冬の女王の結婚
雪が降っています。
それはガラスのように透明なしゃらしゃらという音をたてながら降り積もり、子どもたちに笑顔を、大人たちに冬支度を、動物たちに冬眠の準備を、それぞれ贈るはずでした。
この国にはもう何か月も、冬が続いています。
冬の訪れを告げるはずだった空の使者は、国中の家も、木も、すっかり真っ白に染め上げてしまいました。
いつもだったら、子どもたちが雪遊びをしている声が聴こえ、家族は暖炉のまわりであたたかな時間を過ごす、楽しい季節です。
国の人々からは笑顔が消え、いつ終わるか分からない寒さに森の動物たちもすっかり不安になって、ため息が国中に満ちているようでした。
この国には王様と、その娘である四人の女王様がいます。
秋の詩人に喩えられる、聡明な秋の女王様。
夏の太陽と謳われる、華やかな夏の女王様。
冬の夜空にも似た、清廉な冬の女王様。
春の陽射しのような、愛らしい春の女王様です。
国の中心には四季の塔と呼ばれる塔があります。四人の女王様は自分の季節の番になると塔に向かい、祈りを捧げることによってそれぞれの季節を呼ぶことができるのです。
季節が終わるときには、次の季節の女王様と祈りを捧げる役目を替わります。
そうしてこの国には、四季が巡っているのです。
この国に春が来なくなったのは、三女である冬の女王様が塔から出て来なくなったことが原因です。
冬の女王様が塔で祈りを捧げている限り、この国には冬が永遠に続いてしまうことになります。
王様や他の姉妹が何度訪ねて行っても、冬の女王様が固く閉ざされた塔の扉を開けてくれることはありませんでした。
とうとう王様は、国中にお触れを出しました。
【冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう】
お触れを聞いた国中の知恵者たちが集まってあれこれと相談しているそうですが、春の気配はないままです。
私の妻である長女の秋の女王様も、悩まれておりました。会話をしていても、悲しい顔で遠くを見つめることが多くなってきました。
私たちの住んでいる秋の城は、秋の女王様らしい落ち着いた小ぢんまりとしたお城です。お城というよりお屋敷と呼ぶほうが似合うかもしれません。
「コスモス、コスモスはどこ?」
秋の女王様の呼ぶ声が聴こえます。私は、
「はい、ここにいます」
と返事をして、図書室の扉から顔を出しました。
「ここにいたのね。あなたの姿が見えないから、探してしまったの」
秋の女王様は、そう言っていつもどおりの穏やかな笑顔を私に見せてくれました。
「探させてしまって、ごめんなさい」
「かまわないわ。こういうのが嫌でなるべくお城を小さく作ったのだけど、あまり意味はなかったわね? ふたりで住むにはどっちみち、広すぎだもの」
秋の女王様は、読書が好きな聡明な女王様です。
落ち着いた暮らしを好まれるので、使用人も最低限しかこのお城にはいません。
見た目も、華やかさを好まれる次女の夏の女王様と比べると一見目立たないように感じますが、それは服装の趣味や立ち居振る舞いが控えめだからで、実は秋の女王様が姉妹の中で一番美しい、と私はひそかに思っているのです。
「なるべく、お側を離れないようにします。せめて、あなたの声がどこにいても届くくらいには」
「ありがとう。私はあなたが夫で、本当にしあわせよ」
私はコスモスの精です。
女王様たちはそれぞれ、自分の季節の花と結婚して共に季節を守っていくことが決められています。
秋の女王様はお優しいのでこんなふうに私を喜ばせてくださいますが、私はどうして秋の女王様ほどの、賢く、優しく、美しい人が自分のような平凡な花と結婚してくださったのか、今でも不思議なのです。
秋の花には、凛としたたたずまいのリンドウさんや、いつもたおやかな香りを漂わせている金木犀さんなど、見目麗しい花たちがたくさんいます。
私のような、見た目も地味で気高くもない、女王様のお側で咲くのにふさわしくない花をどうして選んでくれたのでしょうか。
一度、どうしても気になって秋の女王様に尋ねてみたことがあるのです。
女王様は、
「あなたは、どうしてだと思う? 私はね、目に見えるものよりも目に見えないもののほうが好きなのよ」
と、なぞかけをする子どものようにいたずらっぽく笑って答えてくださいました。
目に見えるものと目に見えないもの。
私にそれが分かるようになれば、女王様の言っていることも分かるのでしょうか。
どうしてこの国に春が巡ってこなくなったのかも、私が女王様に教えてあげられるようになるのでしょうか。
私には、この国を、妹たちを思って心を痛めている妻の力になることすらできないのです。
「コスモスにお願いがあるの」
「私にですか?」
「ええ。実は今日も冬の妹を訪ねてきたのだけど、塔の扉を開けてくれることはなかったわ」
「そうですか……」
「あなたも冬の妹のことは知っているでしょう? 何も理由がなくこんなことをするような子ではないのです」
私は頷きました。
三女である冬の女王様は、物静かで一見冷たく見えるような美貌の持ち主ですが、実はとても姉妹思いでお優しい方なのです。
「私は、長女なのです。妹たちが苦しんでいるのを放ってはおけません。何か理由があるはずなのです。私たちが見落としている大事なことが。それを、あなたと調べに行きたいの」
「私でお役に立てるのでしょうか」
「もちろんよ。あなたといると、私一人では見えないことも、見えるような気がするの」
こうして私と秋の女王様は、冬に閉じ込められてしまったこの国に再び春を巡らせるため、はじめての冒険に出かけることになったのです。
私たちが最初に向かったのは、次女の夏の女王様のお城です。
この国の中央には、王様の住むお城と四季の塔があり、国をぐるっと囲むように四方にそれぞれの女王様のお城があるのです。
雪の降りしきる中、二人で国の端から端まで旅をするのは簡単なことではありませんでした。
本当なら、私は冬には枯れてしまう花です。コスモスはとても生命力が強いと言われていますが、それでも花なので寒さはとても身に堪えるのです。
秋の女王様は、自分もつらいはずなのに道中私のことをしきりに気遣ってくださいました。
「ごめんなさい。あなたを連れてくるなんて私が言わなければ、こんなことには……」
「いいえ、大丈夫です。私は女王様のお側にいれば、永遠に枯れずに咲き続けることができます。それに私は嬉しいのです、こうして二人で遠出をするのは、はじめてのことでしょう?」
私は女王様に悲しい顔をさせたくなくて、せいいっぱいの元気な声で答えました。
「そうね、いつもお城にとじこもって、本ばかり読んでいたものね」
私たち花の精も、花が枯れるのと同時に消えてしまいます。次の年になってまた花が咲けばまた生まれることができますが、女王様の夫になった花は共に季節を守っていくため、ずっと隣で咲き続けることができるのです。
私が枯れるときは、女王様の命が尽きるときだけです。
夏の女王様のお城に着いたときには二人ともすっかり凍え、疲れでくたくたになっていました。
「お姉さま! それに、コスモスさんも!」
夏の女王様は、夫である薔薇の精とともに出迎えてくださいました。
「急に来てしまってごめんなさいね、夏の妹」
「本当ですわ! 事前に言ってくだされば迎えをよこしましたのに。ああ、こんなに凍えて……」
急に訪ねたにも関わらず、夏の女王様は私たちに盛大なおもてなしをしてくださいました。あたたかい暖炉や心のこもった料理は、冷えきった私たちの身体をじゅうぶんにあたため、いつでも明るい夏の女王様の笑顔は、夏の太陽のように私たちのこわばっていた心も溶かしてくれました。
夏の女王様のお城は、華やかで明るい女王様らしい豪華できらびやかなお城です。
国中の花の中で一番麗しいと称えられた薔薇と夏の女王様は、とても仲睦まじく、お似合いの夫婦に見えました。
おなかも心もいっぱいになったところで、私たちは本題を切りだしました。
「私たちがあなたを訪ねたのには理由があるのです、夏の妹よ」
「そんな気がしていましたわ。冬の妹のことですわね?」
「そうです。あの子が塔から出てこない原因に思い当たることはありますか?」
「わたくしには、何も……。ただ、春の妹は昔から冬の妹を慕っておりました。春の妹だったら何か知っているかもしれません」
そのとき、静かに私たちの話を聞いていた薔薇が口を開きました。
「春の女王様は最近元気がないようです。花たちが心配していました」
「そう、あなたはほかの花たちとも交流があったわね」
社交的な薔薇には知り合いが多く、夏の女王様と結婚してからは薔薇以外の花とも親しくしているようでした。秋の女王様は納得したように薔薇の言葉の続きを促しました。
「はい。春の女王様は花が好きな方で、季節に関わらずいろいろな花たちと親しくしてくださるものですから……。自然とお噂は耳に入るのです」
「春の女王様の元気がないのは、冬の女王様の事情を知っているからではないでしょうか」
私の言葉に秋の女王様が頷きます。
「私もそう思います。次は春の妹のお城を訪ねてみましょう」
どうやら、この旅は思ったよりも長くなりそうです。
夏の女王様と薔薇に見送られながら、私たちは夏の陽射しのように明るい光に満ちたお城をあとにしました。
末っ子の春の女王様は、素直で愛らしい女王様です。一番歳の近い冬の女王様と仲が良いことは私も知っていました。
「私はどうして気付かなかったのでしょう。春の妹の元気がないのは、冬の妹が結婚してしまうからだと思っていたわ」
冬の女王様はこの冬のうちに、冬の花を選び結婚することが決められていました。
そのせいで仲の良い春の女王様がさびしがっているのでは、と秋の女王様は考えていたのです。
女王様たちは生まれた順番に結婚しなければいけません。必然的に春の女王様は最後の結婚になってしまいますし、それでなくとも親しい姉が他の花のものになってしまうというのは、姉たちに愛されて育った春の女王様にはおつらいものだったのでしょう。私も今まで、そう思っていました。
「春の妹は、人のしあわせを素直に喜べる子です。さびしい気持ちがあっても、それを悟らせまいとするでしょう。花たちに心配されるほど元気がないというのは、ほかの原因があるに決まっています。どうして私は気付いてあげられなかったのでしょう」
「私も気付けませんでした。あなたのせいではありません」
「いいえ。私が妹たちの、目に見えないものをきちんと見ていれば、すぐに分かることだったのです」
「私には、その目に見えないものというのが何なのかも、よくわかりません」
「あなたには、見えているわ。きっと私よりも。だから私はあなたと結婚したのです」
女王様の言葉はやはり難しく、あいまいに微笑むことしかできませんでした。
私は返事のかわりに女王様の手をとりました。手袋の上からでも分かる、冷たくなった手を。
「急ぎましょう。今度はあなたが凍えてしまわないように」
春の女王様のお城は、色とりどりの花たちに囲まれた可愛らしいお城です。お城よりもお庭のほうが広く、春の女王様はここでたくさんの花たちを育てて会話を楽しんでいました。
そんな自慢の庭園も、今はただ真っ白に沈黙するばかりです。
「気のせいでしょうか。お城全体が、なんだか元気のないように見えます」
いつもは、たくさんの花の話し声や春の女王様の笑い声が響いている、夢のような場所なのです。
春の女王様の笑顔が、ひだまりのようだからでしょうか。ここに季節はなく、ずっと春だったように感じられます。
「あの子は……春の妹は、どこに……」
私たちがお城の門を抜け、お庭を通り抜けようとしたときです。
足元で、ぱきり、という硬いものが折れたような音がしました。
はっとして振り向くと、そこには春の女王様がいました。いつも薔薇色にかがやいている頬やくちびるはすっかり青ざめ、心なしか少しお痩せになったように思います。
春の女王様は私たちを見るとびくりと動きを止め、目を大きく見開きました。
さきほどの音は、春の女王様が枝を踏んだ音だったのでしょう。
「秋のお姉さま……コスモスさん……」
春の女王様は、こまかく震えておりました。それが寒さだけのせいではないということは、私にも分かります。大きな潤んだ目は、今にもこぼれ落ちそうでした。
「春の妹、私たちは、あなたと話をしたくて……」
秋の女王様が言い終わらないうちに、春の女王様は踵を返して駆け出しました。ドレスが雪や泥にまみれるのにもかかわらず、です。
私たちはあとを追いましたが、門を抜けたとき、春の女王様の姿はすでに周囲から消えておりました。
「女王様。春の女王様を探しましょう」
「でも……でも、あの子は私の姿を見て逃げ出したわ。私に会いたくないのかもしれない」
いつも聡明な女王様が、おびえて、迷っています。
私にものごとを教えてくれる女王様。賢さとは、優しさとは何かを教えてくれた女王様。いつも私を、私たちを導いてくれた。
この国にとって秋の女王様は、母であり、教師であり、ときに哲学だった。
ならば今こそ、私が女王様のお役に立つときなのです。
私はすうっと息を吸い込み、女王様の目をはっきりと見つめました。
「あなたは、目には見えないものを、見たいのではなかったのですか!?」
こんなに大きな声を出したのは、はじめてのことです。
女王様はそんな私の姿に、とても驚いていました。
「春の女王様の本当の気持ちは、ここにはありません。あなたにもそれが、わかっているはずですよ」
「コスモス……。本当に、その通りだわ」
女王様の瞳に、聡明な光が戻ったように見えました。
「行きましょう。この国の冬を終わらせる真実が、きっと私たちを待っているはず」
私たちは、雪が残してくれた春の女王様の足跡をたどって森に向かうことにしました。
「でもやっぱり、すこし怖いわ。真実を知ってしまうのが」
「大丈夫です。春の女王様は、きっとあなたが見つけてくれるのを待っているような気がするのです」
「私が途中で立ち止まったとしても……あなたは隣にいてくれる?」
そして私は女王様の手を、ぎゅっと握りました。
「私はあなたのそばを、死ぬまで離れません」
いつの間にか、陽が落ちていました。
雪化粧した森の中は、月の光が反射して私たちの進む道を照らしてくれます。
足跡をたどっていくと、湖のほとりの拓けた場所に出ました。
かすかに、話し声が聴こえます。私たちは息をひそめ、木のうしろに身を隠しました。
湖は水面に月の光をたたえて、ゆらゆらと幻想的に輝いております。
そんな美しいほとりで、春の女王様が誰かと話しているのが見えました。
「秋のお姉さまが訪ねてきたの。きっと知られてしまうわ」
春の女王様は、泣いていました。どんなときでも周りを気遣って、涙や不安な顔を見せない女王様の瞳から、水晶のような大粒の涙がぽたぽたといくつも零れていました。
「それは仕方のないこと――もともと、こんなにたくさんの人を困らせるようなこと、長く続けてはいけなかったのです」
もう一人の話し声の主は、心地の良い落ち着いた声の持ち主でした。残念ながら影になっていて姿はよく見えません。
「でも、もう、会えなくなってしまうのね」
「最初から、結ばれない運命だと分かっていました。私があなたのことを好きにならなければ良かったのです。あなたのこんな悲しそうな顔は、見たくなかった」
「ちがいます。私が、私が好きにならなければ良かったんです。でも、もう出会ってしまった。好きになってしまった。出会ってしまったら、好きにならないはずがなかったのです。こんな……こんな雪解けのように優しくて、儚いあなたを、好きにならないことなどできなかったのです」
「春の女王様……」
落ち着いた声の主は、春の女王様を抱き締めました。壊れそうな宝物をそっと胸に抱くような、とても優しい抱擁でした。
月を覆っていた雲が、動きます。
その人に月の光が射した瞬間、私はその人の正体も、春の女王様がなぜ苦しんでいたのかも、そして――なぜこの国に春が来ないのかも、瞬時に悟ったのです。
「待雪草……」
春の女王様の相手は、お互いに愛しあっていたその花は、待雪草だったのです。
待雪草はスノードロップとも呼ばれる白くて美しい花です。どこか儚い印象があるのは、雪を割って咲く、その健気な姿からでしょうか。それとも、雪解けと運命を共にする、花の命の終わりのせいでしょうか。
待雪草は――そう。春になると散ってしまうのです。
「ああ、なんということなの……」
秋の女王様も私と同じように、すべてを理解したようでした。
「――そこに、いらっしゃるのですね?」
待雪草の声が、私たちに向けられます。最初から気付いていたのでしょうか。不安そうな表情の春の女王様と違い、待雪草の瞳には覚悟が宿っておりました。
「あとをつけたりして、ごめんなさい」
私たちは二人の前に姿を現しました。
こうして対峙するとより一層、待雪草の愁いを帯びた美しさが分かります。そして、どんなにふたりが想いあい、恋焦がれているのかも。
「あなたたちは、愛し合っているのですね。冬の妹が塔から出てこないのも、あなたたちのためだったのですね」
「そうです。すべては、私たちのために冬のお姉さまがしてくれたことだったのです……」
春の女王様と仲の良い冬の女王様は、待雪草と妹が愛し合っていることにすぐに気付きました。
冬が終われば、愛し合う二人は別れなければいけない。そうして次の春には妹は、自分の季節の花と結婚しなければいけない。
春に恋してしまった雪待草――。運命のいたずらにも思える、こんな悲しい物語。
それならせめて、ふたりの時間が少しでも長く続くように、自分が冬の時間を止めます。そう言って扉を閉ざし、春の女王様の呼びかけにも応えなくなったそうです。
「あなたたちの苦しみに気付いてあげられなかった、私を許して」
「あやまるのは私です、お姉さま。私のせいで、お姉さまたちにも、国のみんなにも、たくさん迷惑をかけてしまいました」
春の女王様は静かに首を横に振りました。
「もう、覚悟はできています。私は、塔に向かいます」
春の女王様も、待雪草も、これ以上時間を引き延ばせないことを分かっていました。
「あきらめるのはまだ早いわ。きっとなにか方法があるはずです」
しかし、私も秋の女王様も、あきらめが悪いのです。コスモスは、枯れた土地にだって花開くのです。
実りの季節を司る私たち。恋するふたりのしあわせを実らせられなくては、秋の名が泣くでしょう。
私はふと、思いつきました。二人が一緒にいられる方法。それを握る鍵を、もう私たちは手に入れているのではないでしょうか。
「秋の女王様。王様のお触れを思い出してください」
秋の女王様は私の言葉に考え込んだあと、はっと顔を上げました。
「――大丈夫。この方法ならきっと、うまくいくわ」
そうして私たちの顔を見回し、重大な作戦を発表するときのように、ゆっくりと口を開きました。
「私に考えがあります」
「おお、おお、娘たちよ!」
秋の女王様は、春と夏の女王様をお城の謁見の間に集めました。
王様は久しぶりに揃った娘たちに嬉しそうです。
四人の姉妹たちは必ず誰か一人は季節の塔にいることになるので、王様の住むお城に四人全員が集うことはありません。
こうして三人が集まると、冬の女王様の不在が際立ちます。そんな寂しさを皆に感じさせないためか、王様は、
「さあさあ、こんなところで立ち話もないであろう? すぐに料理人にお茶を運ばせるから、皆であたたかい部屋に行こうではないか」
と、いつもより明るい笑顔を作っておりました。
「お父様、私たちが集まったのは他でもありません。冬の妹のことでお話があるのです」
秋の女王様がみんなよりも一歩進み出て、王様に言いました。
「冬の娘のことだと?」
「はい。そして、この国のための話でもあるのです」
娘たちの真剣な表情に気が付いた王様は、自分も国王の顔に戻り玉座に座り直しました。
「いいだろう、話してみなさい」
「お父様。――そして夏の妹も。どうか最後まで、ご清聴くださいませ」
そうして秋の女王様は、春の女王様と待雪草の物語を――冬の女王様の真実を、みんなに語り始めたのです。
「――これが、春の巡らない国の真実です」
「春の妹……そうだったのね」
夏の女王様は今知った事実にとても驚いておりました。妹を気遣うように、春の女王様の背中に腕を回しています。
「つらかったわね」
「夏のお姉様……」
王様も、原因が春の女王様だったとはいえ、大事な娘が苦しんでいたのはつらいのでしょう。険しい顔で、どうしたらいいのか考えている様子でした。
「お父様。これ以上国のみんなに迷惑はかけられません。私はこれから塔に向かい、春を巡らせます」
「娘よ。お前はそれでいいのかね?」
気丈にふるまう春の女王様に、王様が問います。
その表情は国の王ではなく、愛する娘を気遣う父親そのものでした。
「……私、わたしは……」
言いよどむ春の女王様の言葉を遮って、秋の女王様が玉座のそばまで進み出ました。
「お父様。お父様は、春を巡らせた者には好きな褒美を授ける、とおっしゃいましたよね?」
「おお、そうであった。この場合は秋の娘、お前に褒美を与えよう」
「ならば、私たち姉妹の願いをきいてくださいますか」
「もちろんだ。言ってみなさい」
秋の女王様は私たちの顔を見回したっぷり間をとったあと、微笑みをたたえて口を開きました。
「春の女王の司る季節を冬に、冬の女王の司る季節を春に。それが私たちの望みです」
春の女王様は驚きに目を輝かせ、
夏の女王様は喜びに歓声をあげ、
そして秋の女王様は、とても満足そうに微笑んでおりました。
王様はそんな姉妹たちの様子を見て、その日のうちに新しいお触れを出しました。
【冬の女王を新しい春の女王に、春の女王を新しい冬の女王とする】
新しいお触れは春一番のように国中をかけめぐり、人々は新しい女王の誕生と姉妹の絆、そして新たに誕生するであろう一組の夫婦に歓声をあげたのです。
冬の女王様が新しい春の女王になったことで、季節はふたたび巡りはじめました。
何か月も続いていた雪はやみ、陽射しも少しずつ春のあたたかさを含んできました。
春の女王様――新しい冬の女王様と私たちは、雪解けが終わってしまう前に待雪草に会いに行きました。
「お触れを聞きました。まさかこんなことになるなんて。本当にありがとうございます」
待雪草は秋の女王様に深々と頭をさげました。
「いいえ。姉として――女王としてのつとめを果たしただけです」
そうして、
「最後は、ふたりきりで過ごさせてあげましょう」
私たちは少し離れたところで、ふたりの最後の時間を待つことにしました。
「すこしの間、お別れですね」
新しい冬の女王様と待雪草は、そっと身を寄せ合います。
「でももう泣きません。みっつの季節が巡るのちに、私はまたあなたに会うことができるのですから」
春の木漏れ日のような笑顔でした。きっと待雪草も、この笑顔が大好きだったのでしょう。ほっとしたように微笑み、新しい冬の女王様と向かい合いました。
「春の女王様。――いえ、冬の女王様。私が枯れてしまう前に、あなたにお伝えしたいことがあるのです」
「――はい」
「あなたが私を知らないときから、私はあなたが好きでした。私は春を知りません。けれど、いつもあなたの朗らかな笑顔を見て、春とはきっとこんなものなのだろう、きっとこんなに幸せで、あたたかい気持ちになるものなのだろう、とずっと思っていました。あなたは私にとって、春そのものだったのです」
花びらが散って行くように、待雪草の存在がだんだんと希薄になってゆくのが私にも分かりました。
「あなたのそばにいればいつだって、私は春を感じることができる。だから毎年、花の終わりが近づいても、私はちっとも悲しくなかった。冬しか知らない運命を、嘆くこともなかった」
一枚、二枚。
「次の冬にまた咲いて、必ずあなたに会いに行きます。だから待っていてくれますか」
また一枚。
「そのときは私と、結婚してください」
それはプロポーズでした。巡る季節が呼んだ悲恋の物語は、再び季節が巡ることによって終わりなき結末を迎えたのです。
「はい、もちろんです」
冬の女王様が瞳に涙をたくさん湛えながら待雪草の手をとった瞬間、待雪草の姿は雪が解けるように静かに、消えていったのです。
「待っています。必ず、待っています……」
冬の女王様の瞳からこぼれるあたたかい涙は、待雪草がいた雪の上にぽたぽたと落ち、最後の雪を解かしてゆきました。
この涙は別れの涙ではありません。希望に満ちた新しい季節への、はじまりの合図なのです。
四季があるから、人は恋をする。冬にしか咲けない花が、まだ見ぬ春に焦がれたように。
冬なんて、なければ良かった。そう思ったこともきっとあるでしょう。でもきっと、寒さにじっと耐え雪の下から芽を出す待雪草のように、冬を乗り越えたものだけが、あたたかい春の喜びを感じることができるのでしょう。
私は、四季を持つこの国に咲くことができて良かった。
私たちはこれからも、四季を巡る物語をいくつも体験していくでしょう。
夏の暑さに渇きを覚えるときも、冬の寒さに凍えるときもあるでしょう。
だけど絶望することはないのです。愛する人が隣にいればきっと、どの季節もしあわせな色で塗り変えることができるのですから。
刻をとめた冬の国に春を呼び戻した私たちのお話はここで終わりですが、その後この国がどうなったのか、少しだけお話をします。
引き続き塔を治め、春を司ることになった新しい春の女王様は、桜と結婚しました。
高潔な桜と女王様の組み合わせは、どうして今まで思いつかなかったのだろうと感じるくらいぴったりに見えました。
そうして春夏秋と季節は巡り、新しい冬がやってきました。
ふたたび咲いた待雪草は、あの日の約束どおり新しい冬の女王様と結婚しました。悲しい恋人たちは幸せな夫婦になり、永遠に結ばれることになったのです。
新しい女王様が治めるはじめての冬は、なんだかいつもよりちょっぴりあたたかく感じた、と国中の人々が口を揃えて言っていたのは、ふしぎなことですね。
この国には四人の女王様がいます。
秋の詩人に喩えられる、聡明な秋の女王様。
夏の太陽と謳われる、華やかな夏の女王様。
春の桜吹雪にも似た、優しい春の女王様。
そして、雪を待って咲く花の健気さを持った、新しい冬の女王様です。