第八話 踏み出す一歩
栞がセカンドに向かって走り出した頃、岩間高校の選手間では困惑していた。
その理由は実に単純であった。
『一人だけ全く動いていない選手がいる』
そう参加するだけ、という条件でこの練習試合に参加している大河についてである。
「どういうことだ? 他の二人はそれぞれファーストとセカンドに向かって走っているのに」
『もしかして初試合だからビビってんじゃねえか』
『いや、違うと思うよ。今後ろにいる子がいる子のほうが緊張してた。他の二人、部長さんと何考えているのかよくわからない男子は全く緊張してなかったから、タツのいうことは可笑しい』
タツと呼ばれた少年は、声だけで分かるほど本枠の色を示していた。
『なら、どういったこった? 作戦、とは思えないし、まさかファーストをとった後のオブジェクト出現位置がそこなわけないよな』
『うん、違う』
「なら、なんなんだ?」
多田はセカンドに向かいながら、眉を顰める。
相手の目的が全く見えない。何かしらの考えがあってのことだろうが、その行動に何の意味があるのか推測ができないでいた。
多田からにとっては残念なことに、大河の行動は作戦でも何でもない。参加するだけ参加するという条件の結果によって起こった出来事にすぎない。
栞たち鴨中高校は戦力上では劣っていたが、対戦相手を少しだけ混乱させることに働いていたのだった。
♪♪♪
『栞先輩、すみません、向こうの選手の方が先にオブジェクトに触れそうです』
森の中を駆け抜けていた栞に、樹からの通信機越しに連絡が入った。
栞は足を動かすのを止めず、どうするべきか思考を巡らせる。
「そう、わかった。なら、そこは相手に取らせて、樹くんは相手選手が次に現れるオブジェクトの場所に向かうのを止めて。私はセカンドの場所で相手二人を牽制しながらポイントをとるから」
『すみません、わかりました』
樹との通信を終えると、栞は地面を蹴る足にさらに力を込める。
初めての試合で相手よりも動きが遅れることは想像通りだったとはいえ、やはり戦力差を栞は感じていた。
もしも――もしも、大河も一緒に戦ってくれれば、樹の前を走る相手を妨害する間にポイントをとることができる。だが、現実はそうではない。
「できることをやるしかない」
セカンドに向かって走りながら栞は自分に言い聞かせるように呟く。
ないものねだりはできない。ならあるものでどうにかするしかない。
それが戦略であり戦術だ。
試合に勝つためなら、肉を切らせて相手に一ポイントぐらい差し出す。
そう思いながら走る栞の頭上に浮かぶ立体ディスプレイにポイントが追加される。
一体0。
岩間高校が想像通りポイントがとったのだ。
「ここは樹くんを信じるしかない。さてと、由依、セカンドまであとどのくらいの距離?」
『あと五百メートルほど。そろそろ森の中で構えといた方が良いよー』
「了解」
栞は走る足を止め、木々の盾にして隠れながら、セカンドに向かって銃口を向けた。
疑似的に作り出された風の音を聞きながら、栞は近づく相手選手二人を狙撃しようと待ち続ける。
「来た」
しばらくして、対戦相手がオブジェクトに向かってくるのが見えた。
すぐさま狙い撃とうと狙いを定める。しかし、栞はそこで可笑しな光景を目撃した。
「あ、れ?」
『どしたの、しおりん?』
間の抜けた声を出す栞を不審に思った由依が、栞に話しかける。
「ねえ、由依。セカンドに向かっているのって二人だよね?」
『うん、そだよ』
「でも、二人とも同じ選手なんだよ」
狙撃銃のスコープから見える対戦相手はどちらも同じ顔をしている。信じられない光景に栞は打つことをためらってしまう。
『そんなわけないよー。だって、モニターには三人しかいないもん』
「だったら、どういう――」
栞はある事実に思い至り直感する。
そして、樹にあることを伝えようとした口を開きかけた瞬間、
『ぐっ⁉』
耳元に樹の悲鳴に似た声が響く。
『え、え、どいうこと⁉』
「やっぱり! 樹くん、大丈夫⁉」
混乱する由依をひとまず無視して、栞は樹に話しかける。
『は、はい、なんとか。でも、いきなり二人目の選手が現れて!』
『ねえ、どういうことなの⁉』
「幻惑魔法だよ」
苦々しい表情で栞は呟く。
樹に起こったことは簡単である。
試合早々に幻惑魔法を使い自分の存在をモニターに映らないようにし、さらに別の選手がモニターに映るほど精巧な分身を作り出したのだ。自分と同じ分身を作ったのは、おそらく自分以外の人間の精巧な分身を作るには時間がかかるため、すぐにセカンドに向かうおう吐したからだろう。
『まんまとはめられたね』
「樹くんはとにかく戦闘不能にならないように逃げて。開始早々に三ポイント取られるのはまずいから」
『わ、わかりました』
フェアリーダンスは基本的に対戦相手を全員気絶させるか、オブジェクトに触れポイントをとるかである。しかし、対戦相手を全員気絶させなくても、相手を一人気絶させるごとに三ポイントが手に入る。
そのためただでさえ戦力が劣る栞たちのチームから選手が先頭不能になって、あまつさえポイントをとられればそれだけで勝率は低くなる。
そこからの展開は一方的だった。前半後半十五分のフェアリーダンスの試合で、前半が終わったところで六対一とかなりのポイント差があった。何とか一ポイントをとったものの相手が魔法を放つ中を躱しながらのものだ。
「栞先輩、すみません」
前半と後半との間にあるインターバル。樹は自分の不甲斐なさを超えににじませながら呟いた。
「ううん、気にしないで。まだ、後半がある。逆転しよう!」
「でも……しおりん」
明るくふるまって見せるものの由依の落ち込んだ声で、意識を現実へと引き戻される。
さらに追い打ちを買えるようにリーシャが呟く。
「このままでは前半同様に、一方的な展開になりマスネ」
「……そうですね」
リーシャの言葉のその通りだった。
このまま試合を続けたところで、一方的に点差を広げられていくだけだ。何か盤面をひっくり返せるような一撃が欲しかった。
だが、栞にも樹にもそんなことはできない。
栞の砲撃魔法は鈍重なため躱されれば意味がない。樹もいまだに緊張があってか、動きが悪い。
由依は奥歯を噛みしめ、ずっと黙ったまま話の和から離れた場所自分たちの会話を傍観する大河に視線を向ける。
「あのさ、大河くん。頼みがあるんだけど」
「俺にも動いてほしいって言うんですよね」
「さすが、勘が良いね」
「いえいえ、ですけど、俺は動きませんよ。俺は参加するだけ。突っ立っているだけ。そういう条件ですよね」
「けど、このままじゃ――」
「雛森サン、もういいデス。彼の言う通りですから」
言い縋ろうとする由依の言葉を、リーシャが遮る。
由依は睨めつけるようにしてリーシャを見るが、彼女はたじろぐことなく首を横に振る。
「――っ!」
由依は悔しい顔をしながら、握っている拳を震わせる。
しかし大河はその様子を見て全く表情を変えなかった。
その様子を確認したリーシャは、小さいため息を吐くと、大河以外の全員を見渡して言う。
「とにかく後半は、出水くんだけでなく賢宮さんも相手選手の動きを止めてくダサイ。それだけで、前半よりもポイントをとられにくくなりマス」
「そうですね。逆転するにも、これ以上さをつけられるのはまずいですよね」
「逆転に繋げられるならその作戦にのります」
しかし、リーシャの作戦に乗ったものの後半は点差が広がりにくくなるだけで、点差自体はつまらなかった。それどころかただ体力が削がれていくいくだけであった。
残り時間が五分になる頃。
九対一。
鴨中高校は岩間高校に八点差をつけられていた。
♪♪♪
ああ……せっかく練習試合ができるというのに、負けてしまうのだろうか。
デビュー戦にしてはあまりにも酷い内容だ。
相手に蹂躙されるように試合が進められ、逆転の糸口さえない。
由依も樹ももうどうすることもできず、茫然と試合をしている。
悔しい。
このままで終わりたくない。
何もできずに、ただ相手になされるままなんて嫌だ。
栞は自分の拳を握る。
逆転の糸口なんて思いつかない。
それがどうしたのだろうか。
ないなら作ればいい。
だから、だから、と栞は自分の胸に湧き上がる言葉を大声で叫ぶ。
「私は……最後まで諦めない‼」
♪♪♪
ほぼ試合の勝敗が確定した中、諦めずに動く栞の声がヘッドスピーカから聞こえた。
「私は……最後まで諦めない‼」
馬鹿ではないだろうか。
大河は純粋にそう思った。
誰がどう考ええても、残り五分では八ポイント差をひっくり返せるわけがない。
しかし、栞は諦めず、あるかどうかも分からない勝機を探している。
本当に馬鹿だ。大馬鹿だ。
なのに――、
「何で?」
ついてそんな言葉が出た。
もう諦めていいはずだ。
どうして彼女は、あそこまで諦めず勝機が探し出せるのかわからなかった。
『簡単デスヨ。根拠も理由もない。ただただ彼女は勝つことしか頭にないンデス。その思いで今を変えようとしているンデス』
「馬鹿ですね」
「ふふ、そうデスネ」
「……いいんですか、リーシャ先生? 教師が生徒のことを馬鹿と思って」
「構いませんよ。馬鹿にも二種類ありマス。一つはどうしようもなく救いようのないただの馬鹿。もう一つは、どうしようも救いようのないけど諦めの悪い馬鹿。後者である彼女は、失敗してもそこから逆転できるだけのポテンシャルがありマス。ですから良い馬鹿なンデス」
何だそれと思う。
結局なところ馬鹿ではないか。
しかしリーシャの言葉には深い重みと、それに値するだけの意味があるように思えた。
その意味を考えるように、頭上の立体ディスプレイに映し出される栞の姿を見る。
こうしている間にも、栞は馬鹿みたいになって逆転の糸口を探し出そうとしている。
その姿はあまりにも不格好で、どうしようもない程の諦めの笑い人間そのものだった。。
でも、大河はそう結論付けたくなかった。
不格好なことがどうした。
諦めが悪いのがどうした。
何もせずに立ち止まっていることのほうがずっと格好悪いではないか。
過去の出来事にとらわれ立ち尽くしている今の自分のように。自分が本当にやるべきことは失敗を生かすべきなのに。
そんな思いが心を満たしていた。
「馬鹿だ……俺は。そうだ、そうだよ。失敗しても立ち止まっちゃダメなんだ。失敗して傷つけることはいけないことだ。でも、だからこそ責任をとらなくちゃいけない。簡単なことなのに俺は……」
大河はゆっくりと、頭上の当店表の隣に映るまっすぐな栞の姿を見つめる。
そこには自分が取り戻すべき姿がった。
そして責任の取り方が映し出されていた。
「まだ間に合いますかね?」
『ええ、まだ間に合いマス。時間はまだありマスから。それに勝負はこれからデス』
「それもそうだ」
短く呟き、大河は大きなはじめの一歩を踏み出した。
限りなく小さな希望の灯を掴みとるために。
♪♪♪
「はぁ……はぁ」
栞は肩で息をしていた。動き続けたことによりスタミナを切らしてしまったのだ。離れた場所にいる樹も、呼吸を乱している。
すでに二人とも限界を迎えていた、
そんな状態の栞に、対戦相手の部長である多田が近づいてくる。
「対応は悪くなかったですが、まだ連携が取れていないんですね。いまだに一人動いていない選手がいるようですし」
「……、」
汗で額と頬に髪が張りついたまま栞は顔を上げる。
「さすがにこの点差をひっくり返されることはないとは思いますけど、残り時間はまだあるので念のためあなたを眠らせてもらいます」
多田はゆっくりと栞に向かって手を伸ばす。
フェアリーダンスに置ける戦闘不能の判定は、気絶だけでなく魔法による催眠も同じように分類される。そのため眠ってしまえば、自動的に相手側に三ポイントが入る。
栞は自分に向かって伸びてくる手をスローモーションのように見た。
ああ、負ける。
何もできないまま。
悔しい思いをしたまま。
せっかく試合に出られたのに。
部活を立ち上げたときから何も変わっていない。
せめて最後まで相手選手を見据えていよう。
目を逸らして逃げてしまうのは嫌だから。
栞は悔しさに耐えながら、多田を見据える。
ああ、でも。
やっぱり。
「勝ちたかったな」
あふれる思いを呟いた瞬間だった。
栞に向かって手を伸ばしていた多田の体が、突然吹き飛ばされる。
「――がっ⁉」
刹那の出来事だった。
栞自身何かが駆け抜けたのはわかったが、その正体がわからない。ただ、吹き飛ばされた多田が地面を転がり、気を失っていることだけはわかる。これで、撃破扱いとなり、栞のチームには三ポイントが加点されることになる。
だがそんなことは今はどうでもよかった。栞は驚愕を通り越し、茫然とした様子で目の前を眺めていた。相手選手たちも同じように目の前で起こった出来事を理解できずに茫然としている。
異様な空気が漂い始めようとした時だった。その空気を裂くように、一人の少年が栞に向かって近づいてくる。
異質、異様、異端。
少年の様子を表すにはその言葉がぴったりだった。
彼の表情はあまりに静かで、そして楽しそうであった。
「戦略や戦術はまだまだ形にするのが苦手で、対人戦闘も未熟。樹はそもそも動き方が理解できていない。まったく……これでよく勝負をしようと思いましたね」
「……え……大河くん?」
理解が追いつかぬまま栞は近づく少年の名を呟く。
大河はといえば楽しそうな口調で、しかもまだ対戦相手がいるにもかかわらず、のんびりとした声で、
「なーに驚いているんですか? 俺を無理やり試合に出させたのは先輩でしょうに。だから、俺がちょっとした気まぐれ(・・・・・・・・・・)とはいえフェアリーダンスに参戦するのは何も可笑しいことはないでしょ?」
にやりとした表情で栞を見る。
初めて見る明るい表情に、栞はポカーンと何とも間の抜けた表情をしてしまう。
「で……でも、君はやりたくなかったんじゃあ……」
「今言ったでしょ? 気まぐれだって。ただ馬鹿みたいな戦い方をしている二人が、それでもひたむきに楽しそうに試合をやっているから、俺も久しぶりにやってみるかなって思っただけですよ」
そこまで話を聞いて、ようやく栞は大河の真意を読み取れた。そして、いまだ戦闘中にもかかわらず、脱力して笑い始める。
「あはは、あははは……素直じゃないね」
「何が、ですか?」
性格のよろしい大河は、澄んだ表情で肩を竦ませる。
「さて、今回だけは特別です。だから――」
大河は表情を引き締め、対戦相手二人に視線を向ける。唖然茫然としていた選手たちも、ここでようやく現象を理解し始めていた。
「さて、逆転しますか」
「ははは、面白いこと言うじゃねえか」
「決着をつける? 残り時間を使ってポイントを上回れるとは思いませんよ」
なめられたと思ったのか、二人は大河を睨みつけ敵視する。
その視線をどこ吹く風とばかりに大河はいなし、
「先に言っておきますけど、俺はあなた方をなめていません。あと、皆さんを撃破すればまだ勝てますよ」
簡単なことのように告げた。
「できると思のかよ?」
「やったことはないですけど、俺は負けず嫌いなので精一杯抗わせてもらいます」
呟きながら大河は、低く姿勢を落とし構えた瞬間――、
「そうかい! 《ガイアスマッシュ》!」
相手選手はいきなり魔法を放つ。
地面に亀裂が走り、大河に向かって裂けていく。
足場を奪い、大河が飛びあがった瞬間を魔法で叩こうとしているのだろう。その証拠に、もう一人の相手選手が魔法を放つ準備をしている。
予想通り大河は宙に飛び上がる。その瞬間に待機していた魔法を相手選手が放った。
「《ウィンドアロー》」
このまま何もしなければ、確実に大河に当たるだろう。気絶することはなくとも、機動力が下がってしまう可能性がある。
だが、戦闘の様子を眺めていた栞は全く心配していなかった。
飛び上がった大河は、自分に向かってくる風の矢を空中に《箱》を作ることで躱してみせる。
「なっ⁉」
「空中に足場を⁉」
予想外の出来ごとに相手選手たちは驚く。
その隙に大河は一気に距離を詰め、魔法で両手に短刀を作り出す。
「はあぁっ!」
眼前にまで距離を詰めた大河は、右の短刀を斜め上に向かって振り上げた。とっさに反応した相手は、後方に向かって飛び跳ねる。
しかしその動きを予測していた大河は、相手よりも先に前に一歩を踏み出し振り終えた右の短刀をすぐさま振り下ろす。
メキメキ! 骨身が砕けるような音を響かせながら、大河の魔法で作られた短刀が肩にめり込み、相手を吹き飛ばした。何とか受け身をとるものの、地面を転がる際の衝撃に耐えられず相手は気絶してしまった。
そのまま大河は、最後の相手選手が隙を狙って放った魔法に視線を向ける。
「《ツリーブラスト》か」
大地から出現した巨木が、幾数もの枝を伸ばしながら大河に向かっていく。個の魔法はフェアリーダンスだけでなく、戦闘用魔法の中ではその使い勝手の良さと攻撃範囲の広さからから多くの人に好んで使われる。
だが大河は全く動じることなく、短刀を構える。
そして――、
「《麒麟》」
高速での移動を可能にする雷を身に纏い、大河は地面を蹴った。
次の瞬間――大河は、鋭さを増しながら伸びる樹木の枝を両手の短刀で切り裂いていく。あまりの鮮やかな動きに、相手選手でさえ感嘆しまう。
「これで、決着だ!」
巨木ごと切り伏せ、最後の相手選手の眼前に飛び込んだ大河は閃光の一撃を振るった。
そこで決着は着いた。
岩間高校選手全員戦闘不能により勝者鴨中高校。