表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
百夜釣友  作者: 柳キョウ
24/101

第二十四夜:まずい料理

本作を巌叔父さんに捧げます。


昔から食べ物に関しての好き嫌いはない。

人間の好き嫌いがある人は、食べ物にも好き嫌いがあると言われたりするが、これは嘘であろうと私は思う。だって私が例外なのだから。


好みはある。

ごちゃごちゃと加工され、たっぷりと色濃いソースに塗れたハンバーグよりも、シンプルに焼いただけの肉を一摘まみの塩で食べる方が、どちらかと言えば好きである。

それはハンバーグが嫌いという意味ではない。食えば、やはりハンバーグも美味い。

どちらかと言えばという領域である。


そんな私が、生涯一度だけ、どうにも二口以上食えなかったまずい料理に出会ったことがある。


YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY


長屋の一棟、私達家族の隣に住んでいたその(おっちゃん)は、幼少の頃の私にとっては、かなり奇怪な存在だった。

仕事は何をしているのか判らないし、誰もそのことを教えてくれもしなかった。

父の実兄らしいのだが、それならなぜ苗字が違うのか、そのことがどうにも解せなかった。


(戦時中にアメリカ兵と仕事をした事があり、その事が原因で親に勘当され・・・どうのこうの)


そんな内容の話を、家族の誰からか聞いた記憶も、あるような無いような感じなのである。

父とは20才以上年が離れていて、顔の造りが若く、実年齢より若く見えた父と、その(おっちゃん)が兄弟という事実が、当時は全くピンとこなかった。


たまにぶらりと我が家に訪ねて来ることがあった。

白いランニングシャツはいつも黄ばんでいて、現れるとぬっとした納豆の様な匂いがした。


この(おっちゃん)が現れると、あからさまに母は迷惑そうな顔をした。

何度か父がタバコを手渡した場面は記憶にあるが、金銭や食べ物をせびる様なことは、一度として無かったのではないか。それが私の記憶である。



YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY


さて、時は昭和50年代半ば、ある夏の日曜日。

私はついに(ブラックバス)なる魚を初めて釣り上げたのだ。

その後、私にとって一生の趣味となるバスフィッシングキャリアのルーツである。


その大きさは34センチ。今にして思えば、どうという大きさではないが、防波堤で、アジやイワシしか釣ったことのない当時の私達にとっては、それはとてつもない大物だったのである。


(キャッチ&リリース)なる言葉も一般的ではない時代のこと。

水を張ったバケツは、体力もなかった小学生には大変な重荷だった。


この魚、図体はでかく、顔つきもいかつかったのだが、同じバケツに入れられていたマブナが、いつまでも元気だったのとは対照的に、バケツに放り込まれて程なくして、白い腹を見せ、瞬く間にエラの動きも止まった。


生きていようが死んでいようが、大きかろうが小さかろうが、釣った魚は全て持ち帰る。

当時の私達のやり方はずっとそうだった。



「おっ、ハネを釣ったのか?」


持ち帰ったブラックバスの大きさに、改めて自宅の玄関先で余韻に浸っていた時、ふらりと現れた(おっちゃん)が、そう声を掛けてきたのだ。


「ハネ?」


今なら分る。ハネというのはスズキの幼魚のことなのだが、(おっちゃん)は恐らく初めて見たはずのブラックバスを、ハネと勘違いしたのだ。共にスズキ科に属する親戚ではある。


その後の(おっちゃん)と私のやり取りは、とにかく要領を得ない内容であった。

ため池で釣ったという私に対し、ハネは海の魚だという(おっちゃん)。

その池はきっと海に繋がっているのだろうと言う(おっちゃん)に対して、そんなことはないという私。

ともあれ、私の記念すべき初ブラックバスは、この(おっちゃん)が料理して、2人で食うと言うことになったのである。


表面に錆びが浮いている大きな鍋で、大量の湯を沸かす。

この時、(おっちゃん)が、魚の内臓を処理していたかどうか、私の記憶は定かでない。

ともあれ、湯が沸くと同時に、(おっちゃん)にとってのハネ、私にとってのブラックバスを丸ごと鍋に放り込む。

次に(おっちゃん)が取り出したるは味噌。

たっぷりと湯に溶かす。

この段階では、それなりにいい匂いというか、単純に味噌汁の匂いが立ち込めた。


一口だけ味噌の溶け込んだ湯を口に運び、(おっちゃん)が味見する。

少し首を傾げ、次に持ってきたのは、なんと大きな黒砂糖の塊。

躊躇なく鍋に放り込む。一気に湯の色がどす黒く変色する。

幼心にも分る危険な色調。


当時は少なかったのであろうが、本物のバスアングラーに釣られていたなら、恐らくはリリースされたであろうその不幸なブラックバスは、味噌と黒砂糖の濁流にまみれ、瞬く間に白く煮上がった。


想像してみて欲しい。

池の水を煮込んで濃縮した泥臭さに、下品なまでの黒砂糖の甘味。

じゃりっと音がするような不快な鱗の舌触り。

油粘土を牛乳に溶かし込んだような異様な色のスープ。

“ブラックバス黒砂糖煮込み(味噌風味)”

生涯最悪の料理は、このようにして完成した。


一口口をつけた後、“これからケンちゃんと遊ぶ約束がある”と嘘をつき、私はその場を逃げる様に辞したのである。私の記憶にある最も古い“嘘をついた記憶”である。


この(おっちゃん)は、私の身内と呼べる関係の人物の中で、阪神淡路大震災のただ一人の犠牲者である。

葬儀に集まった人の中には、


「人様に迷惑を掛けなかったのは、最後の死に方だけだった一生」と、この(おっちゃん)の生涯を評した者もいたらしい。


果たしてそれは本当のことなのか。

その事を詮索することに、今ではどれほどの意味もない。


この(おっちゃん)の人生、逆算すると20才前後の年齢で、世は太平洋戦争に突入したことになる。以来、家族と違う氏を背負い、混沌の世を、彼なりに懸命に生き抜いたのだろう。定職に就いたことがないというのも、誰かの色眼鏡を通しての声だったような気がしなくもない。

少なくとも、今の私なんかよりは、遥かに力強く駆け抜けた人生だったのではないかと考えたりする。


ずっと反面教師の代表のような言われ方をされた(おっちゃん)であるが、私自身には、少なくとも悪い人には映らなかった。

どころか今となっては、年相応のしがらみを持つ私には、この(おっちゃん)の自由に生きたであろう生涯が、少し羨ましく感じることすらあるのだ。


私は仕事の都合で出席できなかったが、葬儀に出た母から聞いた話。

ぐちゃぐちゃに倒壊し、瓦礫と化した一軒家の中から、古いアルバムが一冊だけ発見された。

34センチのブラックバスを誇らし気にかざす、たっぷりと日焼けした半ズボン姿の私の写真が入っていたらしい。


その写真は、薄くセピア色がかっていたと聞いた。

とにかく不味かったあの味を、私は思い出した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ