人魚姫の末路
「人魚姫は幸せだったのかな」
今にも泣きだしそうな空の下、そう呟いた彼女を、僕はよく覚えている。
「……どうして?」
「だって、王子は他の人と結婚してしまう。人魚姫は結局何も報われはしない、それだけじゃなくて死んでしまうんだよ? ……王子なんて、」
そこで彼女は一度言葉を切った。そうして少しばかり躊躇って、静かに荒れる海の遥か向こうに視線を向けると、口を開いたのだった。
「ナイフで殺してしまえば良かったのに。」
僕は彼女と別に友達だったわけではなかった。ただ、屋上で鉢合わせしたときに一言二言言葉を交わす、その程度の『顔見知り』だった。失礼します、とわざわざ取らなくてもいい許可を律儀に僕にいって、そっと屋上の端っこに行く。そして学校に隣接する海を無言でじぃっと眺める。それが彼女の昼休みの過ごし方だった。
彼女は特別美人だったわけでもなく、また目立つような子でもなかった。どこにでもいるような、小説や漫画なら間違いなく通行人Aの役回りであろう、そんな子であった。しかし、海風に煽られる彼女の長い黒髪は、僕にはとても美しいもののように感じられた。
普段、僕からも彼女からも話しかけることはあまりなかった。時折、今日のテスト難しかったね、とか、今日はいい天気だね、などの他愛無い世間話をすることはあったが、それでもあの日は異質だった、と思う。
「……くそ、」
雲一つない、バカみたいに真っ青な晴天に、なぜだか無性に腹が立った。何度来ても、もう彼女はいない。そんなの分かりきったことだというのに。それでも待っていれば、失礼します、といつものように屋上の鉄製のドアを開けて彼女が入ってきそうな気がして。
「帰ってこいよ」
ポロッと歯車が一つ抜け落ちてしまったような。身体の中から心臓をゴッソリと抜いてしまったような。例えるなら、そんな空虚感。おかしいな、彼女は、別に友達ではなかったのに。僕は彼女の名前すら知らなかった。彼女も僕の名前など知らなかっただろう。僕らの関係は、ただ、そこに存在しているだけの、そんなものだった。しかし、空いてしまった穴は『友達』と過ごしても、遊んでも、何をしても、なぜか埋められないのだ。存在しない影を追って視線を彷徨わせていると、自然に海へと向かった。太陽の光を反射して輝く海は一定のリズムを刻んで、ただただ波を運び続けている。潮の匂いが鼻腔を通っては抜けていった。
――彼女はこの海を、何を思って見ていたのだろう。誰を想って見ていたのだろう。僕は、何も知らない。此処に立っても、何も解らない。
「……お前は、知っているんだろう?」
海は、何も語らない。もう既に、人魚姫は無情にも泡となって消えてしまった。まるで最初から存在していなかったかのように。
やり場のない、怒りのような、悲しみのような、ぐるぐると灰色に渦巻く感情に、僕はただ拳を握ることしかできなかった。
「……王子なんて、ナイフで殺してしまえばよかったのに、」
それでも、彼女がナイフを向けた先は。