第九話 鴨中高校フェアリーダンス部始動
「ありがとう、大河くん! 一緒に戦ってくれて!」
試合が終わり休憩室に入るや否や、栞は大声で礼を告げる。しかし、大河はというと表情をピクリとも変化させなかった。それどころか、栞の言葉など聞いていないかのように、休憩室の真っ白な天井を眺めている。
そんな様子の彼に、話しかけづらい雰囲気を漂わせているにも関わらず、樹はその空を払うかのように話しかけた。
「僕からもありがとう、轟君。賢宮先輩の足を引っ張ってばかりだったから、轟君が手を貸してくれなきゃ勝てなかった」
「ほんとだよ―君が手を貸してくれなきゃ勝てなかった。ありがとう、轟くん」
「私からも礼を言いマス、轟クン」
フェアリーダンス部の部員だけでなく、顧問であるリーシャにも頭下げられてようやく大河は口を開いた。いや、どちらかというと全員が何かしら声をかけてくることを待っていたかのようだった。
「別にただの気紛れですよ。それに、どうせやるなら負けるのは嫌ですし」
「意外と負けず嫌いなんだね」
「栞先輩たちと一緒です」
「ふふふ、そうだね」
くすくすと栞は嬉しそうに笑う。
その反応に大河は何も言わなかった、ただ、何かを確認するように栞を眺めている。少しでも心の奥底を見通そうとしているように見えた。
それでも先ほど以上に近づきがたい雰囲気を醸し出しているにも関わらず、栞はわずかな勇気を小さなこぶしに込め、話しかける。
「大河くん。あのさ――」
「もうフェアリーダンスはやりません」
しかし、栞が言い終わらぬうちに大河の放った鋭い言葉が、休憩室の部屋の空気を冷たく凍らせた。
喜びに浸っていた樹たちも意識を引き戻され、じっと大河を見つめる。
「言ったでしょ、気まぐれですって。俺はもうフェアリーダンスをやることもかかわることも嫌なんです! それに先輩たちみたいな素人なんて論外です」
「ちょっ、そんな言い方ないんじゃない! 確かに栞たちの実力は素人かもしれない! でも、気持ちは本気だよ!」
「はっ、本気?」
由依の本気で怒った反論に、大河は冷たい言葉で言い返した。
「本気なら、このまま初心者の樹をまともな選手に育てられるんですか? 先輩たちだけでやってたら、中途半端な選手になりますよ」
「そ、そうかもしれないけど……」
必死に言い返そうとして、由依には続きの言葉が出てこなかった。
自分はフェアリーダンス部の部員ではあるが、あくまでマネージャーだ。多くを言えるような立場ではない。
「ぼ、僕は本気です! 確かに僕たちだけじゃできることなんて知れてます。でも、僕は強くなりたい。もし賢宮先輩が言おうとしていたように、轟君が入部してくれるなら――」
「強くなれると? 確かにそうかもしれない。だけど、さっき言った通り、俺は栞先輩たちみたいな素人とはやらない」
「……そ、そんな……どうしてもなの?」
「ああ」
肯定されても言いつのろうと樹は言葉を探すが、どうしても紡ぐ言葉が思いつかなかった。それは、樹に限ったことでなく、栞も由依も彼の気持ちを換えられるだけの言葉を用意することができなかった。
一方、由依と一緒にオペレータ室でリーシャは何も言わず、事の成り行きをただ静かに見守っている。
もう、誰も口が開かず、完全な沈黙が支配し始めようとしていた時だった。その流れを作ったはずである大河は、鋭い声いう。
「でも、さっきの模擬試合で最後まで諦めなかったことに免じて、一度だけチャンスをあげます」
そう告げると、大河は一度覚悟を決めるように瞼を閉じ、ゆっくりと開くと栞をまっすぐに見据える。
「栞先輩、今から俺と勝負をしてください」
「はい⁉」
突然の指名に驚きの声を上げてしまった。幸いにも先ほどからの声も、休憩室の外には人がいないせいで聞かれてはいない。だが、しかし迷惑には変わりはない。その状況をわかっていながらも、しおりは思わず叫ばずいられなかった。
どうにか落ち着きを取り戻した栞は、
「え、急にどうしたのか?」
「だから、諦めなかったことに対しての対応です」
ようやく栞は理解した。
彼はつまり、最後まで勝負を投げ出さなかったことをほめているのだ。
「リーシャ先生。まだ、会場のほうは使えますよね?」
「延長戦も考えて、あと一時間ほどは使えマス」
「なら、良いですね。さて、栞先輩どうしますか?」
試すような問いかけに、栞は迷いもせずに即答した。
「もちろん、受けて立つよ」
「じゃあ、始めましょう」
栞の言葉に、満面の笑みで大河は笑った。
♪♪♪
「勝負は前回と同じで先にターゲットを破壊した方の勝ちです。他のルールも同様です。良いですか?」
対面する大河と栞の間で、いつかの時のようにリーシャが説明をした。
二人は異議がないことを示すために頷いた。
「はい」
「大丈夫です」
二人の意思確認を取れたリーシャは、深呼吸をすると右腕を水平に上げる。
「私が手を振り下ろしたら開始です。では――始め!」
リーシャの掛け声とともに栞は動き出す。
右の掌に紅色の業火が浮かび上がり、
「《烈爪焔》」
横薙ぎに炎を放った。
業火は大地を焦土と化すほどの熱が頬を焦がす。
大河は前回と同じ動きに一瞬思考を遅らせならも、すぐさま《麒麟》を発動させ空中に《箱》を作り出す。空中に浮かぶ《箱》に向かって大河は飛び跳ね、栞との距離を詰めるために次々に足場とする《箱》を形成させていく。
そして《麒麟》を発動させた大河は、一瞬であの時と同じように栞の背後に回った。
「これでお終いです」
右掌に魔法で短刀を生み出し、それを栞の背中にある風船に向けて横薙ぎに振るう。
決着は着いた。
そう勝負を観戦していた由依も樹も感じた。
だがリーシャだけは違っていた。
空色の双眸ではっきりと口の端に笑みを浮かべる栞の顔を見ていた。
「そうだね――これで終わりだよ。でも、それは君の勝ちじゃない! 私たちの勝ちだよ(・・・・・・・・)!」
あと少しで大河の短刀の刃先が風船に触れようとする瞬間、栞は迷いもせず前方に向かってあの砲撃魔法を放つ。ただし反動を押さえる補助魔法をキャンセルしたまま。
栞の体が砲撃魔法の反動によって勢いよく後方に向かって吹き飛ぶ。予想外の出来ごとに大河は、咄嗟の反応ができずに栞と一緒に突き飛ばされる。
「ううっ!」
「ぐっ⁉」
二十メートルほど吹き飛ばされた後、数秒してからふらふらとした足取りで栞は立ち上がった。視線を少し離れた場所で転がる大河に向ける。意識はあるものの相当体当たりがきつかったらしくまだ立ち上がるのに時間がかかりそうである。
「しおりーん、大丈夫⁉」
「た、大河くんも大丈夫⁉」
「……な、何とかな」
大分痛みが引いた大河はよろよろと体を置きあがらせる。そんな大河に、先に立ち上がっていた栞は手を差し出し引っ張って立ち上がらせる。
「ありがとうございます――ってそうじゃなくて」
「ずいぶんと無茶なことをやりマシタネ」
「そう、それですよ、リーシャ先生」
呆れたように呟くリーシャに大河は同調する。
栞自身無理もないと思う。
栞がやったのは一般的に使用することのできる魔術式から一部の魔術式を省いて発動させたのだ。簡単に言えば、車の右側のタイヤだけで走っているようなものだ。
「まったく、今後はあんな無茶なことをしないでくダサイネ。私の管轄不届きになってしまいマス」
「あははは……すいません」
「笑い事ではありマセン」
頭に鈍い痛みを感じ、リーシャは頭を押さえる。が、すぐに表情を変え、
「勝敗は決したようデスネ」
栞の背中を見ながら呟いた。
リーシャの言葉に由依と樹は表情をこわばらせながら、栞を見る。栞の背中にあったはずのターゲットは割れて消滅していた。反動で大河にぶつかった際に破壊されたのだろう。
「あ、これじゃあ、しおりんの負け?」
「……そんな」
悔しそうに置く場を噛みしめる二人を見ていた大河は、短く、違いますよ、と呟く。そして自分の背中を指さしながら、全員に見えるように背中を向ける。
その背中を見て、その場の由依と樹、リーシャの三人が驚く。
栞の背中にあった風船と同じように、大河のターゲットも消滅していた。
「え、うそっ⁉」
「嘘じゃないですよ、由依先輩。どんな方法でやってくるかと思ったら、まさか体当たりをし掛けてくるなんて完全に予想外ですよ」
「そ、そっか、地面を転がっている時にターゲットを破壊したんだね」
「そうそう、そうなんだよ、樹」
とはいえ、そのために自爆覚悟の体当たりをかますというのはなかなかに度胸のいることである。
「あれ、狙ってたんですか?」
「うん? ああ、うん、そうだよ。同じように攻めてたら大河くんはきっと私の背後に回ると思ったの。だから、反動を軽減する術式だけを軽減して、突っ込めばいいかなーって」
「恐ろしい人ですね」
ガシガシと頭を掻きながら、ため息を吐く。
そしてリーシャの方へ視線を向けた。
「で、この場合勝敗はどうなるんですか?」
そうデスネェーと唇に人差し指を可愛らしく当て、リーシャは考え込むようなしぐさを見せる。しかし大河にも栞にも嘘っぽい演技のように見えた。
おそらく彼女の中では考えるまでもなく決着が付いているのだろう。
それは大河も栞の二人も同じだった。
「私が勝負の内容を説明している時のことを覚えていマスカ?」
「先にターゲットを破壊したほうの勝ち、でしたっけ?」
由依の言葉にリーシャは首肯する。
「ええ。先にターゲットを破壊した方の勝ちデス」
「えーっと、しおりんが体当たりした瞬間に割れたってことは、自分で破壊したことになるよね。あれ? そうなると――」
「はい、賢宮サンの勝ちデス」
『や、やったーっ!』
由依と樹の二人が一斉に声を上げ、喜びを爆発させる。
その様子をリーシャは笑みを浮かべながら眺めていた。
「さて、轟クン。私からも聞かせてもらいマスガ、君が賢宮サンに負けた以上、いまあなたと同じくらいの選手がいるということデス。これで、フェアリーダンス部に入りたくない理由はなくなっと思うのデスガ?」
試すような口調に大河は、口の端を悪戯気に持ち上げ笑って見せる。
「そっすね」
「……大河くん」
「安心してください、栞先輩。もう逃げたりしませんから――さてと」
大きく深呼吸をして、息を吐いた大河は一度鵜を順に見回し、最後に栞の顔を見て告げた。その時の表情はとても穏やかで、澄んだ表情をしていた。
「俺をフェアリーダンス部に入れてください!」
その言葉の続きをゆっくりと紡ぐ。
「今まで色々と失礼なこと言ったのはわかってます。虫がいいのも分かっています。けど、俺はここで、みんなとフェアリーダンスがやりたい! 今まで逃げてきたから。真剣にフェアリーダンスと向き合うみんなと一緒に! だから、だから――」
はっきりと伝えたい。
もう一度ここから始めるために。
「みんなとフェアリーダンスがやりたいです!」
必死に言葉を紡ぐ大河。
その様子を全員が黙って見届けていた。
静寂が立ち込めそうになった瞬間、栞が口開く。
「うん、もちろんだよ。一緒にフェアリーダンスをやろう」
「っていうか、大河くんがいないと試合に出られないから、ウェルカムだよー!」
「世界大会で優勝するほどの経験者に教えてもらえると、僕も助かるよ」
「ふふふ、らしいデスヨ、大河くん?」
「ははは……前途多難ですね」
だから、どうした。
前途多難なのは当たり前だ。
何もかも一から始めるのだ。
「さてさて、大河くん。これからよろしくね。それと、ようこそ鴨中高校フェアリーダンス部に」
「はい」
栞が差し出す掌を大河は握る。
それを見た由依が二人に小走りに突っ込んでくる。
「あー私も私も!」
「なら、僕も!」
「ここは私も乗っておくべきデスネ」
幾重にも重なる掌。
魔法空間内の仮想の雲間から見える太陽の陽が鴨中高校フェアリーダンス部が始動した瞬間を照らしていた。