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「や、やだ!!」
殺すってどういうこと?もう危険なことはないはずでは?
「レイさんが殺しに行く必要なんてない!」
興奮して、息が荒くなる。レイさんが私の肩に手を置くがそれを振り払う。簡単に振り払えたことに一瞬驚くが、レイさんのことだから宥めようと優しく置いたのだと理解する。
「ミサコ、落ち着け」
「落ち着けるわけないじゃないですかっ!どうして行くんですか!あ、あんな奴、放っておけばいいんです!だって、そのうち私のこと探せなくなるんですよね、待っていれば大丈夫なんですね?だから、行かないでください、おねがいします、いっしょに、ッぅ゛え゛っ」
あ、これダメなやつ。
…右手が暖かい。
その感覚で意識が浮上した。体は相変わらず怠くて痛くてつらい。でも大分マシになったような気がする。風邪をひいた上に他人の魔力のせいだと言われたのをぼんやり思い出す。9割方後者のせいだと思う。
段々と意識がはっきりしてきた。私は横になっていて、多分布団をかけられている。あ、これ知らない天井パターンですね。理解しましたわ。右手は誰かに握られている。暖かくて安心する。そして私は喉が渇いている。あとレイさんとギャビンさんが話しているのが聞こえる。
「もう何を言っても聞かないのね…」
「聞く気はないな」
「私もそうした方がいいというのは理解しているのよ?でもね、ミサコがこんなにも不安定な状態なのに、一番信頼されている貴方が今離れるのはどうかと思うのよ」
「それでも俺は行くべきだろう」
「…貴方って女心が理解できない堅物ね」
「すまないな。…………二人にしてくれないか」
「その方がいいわね。目が覚めたらしっかり話し合いなさい」
扉が閉まる音がして、再び静かになった。ギャビンがいたけれど、いなくなってしまった。つまり、この手を握っているのはレイさんということにる。
今の会話を聞いて私が何を言ってもレイさんが行ってしまうのだとわかった。あの恐ろしい男を殺しに行くのだ。なんで危険なことをしに行くのだろう。私の代わりに仇討ちをしようとしているのだろうか。
「………ミサコ…」
切なげな呼び声とともにレイさんの手が包むように頰へ触れると唇に何か柔らかいものが触れた。何じゃこりゃ?!
「ぬあっ?!」
すごくびっくりしてバッと目を開くと近距離にレイさんの顔がある。(わーかっちょえぇ…)と現実逃避できたらよかったのに、唇が合わさっている事実を目視してしまった。頭の中はキスされたということでいっぱいになる。私は自分の顔が過去一番に熱くなっているのを感じた。
「なんだ、キスで目が覚めたのか?」
「うぎぎゃ…」
からかう声の中に甘いものを感じる。嬉しいけど恥ずかしくて奇声がでる。今は意味のある言葉を発したくない。
「こんなに真っ赤にして、相変わらずだな」
「う゛ぉ゛…」
顔が少し離れたと思ったら今度は鼻先にキスをされた。
(なになになに?!?!?!どうした?!?!)
ゆっくりと顔の至る所にキスをされて頭がパンクしそうになる。だって殺しに行くとか言っていたのに訳の分からない行動をし始めている!
(レイさんが壊れてしまった?!?!)
「れ、レイさん!?!何してるんですかね?!!」
「騒ぐとまた具合が悪くなるぞ」
「そうさせているのは誰ですかね?!」
「ほら、落ち着け」
「そういいつつキスはやめないのはなんでですかーー!!」
両手でレイさんの顔を押し上げる。手の隙間から見えるレイさんは安心したように笑っている。
「やっといつもの調子になったな」
「え?私はいつもこんなに騒いでましたか?」
「騒いではないが…行動が騒がしいな」
「それ何か違いあります?というか、き、キスをするなんて、どうしたんですか!私がかわいそうじゃないですか!」
いつもの調子のレイさんに戻った。少し残念な気持ちになるけれど好きな相手から冗談でキスをされて、寂しいような、そうでもないような気持ちになる。キスは嬉しいけれど、遊びでされると悲しい。なんとも面倒な気持ちになっている。
「お前は可哀想なのか?俺のことが好きなのに」
「は、は?」
今なんといった?
「それに俺もお前のことを大切に想っている」
「ひぃぃっ!」
なんですと?!like?love?どっちの意味?!
「こんな状況で伝えるつもりなんてなかったが…俺がキスしたのがいけなかったな」
「そう、ですね?」
そうであるような、ないような?
「ミサコ、愛している。お前のためなら死ねるほどにはな」
「…なんですか、急に、そう言って、何になるんですか」
突然の暴露と告白に一周回って冷静になる。急展開すぎる。一体どんな脈絡でそんな話になった。
「何になるのか、か…お前は気を失う前の話を覚えているか?」
「覚えてますよ、殺しに行くとか言っていたやつですよね」
「随分と落ち着いているな」
「あれは、急にそんなこと言われてびっくりしただけです」
びっくりしたどころではなかった。このままでは何もかも失ってしまうと思っていた。
「お前を襲った魔族はこれからもお前を探すだろう。魔族は一度目を付けると執着し続ける。お前が死ぬまでずっとだ」
「とんでもないやつですね…」
「そうだな」
「でも、見つからなければいいんですよね?」
レイさんに腕輪を見せるように腕を前へ持ってくる。前に見た時よりも黒い箇所が増えている。
「あいつの魔力が抜ければ見つからないって言ってましたよね。つまりこのまま隠れていれば大丈夫なんですよね?わざわざ探しに行く必要はないんですよ?落ち着いたら…あの家には戻れなくても、他の場所を探しませんか?人目がつかないところで静かに暮らせば見つかりませんよ」
努めて優しく、諭すように話しかける。けれど、どれだけ言葉を尽くして説明をしても絆される様子はなかった。私が話終えると静かに真っ直ぐと私を見ていたレイさんが話し出す。
「お前はわかっているのか?」
「え?」
「何をされかけたのかわかっているのか聞いてるんだ」
「…私を攫おうとしたってこと?」
「攫って、それで?」
「攫って、子どもを作りたいって…」
「わかっているのに何故軽く捉えているんだ」
「私がされたことは、殺されるような扱いだったから…」
「…お前は物事を軽く捉えることが多いが、こんなときでさえそうなのか?お前を攫うときにどうして奴が配慮する?殺されると思うほど雑な扱いをしながらもお前を攫おうとしていたことがわからないのか?」
叱られているとわかる。けれどなんでなのかわからない。
「懇切丁寧に教えてやろう」
怖い顔をしたまま覆いかぶさってきて体が思わず硬くなる。ベッドサイドのランプの灯りが遮られ、レイさんがどんな顔をしているのかわからなくなった。
「あの、」
「魔族は自分勝手で残酷だと教えたよな。つまり、お前と子作りをするとしてもお前に配慮なんざしない」
レイさんの手が下腹部をとんとんと二度つつく。体が一度震える。
「お前の中に精液を吐き出すために何度も腰を振るんだ。そこに愛なんてものはない。お前に孕んでもらい出産させるためだけの行為だ。大した愛撫もなく、労いの声もなく、尊重されることもなく、無理矢理こじ開けられて犯されるんだ。苦痛に泣き叫ぶお前の姿に興奮して更に腰を打ち付ける。お前が嫌がり泣き悲しむほど悦んでお前を犯す。どれだけ辛く苦しくともきっとお前は気に入られて何度も床に呼ばれる。まぁお前は産むために犯されるから捕まれば一生ベッドから降りられないだろう」
冷たい声が淡々と気持ちの悪い話を続ける。
「いいか?お前は奴と夫婦になるんじゃない、お前は奴の所有物になるんだ。だから隷属の刻印を刻まれかけた。…ギャビンは言い淀んだ、それに俺もお前に配慮したが刻印を刻まれればどうなるのか教えてやろう。あれはただの奴隷になるものじゃない。魔法なんだ、紙に書いた契約書じゃない。人間の奴隷のように主人の目を掻い潜り逃げ出せるものではない。逃げ出したとしても魔力を辿れば見つかる。今お前の体は奴の魔力のせいで辛いだろ?刻印が完成し、体の中で魔力が完全に馴染めばその辛さはなくなる。代わりに奴の魔力がなくなっていくほど今の比ではない苦痛に苛まれるだろう。奴の魔力がお前の体の一部になるのだから魔力の欠乏症が現れるのだからな。奴はお前を孕み袋としか見ていない。次お前が奴に見つかれば奴は躍起になってお前を捕まえ、隷属の刻印を刻むだろう。それと、ギャビンが言い淀んだのは今話したことでないからな。隷属の刻印の恐ろしさは刻まれた相手をコントロールできるからだ。殴られても泣くなと言われれば泣けなくなる、鞭で打たれても笑えと言われれば笑う、魔獣の穴に落ちろと言われれば足は勝手に進んで行く。相手の魔力の放出すら制限できる。感情も体も言われるがまま、弄ばれる。孕ませるためにお前を拐った奴がどんなことを命令するのか当ててやろうか?お前が一人で歩けないよう命令し、無駄な抵抗をやめさせ、産み孕み続けるよう命令するだろう。立て続けに孕ませては気まぐれにお前の反応が見たくて正気に戻して愉しむ。お気に入りのおもちゃのように扱われるんだ」
レイさんが話しているのに、レイさんじゃない人が目の前にいるように錯覚しそうになる。こんなに嫌な話を続けるのが私のせいであることに苦しくなる。
「お前は他人事のように思っているだろうが、俺もギャビンもこうなるだろうと想定している。魔族は嫌われていると話したよな。そのせいで黒を宿すお前ようなただの人間も差別されると。魔族は性処理のために犯した女を魔物のいる森に捨てることだってある。魔族を恐れ逃げる人間を面白がって遊ぶように殺すこともある。一度や二度ではない。忌み嫌われるほど傍若無人な行為を今日まで繰り返してきた。お前がその牙に掛からないわけがない。だから隠していた。それでも見つかってしまったんだ。次は見つからないという確証がどこにある?次は違う魔族に目をつけられるかもしれない。…ここまで言えばわかるか?」
話し終えたレイさんが体を起こす。ランプに照らされたレイさんの顔は少し疲れたように見える。
私のためにこんな話をしたんだ。優しいから、理解してもらおうとしたんだ。
そうわかっている。話だってちゃんと理解した。私は私が思う以上に馬鹿だったってことも現状が薄氷の上に立っているようなものであることも。
「こんなに怯えさせて悪かった」
悲しげな顔をしてそう言ったレイさんを見上げる。何を言っているのかわからないと思っているとレイさんが両肩を掴んできた。そうして、やっと私は体が震えていたことに気づいた。
「震えてるのは、怒っているからですよ。私はあいつに怒っていいことをされたから」
「そういうのなら、何故顔色が悪いんだ?さっきまであんなに赤かっただろ?」
いつの間にか顔から熱は引いていた。
「お前の身に起こったことはなかったことにはできない。それでもお前はこれからも生きていく。事実を理解した上でお前は襲った奴が生きていることに怯えて生きていくのか?」
「ちがうの、わたし、おびえてなんかない」
「お前は自分の姿を見てないのか?こんなに顔色を悪くさせてよく言えるな」
「ちがう、違うの、レイさん信じて」
どうして信じてくれない。気怠い体を起こしてレイさんの腕を掴む。
「レイさんいかないでっ!私これつけてたらわからないんでしょ?だったらそれでいいじゃん!危ないことしなくていい!傍にいてよ!」
理解しても、わかっても、それでも傍にいてほしい。だってあいつは強かった。本当に死んでしまうと思った。レイさんだって無事ではない。だって、いつもより左肩の動きがゆっくりなのはなんで?レイさんから薬草の匂いがするのはどうして?頬に付いているガーゼの下には何があるの?追い払うだけでも怪我をしなかったわけがない。全部あの日にできた傷なのだと私にだってわかる。追い払うだけでこうなのだとしたら、殺し合ったなら、どうなってしまうのだ。死んでしまったら、もう会えなくなってしまったら、全部私のせいじゃないか。好きな人が私のせいで死んでしまうなんて、ほんと私は前世で何かしでかしてしまったのだろうか。
「やだ…離れないで…傍にいてよ…」
涙で視界が歪む。泣いて縋ってもレイさんは「やめる」と言ってくれなかった。
「俺はお前の傍にいてやれない。すまない」
ぽつりと、けれどはっきりとした声でレイさんが話し出す。
「お前の気持ちを無視してでもやり遂げなければならないと思っている。この国から離れれば…遠い南の国へ行けば差別はあれどこの国ほど酷くはない。お前は俺以外の人と交流し、今までの生活よりもずっと充実した生活を送ることができるだろう。そうはせず、森に留まり続けるのは俺の都合にお前のことを付き合わせているからだ」
「そんなこと、今は、どうでもいい…」
「そうか。それでも聞いてくれ。ミサコ、俺はあの森から離れるつもりはない。そしてお前のことも手放すつもりもない。お前のことを大切に想いながらもこれだけは譲れない。…お前から離れるのであれば別だが、そんなことはないだろ?」
「離れるわけ、ないじゃないですかっ何聞いてたんですか!」
ぶん殴りたくなった。けれどそんな度胸はないから右腕を強く掴んでやる。仮に南の国とやらに行けと言われても絶対に行ってやらない。
眉を下げて笑うレイさんを見てなんとも言えない気持ちになる。
「ミサコ、俺はお前のことを幸せにしたい」
「じゃあ離れないでくださいよ…」
「今はできない。今のままではお前が幸せになれると思わない。お前が危険に晒される可能性が少しでもあるのなら、俺はそれを許せない。俺以外の奴がお前を付け回し狙うことだって許せない。お前が怯えながら暮らすことがないように、お前を守りたい。お前を独占したい俺の我儘なんだ。お前が幸せでいてくれれば、俺も幸せだ。お前を愛している。俺の傍で幸せであって欲しい」
告白されたのに、嬉しくない気持ちの方が大きい。私は、レイさんがいてくれればそれだけでいいのに。レイさんは愛しているから、私が安心できるようにしたいと言う。
(幸せって一体何が正しいのかわからない。私の幸せとレイさんの幸せが一緒にならない。…私が我慢して済む話ならよかったのに)
私は暗い顔をしているのだろう。私の機嫌がよくなるようになのか許可もなく唇が触れ合う。
何を言っても聞いてくれない。融通が利かない、頑固、馬鹿、自己中。だけどいっぱい私のことを考えてくれてる。だからキスされても嫌だと思えない。私は現金なやつだ、私だって馬鹿で自己中だ。これまで沢山レイさんにお世話になってきた。いつだって私のことを優先してくれてた。だから、レイさんの好きにさせてあげよう。
私はレイさんに告白しない。なんかもう好きだって知られちゃってるし。もう告白する余裕もない。…今回は私の幸せよりレイさんの幸せを優先してあげる。私だってレイさんのことが好きだから、好きだからレイさんが幸せになれるのなら譲れる。これって告白みたいなものだよね?
「絶対生きて帰ってくるって約束できますよね…私のこと幸せにしたいのなら…」
「当たり前だ。必ず、今度は離れず傍にいよう。…ミサコ、全て終えたらまたあの森に戻ろう。まだお前としたいことが沢山あるんだ」
「…ッ約束ですからね!絶対に生きて帰ってきてくださいね!帰ってこないともう、これが最後のキスになりますから!」
私からレイさんへキスをする。ぎゅっと目を瞑ったせいと勢いがあったせいで前歯がぶつかってしまった。痛い。失敗した恥ずかしさから顔を背けようとするけれど、レイさんに後頭部を押さえつけられて離れられない。
そろそろ息がしたいと思いはじめた頃、唇が離れた。と思ったら今度はきついほど抱きしめられる。レイさんの胸筋を顔に押し付けられて少し息苦しいけれど、今だけは離れずに傍にいてくれようとしているのだと勝手に思う。
(あー好き。好きなんです、好きだから行くのを許してあげたんです。レイさんと私は幸せになりたい。だからレイさんの幸せを受け入れたんです。次は、帰ってきたら私の番ですから…責任を、取ってくれないとダメなんですからね…)
再び私が寝た後に、レイさんは行ってしまったとギャビンさんに言われた。
受け入れたけれど、やっぱり悲しくて泣いてしまった。
レイさんが帰ってくるまでギャビンさんの家でお世話になる。いつまでなのかわからない。それでも待つと決めたから、ずっと待つ。
レイさんもポチもいない、新しい場所で、新しい生活が始まる。
読んでいただきありがとうございました!
これにて連日投稿は終了します。書き始めて6年目でやっと折り返しに辿り着きました。長い…書きたいところまで頑張ります…!




