第十七夜:この軽犯罪を二人の秘密にしよう(1)
この章は、フィクションです。フィクションということにしといて下さい。
軽犯罪の時効って何年?
4月13日(金)16:23 吉田様(主婦、小2のお子様有)からの通報
「稲美町の四ツ池付近で、中学生くらいの男子が、何もせず立っていた。小2の娘が気味悪がっていたので、警察としても何か問題が起きないうちに対処してほしい」
5月15日(火)17:48 木下様からの通報
「雨の中、少年が池の傍に立っていた。じっと水面を見つめて、思い詰めた表情。自殺を考えているのかと心配し、声を掛けたが、(池を見ているだけ)との返答。家出少年ではないか」
6月9日(土)5:14 池内様(主婦、小6のお子様有)からの通報
「小6の娘が早朝に犬の散歩をしていたところ、四ツ池の護岸に一人で立っている少年を見た。特に危害を加える様子ではなかったが、早朝の時間であり、通報しておいたようがいいと考えた」
6月14日(木)16:20 徳田様(主婦、小3のお子様有)からの通報
「小3の娘が、下校時に池の傍に立って、ぼうとしている少年を見た。本人はとても怖かったと言っている。水の事故が危険なので、通学・下校にはその道を使わない様に言っているが、近道であるため、よく使っているらしい。通行禁止の立て札設置をお願いしたい」
6月19日(火)17:17 室本様(男性、小4のお子様有)からの通報
「稲美町の池で、息子が友人と石を投げて遊んでいるところ、中学生らしき少年に睨まれた。特に言葉はなかったとのこと。○○中学の制服を着ていたと思われる」
7月1日(日)6:09 熊沢様(女性)からの通報
「稲美町の池で少年が、食パンと思えるものを、ちぎって池に投げ入れていた。意味不明な行動で、知的障害の可能性あり。事故もあり得るので通報した」
7月21日(土)13:44 吉田様(女性、以前に通報あり)からの通報
「小2の娘が、以前見た不審者を、稲美町の四ツ池で再び見たらしい。最近なにかと異常な犯罪が多いので、一応通報した」
8月4日(土)10:12 芦澤様(女性、小3のお子様有)からの通報
「娘が近所の池に、花を見に行った時、少年が池に何かを投げ込んでいた。興味半分に声を掛けたところ、蛙を投げ込んでいたらしい。驚いた娘が、その拍子に転んで、肘を擦りむいた(軽傷)。その少年は心配してくれて、家まで送ろうかと言ったが、怖がった娘は、走って逃げた」
「これだけ同じような通報が続くとねぇ~」
そんな巡査のセリフと表情は、間違いなく、(お前、ちょっと行って来いよ)の同意語である。
そんな当たり前のことに気付くのが、他の新人より数カ月遅れたため、僕への風当たりはなかなかに手厳しい。
こんなひどい雨の日に敢えて言うのも、(これもいつもの俺イビリか)と勘ぐってしまう。
それは思い違いではないだろう。
やっとバイクに乗ることを許されたので、チャリンコしか使わせてもらえなかった数カ月間のことを考えると、まだマシだ。
それでも、この大粒の雨の中、雨合羽を着込んでの夏場の巡回は、不快極まりない。
警官用に支給される雨合羽の防水性能は、それは素晴らしいものだが、反面通気性は最悪だ。
巡回から帰ってきて合羽を脱ぐと、「なんか汗臭くないか?」なんて言葉から、また巡査のイビリが始まるのだろうと思うと、やるせなくなる。
始めは何かと慰めてくれていた同期連中も、今ではすっかり長いものには巻かれろ状態である。
彼らを責めることはできない。
彼らも自分の身は、自分で守らねばならないのだろう。
僕一人が我慢すれはいいやと、思い始めている自分が、最近少し怖い。
(なんだ、行かないのか?)みたいな目を、巡査がする前に出ていくのが得策だ。
絶対に不満を顔に出さないように細心の注意を払って、
「それでは僕が行ってきます」
と言った。
2年先輩にあたる石村の、にやりとした顔付きが、無性に腹立たしかった。
雨合羽を着込みながら、稲美町周辺の地図を下調べする。
不審な少年がよく出没するという、(四ツ池)なる池の場所は、すぐに判ったが、気持ちが乗らない。
具体的な被害は、これまで何一つ報告されていないのだから。
それでも、この狭い派出所の中で、巡査のイビリを受けているよりは、多少気分も晴れるかも知れないと、無理やり自分に言い聞かす。
県道514号線を走り、野里の交差点を右折して、しばらく走ると、(四ツ池)が右手に見えてきた。
道路に面していた天満池や花園池に比べて、道からは少し奥まった位置にあって、子供の背丈ほどの藪が、周囲をぐるりと覆っている。
池に続く道はぬかるみ、そして細く暗い。
こんなところを通行する人がいるのかと思ったが、なるほど、この池の北側に位置する住宅街に入ろうとした場合、舗装された道路だけを歩こうと思えば、かなりの大回りになる。
大人なら、藪を掻き分けてまで、歩こうとは思わないだろうが、汚れることなど厭わない子供ならば、確かにうって付けの近道だ。
バイクを道路脇に止めた僕は、たっぷりと水分を宿した草を掻き分け、このあぜ道に入ろうとし、バイクのキーが差したままであることに気付いて踵を返す。
(バカ、コノッ)
自分に対する情けなさも手伝い、思わず汚い言葉が出る。
実際に歩いてみると、所々に拳大の石が転がっていて、危うく躓きそうになる。
雨は変わらず激しい。
警察官になってから、毎朝欠かさず磨いている靴が、あっという間に泥まみれになる。
やってられない虚脱感に力が抜け、どうしようもない腹立たしさで、力が入る。
子供の頃、あれほどに憧れた警察官になってみて、僅か7カ月でここまで嫌気が差すことになろうとは想像もできなかった。
もし朝、靴を磨くという行為をしなくなった時、きっと僕は警察官を辞めるのだろうなと、自分の将来を、妙に客観的に想像している。
最後にはだかった固い藪を、体ごと押し込み、池のほとりに出た。
強い雨粒が、抹茶ラテの様な色合いの水面を、今も叩き続けている。
水辺に僕が立った瞬間、大きなアカミミガメが数匹、近い順から池に飛び込んだ。
濁った水色は、あっという間に亀の姿を消し去った。
亀が消えると、周囲100メートルほどの、この小さな池に生命感はまるでなくなった。
もちろん人影もあろうはずがない。
雨の中、池のほとりにひとり立ち尽くす警官の制服を着た若い男。
(僕自身がまさに不審者じゃないか)
いたたまれなくなり、僕は元来た道を戻ろうとする。
(こんな池なんて埋め立てればいい)
その時僕の怒りの矛先は、理不尽にも、この濁り切った池の水に向けられていた。
「バッカじゃねぇの」
たった今、四ツ池からずぶ濡れになって戻り、報告をした僕に対しての巡査の第一声だった。
その一言に、僕のこめかみの辺りが、何かどくどくする。
いつの間にか両の手を握ってしまっている。
「それでは水谷君に質問で~す」
僕に質問といいながら、何故か巡査は、僕の方ではなく、他の若手警官の方を向き、馬鹿に甘ったるい声でそう言った。
背を向けたまま続ける。
「最近この付近に空き巣がでます。昼と夜、どちらを警戒すべきでしょう~か?」
ぐっと怒りを噛み殺しながら、僕は答える。
「住人が出かけていることの方が多い昼間だと思います」
「はい、それでは、酔っ払い同士の喧嘩の通報。月曜日と金曜日、どっちが多いでしょう~か?」
消え入りそうな声で、(金曜日です)と答える以外、僕にできることはなかった。
くるりと椅子を廻し、僕を下から見上げながら、巡査が言う。
「あのなぁ、水谷。このイカれたガキは、夕方に出てきがるの。早朝や昼間の目撃もあるけどなぁ、それは決まって土日の休日だ。ちょっと頭使えば判るだろうが」
(今すぐにでも行けって顔をしたのは、そっちだろう)
舌の先まで出たその言葉を、僕は懸命に抑え込んだ。
「こいつはな、ちゃんと学校には行ってるんだよ。だから平日の目撃は夕方なんだ。俺達は暇じゃねえし、蟻んこみたいに警官がいるわけじゃないんだよ。お前が今やってきたのは、ツーリングだ、ツーリング。趣味は休みの日にやれってぇの」
視線を落とした先で、泥に塗れた靴の爪先が、何だか滲んで見える。
「判りました。夕方、もう一度、行ってきます。靴に泥が付いていますので、洗い落としてきます。床を汚しますから」
そう言って背を向けた僕に、
(まだ話は終わっちゃいねぇ)という怒号がかかるのを、何故か僕は期待していた。
そして、その声はかからなかった。
代わりに僕の背に届いたものは、同僚の発する白けた空気だった。
(もう辞めよう。そう、辞めよう)
そう心の中で何度も叫びながら、3時間前に通った藪を再び抜ける。
立ち塞がる藪を、体で押し倒す様にして、僕は足を運ぶ。
靴の泥を落とし、席についてからの2時間半は長かった。
僕が席についたのを境に、派出所内での会話が急になくなった。
何やら書類に目を通している者。
パソコンの画面を睨んでいる者。
キーを叩く音すらしない。
電話はかかってこない。
たまに無線機が発する小さなノイズ音が、微かに聞こえる。
澱んだ静寂が、外の雨音を際立たせる。
壁の時計を見る。14時20分。
何事もなかったという、意味があるのかどうかすら判らない報告書を、僕は作り始める。
名前と日付を入力した時、キーを打つ手が止まる。
今の時間から、靴を洗っていた時間と、思い出したくもない巡査の小言を聞いていた時間、そしてバイクでの移動時間を差し引く。
この後に及んで、正確な調査時刻を報告書に記入しようとしている、自分の気が、全く自分でも理解し難かった。
16時になるまで、一体何度、左の手首に視線を向けただろうか。
「行ってきます」
思いのほか不貞腐れた様な声色になった事に、ドキっとした自分が許せない。
胸が毛羽立っている。
毛羽立った心を抑えようとはせず、そして再び、四ツ池へ続くこのあぜ道の藪を、今漕いでいるのである。
二度、石ころを力任せに蹴とばした。
(投げてやる。力いっぱい手に余る大きさの石を、あの薄汚れた水面目がけて、投げつけてやる)
たったそれだけが、僕のモチベーションだった。
池の辺まで、あと10メートル、7メートル、3メートル。
何かのカウントダウンのように、僕は思う。
最後の藪を、踏みつける様になぎ倒すと、眼前が開け、先ほど見たばかりの、四ツ池の貌が現れる。
変わらない水色。
変わらない草木の匂い。
亀が飛び込む音まで、変わらなかった。
たった一つ違った事
水面からやや離れた位置に立ち、水の一点を見つめている学生服姿の少年を認めた時、氷水に浸していた冷たい人の手で、脳みそを直接掴まれた様な寒気を、僕は覚えていたのである。




