第二節
俺の正式な名前は、ジャン・ダラー・カーリャ。
ミルカワ王国カーリャ侯爵の長男だ。
侯爵と言えば、貴族の中でも結構な上流だ。
そもそも、爵位持ってるってだけで上流貴族だからな。
爵位ってのは貴族の中でも、王から領地を預かって管理している者に与えられている。
これは隣国と比べても珍しい制度らしいんだが、この国では国内の領土は全て国王のものとされている。
その上で、爵位を持つ者は、王よりその土地を自由に扱う権利を貸与される。
その分、王国の重要な役割を無償で担う事になるが、領地からの収入は、王国からもらえる報酬よりも遥かに多いため、問題はない。
他は知らないけど、この国では爵位を持った貴族とその家族を上流貴族と呼び、それ以外を下流貴族と呼んでいる。
おそらく俺も親父のあとを継ぐんだろうが、俺としてはそんな気の重いものを背負いたくない。
俺は少し前まで、このミルカワ王国騎士団の最高峰でもある魔法親衛騎士団に所属していた。
これは主に王族を守る事を目的とした騎士団であり、絶対的な王族への忠誠が必要なため、貴族の子弟しか入団を許されない。
更にあらゆる武器を騎乗したまま扱え、魔法まで使えなければならず、それもただ使えればいいというレベルじゃなく、並みの兵士相手ならどの武器でも、また徒手ででも勝てなければならないという、非常に限られた者のみが入団できる栄誉ある騎士団だ。
俺は必死に努力をしてここへの入団が許された時は飛び上がって喜んだもんだ。
だって親衛騎士団だぞ?
その鎧を来てただけで、女の子は恋してしまうくらいのモテモテになれるような最高の騎士団なんだぞ?
我がカーリャ侯爵家は代々強い騎士を輩出してきたし、俺の曽祖父に当たる人は今でも伝説として語り継がれているような騎士だったらしい。
だから俺が戦闘以外の全てを投げうって必死に努力したのも仕方がない。
だけど、俺の魔法親衛騎士団への入団を喜んでくれる人は少なかった。
カーリャ侯爵である親父は、こんな家系に生まれながら戦闘を一切せず、どっちかと言えば戦争を回避する側の仕事をしている。
なんて言ったっけ、外交総監? そう、そんな仕事をしていた。
国王より国の外交に関する全権を委任され、他国との交渉に挑むような仕事をしているらしい。
戦いにしか興味がない俺に、「今は戦乱の時代ではない。いかに戦争を回避して国を守るかを考える時代だ」とかよく言っていた。
まあ、親父の言ってることはよくわかるし、戦争になれば国民の命を危険に晒す事になり、しないに越したことはない。
親父のやってるような戦争回避の仕事も必要だろう。
だが、騎士の方がモテるだろ?
あー、いや、そうじゃなくて。
外交ってのはさ、武力あって成り立つんじゃないかと思うんだ。
力のない国が何を言っても誰も言うことを聞いてはくれない。
力があるからみんなが一目置き、話を聞いてくれるってわけだ。
つまり、親父の仕事ってのは、俺たちの仕事の上に成り立ってるんだよな、なんて思ってるけど、それを親父に言ったことはない。
言おうものなら延々と長い説教が始まるだろうし、親父に付き従っている妹のミリィにも説教される事だろう。
親父は仕方がないとしても、自分の妹に言ったこと次々と論破されるのは自分が情けなくなるので避けたいところだ。
全くあの妹は困ったもんだ。
妹じゃなかったら、その生意気な口閉じてやる、やん、素敵、みたいな事をして、俺の側に取り込んでやるのに。
だが、いくら可愛くても妹は妹だし、そもそもあいつは俺の妹とは思えないくらい生真面目だから、多分効き目はないんだよな。
ま、とにかく、そんな感じで親父とはちょっと距離を保ちながら騎士として訓練に明け暮れていた。
俺は長男だし、男兄弟は俺しかいないから、親父が引退したら侯爵になるだろうし、そうなるとこんな危険な仕事は出来なくなると思う。
昔と違って、今どき騎士になるのは大抵次男三男だからな。
だけど、それまでにここで出世して偉くなって、騎士の取りまとめとか、軍の上層部にいれば、危険も少なくなってくるから、侯爵様がなってても問題はないと思う。
それが俺の考えた人生設計だ。
ま、今の時代、貴族の子供に生まれたら自分の人生もなかなか自分で決められないものだが、その中では頑張った方だと思う。
俺は親父の反対を押し切ってまで最高峰騎士団に入ったわけだから、ま、異端と言えば異端だし、最後にはそれを許してくれた親父もやっぱり変わってるんだと思う。
親父自身も、祖父ちゃんから騎士になれと言われてたのを、外交官になってるんだからな。
ともかく、せっかく認めて貰ったんだ、親父が引退するまでには後二十年もないと思うから、早く手柄を立てて上へ登っていきたいと思っている。
そんな事を考えていた矢先のことだ。
俺にとって、思いもかけない事件が起きてしまった。
そしてそれは俺のささやかな人生設計を大きく狂わせてしまった。
◎
俺がその知らせを受けたとき、演習の真っ最中だった。
同僚からの呼びかけで、俺の実家からの使者が来ていると言われた。
親衛騎士団の仕事は当然王城やその近辺、つまり首都が主であるため、首都から離れた領地には住んでいない。
首都に親父が住んでるカーリャ侯爵邸があるが、そこにいると親父の小言を聞かされたり、外交総監の親父が他国の要人を招いてのパーティーに出席させられたりして面倒なので、騎士の宿舎に住んでいる。
だから、家からの使者ってのは、別居している俺に伝える必要があるような事が家であったって事だ。
昔やった悪戯がバレて親父が怒ってるとか、ミリィが病気になったとか、そんなことだろうなと考えてた。
妹の病気が何故俺に連絡されるのかというと、あいつは心細くなると俺の顔が見たくなるんだそうな。
普段俺に説教したり世話を焼いたりしてる妹だから意外ではある。
あいつ好みの知的な男に励まして貰えばいいだろう、と思うんだがな。
多分、こんな馬鹿でも強く生きてるんだと思って勇気づけられるんだろうと思うけど、まあ、こんな俺があいつの役に立てるならと思って、毎回見舞いに行くんだが、それはそれとして面倒ではある。
さて、今回はどんな面倒ごとかな、などと親衛騎士団の応接の間に向かう。
そこで頭を下げて恭しく俺を出迎えたのは、美形の男だった。
黒を貴重とした使用人の地味な衣服が、逆にこいつの見た目のよさを更に強調している。
「リーヤ、久しぶりだな、お前が来るって事は本当に至急の用事なんだな」
俺は久々に会うリーヤにそう声をかける。
ちょっと冷たい口調になるのはツンデレだから仕方がない、俺が。
だってリーヤってば全然構ってくれないんだもん!
あー、うん、ごめん、冗談だから。
俺は美形より美少女美女が大好きだし、親衛騎士団に入った理由も少しは女の子にモテたいってところもあるくらいだ。
ほんの七割程度。
ともかく、俺は女が好きで、可愛い子に会ったら、まずは裸を想像するような普通の十六歳だから、リーヤに特別な感情はない……というとまたそれも嘘になるんだけどな。
こいつはこう見えて下流貴族の次男だか三男で、使用人としての格は他の奴よりは上で、いつもは親父に付き従ってスケジュールの調整なんかをしてるような奴だ。
だから、昔は俺の遊び友達? だったのに、今ではほとんど俺とは接点がない。
俺としては寂しい限りだが、おそらくこいつはせいせいしてるんだと思う。
遊んだというか、俺が悪戯をして、こいつがそれに引っかかるという、まあ、なんだ、ガキのわがままに付き合ってもらってたんだがな。
だから俺はこいつに対してはちょっとした拗ねが入り、ツンデレになってしまう傾向にあるらしい、とミリィに指摘された。
あれだ、妹に男相手にツンデレだと指摘された俺の情けなさってなかったわけだが。
「お久しぶりです、ジャン様。執務中にお呼び立てしたご無礼をお詫びいたします」
頭を下げるリーヤ。
「まあ、そんなことはいい、結局何があったんだ?」
「…………」
リーヤはそこで言い淀む。
その目が悲しみをこらえるように下を向く。
俺は話の機微とか空気を読むとか、そういうものが嫌いだからストレートに言って欲しいということを知ってるはずなんだがな。
「何なんだよ結局?」
俺は先を促した。
「はい……カーリャ侯爵様が、お亡くなりになりました」
「……え?」
俺は、俺の耳は、全く考えてもいなかった事を聞いた。
え? 今こいつ、なんて言った?
親父が、死んだ?
そんなわけないだろ。
「……お前も冗談が上手くなったな……だが、それは言っちゃ駄目な冗談だ」
「冗談ではありません」
きっぱりと、はっきりと、そう言われた。
その表情に冗談めいた雰囲気はかけらもなかった。
「本当に……?」
俺が聞くと、リーヤは無言でこくん、と頭を下げた。
俺は、突然床がなくなったかのような、もしくは宙に浮いたような気分になった。
息が苦しくなる。
ひやり、と身体が冷気を感じる。
「え? あれ? それって、どういう……え? ええっ!」
俺は混乱の中、何も考えが浮かんでこなかった。
「ジャン様、落ち着いてください」
リーヤに強めに方を揺さぶられる。
「あ、ああ……悪い……」
俺はまず深呼吸をしてみた。
そうだ、俺は死に近いし死を恐れない親衛騎士団だ、こんなに取り乱してどうする。
親父が死んだ。
それ自体でも既に悲しいし、喪失感も大きい。
俺は親父の小言を聞き流して、親父の望まない仕事に就いた親不孝者だ。
後悔ばかりが残る。
そして、これから俺はどうなるんだって事もまた、ある。
親父が死んだって事は、当たり前だがカーリャ侯爵が死んだって事で。
ってことはつまり……。
「ともかく、至急ご帰宅の準備をお願いします。ミリーナ様もお待ちです」
「ああ、そうだな、あいつも寂しがってるよな……」
ミリィは母さんが死んでから、その代わりに親父と社交の場に出ることも多かったらしい。
それどころか親父の仕事を手伝ってもいたらしいが、詳しくは知らない。
「よし、じゃあ、準備してくるから待っててくれ」
俺は部屋を出ると、まずは団長にしばらく休む旨を伝え、宿舎に戻って着替えて、簡単な荷物を持ってきてから、リーヤの元へ戻る。
「待たせたな」
「では、参りましょうか」
リーヤが先導して馬車に乗り、俺はこれまで避けていたカーリャ侯爵邸へと向かう。