稲妻の名を持つ少女
第一章 エクレール-黒髪の剣姫-
聖暦1914年、人類史上最大の版図を誇るノイシュブール皇国の東部。
この地方を預かる貴族達が集う、舞踏会の夜に。
「おお、なんと美しい……」
「あれが噂の、侯爵令嬢ですか」
この夜、参列者達の視線を独り占めにしていたのは、弱冠16歳の少女。
軍人の名門、グラスレイム侯爵家の一人娘……エクレールだった。
腰の下まで伸びる長い黒髪は、水に濡れるかのように艶やかに煌めいて。
上品に切り揃えられた前髪と相まって、まるで東洋の清楚なお姫様のよう。
一方、少し吊り目がちの大きな眼、そこに輝くは、夕陽のように燃える緋色の瞳。
そして、その美しい色以上に見る者を魅了するのが、強烈な意思の輝きだ。
真っ直ぐで、力強い、正しき道を心より愛する者だけに許された、気高き瞳。
形の良い眉と共に、凛とした、少女の纏う貴き光を、何倍にも増幅する。
「ああ、麗しのエクレールお姉様! 今夜もなんて素敵なのでしょう!」
「ご覧になって、あの凛々しいお顔。あんなに綺麗な瞳で見つめられたら、私、蕩けてしまいます♪」
エクレールの美貌に一際黄色い声を上げるのは、同年代の少女達。
そう、この地の乙女達で彼女に憧れ、恋しない娘はいないとまで言われていた。
けれど。当の本人にとっては、良い迷惑だった。
「あの、あまり見つめないで下さいませんか? 恥ずかしいのですが」
彼女にとっては愛想に欠ける仏頂面……のつもりで、少女達に抗議するが。
「もう、そんなクールな所も素敵!」
「お姉様、私のことも叱って下さいまし♪」
……嬌声は、かえって大きくなった。
(お母様の言う通り、ドレスで来て良かった……)
常在戦場。軍人の娘として、本当は軍服など男物の服の方が落ち着くのだが。
(だめよ、エクレールちゃん! たまには可愛いドレスも着てくれないと、母様すねるんだからね!)
と、子供っぽくぷりぷりする母に、強引に着替えさせられたドレス。
窮屈で、動きにくくて不満だったが、これでも普段の男装よりは、寄ってくる女の子は少なく抑えられているのだ。
「……疲れる。もう、目立たないようにしていたいのだけど」
視線に晒され過ぎて、ため息をつく。
と、
「ん? あれは……」
舞踏会場の隅、視界に入ったのは。
「や、やめて下さい、伯爵様。そんな処、触らないで!」
「まあ、良いではないか、減るものじゃなし。ほれ、もっと近う寄れ」
好色な光を眼に浮かべる、でっぷりと肥え太った中年貴族。
彼にお尻を撫で回され泣いているのは、エクレールの侯爵家に仕える侍女、姉妹同然に育ったリチェリットだった。
「貴様、リチェをいじめるな!」
目立ちたくない、なんて気持ちはどこへやら、ドレスの裾を翻し、全力疾走で。
勢いのまま、そのカモシカのように長く美しい脚でエクレールは、男へ。
……豪快な飛び蹴りを食らわせていた。
その苛烈で、激しい姿。まさに彼女の名前エクレール……稲妻その物だ。
「恥を知りなさい、この下郎!」
しかし、蹴られて倒れ伏す貴族は何も答えない。答えないどころか、白目を剥き、泡を噴き始める。
リチェリットが、おずおずと告げた。
「お、お嬢様、その人、気絶してしまいました……」
(や、やり過ぎた!?)
一撃で、大の大人を仕留めてしまった。ふと我に返り、会場中の視線を一身に集めているのに気付いて。
エクレールは悟るのだった。
不本意ながら、自分の武勇伝に新たな一頁が加わったことを。
黒髪の姫君エクレール。
男勝りでお転婆な「稲妻娘」。
軍人を志し、正義に生きようとする熱き少女の、十六歳の秋だった。