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百夜釣友  作者: 柳キョウ
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第十四夜:オイカワとベラ(2)

う~~ん、苦手な分野。。。

毎夜繰り返した仕掛け作りの練習にも成果があったというものです。

実践となると、やはり風に糸がさらわれて、部屋の中とは多少勝手が違う感じもありましたが、まあ10分もかからず仕掛けの準備は整いました。

部屋で練習した時は、5分程度で出来ていたのですけどね。


さあ、次はエサ付けです。

『キジ』と書かれたプラスチック容器の上蓋を取り、容器一杯に盛られている土を手で除いてみると、ウネウネと踊る大量のミミズ。

流石にこれには少しばかり、胸がぞわっとしましたね。

都会育ちの私には、子供の頃を顧みても、ミミズに触れる事なんてほとんど経験が無かったですからね。

もしこれが巨大なドバミミズだったら、当時の私にはきっと触ることもできなかったと思います。

でも本当の苦戦はこれからでした。


やりたかったのは、(通し刺し)という針の形に沿ってエサを通すやり方です。

先週買った釣りの指南書にも、この刺し方が最も一般的で、魚から見れば針が見えないため一番喰いがいいと書いてある。

ミミズの頭の部分から針を刺して、ゆっくり針の形状にミミズを押し込んでいく。

昨晩までのイメージは完璧でした。ところがこいつが上手くいかない。


ミミズも身の危険を感じたのかしら、私の指の中で断末魔のダンスを踊りまくる。

ヌルヌルと滑りまくる。針先がヤツの頭を捕らえたと思ったら、するりと器用に逃げていく。


「ちょっと大人しくしろ!」


そんな独り言をきっと私は口にしていたと思います。

何度も針を刺し直し、悪戦苦闘の末、どうにか通し刺しと呼べる形状に針が通った時には、とっくにミミズは、ぐったりと弱っていました。

エサというのは活きの良さが肝心かなめのはず。

これは如何なものかと思ってしまいます。


その時の私の指先はというと、ミミズのおしっこだかうんこだか知らないですけど、黄色い汁でドロドロ、ベタベタ。

それから数年後に知ったことなのですが、ミミズのことをキジと呼ぶのは、血が黄色いことに由来するらしいですね。

あの黄色い汁は、きっとミミズの血だったのでしょう。


少し指の匂いを嗅いでみると、何と言うか・・・生臭いというか、泥臭いというか。

表現のしようのない異臭でしたね。

これまで嗅いだことのない匂いなので、例えようもない。

最近知ったのですが、(ミミズ臭い)って匂いの表現があるのですか。

一般的には(土臭い)とほぼ同意の匂いなのだそうですが、そんな言葉を聞くたび、あの時の匂いが思い出されます。

ほら、味覚と臭覚っていうのは、あらゆる感覚の中で一番記憶に残ると言うじゃないですか。


さておき、遂に仕掛けの振り込みです。

“送り込み”、“タスキ振り”、“のノ字振り”

知識だけは一応頭に入っていました。

なにせ一週間、指南書をひたすら読みましたから。

それこそ何度も何度も。


竿を振って仕掛けを放り込むって動作は、やはり特別ですね。

例えるなら、ゴルフで言えばティーショット、野球で言えば第一球。

本当の意味での釣りデビューと言えそうじゃないですか。

興奮と緊張の極致でしたね。


(初心者は”送り込みから”)って本に書いてあることを鵜呑みにして、エイヤとばかりに第一投。その時、私の手はきっと震えていたでしょうね。


(水平にした竿を上方向に振るようにして、手元の仕掛けを前方に送り出す)


本には確かそんな表現で書かれていたと思います。

緊張の第一投は前方ではなく、見上げるような上方向に飛んでいきました。

そして危うく私の頭に落ちて来るところでした。


慌てて落ちてくる針を避けたものですから、針が着ていたシャツの肘の辺りにぐっさりと。

そこで針を背負ったミミズが、瀕死の状態で最後のダンスを踊っている。

ミミズの汁が、私の白いシャツに小さな黄色い染みを作っていく。

私の記念すべき第一投は、なかなかおぞましい光景となりました。

顔なんかを引掛けなくて、本当に良かったと今では思っていますが。


時間にして小一時間くらいでしょうか。

振り込み回数にして20回くらいでしょうか。

どうにか仕掛けを前方に送り込むことができるようになりました。

前後左右それぞれ1.5メートルくらいの誤差という、極めて精度の悪い送り込みでしたが。

そしてその時になって、私は知ることになりました。

釣りっていうのは、のんびりとした遊びだと思っていたのですが、それがとんでもない誤解だってことが。


どうにか仕掛けが水面に落ちる。

落ちると同時に川の流れに乗っていく。

あっという間に下流側に運ばれていく。

その度に仕掛けを回収して、また打ち込む。

上手に打ち込めない。もう一度打ち直す。

またすぐ流れていく。

水面に漂っている浮き草などを、頻繁に糸と針が拾っていく。

回収しようとした仕掛けが、風に煽られて空中でひらひらし、なかなか手に付かない。

どうにか糸を手繰り寄せ、うんざりしながら絡まった草を取り除く作業。

とにかく気忙しい事この上ない。


思った以上に仕掛けが飛んで行き、対岸の草に針を引っ掛けてしまった。

竿を軽く揺すっても外れない。

仕方がないので、少し強く揺すってみる。

それでも外れない。

仕方なく少し強く引っ張ってみる。

急に飛んできた仕掛けで、危うく自分を釣りそうになる。


「草じゃなくって魚を掛けて来い!」


なんて独り言が思わず出てしまう。

自分の未熟を完全に棚上げして。

糸の先を見ると、あれ?針がないじゃないですか。

引掛けた草に持っていかれたんでしょうね。

また針結びをやり直さなければいけない。

心が折れそうになる。

もう一度針を結び直す。

何故か一回目より上手くいかない。

きっと精神的なものが理由でしょう。


一回目の倍近く時間をかけて何とか針は結べたが、今後は一番嫌なエサ付けをやらなきゃいけない。

案の定、暴れまわるミミズにまたもや翻弄される。

その頃にはもう人差し指と親指の爪の間は、ミミズの汁と土でもう真っ黒。


何か期待していたのと違う。

あれほどワクワクしていたのに、初めて1時間で何か嫌気が差してきた。

そんな自分の根性の無さに、自己嫌悪を感じ始める。

そんな精神状態だから、平常心でも上手くいかない通し刺しなどできる訳がない。

何度もミミズを摘まみ直す。何度も針を刺し直す。

それでもミミズは大人しくなってくれない。


イライラしている。

自分がイライラしていることを自覚する。

(ちょっと待てよ)と思い直す。

イライラするために釣りに来た訳じゃない。

初心者なのだから上手くいかなくて当然じゃないか。

短気なもう一人の自分を少し大人な自分がなだめようとする。


(ふう)とため息をつき、一旦竿を置く。

思い出したように、足元に置いてあったコーラを開ける。

買ったばかりのときには、氷水でキンキンに冷えていたコーラが、少しぬるくなっていました。それでも一旦、気を落ち着かせる効果は十分あったようです。

もう一度、(ふう)と息を吐き、エサのミミズを掴む。

またミミズがダンスを踊りまくる。


(そう言えば)と思い直し、“ちょん掛け”という刺し方を試してみる。

確かこれでいいよなって感じで、ミミズの胴体の真ん中に針を刺す。

これは案外に簡単にできた。

気を取り直して、送り込みで仕掛けを水面に打ち込む。

やはりあっという間に流れていく。

忙しない。落ち着かない。しっくりこない。


恐れていたことが起こったのは、そんなことを暫く続けていた時です。

私の背中側で自転車の止まる気配があった。

こんな立ち止まる理由が何もないところに自転車を止めるのは、私のしている釣りの見物以外にはあり得ない。

初心者のみっともない釣りを見られるのは恥ずかしかったし、何より一人でのんびりすることがそもそもの目的です。

私はその自転車の存在に気付いていない振りをすることにしました。

声は・・・まだかからない。

この沈黙の時間が妙に長く感じましたね。

そうしているうちに、仕掛けがまた竿一杯まで下流に流れて行ってしまった。

回収してまた打ち込まないといけないのですが、とても他人に見せられる打ち込みじゃない。

そこで私は仕掛けを回収して、いや、この回収も人の目を気にしての緊張もあったのでしょうね。なかなか針が手元に来てくれない。

やっとの思いで針を捕まえると、私は仕掛けを打ち込むことなく竿を自分の横に置きました。

まあ、(そんなに一生懸命釣りをしてるわけじゃないよ)なんてアピールだったのでしょうね。

今風に言えば、(俺、本気出してないし~)みたいな。

だから見物しても面白くも何ともないから、早く立ち去って下さいよってね。


そんな思いでまたコーラの缶に手を伸ばし、ぬるくなったコーラをゆっくりと喉に流し込んでいく。それでも背中で感じる人の気配は、立ち去ってはくれない。


竿を置いて休憩している振りにも限界がある。

もう気にするのはやめようと、やっと竿を持ち直した時です。


「なに釣ってるの?」


後方から私に掛かった声は、意外にも若い女性の声でした。

思わず振り向くと、そこには自転車にまたがった体操服姿の少女。

上は白の、おそらく学校指定の体操服。

下は紺色のジャージのズボン。

太陽の光の当たり具合もあったのでしょうね。

その白い体操服が、眩しいほどに白く見えた。


意外な見物人の登場に私は言葉に詰まっていました。

その時私はどんな間抜けな顔をしていたのだろうと思うと、今でもそのことが恥ずかしい。


「なに釣ってるの?」


自分よりは10才は年上の私に対して、そうタメ口でもう一度問う少女の顔は、邪気の欠片も感じさせない明るい笑顔でした。


さてなにを釣っているのかと問われて、私にはすぐに回答が思いつかない。

我が家の玄関をくぐるかのように、私の懐にいきなり飛び込んできた少女の言葉に、思わず私は、


「魚」


と反射的に答えてしまった。


一瞬キョトンとした少女でしたが、すぐに湛えていた笑顔がさらに転がりました。


(あははは)と一通り笑った後、笑顔のままで彼女はこう言いました。


「子供だと思ってなめてる?」


(えっ?)


その笑顔に似つかわしくない台詞に私は言葉を再び失いました。

そんな私の戸惑いを可笑しく思ったのでしょうか、さらにころころと笑った後、

彼女は続けます。


「川で釣りしてるんだから、熊や鹿を釣ろうとしてるんじゃないことくらい判るわよ」


「えっ、熊や鹿がこの辺りは出るんですか?」


思わず口にした言葉は、あまりにも馬鹿馬鹿しい内容で、そして遥かに自分より年下の、まだ子供と呼んでいい少女に対しての敬語でした。


「あの~~、やっぱり○○県のこと、なめてる?」


そう言ってさらにケタケタ少女が笑う。

つられて私もいつの間にか笑っていました。

そしてふと思ったのです。

こんな風に笑えたのは、一体いつ以来だろうって。


やっとその少女の顔をみるゆとりみたいなものが私の中に生まれた時、彼女の持つ幼さと美しさの奇跡的なまでの共存に気付いたのです。


これが私と涼南レナさんとの出会いでした。

初夏の太陽がやけに穏やかに感じる日でした。


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