第二十六夜:この軽犯罪を二人の秘密にしよう(2)
この話はじつは多くの人に読んでほしい内容なのです。作品の出来は別にして
中学生であることは疑いない。
その年齢としては背が高い方だろう。
背筋をピンと伸ばした姿は170センチをいくらか超えていそうだ。
年齢的にも、まだまだ伸びていく余地はありそうで、163センチの僕には、そのことが羨ましい。
身長だけではない。
すっきりと通った鼻筋が中央に位置するその顔立ちは、凛とした品を備えている。
水面に向けられているその眼差しは、変質者どころか知性すら感じさせ、そして涼やかだ。
(中学生の時、一番女の子に人気のあった同級生に、少し雰囲気が似ているな。バレーボール部の・・・名前何だったっけ)
僕はそんな昔のことを一瞬考えた。
大粒の雨が、彼の持つ透明のビニール傘を叩き続けている。
彼が、きっと通報があった“不審な人物”であることは、たぶん間違いない。
しかし、予想していた“危ない人物“に見えるかというと、そうではない。
それでも、この大雨と言ってよいこの天候の中、一人池の辺に、何をするでもなく立っているのだから、その行動自体は、確かに”不審“ではある。
警官として、僕は彼がそこで何をしているのか、その事について問わねばいけない。
少なからぬ通報が寄せられているのだ。これを怠れば、やはり職務怠慢ということになるのだろう。
しかし、その彼への問いかけについては、もう暫く、彼がそこで何をやっているのかを見極めてからでないと、上手い質問にならないだろうと、僕はそう思ったのだ。
(ここで何をしているの?)
(別に何も)
こんなやり取りに終われば、また巡査にどやされる結果となるだろう。
そこで僕は、彼から少し離れた位置で、暫く彼の行動を観察しようと思ったのだ。
いや、もしかしたら、僕は“彼に話しかけない”ための言い訳を探しているだけなのかも知れない。要はまた腹が決まっていないのだ。
変わらず彼の涼しい視線は水面に向けられたままである。
彼が目を凝らしているのは、足元から遠い水面ではなく、むしろ岸際と水面の境目辺りに思える。
彼の視線の先の、水と土手の境目を見ると、護岸された岸に、手のひらくらいの大きさのアカミミガメが3匹、身じろぎせずに前足を掛けて浮いていた。
まるでその少年に、何か亀の方が興味を示しているかのようだ。
それにしても何と静かな佇まいを持った少年なのか。
この雨の景色に、姿が溶け込んでいる。
この位の年齢で、これほどの落ち着きを纏えるものなのだろうか。
そのことが、この年頃の少年としては、少し異常であるようにも思えてしまう。
そのとき、トボントボンと続けざま、亀が水に飛び込む音が聞こえた。
音のした水面に目をやると、さっきまでいた3匹の亀の姿が消えていた。
「何かご用ですか?」
「あっ、いや、その・・・」
僕が亀の方に気を取られた一瞬に、その少年が僕の方に向きなおっていた。
僕とその少年の距離は7メートルほど離れている。
雨の音は、周囲の音を曖昧にさせるほどに強い。
それでもこの少年の声は、はっきりと僕の耳に届き、僕を驚かせる程の大声でもなかった。
真っすぐな声だった。声だけではない。
その姿勢も真っすぐだった。その視線も真っすぐだった。
全てが真っすぐだった彼に、私は言葉を探さねばならなかった。
「何かご用ですか?」
もう一度彼がその言葉を投げかけてくれなかったら、今しばらく僕は、その場に立ち尽くしていたかもしれない。
「いや、この雨の中、何をしているのかなと思って・・・」
(大きなお世話)
仮に彼がそう口にしていたなら、僕は返す言葉に窮していただろう。
そんな僕の狼狽を救ってくれたのは、他でもない彼の次の言葉だった。
「つまり僕が、いわゆる不審者ではないかと思って声を掛けられた訳ですか?」
「あっ、いや、そう言う訳では・・・」
また僕の口から出た言葉は要領を得ないものとなりかけたが、彼が決して“危ない”人物ではないということは、もう僕の中では確信に変わっていた。
そのことで少し僕は持ち直すことができた。
きちんと話せば判る種類の人間だと思ったのだ。
「いや、確かにそんな通報があったのは事実なんだよ。よく不審者がこの辺りに出るって」
自分より6~7才は年下であろう中学生の彼に、その程度の砕けた話し方のほうが相応だろうと思ったのだが、その言葉はかなりぎこちなくなり、まるで大根役者の演技のようだと、自分でも思ってしまった。
「へぇ~、不審者ですか、僕が」
そんなことはないと思いながらも僕は続ける。
「以前、小学生の女の子に話かけられて、その子が転んで怪我したってことはなかった?」
「ああっ、あの時の、えっ、それで僕が犯罪者扱いですか?でも確かに驚かせてしまったかも知れないなぁ、僕、カエルを持ってたし、その時は」
「犯罪者扱いってわけじゃないんだけど、一応通報があったんで、警察としても動かないわけにもいかないし。ほら、水の事故とかもあるしさ。あとパンを池に投げ入れたりとかしてた?」
「もしかして、それも犯罪ですか?」
言われて、はて、どうだろうと僕は思ってしまう。
ゴミでも放り投げていたのなら、それはれっきとした犯罪だろうが。
魚や亀に勝手にエサを与えるのは、これはどうだろう。
厳密には軽犯罪に当たるかもしれない。
でも、(その行為は軽犯罪法○○に該当するので・・・)と言える程、法に関しての知識がある訳ではない。ここは正直になるほうがいい。
「それが犯罪になるかどうかは知らないけど、今日その現場を見た訳じゃないから、現行犯って訳にもいかないし。それじゃ、一応、顔と名前くらい聞いておこうか」
「顔をどうやって聞かせればいいんですか?この通り、”小憎たらしい顔をしております”って?」
「えっ?住所と名前だよ、一応聞いておこうかな」
「今、顔と名前ってそう言いましたよ、お巡りさん」
「えっ、そう言ったかな?」
「ええ、間違いなく」
揚げ足を取られた気分になり、彼の言うように、僕もこの中学生の態度と表情が、少し子憎たらしく思えてきた。いや、子憎たらしいというか、年不相応に落ち着いた様子が、何だか気に喰わないのだ。
「たぶん、僕が言い間違えたんだろうけど、目上の人間に対して、その態度はちょっとどうかなって確かに思うよ」
少し大人気ないなと自分でも思ったが、僕は少し語尾を荒げてしまった。
職場で馬鹿にされ、そして遥か年下の中学生にまで、何だか主導権を取られている。
そんな自分が許せず、つい感情が逆撫でされてしまった気分になったのだ。
そんな僕の微かに漏れた感情を、それでもやはり真正面から受け止めている中学生の彼。
その落ち着き具合は、少しも揺るんでいない。
「目上ですか。もう僕が働いていて税金でも払ってるんだったら、文句の一つも言うところだけど、今の立場じゃ、まあしょうがないな。それでも私学に通ってる分、お巡りさんほど、税金のお世話になってないとも言えますよ。お巡りさんの給料って、税金から出てるんでしょ」
いちいち言う事が癇に障る。論理的に矛盾がないのがさらに気に入らない。
「学校、どこ?」
つい強い口調で言って思う。本当に今の僕は神経がささくれだってるようだ。
「○○中学」
(えっ?)
その学校名を聞いて、思わず視線を、手元のメモ帳から彼に戻した。
確かに制服の胸に描かれているイニシャルは・・・○○中学の頭文字の“N”だ。
「○○中学って、あの有名な進学校の?」
そう、彼が口にしたその学校名は、中高一貫の名門校で、毎年東京大学の合格者が100名を超える、西日本一の進学校である。
京都大学に至っては、合格者数150名を下回ることはなく、もしこの学校が関東にあったなら、東大合格者数トップは間違いなくこの学校だろうと言われる。
学力的には十分だが、関西から離れることに抵抗を示す学生が、敢えて東大ではなく、京大や阪大に入学することが多いのだ。
思わず、彼を見る僕の目が変わってしまった。
「あれっ、何か問題がありましたか?お巡りさん」
「あっ、ああ、有名な学校の生徒さんだったんで、つい・・・」
「いや、おっしゃる通り、僕が悪かった。いくら有名な学校でも、所詮中学生ですから。今の段階では社会に対してどんな貢献もしていない。明らかにお巡りさんの方が偉いですよ、嫌味や皮肉じゃなくて本当に。社会へのコントリビューションということで言えば」
コントリビューション?何それ?と聞くのが恥ずかしくて、僕は黙り込んだ。(小生意気な奴)と思っていた少年の顔が、少しに穏やかになった。
「すいません、不審者扱いされたもんだから、少しムッとしてしまいました。謝ります、ごめんなさい。○○中学3年、加藤誠一といいます」
加藤誠一と名乗ったその中学生の笑顔は、最初に感じた取りつき難さとは対照的に、あまりにも爽やかで、このことが僕にはまた少し気に入らない。
学力優秀で高身長、そして端正な顔立ち。単純に(女にモテそうだ)という事への僕のひがみなのだが。
少年の態度が変わったからと言って、一度感じた不快感は、早々収まるものでもない。
自分でも理不尽だとは思いつつ、厳しい口調のまま、彼に質問する。
「そんな超名門校の生徒さんが、この雨の中、池の辺で一体何をしてるのかな?」
端正な顔を、少し斜めに傾げ、答えを探しているような少年の表情。
その答えを待ってはいるが、彼が不審者でも問題児でもないことは、もう僕は確信している。
「綺麗でしょ、それなりに」
「えっ、何が?」
「花の名前すら知らないけど、よく見ればこの白い小さな花だって可愛いし、水面の蓮ももう少ししたら綺麗な花を咲かせますよ。亀や蛙も必死で生きてる。生命の息吹を感じる。それを感じたくて、ここに来ている。そういう答えじゃあ、少し不自然ですかね。できればこんな答えで、勘弁して頂けると有り難いんですが」
その少年の回答は、自然と言えば自然、しかしどこかそうでもないと感じなくもない。
まず、こんな雨の日でも?という疑問があるし、何より(勘弁してくれると有り難い)という言葉の結び方が、何か裏があると勘ぐらせる物言いである。
しかし、彼の学校も名前も、ちゃんと聞き出し、メモも取ってある。
名門の学校に通い、他人に危害を加える人物のようには見えない。
これ以上彼のことを詮索することが、どれ程の意味があるのか。
少年はもう僕の方を見ておらず、また水面に穏やかな視線を向けている。
本当に、この池の周りの生き物や自然が、彼は単純に好きなだけなのかも知れない。
「これ以上不審者扱いされるのも心外なんで、それでは引き上げますね、あっ、ちゃんと学校名と名前、メモって下さいよ、ちゃんと答えましたからね」
「あっ、ああ」
少し動揺し、何故か手元のメモ帳ではなく、池の水面に視線を落とした。
全く意識してではなく、そちら方向に、目が泳いでしまったのだ。
(えっ?)
はじめは黒いラグビーボールが沈んでいるのかと思った。
いやラグビーボールよるも遥かに大きい。ラグビーボールに似ているのは、飽くまでその形状の話である。
そしてそれはゆっくりと、間違いなく水中を泳いでいる。水際ギリギリ。
長さは50センチ、いや60センチ?
僕の表情の変化に気付いた少年が、視線を水面に向ける。
(ちっ)という舌打ちが聞こえた気がした。
「見ぃ~たぁ~な~」
突然の少年のおどけたようなセリフ。
「これだけ岸際で騒いだから、今日は現れないと思ったんだけどなぁ」
一体この少年は何の話をしているのか、僕には皆目判らない。
諦めたような顔で、そして姿勢を整え、僕の方を向く。
「お巡りさん、正直に話します。話しますから、今見たものは、2人だけの秘密にして貰えないですか。これは純粋に僕からのお願いです。」
秘密にできるかどうかは、もちろんその内容に依るが、何故かこの時、僕は、(うん、判った)と答えてしまっていたのだ。
きっとその時、僕は彼の隠しているであろう秘密を、ただ知りたかっただけなのだろう。
ゆっくりと彼がその隠し事について口を開いた。




