第二十七夜:オイカワとベラ(6)
昔の恋愛が思い出せません。この年になると。
2両編成のワンマン電車に乗っています。
ウィークデーの通勤時間帯には、まれに座れないことがあると聞いたこともありますが、いつもその程度の利用者数のローカル線です。
私達の乗った車両はガラガラ・・・というより、私とレナさんの2人だけなのです。
今は日曜日の11時半過ぎ。
緊張して朝食も満足に喉を通らなかった私は、ぎゅるりとお腹が鳴らないか少し心配です。
目指すは乗車時間にして約25分、一応この辺りのハブステーションになっている某駅前のデパートです。
少しマシな買い物をしようと思うと、ここまで出てこざるを得ないのが、なかなか田舎町の不便なところなのですが、そんなことなど、今の私には全く問題になりません。
何故なら、今日はレナさんと、2人きりのデートなのです。
いや、デートと言えば、もしかしたらレナさんは怒るかも知れません。
2週間前の土曜日のこと、私はいつもの週末と同じように、川の辺で釣り糸を垂れて、レナさんが現れるのを待っていました。
10月に入ったのを境に、一気に気温は下がり、その日は一枚余分に薄手の上着を、家を出る直前に羽織りました。このあたりはさすがに雪国の秋です。
仕掛けを川に投げ込んでから半時間ほど経過した頃、いつもと同じ半袖体操服姿のレナさんが自転車で登場です。その軽装に寒くはないのかと、少し心配になってしまいます。
彼女の第一声は、いつも(釣れてる?)か(どうせ釣れてないでしょ?)のどちらかの疑問文なのですが、この日は少し彼女の様子が違います。
いつもの元気な声が掛かりません。
その代わりに、実に満足そうな、柔らかい笑みがその口元に浮いています。
そこで、いつもとは逆に、私の方から彼女に言葉を掛けます。
「おはよう、何か嬉しそうな顔だけど、いいことでもあった?」
にっこりとレナさんが笑います。全く含むものを感じさせない純粋な笑顔です。
「へへ~、74」
「んっ、74?」
「偏差値74、この前の県模試。結果が昨日返ってきた」
「そ、それは・・・凄いね」
学生時代は偏差値50前後が、良し悪しの基準だった私には、その凄さがよく理解できないくらい、全くもって凄いのです。
「じゃあ、もちろん校内では・・・」
「うん、一番。芝山さんにもリベンジ成功」
彼女の言う芝山さんとは、小学校からの同級生で、その頃から学業では常に1,2を争っているライバルだということです。前回の中間試験では、芝山さんが校内で1番、レナさんが2番だったということも、私は知っています。
体操服姿にて自転車で現れ、痛快な毒舌を吐き、裸足で立ち去り、頭の先まで川にはまる。
約3カ月前、そんなびっくり仰天の登場であった彼女が、校内で一番勉強のできる中学3年生ということが、今でも私にはしっくりときていません。
いや、そんなこともありません。
この2週間で3度、彼女が私のアパートで勉強する姿を見たのですが、その集中力たるや、本当に凄まじいのです。
その優等生レナさんとは対照的に、裸足で川に入ったり、お菓子とコーラを美味しそうに食べる普段のレナさんは、本当に子供っぽいと言ってよく、そのギャップに時に戸惑ったり、時に癒されたりします。
もしかしたら本当に優秀な人とは、このオンとオフの使い分けが上手な人なのかも知れません。レナさんを見ていて、そう思います。
さて、みごと県内模試の目標点をクリアしたレナさんには、約束通り、ご褒美をあげなければいけません。レナさんの希望は、確か(東京に着て行っても恥ずかしくないお洒落な服)だったはずです。
そのことを私が口にすると、
「えっ、そんなの冗談だよ、言葉のあやだよ」
そうレナさんは言いますが、密かに私は、レナさんが見事ミッションをクリアして、2人で彼女の洋服を買いに行くというシチュエーションを、思い望んでいたのです。
「ダメダメ、約束は約束。それにね、こう見えてもそれなりに給料貰ってるんだよ、俺」
自分でも思います。随分と偉そうな口を叩くようになったものだと。
ここで自己弁護の機会を頂戴すると、レナさんと会うようになってからというもの、仕事に関しては、確かに順調と言っていいここ最近なのです。
それほど意識はしていませんが、明らかに売上高が、月を重ねる毎に増えています。
加えて、職場で最も変わったと思うことが、事務員の吉田さんの私に対する態度でしょうか。最近ではよく会話もしますし、時に2人で事務所内に響くほど、大笑いすることもあります。
そうそう、もう一月ほど前のことになるでしょうか。
私が所長に、怒られているという程ではありませんでしたが、小言のいくらかを聞いていた時のことです。
「それは所長の言ってることの方が、おかしいんじゃないですか」
予想もしていなかった吉田さんの援護射撃に、私は大いに驚き、孤立した所長も、あからさまに困惑した表情に変わりました。
以来、所長が細かな事について、私に報告を求めたり、指示してきたりすることが少なくなりました。
そのことでとても仕事がやり易くなったのは、言うまでもありません。
しかし自由と責任は、コインの裏表と同じです。
やり易くなるに伴い、私はそれまで以上に責任感を持って、仕事に取り組みました。
少しずつではありますが、成果もついてきました。
このことがさらに私のモチベーションを高めます。
本当に一週間があっという間です。そして週末のレナさんとの楽しいひと時。
(充実している)
そんな感覚は、幼少期も、学生の頃も、もちろん社会人になってからも、これまで感じたことのない不思議な経験でした。
「服を買ってもらうなんて、申し訳ないよ。安いものじゃないし」
それでも遠慮する彼女に対して、私は素直に言えます。
「レナちゃんには、ほんと感謝してるんだから。日頃のお礼だって」
「レナ何にもしてないし。ほんとにダメだって。人に服とか買って貰ったら、お母さんに怒られる」
(ああ、なるほど)と私は腑に落ちました。
彼女が頑として拒むのは、どうもそれが理由のようです。
「じゃあ、お母さんの方の説得は、俺がするよ」
「どう言って話をするのよ。可愛い中学生のカノジョに、もっときれいな洋服着てほしいって?」
私とレナさんとの関係は、いわゆる彼氏と彼女という関係ではないと思います。
私の中で、明確な定義があるわけではありませんが、何より年が離れすぎています。
それでも、こう言われて悪い気がするはずもありません。
さて、彼女の親御さんとは全く面識がないわけではありません。
初めて彼女のお母さんとあったのは、レナさんが川に落ちたあの出会いの日。
自転車の2人乗りで彼女の家に、ずぶ濡れの彼女を届けたのです。
レナさんの姿を見て、お母さんは驚きましたが、詳細を話すと、
「馬鹿でおっちょこちょいの娘が、ご迷惑を掛けて・・・」
随分と慇懃な言葉と共に、このお母さんは私に深く頭を下げてくれました。
(あ、そうそう)と一度家の奥に引っ込み、(貰い物だけど)と、高級そうなお菓子の包みを頂きました。
今では彼女が、県内模試を控え、私の部屋で勉強していたことも、ご両親とも周知です。
そうではありますが、確かに、試験結果の見返りに洋服というのは、あまり親御さんがいい顔をしないというのは、何となく想像できなくもありません。
少し私は考え込みます。
(あっ!)
会心の妙案がこの時浮かびました。
「実は俺もこの9月、10月、業績良かったんだな。ボーナスも少しだけ増えた。お互い頑張った褒美ということで、プレゼントの交換ってのはどう?」
もちろん対等の交換などは期待してはいません。
中学生のお小遣いと、曲がりなりにも6年間社会人をしている私とでは、懐具合が違うはず。交換というのはただの名目です。
それでも彼女の顔色は改善しません。
「う~~ん、じゃあ、お母さんにそう言ってはみるけど・・・」
さっきまでのテンションの高さが無くなってしまった彼女を見て、私はまずいことを言ってしまったのかなと、少し不安になりました。
そんなやり取りがあったのが、先々週の土曜日のこと。
その翌週、彼女がどんな返事を持ってきてくれるのか、少し不安を感じたまま、私はいつもの場所で彼女を待ちました。
いつもの時間に、いつもの恰好で彼女が現れます。
見るからに晴れやかな表情に、少し私は安心します。
「ふふ~~ん、プレゼント代一万円預かっちゃった」
彼女は嬉しそうです。
話を聞くと、どうもこう言うことです。
県内模試の成績が良かったレナさん、そして仕事の業績の良かった私。
お互いのご褒美ということでのプレゼントの交換という私の提案。
彼女のお母さんが言うには、
(一方が一方的にプレゼントするというのではなく、お互いのプレゼント交換ということなら、少し早いけどクリスマスプレゼントの交換みたいなものね。日頃お世話になっているようだし、まあ高校生にもなれば、それなりにお洒落も必要でしょう)
そんなやり取りがあって、彼女はお母さんに1万円をプレゼント代として受け取ったようなのです。
その彼女の話を聞いて、私は飛び跳ねる程に嬉しかったのです。
急かしてはろくなことがないと思いつつ、私は押し込んでしまいます。
「でっ、いつプレゼント交換する?こっちは別に明日でもいいよ」
微笑んだ彼女の笑顔に私は幸せになります。
「う~ん、明日はちょっと都合悪いんだな。来週は?」
明日の日曜日に、彼女はどんな用事があるのでしょうか。
誰かと会う約束でもしているのでしょうか。
チクリと私の胸に、何か小さな針でも刺さったような感覚になります。
我ながら小物です。そんなことを絶対に彼女に悟られないよう注意して私は答えます。
「うん、じゃあ来週にしようか。俺も、本当はあまり明日都合がよくないし」
これは嘘です。もちろん翌日の予定など私にある訳はありません。
(明日レナさんはどんな予定があるの?)
そのことを訊こうとして、止めました。
「お兄さん、今何か欲しいものある?あっ、1万円以内だよ」
欲しいもの・・・そう問われてすぐに答えが見つかりません。
「レナちゃんがプレゼントしてくれるものなら、何でもいいよ。あっ、できれば長く使えるものがいいかな。レナちゃんと出会った思い出として」
他意はなくそう言ったのですが、いずれ訪れるであろうレナさんとの別れの日を想像し、またも少し胸が苦しくなりました。
しかしそれは一瞬のことです。
実感として、その日を想像している訳ではありません。
最近、ふと考えるのです。
今の所長が58才、普通ならあと2年で定年です。
そして私が2年後にはちょうど30才。
一種の施工管理士の資格を持っていて、三種の電気主任技術者でもある私。
保有資格については所長を務めるに十分で、30才という年齢も、全国的に考えれば、少し若すぎるかも知れませんが、他の地方の営業所には、もっと若い所長もいない訳でもありません。
ずっとこの土地で地道にやっていくのも、それは人生の選択肢としてありなのではないか。
傍にレナさんがずっと居てくれるなら・・・
「ふ~~ん、まあいいか。実はもうお兄さんへのプレゼント、レナ、考えてるんだな~」
「えっ、何かな、何かな?」
私はみっともなく自分の顔が崩れるのを我慢するのに苦労しました。
「今それをいう訳ないでしょ、来週の楽しみにしといて」
「うん、そうする。でっ、来週はどうしよう?」
「○○駅の前のデパートくらいしか買い物できないでしょ。少し遠いけど、お兄さん大丈夫?まあ、レナとのデートだと思えば問題ないよね」
私の事を、平気で(彼氏)と言ったり、2人で会うことを(デート)と表現する彼女の、本当の思いはどうなのでしょう。そのことが気にならなくはないのですが、毎回、そんなことを思うたびに、そのことを考えるのはよそうという結論に達するのです。
「いいよ、時間はどうする?」
「お兄さん、午前中釣りするでしょ、お昼からがいい?」
釣りとレナさん、秤にかけるまでもありません。
そもそもレナさんと会うための出汁に過ぎないのですから、私にとっての釣りとは。
「別に釣りは週末のノルマじゃないから。仕事にはノルマがあるけど、週末までノルマを課すのはやめてくれる?」
「でも○○駅までは20分もあれば着くよね。お昼からでもいいんじゃない?」
閃きました。本当にレナさんと出会ってからの私は冴えています。
「お昼、レストランで食事しようか、少しお洒落な店で」
「あっ、それ嬉しい。お兄さんの奢り?」
「もちろん」
「じゃあ、レナも少しましな恰好してこないと。あまりお洒落な服無いよ、構わない?」
「大丈夫、大丈夫、俺も大した服もってないし」
言ってドキリとしました。
私が持っている服なんて、仕事用のスーツが2着に作業服が2着。
それと、週末釣りに着ているヨレヨレのシャツ数枚に・・・これは今晩、引っ越してから一度も開けていないダンボールの中を探索しないといけないようです。
ここは保険を掛けておきましょう。
「お互いラフな格好ということでいいじゃない、そんなに気を使う間柄でもないでしょ、ねっ」
「そうだね、うん、分った」
そんなやり取りがあって、今日11時ちょうど、私の家の玄関にて、レナさんと待ち合わせたのです。
扉を開き、彼女の姿を見止めるや、本当に心臓がドクンと音を立てたかと思う程、動揺してしまいました。
本当に・・・それは本当に、レナさんが、綺麗なのです。
服装は、秋らしい紺色のワンピース。足元は、それほど高さはありませんが、踵のある真っ赤なヒール。
二の腕に日焼けの跡がありますが、これは若さの象徴ということで、私的にはむしろ好印象です。
「おはよう。んっ、お兄さん、どうした?」
「あっ、いや、綺麗だから、レナちゃん」
自分でもびっくりです。私はいつからこんなセリフを口にすることができるようになったのでしょうか。
「あはは、お兄さん、お上手。あのね、レナ、今日少しだけメイクした」
言われて見れば、少しレナさんの頬の辺りに薄くチークが入っています。
唇も輝いていますが、全く不自然という程ではありません。
(見惚れてしまう)
そんな表現が、その時の私の状態にはピタリだったのです。
「俺、こんな服装だけど、いいかな」
先週彼女と別れた後、引っ越してきてから一度も梱包を解いていなかったダンボールの中に、少しはマシな服が入ってないだろうかと期待して開けてみたのですが、全く成果を得るには至りませんでした。
結局、今日の私の服装は、通勤で着ている背広のズボンに、少し色の付いた空色のワイシャツ、そしてグレーのジャケットという変わり映えのしないものとなりました。
まあ、この姿を彼女に見せるのは初めてのことですが。
「うん、大人っぽくって中々よろしい、うん」
グレーのジャケットというのが、(おじさんぽい)という評価を受けてしまうかと、心配しましたが、まずはレナさんのOKサインは得ることができました。
「じゃあ、行こうか」
自然に、本当に自然に、レナさんは私の左の腕に、自分の右腕を、軽く絡めてきました。
こんなことが、私の人生にあっていいのかと思う程、この時の私は有頂天でした。
駅までの5分の徒歩。気候も丁度いいあんばい。
この時間が永遠に続けばいい。私は、そんなことを考えながら、彼女の歩調に合わせて、ぎこちなく歩き続けたのです。
そして2人きりのローカル線に乗り込んだのが、ついさっき。
シートに腰かけるや、彼女は微笑みを携え、外の風景に視線を向けました。
外は濃い緑色があるばかりです。私達に言葉はありません。
ちらりと彼女の横顔を見た時、その大人びた表情に、またドキッとしました。
ひたすら流れていく緑の景色を、優しい表情で見つめているレナさん。
この時、その彼女の美しい表情に隠れていた、一抹の寂しさの様なものに、有頂天にあった私は、全く気付くことができませんでした。




