ってくれる。

若き日の時は長い。春まで待とうという気になれなかった私は、老人に言った。


「今から竿持ってきて、僕もここで釣りしていいですか?」


「いいさ。川も魚も、わしだけのもんじゃないけんな」


「じゃあ、今から竿取りに帰ってきます。30分くらいかな」


「ワシはもう上がるけん、好きに釣ればいい。釣り場を譲る替わりという訳じゃないが、タバコ一本頂けんかね」


言われて気が付いたのだが、この老釣り師のファイト中、私は無意識にタバコを咥え、火を点けていたのである。学生の分際で、当時は酷いヘビースモーカーだった。


「ああ、いいですよ。マイルドセブンですけど」


「何でもいいよ、タバコなら」


「じゃあ、どうぞ」


ソフトパッケージから一本タバコを取り出し、老人に差し出す。

タバコを咥えた老人の口元に、100円ライターをかざすが、風に煽られなかなか火が点かない。老人が自分の両の掌で風よけを作ると、何とかタバコに点火した。この時一瞬、老人の掌と私の指が触れ、その掌の冷たさに驚く。

小さく一息煙を吸い込み、酷く老釣り師が咳き込む。


「ありがとうよ、美味いわ。ずっと医者から止められてるでね、タバコ」


「えっ、どこかお体悪いんですか」


明らかに自分の親よりも年配の人だ。何かしら医者に掛かっていることは不思議ではないし、タバコを吸ってもよいなどと患者にいう医者もよもや居るまい。

少し心配したような私の声音も、初めて会ったその人への、まあ社交辞令そのものだった。

風邪の菌でも貰ったか、どこぞの関節でも痛むのか。その程度の相槌が返ってくるものと疑っていなかった。


「いや、末期の癌でね。もうそんなに長くない」


あまりにも軽い口調で発せられた、あまりにも重たい内容。私もこれには面食らった。

いくらも吸わず、地面で火を揉み消すと、やおら老人は今しがたスズキを放り込んだクーラーを、自転車の荷台に括り付け始めた。


「わしはもう上がるけん。もう1回か2回、死ぬまでにここで釣りができるかな。兄ちゃんも釣りたいんなら春を待って、ここで釣りするとええ。わしはその頃、もうおらんけん」


それだけ言って、振出式の竿を縮めると、老人は自転車にまたがり、漕ぎ出しこそ少しよろめいたものの、その後は軽快に自転車を漕いで立ち去っていった。

その後ろ姿が闇に消えた頃には、なんだか家に竿を取りに帰ろうという気持ちも萎えてしまっていた。


(あれだけ元気に自転車が漕げるんだから、長くないなんて冗談だろう)


そんなふうに思ってみたし、そう思いたかった。


その後、何度か、まだ寒さを覚える時期に、この三津合橋の上から私は1人竿を出した。

果たしてシーバスを釣り上げたのは、あの老釣り師が言ったように、その年の桜満開の頃。そして、ついにその老人と、その場で再び会うことはなかった。


元号が変わり平成元年の春。その後30年にも及び、まだ現在進行形の私のシーバスフィッシングキャリアのルーツである。



奇しくも今年は平成最後の年。

今年釣り上げた60センチ以上のシーバスは合計7本。まあ例年通りの釣果。

今年他界した父と同じ年齢まで生きたとしてあと25年。あの老釣り師は、当時いくつだっただろうと思い返す。80才、それ以上?だとすれば、私にはあと30余年。


少し謙虚に、60センチオーバーのシーバスをあと100匹釣る。そのことをこれからの人生の目標の一つとしよう。そのためにはやはり健康が何より先立つものだろう。タバコも少し控えるが賢明だ。

人様から見れば、取るに足らない目標、そしてささやかな願望。


あの日あの老釣り師と出会わなければ、私は今までシーバスフィッシングに出会わなかった・・・訳ではないだろう。しかし、それでもシーバスを実際に釣り上げるのは、少しばかり先のこととなっていただろう。


(長くない)


そう口にしながら立ち去ったあの老釣り師の後姿は、少なくとも不幸を背負った人間のそれには見えなかった。名前も告げず、迫る死を淡々と受け止め、(あとは任せた)とでも言うように、軽く左手を上げたあの後姿は、今思えば少し格好いい後姿だった。


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