名前
──名前だよ。一生“役立たず”で生きてくのかい?
お前たちは大人になったら長に名前をもらうんだろう。
仕方がないからあたしが付けてやろうってんじゃないか。
意味? 古い、古いオークの言葉だよ。
ちっぽけな、いまにも消えちまいそうな火、ってとこさね。
盗賊団の逃げ出したあと、大きな影が立ち上がった。
少女が息を飲む。オークの男は静かに戦慄する。
“それ”は手足を鎖に繋がれ、過酷な荷役を強いられていた。
顔には鉄の箱が被せられていたが、オークの男はいかに哀れな惨状か察知した。
競争に敗れる、病を患う、外界に焦がれる、掟に背く──。
様々な理由で里を去ったオークは、いずれ流浪ののちに戦い果てる最期を願うものだ。
囚われ、生き恥を晒すことを想うと、オークは久々に寒さを味わった。
「……」
鉄箱の破れ目から覗く瞳に光が宿る。それは炭と化した薪の表面が剥がれ落ち、中から赤々とした火が表れるかのようだった。
相手のオークは荷車の鉄輪を力任せに引きちぎると、それを振り回して鎖の繋がる根本、すなわち巨大な荷車そのものを瞬く間に破壊してしまった。
いかに強靭なオークとて血まみれになる無茶だったが、そうまでする理由は明白だった。
男は杖を握る手に力を込める。
《どうして? 賢者様、あの人は同族……でしょう? もう敵はいません。なぜ戦うんですか?》
人間に理があるように、オークにも理がある。
こればかりは少女の言葉に足を止めるわけにはいかなかった。
「ここより、南の……」
鉄箱のオークが地の底から響くかの如く低い声で、呻くように喋り始める。
「ユーグ・タル・ダオイ・ゴロクが息子……カロン・ジス・ウォルク・ダイオン」
敵として同族が相対した際に行われるオークの作法だった。
かつてこの屈強な種族が傭兵として戦に駆り出されることは珍しくなかった。
しかし上官がどれほど高名な貴族であろうとも、彼らが命令や問いかけに返答することは稀だった。
行動を以って応えるというオークの矜持は、人間の目には知性が欠けているように映り、嫌悪され、嘲笑された。
寡黙な彼らが戦場で口を開くのは、出自と名を名乗るときだけなのだ。
「……東の暗き森、灰燼の魔女が弟子、アルヴァ・ルン・マヴェラ」
古代オーク語で「闇夜を照らす小さな灯火」を意味するその名を、彼は初めて名乗った。
《灰燼の、魔女……》
二つの大きな影が、ゆっくりと動き出す。
一族の道を外れた二人は、いまや最もオークらしく対峙していた。
里を追われ、掟を外れ、もはやオークと呼べない何かになり果てようとも
最後に彼らに残されるものが戦いである。
彼らに統一された信仰はないが、土に還るための祈りを知らぬオークはいない。
送る者と敗れる者。
牙を剥く瞬間こそが、彼らの葬送の儀式そのものなのだ。




