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「あー、笑った笑った」
にやにやしながら口元から手をどける。私はそれをむすっとしながら見ている。
ずいぶん前に顔の火照りは引いていたが、それを見て、このおっさんはまた笑いだした。それから笑いが引くのを待っていたのだ。
堅物のおっさんかと思っていたら、性悪のごついおっさんだった。
そんなところに胸キュンしかけた私を誰か殴ってくれ…
「…そんなに笑うことじゃ…ないです…」
「いや、面白かった」
「~っ」
「やめろ、また笑わせる気か」
むかついて顔をしかめたら、またにやにやされた。このおっさん腹立つ…
顔を変えると笑われるため、そっぽを向く。
「まぁ、お前は誰かに召喚されたんだ。他に方法は考えられん」
不意に話しかけられた。さっきとは違い、真面目な声。
私の話だ。前を向き、レイさんを見る。
「…どうすればいいんですか…」
思ったことが口に出た。
無責任のようだが、ほんと、どうすればいいんだ。
召喚されて、すぐに帰れるならそれがいい。けど、すぐに帰れるものなの?
「…帰りたいと思っているなら、諦めろ」
「ッ……」
「召喚されていれば、召喚した魔術師でなければ帰すことはできん。黒を宿している人間を召喚する魔術師だ、頼んでも帰してくれると思わない方がいい。好き勝手利用されるだけだ」
帰られない。突きつけられた事実に思考が一瞬停止した。
「じゃあ、」
「?」
「じゃあ、どうすればいいのっ!」
おもいっきりテーブルを叩き、立ち上がる。弾けるように感情があふれ出た。
その様子を見て、レイさんは目を見開く。
「ああああ!もう、帰れないとか、最悪!」
叫びまくる。
腹が立ってしょうがない。元々怒りの沸点は低い。
「お前、落ち着け」
「落ち着けるかーーーーっ!」
椅子が足に当たり、倒れる。ちょっと痛い。
おっさんが席を立ち、急いで寄ってくるが、叫ぶ。
「もう!なんなんだし!!いきなりこんな世界に落ちてきたと思ったら、なんか襲われるし、殺されかけるし、臭かったし!あり得ねーよ!もっと丁寧に扱えよ!!!」
猛り立っている私の様子を見てか、レイさんは私の両腕を掴む。
抑えようとしているのか、宥めようとしているのか、強くは掴まれていないが、私の腕は少しも動かない。
でも、私は叫ぶ。
「しかも、もう帰れないとか、…はぁぁぁあ?なめてんのか?どう生きてけばいいっつってんだよ、ふざけんなっちきしょう!!ばか!ばーか!帰せよ!うぅっ、かえせよぉっ」
もう、涙がボロボロと溢れて止まらない。
帰れないということを意識していなかった。というか、することができなかった。でも、心のどこかで帰れると思っていたのだろう。でも、この人に帰れないと言われて、
「うえええぇん」
両腕を掴まれながらも、座り込んで、子どもみたいに泣きじゃくる。
涙で視界がぼやけて、何も見えない。
何のために今まで頑張ってきたと思っているんだ。努力が全て水の泡になったのか。私は何のためにここにいるんだ。向こうで頑張ってきたこと全ては、意味のないことだったの?
もう、どうしてこうなった。
興味本位で穴を覗いたからだろうか、それとも残業ばかりな会社のせいなのか、自転車を盗んだ野郎のせいなのか、原因がわからなくなってくる。
ただただ、悲しくて、しょうがない。
「俺が、」
?俺が、?
なに?
「俺と暮らせばいい」
「ふぇ?」
少し間が空いてから、再び話されたが、え、暮らす?
驚いたからか、涙が止まる。さっきよりも視界が広がり、レイさんの顔がわかる。真剣な表情だ。
「ここには滅多に人はやってこない。ここで暮らすのならお前を必ず守ってやる」
…あ、ありがてぇぇぇぇえ!!!
いい人やん、おっさん!いざってときは役に立つおっさんか!
「ふぇ、ふううぅぅ」
また、涙が出てくる。
「はぁまだ泣くのか…泣き止め」
無理です。
安心して、涙がまた出てきてしまう。
レイさんは私の腕を離し、どうすればいいのか眉を寄せて悩んでいるように見える。
そんな様子がかわいいと思いながら、止まらない涙をどうしようかと悩んでいると、頭を撫でられた。
レイさんを見ると、これでいいのか?というような困った顔で私の頭を撫でている。
きゅんっと胸がした。胸キュンなんだけど、なんか今までのとは違う気がする。
でも今はそんなことはどうでもいい。
思いっきりレイさんに抱き着く。
私の頭を撫でる手が一瞬止まる。でも、少しだけさっきよりもぎこちなくだが再び撫で始める。
この人が傍にいると安心する。
思えば、男女が一つ屋根の下で暮らすのはどうなのか、考えものだ。しかし、この人は問題ないんじゃないかと思う。
それにこれからお世話になるんだ。信用もしなくてはいけない。
難しいことを考えるのはやめよ。この人と暮らしていこう。