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百夜釣友  作者: 柳キョウ
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第三十二夜:オイカワとベラ(7)

前書きが苦手です。

何度も何度も、気が付けば左手首に視線が向き、その度に、私はにんまりしてしまいます。

そして只一人、誰もいない川原に腰かけて顔を赤らめます。


しっかりと存在感のあるボリューム。国内有名メーカの人気ダイバーズウォッチ。

文字盤とベゼルは、どんな服装にも合いそうな、ややツヤを抑えたシックなブラック。ベルトも落ち着きのある緑色掛かったダークグレーです。


(仕事の時に着けていても、それ程違和感はないですよ。やや大振りのものが、最近の流行りです)というのが、優しそうな女性店員さんの説明でした。

太めの長針と短針は、鮮やかなホワイトで、短針のみ先端が赤く塗装されています。

夜間に重宝しそうなバックライト機能が、今年から付加された同モデルの新機能だそうです。もちろん防水性能付きで、耐水圧は20気圧。そしてソーラー電池搭載。

そう、このダイバーズウォッチが、レナさんから私へのプレゼントなのです。


「お兄さん、釣りしてる時も、普通の仕事用の時計でしょ。」


「あっ、うん」


「それってちゃんと防水仕様?」


「あっ、どうだろ、知らない」


「釣りの時もそうだけど、お兄さん、休日はラフな服装が多いんだし、それに合わせたお休み用の時計があった方がいいかなって」


ラフな服装が多いと言われると、少し恥ずかしくなってしまいます。

でもそれは紛れもない事実です。実際、その日の(2人きりのデート?)でも、普段会社に着て行く服装を、少し着崩しただけで、本当に普段服の少なさに、自分でも情けなくなったのですから。


そんな理由で、休日用の腕時計をプレゼントに考えているというレナさんの言葉は、極上の喜びを私に与え、その時の私は、一体どんな不抜けたみっともない顔をしていたことだろうと思います。


この川原では、人が往来することは、ほとんどありません。それでも、少なくとも釣りをしている間は、その場にじっと佇む訳ですから、全く誰とも出会わないということも、また、ありません。一声二声を掛けられることもあれば、稀に釣果を尋ねられることもあったりします。


たった一人で釣り糸を垂れ、にやけたかと思えば赤面する。そんなことを繰り返している釣り人を、通りすがりの人達は、どれほど不審に思う事でしょうか。


YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY


先週は土曜日の話です。

時間的にはちょうど今頃、正午を少し前に、目的地である界隈最大のデパートの8階、まだ空席が目立っていたレストランに入店します。

そこで初めて、薄くメークしたレナさんと、煌々(こうこう)としたレストランの灯りの下、真正面から向き合うこととなりました。

控えめなシャドーが施され、切れ長な目が強調されています。

普段は、後ろで束ねられていることの多い黒髪が肩に掛かり、その大人っぽさに耐え切れず、思わず私は視線を落としてしまいます。

そんな私の狼狽振りなど、全く関知せずという具合で、嬉しそうにメニューを広げたレナさんが言います。


「さて、何を食べよう」


それはいつも通り明るく可愛いレナさんなのですが、今日に関しては、それに大人の艶やかさも付け加えられ、私的にはもう完全無敵に思えます。

彼女の視線が、真正面からこちらを射ると、もう私は普通ではいられない。

その緊張は、私のあらゆる行動をぎこちなくさせます。


「どうしよう、レナ、パスタにしようかな」


「じ、じゃあ僕もパスタにしようかな」


「そしたら、違うパスタ注文して、半分ずつ食べようよ。ボロネーゼは外せないかな。もう一つは・・・カルボナーラにする?バジルソースにする?レナどっちでもいいよ」


「じゃあ・・・バジルで」


(お薦めは何?)なんて聞かれなくって本当に良かったと思います。

そう問われれば、きっと私はあたふたと答えに窮したことでしょう。


注文後、ほどなくして運ばれてきた二種類のパスタ。

フォークとスプーンを上手に使い、パスタを口に運ぶレナさんとは対照的に、テーブルマナーに、私が大変に苦戦したことは、語るを待ちません。

それでも、2人でパスタを取り分けている時の幸福感は、どう言葉にすればいいのか、それは私の語彙力を完全に超えていました。


次第に客席が埋まってきた12時半を回る頃、レストランを出て、次に私達が向かった先は、同デパートの3階に店舗を構える某時計ショップです。

まるで彼女に引きずられるが如くに、連れて行かれます。


(こんなにレナさんって、歩くのが速かったっけ)


そんなことを考えつつ、カツカツとフロアーを叩き、乾いた音を立てる彼女の赤いヒールに目をやると、そこから伸びる健康的な脚が、またも私をドキドキさせます。


程なく到着したその時計ショップは、なかなかの繁盛振りで、3名の店員さんが慌ただしく接客に動き回っていました。一人の店員さんの接客が一段落したタイミングで、レナさんが自分の名前を告げたあと、言います。


「あの~、取り置きして貰ってたダイバーズウォッチを・・・」


(あっ、はいはい)と店員さんが、カウンターの奥から取り出してきたのは、腕時計を収納するには、随分と大きめで、その形状はほぼ立方体の木製の箱。くっきりと浮き出た木目が、不思議な高級感を醸し出します。

店員さんからその箱を受け取り、ゆっくりと蓋を開け、レナさんが私のほうに差し出します。

室内の照明効果もあるのでしょう。その黒く、大きな腕時計は、驚くほどに煌びやかな光を反射しました。


(どうかな)と問う少し不安げなレナさん。取り置いていたということは、彼女がきっと選んでくれたモデルなのでしょう。私には文句があろうはずがありません。


「こんな嬉しいプレゼント、生まれて初めてだよ」


「ちょっと、そんな大げさな・・・」


そうさらりと応えるレナさんですが、その私の言葉に、嘘偽りは全くありませんでした。

暫くその腕時計を、私は眺めます。この後、私はどのような言葉も出すことができませんでした。


レナさんが、レジで会計を済ませるまでの間に、私は少なくとも5回は、(ありがとう)の言葉を並べたはずです。しまいには店員さんが苦笑いです。


「もちろん今からお使いになりますよね」


答えを待たず店員さんが着けてくれたものが、今、私の左手首で時を刻んでいる、この時計なのです。


さて、そこからが私にとっての、この日最大の試練でした。

私がレナさんへのプレゼントを選ぶ番です。

まずは婦人服の売り場に向かいますが、レナさんのように事前に目途を付けておくなど、私には思いも至りませんでした。そもそも、若い女性の服装を、私が選べる訳がありません。こんなことなら、吉田さんに相談しておけば良かったと、少し後悔します。


夢遊病者のようにただ彷徨うだけしかできず、いよいよ窮地に陥った私を救ってくれたのは、若くて背の高い女性店員さんでした。


「いらっしゃいませ、何をお求めでしょうか?」


スタイルもよく、なかなかに美しい店員さんでしたが、もちろん私的にはレナさんには遠く及びませんが。


「あっ、彼女に・・・何か、似合う服を・・・」


何とも間抜けで要領を得ない私の言葉。言われた店員さんも、さぞ困ったことでしょう。

店員さんがちらりとレナさんを見て、少し怪訝な顔をしたように、私は思いました。

随分と年が離れたカップルだとでも思ったのでしょうか。

しかし、そこはさすがに接待のプロです。すぐににこやかな表情に戻ります。


「どういった場所でお召しになる服をお探しでしょう?」


「あっ、それは・・・えっと・・・」


「都会でデートに着て行っても恥ずかしくない服を・・・」


そう言ったのは私の斜め後ろに立っていたレナさんです。

彼女の明るく明確な言いように、店員さんが、思わず表情を崩します。

その時、なんとレナさんは、甘える様に、私の左腕に自分の右腕を絡めてきたのです。

ビクンと私の体が反応します。


少し驚いたような表情を見せた店員さんですが、一瞬にして目尻を穏やかに下げ、如何にも微笑ましい光景を見たというような暖かな顔に変わります。


「今お召のワンピースも十分お洒落だと思いますが、今年の流行で言えば、カジュアルなものでは、新素材のフリースを使ったものか、スポーツカジュアル系のチビTとか・・・」


(チビT?)

何か差別的な呼び名だと感じますが、もちろんその(チビT)なるものが如何なるものかは、私には判りません。


「え~~レナ、体のライン出るの、ちょっと嫌だな~」


レナさんはどうもチビTと聞いてぴんと来るようです。しかしチビTとは一体?


「そうですか?素敵なスタイルをされているように思いますが」


「でも、まだ成長するかも知れないし・・・、あの、胸って何才くらいまで成長するものなのですか?」


そんなレナさんと店員さんとの会話に、いよいよ私の立ち位置がなくなりました。

(専門家に相談に乗ってもらって・・・)との言葉を言い訳にして、そぉ~とさりげなく、その場を離れます。


(きゃははっ)、そんな如何にも若い女性同士の会話らしい笑い声と共に、レナさんと店員さんは試着室へと消えていきました。


少しほっとして歩き回ってみますが、このフロアー全体が、女性用衣類を取り扱う階らしく、私には定まって留まる場所がありません。

逆に居場所を求めて、フラフラを歩いていることの方が不審な印象を、周りに与えてしまうのではと思います。電化製品のコーナーでもあれば、個人的にはいつまでも退屈することなく、時間を消費できるのですが、生憎別のフロアーのようです。

肌着売り場など、男にとって居心地の悪い場所をできるだけ回避し、歩いていると、背中側から声が掛かります。振り返ると、例の女性店員さんです。


「こちらでしたか、あの、彼女がお呼びですよ」


どこまで本気なのかは判りませんが、この店員さんは、レナさんのことを、(私の)彼女という言い方をしました。


「ああ、すいません」


何故か私は謝ってしまいます。まあ、足労を掛けたのは事実ですが。

店員さんに促され、先ほどの婦人服売り場に戻ります。

立たされたのは、試着室のベージュ掛かった色調のカーテンの前。


「彼氏さん、戻ってきましたよ。開けてもいいですか?」


カーテンの向こう側から、(いいですよ)というレナさんの声がします。

カーテンの縁に手をかけた店員さんが、私の方に視線を向け、少し悪戯っ子のような笑みを浮かべます。


(覚悟はいいですか?)


私にそう確認するような表情に思えました。

一気にという勢いでもなく、焦らすような開け方でもない。

そんな絶妙のスピードで、カーテンレールが穏やかな音色を奏でました。

まず私が見止めたのは、少しはにかんだような顔のレナさんの表情。

胸元の曲線にぺたりと張り付いた、濃い緑色のシャツと、その上にふわりと掛けられた白いカーディガン。そしてふわふわとした質感のベージュ色のスカート。


私にはその綺麗さを表現する言葉が、全く見当たりません。


「今年流行りのプリーツスカートをメインに、上を合わせてみました。色はトップスと合わせ易い濃いベージュがよろしいかと。如何ですか、彼氏様?」


そう感想を店員さんに催促された私ですが、それでもまだ言葉が出てきません。


「どう、似合ってないかな?」


さらにレナさん本人の、少し不安そうな声が、私を促します。

似合っています。似合っているというか、とにかく綺麗です。美しい。

だからこそ、その単純極まりないその言葉を口にすることが出来ない。

そんな私に、少し不満そうな表情をレナさんが、見せたその時です。


「顔を見れば判りますよね。ほら、言葉にすれば、人の心が逃げるなんて言うじゃないですか」


(言葉にすれば、人の心が逃げる)


実に心に残る、重みのある言葉が、私を救ってくれます。

レナさんが私に、にこりと微笑みます。


「お兄さん、ありがとう」



YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY


時間は13時を回りました。

封を切っていないポテトチップスの袋が、私の足元に寂し気に佇んだままです。

レナさんのためのコーラも、先月購入した携帯性の良い、小型クーラーボックスの中に、2缶そのままになって、残っています。


私のプレゼントした洋服に、あれだけ喜んでくれたレナさんですから、一週間前のことが今日レナさんの現れない理由になるはずはありません。

一日緊張しっ放しではありましたが、粗相と呼ぶような行動は、私にはなかったはずです。


(今日は何か他に用事があったのかな)


中学生にも、色々とやることはあるでしょう。

普通に考えれば、その程度の憶測が妥当なところでしょうし、変な深読みには全く意味がありません。


いよいよ、今日何度眺めていたかも知れないダイバーズウォッチの針が、14時を指す頃、そろそろ私は釣り仕掛けを仕舞い始めようと思ったのです。

2袋準備していたポテチは、その封も開けず。4缶のコーラは、1缶のみ、私が飲み干しただけでした。餌のキジも、まだたっぷりと残っていました。

流心目がけて残ったキジを、土ごと川に投げ込みます。

腰かけていたクーラーにポテチとコーラを仕舞いこみ、足元に置き放しにしてあった竿に手を掛け、仕掛けを回収しようとします。


(あっ!)


竿の先に小さな生命感を感じます。

なんと置き竿にしてあった竿に、魚が掛かっているようです。

いつの間にか糸が、その長さ一杯に下流に流れていました。

魚自体はそれほど大きくはなさそうです。

竿を立てると、水面を滑るように寄ってきた魚を見た瞬間、私は息を飲みました。


その第一印象は(赤い魚)。もちろん金魚のように全身が赤という訳ではありません。

側面で輝く模様と長く美しい尾鰭が、あまりに赤く鮮明であったため、そんな第一印象になったのです。大きさは12センチほど。

この魚が、何度も何度も、レナさんに(釣ってよ)とせがまれ、そして一度として釣り上げることのできなかった、メスのオイカワであることが、私にはすぐに判りました。



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