第一節
知らない人間からすれば、俺たち上流貴族にとって、与えられた領地は我が家のようなのだと思われるかもしれない。
だが、領地を預かっている関係上、国の仕事をしなければならないので、大抵は首都に住んでいる。
隠居でもすればまた話が違うし、出産時とか子供の育成は首都はあまり環境がいいとは言えないので領地で過ごすことも多いんだが、ある程度成長すると、首都に引っ越して仕事をする。
俺たちも母親が死んでから首都に移ったので、もう五年くらい前からこっちには住んでない。
今ではどちらかというと、たまに行く別荘みたいなものだろうか。
リーヤやアンオツも、元々は俺たちの世話係でもあったので、その時一緒に移り住んだ。
こっちにはこっちで、首都よりも大きな屋敷があるし、そこにはほとんど帰らない主人を待つ使用人たちがいるわけだが、それはほんの少人数で、俺たちがこっちに来るときは、首都の使用人を多く連れて行く事になっている。ような気がする。
今回もアンオツ以下、多くのメイドを引き連れてきた。
もちろんリン専属の屈強なメイド衆もいる。
俺はこいつらから逃れられない運命にあるのかも知れない。
あの日の次の日には、ミリィに叱ってもらって奴らは反省した。
だから、公然と俺に襲いかかってくることはなくなっただろう。
だが、隙を少しでも見せれば奴らは襲いかかってくるような気配がする。
そして、油断すれば、既成事実を作ろうとしている
俺に憧れていたアンメルもあの日以来、俺を見る目がギラギラとし始めたし、ヴァンテに至っては、ターゲットを見るような目で俺を見ている。
そのターゲットが俺の命なら、こっちもいくらでも反撃の用意はあるが、こいつのターゲットは俺の玉だからな。
正直、こいつらが怖くて、俺は夜も眠れないくらいだが、まあでも、ミリィの命令は絶対らしくて、俺は真夜中に襲われる事はなかった。
アンオツいわく「大丈夫です。夜は私がしっかり横漏れガードしていますから」ということだが、そう言われると余計に心配だ。
こいつには夜な夜な俺の部屋に忍び込んでいたという前科があるからな。
まあ、深くは考えないようにしよう。
とにかく俺は、仕事を休んでカーリャ侯爵領に来た。
俺は親父が使ってた主人の部屋に泊まり、リンはその右手の家族部屋に泊まることになった。
家族部屋ってのは基本それぞれ離れているんだが、一部屋だけ近くにある構造になっていた。
いや、夫婦は二人で一部屋だからね? そう考えると、ほかの部屋は離れてたほうがいいわけだ。
何故ってそりゃ、夜には色々声も出るだろう。
主人部屋だけすぐ横にもう一部屋あるってのは、そう考えると不思議で仕方がない。
とはいえ、この屋敷の構造は昨日今日のものじゃなく、カーリャ侯爵代々のものなので、何故そういう構造になったのかは今や不明だ。
多分、俺は奥さんと仲の良くなかった侯爵がいて、その時に別部屋を作ったんじゃないかと思っている。
貴族の結婚なんて、好き嫌い関係なく結婚して、そこから愛が始まるわけで、どうしても愛が始まらなかったら、愛人を作ったりするわけだが、その場合、一応近くに正妻を控えさせておくための部屋が必要だから、それがここなんだろう。
主人部屋で侯爵と愛人が愛し合ってる中、すぐそばで正妻が控えてたと思うと、ちょっと愛憎が感じられて仕方がない。
俺は別にリンと仲が悪いわけじゃないが、まあ、一緒の部屋で生活を共にする仲でもまだない。
結婚したら同部屋になるだろうが、まだ婚約者だからな。
で、俺は視察とやらをするんだが、これがまた退屈な仕事で、領地内で採れる農作物やら鉱物やらの現場を見て回り、状況を聞くという、それだけのものだ。
久しぶりの領地でのんびりするミリィや、することがなくて退屈そうなリンを背に、俺は毎日出かけていって、領地の様子を見て、帰ってきた。
まあ、近い将来俺の領地のなるこの土地だから、ちょうどいい勉強にはなるんだけどな。
で、視察といってもスケジュールが詰まってるわけじゃなく、朝が遅かったり、朝方に終わったり、一日何もなかったりという日が続き、俺もそれなりに退屈な時間はあった。
時々リンに会いに行くと、いつものように憮然とした態度ではあるが、あまりに退屈だからか、よく喋るし、帰るとき寂しそうな表情をする。
そんな可愛いリンを発見できたのも嬉しい。
とはいえ、これまで騎士の訓練に明け暮れ、その後は朝から晩まで働いていた身としては、こののんびりとした日程はある意味苦痛だった。
ゆったり過ごしているミリィや、主人よりくつろいで、時々メイド服すら着ていないアンオツはともかく、リンも同じような気持ちなんだろう。
「よ、生きてるか?」
「……死にそうね、退屈で」
その日も俺が部屋に行くとリンは、椅子に座って足をぶらぶら退屈そうに揺らしていた。
子供が退屈を表現するその動きは、歳相応で可愛かった。
「俺も今日は視察もないからさ、どこか遊びに行くか?」
「遊びに行くってどこによ?」
「領地内ならどこでもいいけど、街の方でも行ってみるか?」
「面倒ね、疲れるだけじゃないの?」
「疲れるのがいいんじゃないか、ほら!」
「きゃあぁぁぁっ! な、何すんのよ!」
俺はリンの小さな身体を、持ち上げ抱えた。
「さ、行くぞ」
「待ってよ! 分かった! 行くから準備とか……!」
「そんなのいいから、行こうぜ。あ、誰か一人ついてこれるか? 馬だけど」
俺は部屋の中に控えていたメイドたちに言う。
「……こ、この姿で馬にと……?」
アンメルが当惑しつつ、自分の服装を見る。
当たり前だが、彼女を始め、メイド三人は全員メイド服だ。
メイド服のスカートは短くはないが、さすがに太もも直で馬に乗るのは厳しいだろう。
うーん、どうするかな?
面倒だが、誰か執事でも連れていくか。
「では、私が」
そんな事を考えていると、ヴァンテが名乗り出た。
背が低く、細身の身体に、漆黒の髪が煌めく、多分俺よりは年下だと思うが、ミリィよりは大人びて見える女の子だ。
元暗殺者だからちょっと警戒してた時期があるが別に怖くはないし、おとなしくて従順な女の子だ、と思っていた時期が俺にもありました。
「お前はその格好で大丈夫なのか?」
「大丈夫です、問題ありません」
理由が分からないが、とにかく自信はあるようだ。
「ま、まあいい、じゃ、行くから。アンメル、誰か来たら出かけたって言っといてくれ」
「かしこまりました、行ってらっしゃいませ」
頭を下げるアンメルを背に、俺はリンを抱っこしたまま、街へとくり出すことにした。
カーリャ侯爵領一番の街は、首都から離れた田舎にある割にはかなり賑わっていた。
色々なものが売っていて、見て回っているだけでも楽しいくらいだ。
俺の背で、さっきまでむすっとしていたリンもようやく街並みに興味を示し始めた。
「そう言えば、リンには何もプレゼントしたことなかったな」
「なによ、いきなり?」
「よし、リンが絶対自分では欲しがらないものをプレゼントしよう」
「何なのよそれ? 嫌がらせ?」
「おいおい、欲しいものとプレゼントは違うだろ。欲しいものはほっといても自分で買うもんだろ? だから、プレゼントってのは欲しいもの以外を渡すもんなんだよ」
俺は騎士時代の先輩の受け売りを教えた。
「それって結局、私の欲しくないものなのよね?」
「欲しくないってわけじゃない、リンが貰ったら嬉しいけど欲しがらないものだ」
「……言ってる意味がよく分からないわ」
「それでいいさ、おっと、通り過ぎるところだった。ヴァンテ、手綱を」
「はい」
俺は馬を止め、ヴァンテに手綱を預け、まずは自分が降りた。
あ、ちなみにヴァンテはここまで走ってついて来た。
そりゃ走るだけならメイド服でも出来るよな。
いや、あえて軽く言ったけどさ、馬のスピードについてくるヴァンテの姿って、恐怖以外の何物でもないぞ。
あまりに速いので走りで生まれる風は強風となり、それによりメイド服のスカートが腰の辺りまで捲れ上がり、長い漆黒の髪が暴れるのもそのままに、馬と共に疾走する女の子。
ああ、怖いさ! リンもさすがに引いてたし。
この前は運が良かったけで、こいつを本気で怒らせたら、逃げ切れる自信がない。
さすがに屋敷からここまで走ったので、額に汗が輝いているが、それを軽く拭き取ると、息一つ上がっていない。
そんなヴァンテに手綱を預け、リンを下ろすために手を取る。
リンは俺の手を取り、馬から降りる。
「さ、入るか」
「ここは何のお店?」
店の前で俺が中に促すと、リンは店を見上げて聞いた。
その店は周りの店よりも一段豪華な店構えで、きらきらとした装飾が目についた。
「ここは宝石屋だな。カーリャ侯爵領の鉱物は大抵卑金属だが、少しは貴金属も採れるんだよ」
俺は自分が昨日聞いたばかりの情報を前から知ってるかのように説明した。
「ふうん、ま、確かに宝石は自分では買わないわね」
「まだ子供だからな、てっ!」
リンは頭を撫でていた俺の手を引っぱたく。
「五年後だって興味はないわ! 宝石なんて、魔法の研究材料にしか考えてないっ!」
「たとえそうだとしても、侯爵夫人が宝石のひとつも着けてなければ、周りから色々言われるようになるんだよ。宝石は着飾るものというのもあるけど、格を見せるものでもあるからな」
俺は叩かれた頭でもう一度リンの頭を撫で、店の中に入った。
「いらっしゃいませ、おお、ジャン様!」
店の主人は俺を見ると驚いてこちらに駆け寄ってきた。
店主は親父と同じくらいの年齢で、親父と違い温和な表情の人だ。
「久しぶりだな。この子の宝石を買いに来たんだが」
「さようですか。失礼ですが、どちら様で?」
「俺の婚約者だ」
「おお!」
店主は必要以上に驚いた。
「あのジャン様が婚約者の宝石を買いに来るなんて……」
その目は潤んでいて、成長した息子を見るような目で俺を見る。
そう言えば、子供の頃こっちに住んでたんだが、結構この辺では色々暴れてた気がする。
「街の可愛い女の子を集めて『お前ら将来俺のハーレムに入れ』などとおっしゃっていたジャン様が……」
「そ、その話はまた今度しようか! そう! 彼女にはエメラルドかサファイアが似合うと思うんだ!」
俺の黒歴史を語り始めた店主を止めて話を進ませた。
隣から強い殺気を感じるのは気のせいじゃないだろう。
「そうですね。エメラルドかサファイアだと思いますが……ううっ、うちの娘に『お前のパンツは俺のもの、俺のパンツも俺のもの』などと言ってスカートをめくっていたジャン様と宝石を語る日が来るなんて……」
「いやっ! そんな子供の頃の話なんて──リン! 子供の頃の話だ! とりあえず、ダイヤの指輪を指にはめてナックル作るな!」
俺の婚約者は尋常ない殺気を放って俺を半殺し以上にしようと手近な武器を取っていた。
「私は現役で子供だからっ! とりあえずあんたを殺す! 殺してから後のことを考える!」
「落ち着け! 都合のいいときだけ子供になるな。あと、今はお前だけが俺のものだ!」
俺はとっさにリンの握り拳をつかむ。
力のないリンは、それでなくとも抵抗がないのだが、今は本当に力がなかった。
握った拳もすぐに解けた。
「……ま、過去が変えられないのは仕方がないわね」
リンはそう言って拳を下ろす。
なんとか助かったようだ。
……ま、嘘は言ってない、俺の本心だしな。
「未来に同じことがあったら、殺すわよ」
「ああ、それはないと誓える」
俺がそう言うと、なんとかリンの怒りは収まった。
「じゃ、じゃあ、そろそろ宝石を選んで──」
「あら、ジャン様? お久しぶり」
俺が店主に話しかけると同時に、奥の方から声が聞こえてきた。
そこにいたのは波打つ長い金髪を棚引かせた美少女だった。
その雰囲気には覚えがある。
「ローグ、なのか……?」
「わあ、覚えててくれたんですね」
嬉しそうに微笑むローグ。
こいつはここらで一番可愛かったから、俺が一番いじめてた奴だ。
主にスカートめくりとかそういう方面で。
「お、おう、ローグか。見ないうちに──」
「綺麗になりましたか?」
ローグはにっこり笑ってその場で一回転した。
この街の女の子の間で流行ってるミニのスカートがふわりと上がり、金の髪が輝きながら広がった。
自分が綺麗であることを堂々と認めるところがまた悔しいけど可愛いんだが、機嫌の悪い婚約者が隣にいる今、俺はローグに何らかの感情を示すわけにはいかない。
「ウン、ソウダナ。ソレヨリモ、エメラルドトサファイアノ、オオキイノヲイクツカミセテクレ」
「ジャン様も大きくなって凛々しく、逞しくなられましたね。素敵です」
憧れの人を見る瞳で俺を見上げるローグ。
畜生、可愛い子だな、おい!
何食ったらこんな子に育つんだ?
宝石食わせてんじゃないだろうな。
「ソウカ、ソレヨリモ、エメラルド──」
「ジャン様にパンツを剥ぎ取られて、大事なところを見られた日には、一日中泣きましたが、今思えばあれもいい思い出です」
「サファイひぎぃっ!」
リンのニーが俺の股間に直撃して、俺はその場にうずくまって悶える羽目になった。
「大丈夫ですか。ジャン様!」
駆け寄ってきたのはヴァンテだった。
「いや……まあ、もう少しすれば多分大丈夫……だ!」
俺は悶えながら返事をする。
「ですが、確認のために、患部を見せてください! さあ、こんなもの脱いで!」
「おまっ! やめっ!」
俺のズボンを脱がそうとするヴァンテを止めようとするが、こいつの変則的な動きがなかなか封じられない。
「さあ、見せてください。傷の一つでもあれば舐めて差し上げますから!」
「まてっ! おいリン! こいつを止めろ!」
俺はリンに言うが、リンは俺を無視して、ローグを睨んでいた。
「? どちら様でした? えっと、妹のミリーナ姫でしたっけ?」
「カザキ男爵家のリネーラよ。あの元クソガキの、生まれた時からの婚約者よ」
「あら、そうでしたか。将来のカーリャ侯爵領主の『正妻』さんですね」
ローグはあえて「正妻」という、愛人がいるかのような言い方をした。
「私があいつと結婚する以上、正妻以外の妻は認めないわ」
リンはきっぱりと、ローグに言い切った。
これ以上俺に色目を使うな、と言いたいんだろう。
いや、色目使われてないけどな、俺。
「ですが、ジャン様の精力は異常ですよ? お一人で受け止められますか?」
ローグの方は身分も遥かに高いリンを前にしても、恐ることもなく言い返した。
あれ? 俺ってそんなに精力強いのか?
「……それは、我慢してもらうわ」
「そんな……お可哀想なジャン様……。カーリャ侯爵という高貴なお立場にありながら、性欲も我慢させられるなんて。私なら身がボロボロになっても尽くすか、それが出来ないなら、お妾さんにお手伝いしていただきますのに」
挑発的に言うローグを、リンが睨む。
俺はあまり気にしないというか、カーリャ領はその辺フランクなんだが、男爵家の娘であり、侯爵家の婚約者であるリンは、侯爵家領地の住民でしかないローグからすると、本来なら話すことすら無礼なくらいの身分差がある。
そんな格下の人間からからかわれるのは、リンにとっては屈辱なのかもしれない
店主はおろおろするばかりだった。
「それなら、私もボロボロになっても尽くす。でも、あいつはそんなことはしない。私がボロボロになる前にやめて我慢すると思う」
リンはきっぱりとそう言い返した。
その、あまりにもきっぱりとした物言いに、今度はローグの方がたじろぐ。
こいつは、心から俺を信じてるんだな。
「ま、まあ、それならそう思ってらっしゃるのなら、今はそれでいいと思いますよ。ジャン様、私が欲しくなったらいつでも──きゃぁぁぁっ!」
ローグが俺を見るなり、顔を真っ赤にして悲鳴を上げる。
ん? どうしたんだ?
「むーん、特に怪我はないようですね。念の為に唾を付けておきましょうか」
股間からヴァンテの声が。
って、油断してる間に俺は、ヴァンテにズボンもパンツも脱がされて、至近距離で股間のブツを見つめられていた。
「離れろっ! お前、宝石店の中で何してんだよ!」
俺は突き飛ばすようにヴァンテを股間から離し、パンツとズボンを履いた。
「それも、ある意味宝石のようなものですが」
「オッサンかお前は!」
まだ耐性のあるリンは顔を赤くしてため息をつくだけだが、いきなり俺の股間を見させられたローグは未だに呆然と立ち尽くしていた。
「……まあ、こんな馬鹿よ。私が尽くして貰わなきゃ割に合わないわ」
リンはそう言ってまたため息をつく。
「……アレで、ボロボロになるまで……」
ローグは呆然としたまま、そんなことをつぶやいた。
その意味を若干理解したリンは怪訝そうにローグを見ていた。
「リネーラ姫様、でしたっけ?」
「え、ええ、そうだけど……」
戸惑うリンを真正面から見つめる。
ローグはリンの両手を取り、真剣な顔でじっとリンを見つめる。
「私を、ジャン様の愛人にしてくださいっ!」
「だから! しないって──」
「そうは行きませんよ!」
リンが反論しようとすると、ヴァンテがリンとローグの間に割って入りローグを睨みつける。
「えっと、どちら様?」
「表向きはリネーラ様付きのメイド。しかし、その正体は、ジャン様のハーレムメイド四人衆の一人、ヴァンテ!」
ヴァンテは俺が聞いたことも許可した覚えもない集団を名乗った。
「ハーレムメイド四人衆……やっぱり愛人がいらっしゃるじゃないですか!」
ローグが喜び、リンが鬼のような殺気で俺を睨む。
え? 俺?
「ジャン様の夜のお相手は我々四人衆が行います。あなたの出番などありません!」
「いや、いらないししてないし、そろそろ落ち着けお前ら! リンもいちいち信じるな!」
「信じる信じないは後回し! ジャンはとりあえずしねぇぇぇぇぇっ!」
「信じてくれるのを最優先してくれぇぇぇぇぇっ!」
その騒動が収まるまでに、俺は三回くらい死線をさまよい、五回くらい男として殺されかけた。
騎士時代でもこんなに頻繁に生命の危機を感じたことはなかった。
まったく、領主ってヘヴィな仕事だぜ。




