第三十一夜:禁断のゲーム(2)
もう西の湖まで行く元気がなくなりました。
ここは3月中旬の滋賀県は西の湖。
午前9時を回った頃には、着込んでいた防寒服を脱ぎ、フリース素材の上着一枚が、ちょうど心地よい程の春の陽気となった。
「やっと冷えたビールが美味いと感じる体感温度になったな」
この日クーラーボックスに放り込んでいた500ミリリットルの缶ビールは8缶。
その3缶目を飲み始めたBがそう口にする。それまでは、(寒い、寒い)と震えながら、それでも最初のポイントに到着すると同時に、クーラーボックスからビールを取り出し、Bはそれを飲み始めたのである。
「確かにだいぶん気温が上がってきたな」
僕は相槌のつもりで、軽くそう言ったのだが、B曰く、
「気温が上がったんじゃねぇよ、太陽の輻射熱で体が温まったんだよ」
こう言うところが元学者の嫌なところだ。
「う~~ん、船に揺られながらのビールもなかなかいい物だな」
そう、僕達は今、二人でボートに乗っているのである。
西の湖の南岸にあるレンタルボート屋で、長さ14フィート、船外機5馬力を搭載した船を借り、僕はひたすらに釣りを、Bはひたすらにビールを飲んでいるのである。
微風が程よくボートを揺らし、それも手伝いBは既にいい気分になっているようだ。
操船者である僕は、残念ながら酒を飲む訳にはいかない。8缶のビールは、全てBが飲むためのものなのである。
レンタルボート屋の開店時刻は、早朝の5時だったのだが、僕達がボート屋に到着したのが6時半。若いボート屋スタッフの、操船するにあたっての注意事項や、危険水域の説明は、予想以上の細かさで、一刻も早くフィールドに出たい僕を苛立たせたが、しかしそれは重要なことであると真剣に聞く。
持参していた電動モータや魚群探知機、そして最後に釣りタックルをセットし、ようやっと釣りができる準備が整ったのは、もう8時になろうという時間だった。
予定の2時間遅れ。全ての原因はBの朝寝坊である。
(バスプロって連中に、俺が勝たせてやるよ)
Bのその一言から始まった僕達の試みは、つまりこういうことである。
プロトーナメント戦と同日に、同場所で、僕達が彼らに混じり釣りをする。僕達の釣果を、プロ連中の試合結果と照らして、答え合わせをする。それがどうもBの(バスプロに勝たせてやる)企画らしい。もちろん、仮に優勝者のスコアを超えたにしても、試合には参加してない訳だから、公式の記録にはならない。
「ほらほら、あれみたいなものよ、あれ」
「あれって何だよ?」
「だから、あれだよ。マラソンのテレビ放送なんかでさぁ、沿道を走っている奴いるじゃない?そんで奴らが出場選手をぶっち切ったら、面白くね?」
(あれ)で判るか!どうも学者という人種は、頭の回転が速すぎるのか、言葉がそれに遅れる傾向になるようだ。Bと付き合い初めてから、特に思う。
その度、(言わずとも判るだろう?)的な顔をするものだから、時に鬱陶しい思いもする。
さて、このBの(勝たせてやる)企画であるが、僕達が寄り合ってその素案を考えた訳ではない。あの日、僕の部屋で、3人で酒を飲みつつ、(プロに勝たせてやるよ)と言ったBのセリフなど、ものの1週間もしないうちに僕もAも、実のところすっかり忘れていたのである。
2月中旬、何かとバタバタする年始の慌ただしさが、ようやく落ち着き、再び3人で集まる機会があった時、突然Bが言ったのである。
「西の湖なんかどうよ?」
初めは僕もAも、なんのことだかさっぱり理解できなかったが、何かがBの元学者魂に灯を点けたのだろう、その企画実行のため、彼なりに色々と調べたようである。
「いや驚いたけど、全国の至るところでバストーナメントってやってるんだね」
その段になって、ようやく僕もAも、あの時話題になったバス釣りの話であることが、飲み込めた次第という訳である。まあ、どんなシチュエーションであっても、釣り人とは釣りが好きなのだ。僕もAも、そんなBのやろうとしていることに反対する理由がない。何より僕的には、そのもたらされる結果に興味がある。
「俺の最強釣法理論を証明する舞台を、俺なりに調べたんだけどね・・・」
Bが言うにはこうである。
現実的に、僕達がプロ連中と同じタイミングで湖面に出ることのできるトーナメントフィールドは、滋賀県は琵琶湖、そして西の湖。そして兵庫県は生野銀山湖と東条湖。少し無理をして、何とかぎりぎり徳島県吉野川。これが3人の住まいからの距離という物理的な制約。そのなかで、生野銀山と東条湖は、できれば避けたいとBが言う。
過去のトーナメントデータなどを調べたBは、この二つの湖での、魚のキャッチ率が低いこと、判り易く言えば、釣りにくいフィールドであることを理由に挙げた。
「統計的に理論の正しさを証明するには、絶対的な母数は多い方がいい」
つまりたくさん魚が釣れるフィールドの方が、自らの理論の正しさを証明する場としては、相応しいというのが、彼の言い分である。
サッカーのような、比較的ロースコアで勝負が決まるスポーツは、番狂わせが起こり易く、反対にラグビーやバスケットという点の取り合いになるスポーツは、これが起こりにくい。確かに統計という点では、Bの言う通りだろう。
次いでBがいうには、彼が今回の企画のために用意できた魚に取り付ける発信器は15個。15体のモデルフィッシュで、全体の魚の動きを把握するには、少し琵琶湖は広すぎるというのである。
(西の湖のほうが家も近いし・・・)というBの本音も垣間見え、結局、舞台は滋賀県西の湖のプロトーナメント年間4戦と、あっさりと決まった。
「俺はバス釣りをやったことも、傍で見たこともないから、まずはそれを見せてくれ」
そのBの要望に応える形で、どうしても都合の付かなかったAを残し、僕とBの2人で西の湖までやってきたのが、今回の釣行なのである。
さて、当然Bも釣りをするものと思い、彼の分のタックルまで準備してきた僕だったのであるが、あっさりとBは、(俺は魚を釣りたい訳じゃない。飽くまで持論の証明だ)と、竿を握ろうとはしなかった。
「まあ、まずは好きな様に釣ってくれよ」
クーラーボックスの上に、どかっと尻を下したBが、僕にいう。
やけに太々しい。出船時には、(俺は泳ぎが得意じゃないから、絶対に転覆させるなよ)などとライフジャケットの紐を、必要以上に締め付けていたくせに。まあいい。
まずは偏向グラス越しに浅瀬の様子を、微速で船を進めながら観察する。
カナダ藻が青く色付くには、まだ季節が少し早いようだ。しかし、岸際の葦林は、すでに青々としている。すぐそこまで春が来ている証拠である。
そこで最初にチョイスしたのは、スピナーベイト。葦際にサイドハンドキャストでテンポよく打っていく。
数投目に(ほうっ)というBの反応。一体何に反応したのだろうか。
ボートハウスを出て最初のストレッチを、スピナーベイトで一通り流したが、魚のバイトを得ることは無かった。早春の釣り、それ程甘くはない。
今度は少し沖目に船のポジションを取り、少し探るレンジを下げて、リップレスクランクを投げてみる。これが実は、僕が最もコンフィデンスを持っている釣りなのだ。
大型のオスが単発で出てくれることへの期待によるチョイスであるが、その間も黙ってBは、僕の釣りを眺めているだけである。ビールを飲みながら。特にこれと言った感想を漏らすこともない。
たまにフックに引っ掛かってくるカナダ藻の切れ端の色から、季節の進行を僕は推測する。
かなり深いレンジまでルアーを届けないと、青い藻が絡んでこない。
どうやら春本番というにはほど遠いらしい。これでは魚の動きも鈍かろう。
ならばと、少しルアーの移動速度を控える目的で、サスペンドミノーを投げてみることする。こいつは、それまで投げていたスピナーベイトやリップレスクランク以上に、早春の釣りに有効とされる、この時期の定番ルアーなのだ。
(太陽の輻射熱云々・・・)の会話は、ちょうど僕がこの時ルアーをチェンジしていた際のやり取りである。この段階でちょうど9時。魚のバイトは皆無である。
さらにポジションを沖に取って、そしてシャッドの一投目。
狙う2メートルラインにルアーを到達させ、軽くトィッチを入れる。魚にルアーの存在をアピールするための動作である。
(おいおいおい!)
Bが明らかな反応を示す。(どうした?)と問う僕に、Bが逆に問うてくる。
「その竿を煽る動きは、何の意味があるのさ?」
トィッチを入れてルアーの動きに変化を付け、その存在を魚に気付かせる。
興味を持って寄ってきたであろう魚に対し、次のトィッチとストップのメリハリで、バイトトリガーを作る。ストップの時間は、追って来る魚の活性によって、臨機応変に変化させる。春の釣りの定番ではないか。
(お前には判らないだろうが)と、喉まで出かけたセリフを飲み込み、僕の語彙力の及ぶ範疇で、できるだけ判り易い単語を選択し、そして簡易に説明する。釣りをやらない人間にトィッチというアクションの説明は、なかなかに難しいものだった。
苦心したと言ってよい僕の説明を、一通り聞いた後、(ふ~~ん、まあいいか、もう少し好きにやれよ)とぼそりと口にするB。多少、Bの態度に僕はムカっとした。事実である。
辛うじて水面下に目視できるカナダ藻の塊の上っ面を、サスペンドシャッドを通し続ける僕。
ドーム状になっている藻のポケットに遭遇すると、そこにテキサスリグを落とし込む。シンカーは5グラム。まあ普通の重さであり、装着しているワームも、ごく一般的な大きさのものだ。昔からあまり奇をてらった釣りは好きでない。
そうしている間も、特にBからの反応は何もない。無言でビールを飲み続けるB。
まだ焦る時間でもないが、こうなると、何としても魚を釣って見せてやりたくなってきた。
ショートピッチでテキサスを打つ頻度が、次第に高まっていく。
この日のファーストフィッシュは、ザリガニ型ワームのテキサスリグに来た。
水深4メートルに生えていた高さ1メートルほどのカナダ藻のドームの中。
浅いところからスタートして、少しずつレンジを下げていき、そして遂に4メートルラインで魚のバイトを得た訳であるが、サイズは期待外れの35センチ。その色の白さから、回遊性の魚と推測された。狙っていた産卵に絡む魚ではなさそうだ。
それでも、その日の一本目は、ある程度釣り人を安心させるものである。
「何メートルの水深で釣れたんだい?」
「4メートルラインの底から1メートルくらい。カナダ藻にサスペンドしてた魚だよ、たぶん」
「その魚は、実際の試合ではどうなのさ?」
あまり興味無さげにそう問うB。
35センチ、推定500グラム。これが5本揃ったとして、2500グラム。
う~~ん。
「これが5本揃ったとして、全体の中の下くらいかな」
(そうかい)という顔をして言葉を返さず、時計をちらりと見るB。
(1時間半で一匹か。でもって、中の下か、ふんふん)と僕に向かってという風でもなく呟いている。
「ところで、この湖の一番深いところの水深はどのくらいなんだい?」
(12~3メートルくらいだろう)と反射的に答えてしまった後、果たしてそうだったかと、思い直す僕。学者というものはアバウトな回答を嫌うはずだ。(いや、よくは知らない)と言い直そうとしたが、それよりも先にBが口を開く。
「まあ、大体イメージは掴めた。お前はもう暫く好きに釣りをしろよ。ああ、5メートルより深いところは釣りしなくていいから。俺は少し横になる。そうだな、11時になったら起こしてくれ。そして釣果を聞かせてくれ。特に釣れた水深は正確にな」
言い終る前に、Bはボートデッキにそのデカい体を横たえた。
目を閉じたその顔が、やけに自信たっぷりの表情に見え、何故だか知らないが、その事に僕はかなりムカついた。もしデカい魚が掛かり、デッキの上を右往左往することになったら、遠慮なく踏んづけてやろう。そう思いつつ、僕は釣りを再開した。




