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百夜釣友  作者: 柳キョウ
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第三十七夜:オイカワとベラ(8)

ついにエピローグ書き始めました。

日曜日の朝は、一気に気温が下がりました。

川原に広く茂る、まだまだ青い草々に、薄く霜が張り付き、緑色がやや白くくすんだように見えます。

今、私は学生時代に購入したはずの、厚手の茶色いジャンパーを羽織っていますが、それでも歯の根が噛み合わないほどの寒さです。やや強目の風が、さらに体感温度を下げていきます。釣り糸が風になびき、仕掛けが水に馴染みません。


目が覚めた時には、釣りに出掛けようと言う気には全くなれませんでした。

昨晩、眠りに落ちた時の自分のことが、まるで思い出せません。

虚空に身を投げたような虚脱感のなか、時計に視線を送る気力すらも無く、いつしか私は眠りに落ちたようです。


目覚めと共に感じたのは、体がまるで泥の風呂に浸っているかのような重たさ。

朝食を取ることも無く、しばらくは天井を見上げていたのですが、それでも何かを振り切るように、私は竿を持ち、衝動的に家を出たのが、今から2時間前です。


今日、レナさんがここには現れないことは判っています。そのことは、私がここで釣りをする意味の大半を奪い去っているのですが、それでも、ここにやって来たのは、一体何に追い立てられたのだろうと、自分でも考えてしまいます。そして答えには、未だ至りません。


重たいクーラーボックスを肩に担ぎ、レナさんの家を訪ねたのは、昨日の夕方です。

重々しい門の右側に位置するのチャイムを押すには、私には少しばかりの勇気が必要でした。


一度だけ顔を合わせたことのある、レナさんのお母さんが出迎えてくれました。

私の顔を見るや、お母さんは、先週レナさんにプレゼントした洋服について、こちらが恐縮してしまう程の丁寧さで、お礼の言葉を次々並べます。プレゼントを頂戴したのは、お互いさまなのですが、その言葉はあまりに長く、


「レナさんが欲しがっていたメスのオイカワが釣れたもので・・・」


クーラーボックスに張った水の中で、元気に泳ぐオイカワの話に持ち込むのに、相当の時間を要してしまいました。


「それはわざわざ、どうも。きっとレナも喜ぶと思うわ」


玄関先に置かれていた、私の想像よりも少し大きかった四角い水槽の中で、丸々と太った真っ赤な金魚が4匹、忙しなく泳いでいました。その中で、肩身狭そうに水槽の隅の方でじっとしている細長い魚の姿を、私は見止めます。レナさんに初めて出会った日に、私が釣り上げたオスのオイカワです。

あの頃より、心なしか体が大きくなったような気がしますが、それは私の思い過ごしかも知れません。


私の注意が、その水槽の魚に向いていることを、敏感にお母さんは感じ取ったのでしょうか。


「これまで一人ぼっちで寂しかったね。お嫁さんがきたわよ」


そんな優しい言葉を、お母さんは、水槽の隅で相変らずじっとしているオスのオイカワにかけています。


(あっ、そうそう)


お母さんは私の方に振り返りました。


「レナね、喜んでプレゼント頂いた服、着て行きましたよ。どうせ面接は制服で受けるんだから、荷物になるだけなのにね。まあ、あんながさつな娘が、お洒落したいって言うんだから、そういう年頃になったということでしょうけど・・・」


(えっ、何、面接って?)


私には何の話か皆目分かりません。

そんな私の表情が意外だったのか、(あれっ、レナから聞いてない?)


そう前振りしたあと、お母さんが続けた言葉は、私にとって大変なショックでした。


「レナね、お蔭さまで、来年から東京の○○大学の付属高校に行くのよ。八王子のお祖母ちゃんの家から通うことになるわ。明日が形だけの面接。もう内定も出てるのよ。この前の県内統一模試が、とても良かったものだから。お祖母ちゃんに会うのも久しぶりだし、昨日から八王子に行ってるわ」


私には、すぐにはお母さんのいうことの意味が理解できません。

いや、頭が理解しようとしません。


(県内模試の前には、何か部屋までお借りして勉強させて頂いたそうで・・・)


その後暫く、お母さんのお礼の言葉が続きましたが、もう私にはその言葉が全く頭には入ってきませんでした。

その後、どんな言葉を最後に、レナさんの家を後にしたのか、そのことすら思い出すことができません。

まるで他人の脚を借りて歩いているような、不思議な感覚の足取りで、私が自分の部屋に戻った時には、街灯も少ないこの辺りは、すっかり暗闇に包まれていました。


*****************************************


浮き釣り仕掛けをゆっくりと下流に運んでいる水の色が、やけに今日は冷たげに感じます。

正午を回り、ますます西からの風が強くなりました。

何かを川が拒絶しているかの様に、この日は魚からの反応がありませんでした。


(来年の春には、レナさんがいなくなる)


昨日知ったばかりの、間違いなく訪れるその近い未来が、カランと音を立てそうに、私の乾いた胃の中で転がっていました。


************************************************


一度も竿を出すことの無い週末は一体いつ以来かと、天井の小さな染みを見つめながら、私は考えていました。

遅い昼食を取った頃、秋の日の入りは駆け足でやってきたようです。

その日一日、ずっと部屋にいる私ですが、窓から感じる光量で、その事を感じとります。


と、その時、誰かが玄関のドアを小さくノックする音に、私は気付いたのです。

その音に気付いてからも、私の体は、全く何らかの動作をしようとしません。

しばらくの静寂。また小さなノックの音。

私は少し、その音の方向に首を向けます。


「お兄さん、いるかな?」


部屋にいる私の耳に届く必要最小限のレナさんの声でした。



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