第十夜:岩魚の紡ぐ(1)
岩魚が紡いだ娘との思い出深いキャンプの話です。
「ねぇ、おとうさん、イワナって美味しいの?」
「はぁ?」
それは3月土曜日の朝。
朝とはいっても既に10時を回っていたが、僕は抱き枕の上にさらに枕を乗せて、首の角度を調整し、朝からやけに騒がしいバラエティー番組を見るとは無しに見ていた。
この春中学2年に進級する一人娘は、既に春休みに入っていて、これも僕と同じように寝そべりながら、こちらはえらく派手にデコレーションされた、(命の次に大事)という愛用のスマホを弄っていた。
その大事なはずのスマホを突然投げだし、寝そべったままの状態でゴロゴロと回転して、僕の隣に来た娘。そのぐうたらな所作に小言の一言でも言おうとしたその時、娘の放った一言がそれだった。
見ていたテレビ番組は、芸能人のゴシップを5、6人の出演者で面白おかしく茶化すような内容のものだったし、娘のスマホはLINEが入ったことを知らせる電子音が、頻繁に鳴っていた。
あまりにも脈絡のない娘の言葉に、それが川魚の岩魚のことであることを理解するのに暫く時間がかかってしまった。
「おとうさん、イワナ食べたことあるの?」
「魚のイワナのことかな?あるよ」
(ある)とは言ってみたものの、はて、いつどこで食べただろうか?
味覚の記憶を手繰ってみても、全くその味の記憶にたどり着かない。
ふと脳の奥に格納されているはずのそれに掠ったかと思えたとき、(いや、その味はイワナではなく鮎だ)と、僕の中の正しい記憶が訂正する。
「でっ、イワナって美味しいの?」
ただでさえ余りの脈略の無さに混乱しているのに、一旦脳を落ち着かせて欲しいと思う。
「なんでいきなりイワナの話なのよ?」
「いや、美味しいのかな~って」
未だ脳のどこかに記憶しているはずのイワナの味が思い出せない。
多分だが・・・多分僕はイワナを食べたことはある。あるはずだ。
でもそれはきっと大昔と言っていいくらい古い話だ。
そもそもイワナなどという単語は、おそらく数十年もの期間、耳にしていないし口にもしていない。
どうでもいいと言えばどうでもいいのだが、それでも食べたことのあるはずのイワナの味が思い出せないことに、少し僕も意地になってきた。
こういう時は無理をしてでも記憶を探る訓練をしておかないと、来年には50歳になる自分としても脳の退化が心配だ。
時間を稼ぐ意味もあり、その質問の意味を問いただすと、どうも次のようである。
娘が僕の携帯を触っている時、たまたまブックマークに登録しているある投稿小説を何とはなしに読んだらしい。
勝手に人の携帯のブックマークをチェックするとは、例え家族といえども許せないようにも思えたが、怪しい閲覧履歴やメールはいく度消しているはずだ。
むきになると藪から蛇ともなりかねない。
ここは黙って話を聞く。
『木の芽』という作者の『老主人の耳掃除』というほんの20分で読めるような短編小説の中で、2人の旅人がイワナの塩焼きを食する場面がある。時代背景は恐らく明治時代。
題名の通り、『耳掃除』が本題の癒し系小説なのだが、その本題ではないその一場面が、何ともこの上なくおいしそうに思える描写だったそうなのである。
またもや「イワナは美味しいの?」と繰り返す娘。
味の記憶にはたどり着かないが魚好きの僕は、これまで不味い魚というものを食べた記憶がない。
かなり乱暴だが、同じ川魚だし、同じ調理法ということで、この際アユの塩焼きに置き換えて語ろう。
「美味しいよ」と知ったような口で応える僕。
「メバルとどっちがおいしい?」
このメバルの煮つけが、実は娘の好物の一つなのである。
釣りが好きで、特に春先はメバル釣りを嗜む僕にとって、釣りに行くというとそれまで何かと嫌味をいう女房の存在が障害だった。
しかしこの頃、このメバル好きの娘の援護射撃のおかげで、メバルを釣りに行く分には意外と女房の同意を得ることは難しくなくなっていた。
川魚であるイワナと、海魚のメバルの煮つけを、「どっちが美味しい?」と聞かれると、あまりにも比較の対象としての取り合わせが悪すぎる。
僕には当たり障りのない答えを返すしか方法がなかった。
「それは人それぞれの好みの問題でしょ」
それでは納得いかないという顔で娘は押し込んでくる。
「イワナはどんな味なの?」
こうなると、この際記憶が多少あやふやだろうが、何らの回答を見出すしかない。
僕は自分の表現力の無さを嘆きながら・・・いや、味覚の表現ほど難しいものはなかなか存在しないのだ。
だから食レポのできるアナウンサーや俳優は、毎回同じ顔触れなのだ。
言葉というものの限界を感じつつ、できる範囲で僕は説明する。
恐らくそれは鮎の塩焼きを食べた時の感想なのだが。
およそ僕の伝えたイワナ(おそらく鮎)の特徴は次の通り。
(皮がパリっとしていてとても香ばしい)
(身は柔らかく脂が乗っていて、歯ごたえという点では海の魚と比較して物足りないが、その脂が大変美味である)
(塩焼きがシンプル且つ最良の調理法で、一つまみの粗塩が身の甘味を際立させる)
(ワタの苦みが秋のサンマの腹の身に通じる大人の味)
最後の表現は完全に鮎だろうと思いながら、僕は拙く説明する。
先ほどよりは少し納得した顔になった娘であったが、更に詰め寄ってくる。
「立派な大きさってどのくらい?」
「どうかなぁ、30センチくらいかなぁ」
この大きさは完全に『釣りキチ三平』の表紙の記憶のイメージである。
淡水、海水問わず釣りをする僕ではあるが、渓流釣りだけは何故かこれまで縁がなかったのである。
「どこで食べれるのかなぁ」
そう問われて全く回答が思いつかない。少なくともこの辺りでイワナを出してくれる居酒屋などは聞いた事がない。
「川魚だからねぇ。どこか山間の民宿くらいでないと食べれないんじゃない」
極めて素直な意見を娘に投げた。
「ふ~~ん、イワナって釣れるの?」
釣りは僕の得意分野である。
この一連の会話の落ち所がどこに向かうのかは見当がつかないが、それでも僕は応える。
「釣れるよ。ルアーでも釣れる」
「ふ~~ん」
ここでやっと速射砲のようだった娘の押出しが一段落する。
またごろんと転がり、スマホの置いてあった場所まで戻る娘。
何やら確認するように画面を見入りながら、熟れた手付きで操作している。
よく目的が判らなかった会話は一通り彼女の中では完結したのか?
そう思ったのは束の間。ぐいっと上体を起こした娘は言った。
「ねぇ、この春休みの間に釣り行かない?」
「はい?」
これまで全く釣りには興味を示す気配すらなかった娘の一言に少し動揺したが、彼女の作戦を掻い摘んで示すと次の通りである。
3月の最終週の週末、女房が学生時代の友人と韓国へ2泊3日の観光旅行にいくことになっている。このタイミングで娘と僕の2人でイワナ釣りに行き、釣ったその場でイワナを串焼きにして食べたいというのである。
どこか近くでイワナ料理を提供している店を探せばどうかというと、それでは面白くないと言う。
ならばクーラを持参して釣ったイワナを持って帰ってくるのでは駄目なのかと問うと、今度は趣が半減するという。
自分で釣り上げることと、串焼きにしてその場で食べることが、どうやら娘の中では断ち切れないセットとなっているようだ。
渓流釣りの経験がないとは言え、魚釣りに関しては、僕には何とかなりそうな気がした。
一方で釣った魚の調理については全くどうにもなりそうな予感がしない。
そちらの方については、全責任を持って段取りをしてくれるならとの条件を娘は快諾した。
かくして、春休みを利用した娘と僕の、プチ冒険の旅、その決行が決まったのである。




