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「…………」
この人は誰だ。レイさんの知り合い?
見知らぬ男の人と私の間には重たいじっとりとした空気が流れている。フードから見下ろす濁った金色の眼光が全てに纏わりついてくるようで気持ちが悪い。
早く扉を閉じたい、目の前から消えて欲しい。けれど閉じたところでこの男の人から逃げられないという予感が消えない。
「あの、レイさんは今出かけていて、いないです」
声が震えてしまった。相手の機嫌を損ねないように、少しでも何も起こらない現状が長引くように、普段を装うように返事をしたつもりだったのに。
レイさんが居ないことが気にくわないのか、眉を顰めた。
こんな人気のない森に来るのだからレイさんの知り合いに違いないと頭の中で反復する。だって、他に何のためにここまで来るの、身なりも整っているし…と言い聞かせるのに目の前の男の人が危険だという気持ちが消えてなくならない。
こういうときは何でもないように、怯えを見せないようにすべきなのだろうけれどと考えるができない。目を合わせることすら怖くて、膝が震えだす。返事もなく鋭くこちらを狙いすました眼光に耐え切れなく、目を伏した。耐えられない。
「レイさんは今いないので、また今度来てください!」
握りしめていたドアノブを思いっきり自分の方へ引き寄せる。バタンッと大きな音を立てて閉まるはずだった扉はわずかに開いたまま。どくどくとする心臓。伏せた目は扉がふさがることを阻んだ靴を捉えた。
間違えて挟んじゃったよ!!なんて思わない。この靴の主は間違いなく、閉じることを阻むために差し出してきたんだ。
「えあ、ってうわっ!」
どうしようと考える間もなく握りしめていたドアノブごと引き寄せられてしまうような力に驚き手を放す。転びそうになりながら数歩下がると、床板が軋む音が聞こえた。
どくんと心臓が脈打ったのと同時にリビングに駆け込んだ。そしてリビングに飛び込んでから気づく。
か、鍵掛からないじゃん!!!私のあほ!ばか!!でも、一番近かったんだもんしょうがないよね!でもばか!!
やばい、どうしよう。そう思って辺りを見回し気づいた。
外だ。外に逃げよう。
窓を開けるとサーッと降り注ぐ雨音と、いつもよりも濃い森の独特な湿気った空気が家に入り込む。
窓の縁に手足をかけて、外へと転がり出る。衣服が水たまりに濡れて、冷たく重たくなる。手が泥にまみれることさえ気にも留めずに一気に森の中へと駆けていった。
家から出るなという言いつけを守れていないなと罪悪感を覚えながら走っていれば川辺まで着いた。
雨で水かさが増し、土が舞い茶色く濁った川を渡るのは危険だ。
川に沿って下流まで下るのは万が一、人目に触れる可能性がある。
ならば、上流へ逃げる。
濡れた前髪をどかしながら来た道を振り返ってみるとあの男の人はいない。
雨に打たれて冷えたからなのか、危機的状況から離れたからか、少しだけ現状を振り返る余裕がでてきた。
とっさに逃げてしまったけれど、逃げる必要はあったのだろうか…また来てくださいと言ったけれど、相手からしてみればわざわざ来たのに追い返されるよりはレイさんが帰ってくるまで待たせてほしかったのかもしれないし…いや、でも、私のことじっと見ていてなんか怖かったし…
「そういえば…」
なんかすごく目が合っていた。見つめ合っていたというにしては親しみは一切なかったけれど。あの目が特に怖かった。
「戻るべきなのかな…ポチ置いてきちゃったし…」
自分のことに構ってばかりで自室で寝ていいたポチのことをすっかり忘れていた。
引き返すべきか悩みながらも足は家へは踏み出せない。
どうしてもあの男が安全には思えなかった。今までの人生の中で一等異様な存在に感じた。
「いや、でもなーここ異世界だし、ここに来てから二人しか現地住民と話したことないし…」
衝撃の事実、あれが普通だとしたら私は本当に失礼な対応しかしていない。
「いやいやいや、でも、でもしょっぱなから刃物を振り回していた魔物とレイさん以上にやばさを感じたよね!」
今回は出会い頭に追いかけまわされてはいない。一方的に逃げただけ…
「………帰る、かな…」
あまりにも非常識だったかもしれない。それにポチのことも心配。もし、仮にポチが起きたとき目の前にあの男の人がいたらポチだって驚くだろう。そのうえ私がいなかったら悲しくて泣いてしまうかもしれない。
「帰る…帰るのやだな…」
逃げ出してきたのにもかからわず、元の道を引き返すことにした。
すると、目の前にいつか見た光が漂い出した。ぼんやりと白くて、頬を掠めたそれは温かい。これは、、森で迷子(仮)になったときに見た光。
「なんでこれが…?」
あの日以来の光の出現に足を止めていると、枝木が揺れる音がした。何かいる。
揺らすものの正体が目に映る前に眩く光を放った白い光に包まれた。全身が日差しの中にいるような暖かさ、泥で汚れた手や頬を風が撫で、泥は乾いていき、さらさらと砂になり、身体から落ちていく。濡れていた身体も髪も綺麗になっていく。ぐらりと頭が揺れる。眠たいような、寝落ちしかける感覚に似た心地に瞼が重くなった。
このまま、何が起こっているのかわからないまま、寝ちゃったから幸せかも。白い光の中、そう思っていた時、這いずるような黒い腕が目の前に現れた。驚いて、避ける間もなく首を掴まれる。
「がっう゛」
首だけ引き抜くような力に引っ張られ、光の中から私は引っ張り出された。
夢の中のような暖かな陽気に包まれていた場所から、薄暗く雨の止まない湿っ切った場所へと引き戻された。私の首を掴む人は、濁った金色の瞳の、あの男の人だった。
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幸せになりたい。小話




