侯爵家の朝
「お父様、なぜ士官学校への入学を許して下さらないのですか!?」
グラスレイム侯爵家、朝の食卓で。これまでも何度も繰り返されてきた話題を、黒髪の侯爵令嬢エクレールは今朝も切り出した。
「うーん、そうは言ってもなぁ……」
凛々しい美貌の娘とは、髪の色しか似ない頼りない父親。
そんな印象の侯爵家当主バスティだが、これでもノイシュブール皇国陸軍の少将の地位にある人物だ。
「お父様、我が家は代々、軍人として皇王陛下に仕えてきた家ではありませんか。その家の子として、私も軍人の道を進みたいのです!」
「だめよ、エクレールちゃん、軍人なんて!」
断固反対するのが、母マリヤである。
十六の娘の母としては若すぎるほどの容姿。
ふわふわの銀髪に甘い声、娘より幼くさえ感じる顔立ちだが、人並み外れて豊満な胸が、母性をこれでもかと主張していた。
「軍人なんて、危ないんだからね。それよりあなたは、母様といっしょに可愛いドレスを着て、可愛いぬいぐるみを飾って、可愛い部屋で暮らしなさい!」
「可愛い可愛いうるさいです、お母様! 軍人の家に、そんなもの不要です!」
食卓を挟んで熱くなる二人を、侯爵家のもう一人の家族、侍女リチェリットが止める。
「あの、お二人とも落ち着いて下さい。お二人が喧嘩するのは、私は嫌です……」
上目遣いで、今にも泣き出しそうなリチェリット。
「こ、こら、泣くなってば、リチェ」
「そうよ、私とエクレールちゃんが、本気で喧嘩するわけないでしょう!?」
母娘二人で慌てて慰めるが、内気な侍女はまだ眼に涙を溜めていた。
彼女、リチェリットは十四歳。家族を亡くし人買いに拐われていたのを、侯爵が保護し、引き取った少女だ。
「ほら、リチェの淹れてくれた珈琲が、私は大好きなんだ。もっと、飲ませてくれないか?」
エクレールは熱い珈琲を一息に飲み干し、微笑んでみせる。
「は、はい、お嬢様。喜んで!」
ぱあっと、花が咲くようにリチェリットも笑顔を見せて、カップを受け取る。
結局こうして、いつも食卓の日常は護られるのだった。
「やれやれ、軍人に憧れるなんて、困ったものだね」
食後、リチェリットを連れて遠乗りに出掛けたエクレールを見送って。
父は苦笑した。
「家では、情けない父親をやってるつもりだし。僕に憧れたのではないはずなんだけどね」
「……本当に、どうしてかしら。私、あの子には戦争など知らず、笑顔に包まれていて欲しい」
母の嘆きに、父も頷く。
「僕も同じ気持ちさ。軍人なんて、ろくなものじゃないよ……」
遠い眼で、そう呟くのだった。