表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
百夜釣友  作者: 柳キョウ
22/101

第二十二夜:キャリーバッグと釣り竿

夢を見た。いつか来る日の夢を見た。

かなり慌ててそのバスに乗り込んだ。

既に日は暮れているが、深夜ではなさそうだ。

時間や季節の感覚が、なぜかとても曖昧だ。


乗り込んだバスが何処へ向かうバスなのか、僕にはよく判っていない。

このバスに乗らなければいけないことだけ判っている。


数人の乗客が、もう席に座っている。

奥の方の座席に座っている。

数人というのは判るが、3人なのか4人なのか、6人なのか8人なのか、それが僕には判らない。

数えようとすると、急に人が消えたり、別の人が現れたりして、また一から数え直さなければいけない。だから僕は数えるのを諦めた。


みんな穏やかな表情をしている。

その優しい視線は、どれも乗り込んできた僕を見てはいない。

何か遠いものを見ている。


手荷物を持っている人はいない。

僕よりも年配の人達が多いようだ。

そう一度は思ったのだが、何故かこの時、僕は自分の年齢が判らなくなった。


他の人達の性別が判らない。

そもそも、その時僕には、性別という概念がない。


たくさん空いている席に、僕は座らなかった。

見覚えのない大きなキャリーバッグを僕は引いている。

片手には束ねられた釣り竿を2本持っている。


見覚えのないキャリーバッグだが、なぜか僕はそれが自分のものだと知っている。

手に持つ2本の釣り竿も、きっと僕のものなのだと知っている。


色々と判らないことや不思議なことがあるが、そのことを全く不思議と僕は思っていない。

どこか僕は落ち着いていない。


窓の外の暗がりの中に女房の姿を探す。

根拠はないが、それでも彼女がそこにいると、僕には判っている。


すぐに彼女は見つかった。

少し離れた位置からこちらを見ている。

何か覚悟を決めたようなしっかりした顔で、それでも何だか悲しそうだ。

ぬいぐるみを抱えている。20個以上のぬいぐるみを抱えている。

一人で抱えられるはずのない数のぬいぐるみを、彼女は抱えている。

そのことを、僕は少しもおかしいとは思っていない。


彼女は忙しい。何に忙しいのか僕は判っていない。

彼女が忙しいことだけ知っている。



(もうここでいいよ)


声が届かない距離から、きっと僕は話しかけた。

声を出したのではないが、それでも僕は話しかけた。


彼女はそこに立っている。

ヒヨコのぬいぐるみが見える。

結婚した年に僕が出張先で買ってきたぬいぐるみ。

『ぴよよ』と名付けたこのぬいぐるみを、僕達は大切に可愛がった。


僕達には子供がいなかった。

女房の体が弱かったのも理由の一つだった。


まさか自分が女房より早く逝くことになるとは思わなかった。

この時になって僕は判った。

ああ、そうか。僕は死んだのか。

そのことは判ったが、僕がどうして死んだのかは判っていない。

判っていないが、判っていないことを、僕は全く気にしていない。

何処に行くバスに僕が乗り込んだのかだけ、この時になって判った。


老人と言っていい年配の一人が、少し体をずらして窓の外が見やすいようにしてくれた。

きっとこの人にはこの世に残した悔いの様なものがないので、手荷物がないのだろうと思った。


僕はキャリーバッグいっぱいに、やり残したものを詰めている。

そして釣り竿が2本。

きっと僕は、これから行くところで、2種類の釣りをしようと考えているのだろう。

他人事のように、そう思う。

その2種類の釣りが、どんな釣りなのか、僕は全く考えていない。



(いってらっしゃい)


女房の声が聞こえたような気がした。

30年間、毎朝聴いた言葉。

平日仕事に行くときも、週末釣りに出掛ける時も。

彼女の体調が少し悪い朝も、前の晩に少し喧嘩をした朝も。


僕はほとんど返事をしたことがなかった。

今日だけはちゃんと返事をしようと思った。


(行ってきます)


そう言おうとして違う言葉を僕は口にした。


(ありがとう)


僕はバスに乗っている。

バスは空高く上がっていった。

そのバスの運転手だが、前世は心の優しいエイだったらしい。

なぜだか判らないが、僕はそのことを知っている。


僕は大きなキャリーバッグと2本の釣り竿を、しっかり抱え込んだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ